第九話 点在する謎 ②
(このシステムは本当に凄いわ……体感的に全く違和感を感じないなんて)
航宙研修中に起きた事件の余波は様々な方面で尾を引き、休み明けの校内にも何処かざわついた雰囲気が窺えたが、何時も通りに訓練に励む蓮や詩織らからは、事件による影響は微塵も感じられない。
そんな中、電探システム用のヴァーチャルカリキュラムの出来栄えを確かめる為に達也が担当している特別授業に飛び入り参加したクレアは、そのポテンシャルを自ら体験して大いに驚嘆していた。
(五感に対するリアリティは全く申し分ないわ。これほどの完成度ならば、決して《ままごと》と侮蔑して忌避すべきではない……積極的に授業に取り入れて活用するべきだわ!)
純粋な驚きと称賛の念を懐いたクレアは、気分が高揚していくのが分かる。
それは訓練を共にする蓮や詩織、そして神鷹とヨハンらも同じらしく、艦長席に陣取った達也から矢継ぎ早に下される指示に対応しようと、各自の持ち場で全力を尽くしている姿からも明らかだった。
また、その光景は航宙研修時に彼女が懐いた疑問に対する回答でもある。
(これほど緻密で内容の濃い訓練を反復して行えるのならば、如月さんが短期間で技量を上げたのも不思議ではないわ)
「十時方向、距離三五○○敵戦爆十二機展開中! その後方四○○○新たな敵編隊をキャッチ……機数二十っ!」
秀逸なシステムに感嘆してはいても、身体に沁み込んだ技能は遺憾なく発揮され、堅実で的確な対処を披露して見せるクレア。
彼女のオペレート技術を初めて目の当りにした達也は、表情にこそ出さなかったものの、内心では大いに驚愕していた。
索敵レンジに侵入した敵はたちどころに捕捉され、残存機から予想展開エリアの情報までもが余すことなく提示される。
然も、秒単位で変化するシミュレーションを正確にオペレートしながらも、艦の進路上の空間データーも把握して見せるという完璧ぶりだった。
(まったく……現在の地球統合軍の中で、どうしたら彼女のような人材が育つのか……余程の覚悟で訓練に取り組んできたのだろうな)
彼女の力量に感嘆するのと同時に、一流のオペレーターが導きだす的確な情報の重要性を理解した教え子達が、今までとは違う対応を見せ始めた点を達也は見逃さない。
(それでいい……自艦のみならず戦域に展開する敵味方、その全ての動きを把握し先読みして動く。それを成そうとする意識が芽生えれば、お前達は飛躍的に成長できるはずだ……それでは、少々厳しくいこうかっ!)
教え子達の成長に満足しながらも、彼らが慢心して変に増長しても困ると考えた達也は、それと悟られない様に指導レベルを上げるのだった。
片や、視界の端に達也を捉えたクレアは、何時もとはまるで別人の様なその姿に目を奪われてしまう。
そこには私生活の中で垣間見せる、何処か呑気な雰囲気は微塵もなく、眼光鋭く覇気に満ちた声で的確な指示を出し続ける有能な指揮官がおり、その凛々しい姿にほんの一瞬だけ見惚れてしまったが、直ぐに意識を切り替えて訓練に没頭した。
そして、胸に灯った淡い感情を打ち消すかの様に奮起したのである。
(こんな見事な指揮を見せ付けられたら、応えない訳にはいかないじゃない!)
何時の間にか口元に笑みを浮かべている自分に気付いたクレアは、己の持つ技能を全力で揮える快感に歓喜し、その思考も身体さえも益々熱くするのだった。
◇◆◇◆◇
「素晴らしい技量だね。結構無茶な指示も出したんだが、軽く対処されてしまった……まさに脱帽だよ」
「そ、そんな大袈裟な……お褒め頂くような事は何も……」
訓練後に達也から称賛の言葉を掛けられたクレアは、面映ゆくて赤面したものの、素直に嬉しいと思えて口元を綻ばせてしまう。
しかし、直ぐに気を取りなおした彼女は、瞳を輝かせて一気に捲し立てた。
「素晴らしいのは、このヴァーチャルシステムです! サンプルパターンは豊富ですし、何よりも訓練メニューの完成度には本当に驚かされてしまいました。実際の戦場の緊迫感までリアルに再現されていますから、自ずと訓練に取り組む姿勢にも真剣さが増す筈です。私は積極的に訓練に取り入れるべきだと思います」
普段は物静かで清楚な憧れの美人教官が、興奮気味に力説する姿を目の当たりにして触発されたのか、詩織を筆頭に教え子達が揃って歓声を上げる。
「わあっ! ローズバンク教官に認めて頂けるなんて、嬉しいっ!」
「ああ! ローズバンク教官のお墨付きなら最高だ! これで積極的に友達に声を掛けられるよ」
顔を見合わせた詩織と蓮が、喜色を滲ませた声を弾ませて頷きあえば……。
「そろそろ特別授業の各クラスで、下位に低迷する生徒が出始める頃だからね」
「そうか! そういう奴らに『ローズバンク教官が認めた』と勧誘を持ち掛ければ、いけ好かないグラス教官達の鼻をあかせるって事か!」
神鷹とヨハンはニヤニヤしながら悪巧みに余念がない。
だが、そんな教え子達の反応に複雑な顔をした達也は、実に素直な質問を彼らへとぶつけたのである。
「お前達さぁ……俺とローズバンク教官を引き比べて、余りに評価に差があるんじゃないか? 君らの教官は彼女じゃなくて俺なんだけど?」
ジト目で問うてくる達也に対し、男性陣は一応『しまったっ!』という表情で、バツが悪そうに互いに目配せしあったのだが……。
欠片ほどの罪悪感も感じてはいない詩織は、『何を言っているのかしら? このオジサンは』とでも言いたげな憐みの眼差しを強くして熱弁を揮う。
「それは仕方がありませんよ。見目麗しく頭脳明晰! 本校開校以来の才媛で学園のマドンナランキングぶっちぎりのトップっ! それがクレア・ローズバンク教官なんですよっ!」
「あ、あのね、如月さん……」
「まさに天に輝く太陽! 美の女神と言っても過言ではありませんっ! 同性異性を問わず、言い寄って来る者は星の数っ!」
「ち、ちょっと、も、もう、その辺で……」
「そんなローズバンク教官と自分を比べるなど無謀ッッ! 余りに傲岸不遜と言う他はありませんよっ! 白銀教官っ!」
「そ、それは言い過ぎよっ! も、もうっ! や、やめなさい!」
握り拳を振り上げて熱く語る詩織と、その横で羞恥に顔を赤らめてオロオロするクレアとのコントラストが面白い。
その彼女の視線の先では言葉の鉄拳で滅多打ちにされた達也が、死んだ魚のような目をして自嘲気味に呟いていた。
「ははは……そりゃそうだ、俺には信頼も威厳もないからな……すみませんね甲斐性のない教官で」
力なく項垂れて乾いた笑いを漏らす哀れな教官殿に、狼狽した男性陣は精一杯の慰めの言葉をかけようと躍起になるのだが……。
「そっ、そんな事は……でも、ほらっ! 比較対象がローズバンク教官では仕方がありませんよ! な、なあっ? 神鷹?」
「ええっ! ぼ、ぼく? ええ~~っと……き、気にする必要はありませんよ! 相手が凄すぎるだけで、決して白銀教官が劣っている訳では……なあ、ヨハン?」
「そうそう。他のクズ教官達から比べたら充分及第点ですよ!」
無自覚に容赦ない追い打ちを繰り出す鬼畜な教え子たちを睨んだ達也は、怒りを滲ませた声でボソッと宣う。
「お前らぁ……航宙研修の時も結構頑張ったようだし、今日もローズバンク教官のサポートがあったとはいえ充分に及第点だったから、何か甘いものでも御馳走してやろうかと思ったが……やっぱ止めとくわ」
しかし、《甘いもの》と聞いた途端、詩織の態度があからさまに変化した。
「あ、あらぁ~~! いやですよっ! 私は何時でも何処でも白銀教官を尊敬してお慕い申し上げておりますのにっ! 全くあなた達ときたらっ、教えを受けている分際で恩師を侮辱するなんて、この私が許さないわよッッ!」
「「「お、俺達が悪いのかよぉっ!?」」」
甘味のためならば平気で掌を返して恥じない詩織と、濡れ衣を着せられて激しく抗議する男性陣。
明るく燥ぐ教え子達を見たクレアは、その美しい顔を綻ばせて提案した。
「君達が仲が良いのは分かったから、早くHRを終わらせて外出許可を貰ってきなさい。でないと、折角の白銀教官の好意を楽しめなくなるわよ?」
「ち、ちょっと待った、ローズバンク教官。俺は奢るとは……」
その言葉を否定しようとした達也だったが、彼女の優しげな視線に射竦められれば、喉まで出掛かった語尾を呑み込まざるを得なかった。
「あら? まさか、白銀教官ともあろう御方が御褒美をチラつかせて、教え子達の歓心を買おうなどという卑怯な真似はなさいませんわよね? 彼らの成果をお認めになったのであれば、気持ちよく散財なさるべきではありませんか?」
望外のクレアの援護射撃に、詩織は大きくガッツポーズを決めて喜色を露にし、一方で達也は何処か嬉しそうなクレアには逆らえず、渋々ながら無条件降伏を受け入れるしかなかったのである。
「やれやれ口は災いの元か……分かりましたよ。ローズバンク教官の仰せのままにいたします。あっ、そうだ。もし良かったら君も甘いモノ付き合わないかい?」
それは、達也にしてみれば全く他意のない誘いだったのだが、教え子達にとっては、身の程知らずの蛮行以外の何ものでもない。
だから、滑稽な道化と化した達也を憐れむしかなかったのである。
彼らの表情には一様に『ご愁傷様です』という文字が浮かんでおり、憐憫の情を色濃く滲ませた瞳を、無謀なチャレンジャーと化した恩師へ向けるのだった。
男性教官達からの怒涛のお誘い=放課後デートを、毎回クレアが丁寧に断っているのは、生徒間でもすっかり周知されている有名な話だ。
その鉄壁の防御力の前に今週は何人の教官達が玉砕するのか?
候補生達の間では、秘かにそんな賭けが行われているほどだった。
然も、女子候補生に人気のイケメン教官でも成功した例は皆無なのに、冴えない中年の達也では、けんもほろろに断られるのがオチだというのが、彼らの一致した見解なのだ。
(あちゃぁ~! その勇気は認めますけど無謀です。教え子をダシにしてデートに誘おうなんて、そんな古いテクニックは通用しませんって)=by 蓮。
(同情はしますけど、幾ら何でもローズバンク教官を誘おうなんて、身の程を知るべきではありませんか? せめて、もう少し身だしなみに気を配れる程度のレベルになりませんと)=by 詩織。
(白銀教官っ! 僕だって応援したいですっ! で、でも、これは完全な負け戦ですよ。戦略的転進を選択するべきですっ!)=by 神鷹。
(玉砕すると分かっていても、男なら前に出なきゃならない時がある! 教官っ! あんた男だぜ! 骨は俺が拾ってやるさ!)=by ヨハン。
御馳走になる立場にも拘わらず、スポンサーに対する感謝も教官に対する敬意も忘れている無慈悲な教え子たちは、当然の如くにクレアが容赦ない微笑みを以て、身の程知らずのオジサンの夢を打ち砕くと期待していたのだが……。
「喜んで御馳走になりますわ。それでは終業の報告をしてきますので、二十分後に正門前で待ち合わせという事でよろしいですか?」
ほんの少しだけ思案したクレアが華やかな笑みと共に了承したものだから、期待を裏切られた教え子達は顔を強張らせてしまった。
然も、彼女の表情は同性の詩織でさえ ドキッ! とさせられる程の喜色に満ちており、女性に対する免疫が薄い蓮ら男子に至っては、衝撃のダブルパンチでKO寸前まで追い詰められてしまう。
そんな中、一人だけ平常運転の達也が口元を綻ばせて答えた。
「構わないよ。俺も帰り支度をして直ぐに行くから……お前達もそれでいいか?」
放心した儘の教え子達は達也からの問いに条件反射でコクコクと頷くしかない。
そして、ふたりの教官が退室した後に取り残された彼らは……。
「ゆ、夢よ……これは性質の悪い夢なのよ……」
「そ、そんな大袈裟な、ローズバンク教官もこのシステムの恩恵に与れるんだから……リップサービスだよ、きっと……」
「如月さんも蓮もひどすぎるよ」
「だが、そう思わないと……フラれまくった男共が哀れ過ぎるだろう?」
どうあっても自分達の教官の人徳の勝利だとは思わない薄情極まる教え子達は、暫し茫然と佇むしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「う~~ん……あいつら、何だか変じゃなかったですかね?」
スイーツショップで一時間ほど甘味とお喋りを楽しんでから解散した帰り道。
隣を歩く達也が解せないといった顔で口にした質問に、クレアは含み笑いを漏らさずにはいられなかった。
(軍務絡みの事ならば、あの子達の些細な感情の変化も見逃さないのに、どうしてこういう所は鈍いのかしら?)
教え子達が何に驚いていたのか気付けないでいる達也の様子が可笑しいやら、可愛らしいやらで、どんな顔をすれば良いのか困ってしまう。
「えっ? 俺、おかしなことを言ったかな?」
自分が笑ったのが不思議だったのか、惚けた顔でそう訊ねて来る達也に、彼女は教え子達が何に驚いていたのかを説明した。
「い、いえ、そうではなくて……きっと私が貴方からのお誘いを受けたのが原因ですわ。何時もならば、食事やお茶に誘われても全てお断りしていますから」
そう言われて初めて教え子達の不可解な態度に合点がいく達也。
「あぁ、そういうことか……つまりあいつらは、俺も誘いを断られて落胆するものだと決めつけていたのか!? 本当にあいつらときたら、教官に対する敬意などは欠片も持ち合わせていないな。本当に困った連中だ!」
憤慨して忌々しげに愚痴を零す達也だったが、実は彼が本気で腹を立てている訳ではないのをクレアは良く理解していた。
それは、さくらを挟んで共に過ごす時間が増えたことで、自分よりも常に他者を気遣う達也の優しさを、彼女自身が知ったからに他ならない。
だから、敢えて意地の悪い笑みを浮かべて揶揄ってみたのだ。
「あらあら、そんな事を仰ってもよろしいのですか? 彼らの気を引き締める為に怒って見せるのが悪いとは言いませんが……貴方は優し過ぎますからね。御自分を悪く見せようとしても、あまり効果はないと思いますわよ?」
そう指摘されて血色ばんだ達也は、心外だと言わんばかりに自己主張し始めた。
「そんな馬鹿なッ! 俺は本当は厳しいキャラだしッッ! 体罰肯定派だしッ! 特訓大好き人間だからなッ!」
「はいはい。強がっても無駄です。そんな怖いオジサンに、さくらが懐く筈がないでしょう?」
懸命の己語りを実にあっさりと一蹴された達也は、不満げに唇を尖らせて文句を返す。
「むうぅ~~君は容赦ないなぁ……学校ではもっと物分かりの良い優しいお姉さんという感じなのに、私生活では結構ハッキリとモノを言うし……然も、俺には一切手加減なしで厳しいよね?」
優しい人と言われた達也は、照れ隠しに自分が強面キャラであるのを強調したが、いとも簡単に切り返されてしまい不貞腐れるしかなかった。
すると、クレアは笑みを深くし、その苦言を肯定したのである。
「当たり前じゃありませんか。教え子達の前でみっともない真似はできませんから……学校では意識して自分を作っているのですよ」
「それはおかしいんじゃないか? 俺だって生徒達と変わりはないのだし……」
「今更ですわ……私も散々醜態を晒しましたし、貴方が私生活では、とても自堕落な人だと知ってしまいました。それに、さくらの為とはいえ家族ごっこをしているようなものです……だ、だから……恰好つけても仕方がないじゃありませんか」
自分でそう言っておきながら、最後は羞恥が勝って語尾がゴニョゴニョと掠れてしまい、クレアはほんのりと朱に染まった顔を背けてしまう。
一方で彼女の台詞を聞いて照れ臭くなった達也は、この場のもどかしい雰囲気を取り繕おうとしたのだが……。
「た、確かに俺は無様を晒して軽率だったからなぁ……だ、だが、学校での君よりも、さくらちゃんに接して微笑んでいる君の方がずっと素敵だよ……お、俺はそう思っている……」
白銀達也が朴念仁であるという知人らの共通した認識は、相手の都合には御構いなしに、殺し文句を口にして憚らない、厄介なスキルの持ち主という点に尽きる。
然も、これが無自覚の行為なのだから、傍から見れば口説いている様にしか見えないにも拘わらず、本人にしてみれば単なる褒め言葉でしかないのだから、余計に始末が悪いのだ。
しかし、今回に限って言えばクレアへの言葉は素直な想いの吐露であり、彼自身の偽らざる本音だった。
だが、唐突な達也からの褒め言葉に取り乱したのはクレアも同様であり、心臓の鼓動が一気に大きくなった気がして狼狽を露にしてしまう。
それでも何とか気を落ち着け、その真意を問おうとした瞬間だった。
「し、白銀さん? そ、それって、きゃあぁっ! な、何をっ!」
突然逞しい腕で抱き竦められたかと思えば、道路脇に広がる若芽が美しい芝生の斜面に押し倒されたクレアは、その唐突な狼藉に大いに悩乱してしまう。
斜面の下には人造の小さな運河と、それに沿う遊歩道が整備されており、休日ともなればカップルや子供連れの家族で賑わう場所なのだが、平日の夕方である為か人通りは皆無だった。
「し、白銀さんっ! 馬鹿な真似はっ!?」
「し、静かにっ!頭を上げちゃ駄目だっ!」
信じられない行為に身体を固くして抵抗しようとしたが、その彼からの厳しい一喝に耳朶を打たれたクレアは息を呑んだ。
それと同時に、ビシュッ! ビシュッ! と何かが弾けるような音がし、頭上の芝生が抉れて吹き飛び宙を舞った。
一体全体なにが起きたのかは分からなかったが、それでも達也に抱き締められている事に安堵感を覚えて取り乱さずに済んだ。
「どうやら狙撃されているようだ……尋常じゃない殺気を感じたから、咄嗟に押し倒してしまった。ごめんな」
クレアから身体を離しながら、達也は優しい声で彼女を気遣う。
「い、いえ……助かりました。でも、いったい誰が? どうして?」
「さてね……射撃の精度から見て、相手は軍人かそれに準ずる者だろうが、プロのスナイパーではないな。本物の狙撃手なら無駄弾を撃って、自分の居場所を教える様な間抜けな真似はしないだろうからね」
約一㎞ほど離れた場所にある工事中の建物の屋上から狙撃された……。
そう教えられたクレアは恐怖に身震いするしかない。
「いいかい。絶対にここから動かないでくれ。頭を出さないようにして伏せているんだ……敵は俺が片付けてくるから」
「か、片付けるって、どうなさるおつもりですか?」
「忘れたのかい? 俺にはこれがあるんだぜ」
不安げに顔を歪めるクレアに左手の銀光の腕輪を示した達也は、何の気負いもない自然な表情で微笑んで見せた。
「それじゃぁ、暫く辛抱していてくれ」
そう言うや否や、一瞬で達也の姿はその場から掻き消えてしまう。
「どうか御無事で……」
一人残されたクレアは自分の無力さが歯痒くて仕方がなく、懸命に達也の無事を祈るしかなかったのである。
一方、襲撃を仕掛けた狙撃手は、初弾を外したものの慌ててはいなかった。
(遊歩道の長さは僅か二百m。逃げるには何処かで姿を俺の前に晒すしかない……思い知るがいい白銀達也! 今度は俺が貴様を狩る番だ!)
狙撃中のスコープで獲物が隠れた土手周辺を窺うのは、先日、土星宙域で海賊を装って襲撃を仕掛けて来たナフト・ロイン大佐だった。
充分な戦果を挙げながらも、たった一機の戦闘機によって味方艦載機の半数近くを屠られ、あまつさえ乗艦までもが撃破されてしまったという屈辱は、忘れようとしても忘れられるものではない。
何とか追撃を振り切り、銀河連邦軍秘密基地に帰還した彼らを待っていたのは、有無も言わせない懲罰人事だった。
ロイン大佐を含む生還者全員が拘束された挙句に、部下の命と身分の保証を引き換えにという条件で、今度は白銀達也本人の暗殺を引き受ける羽目に陥ったのだ。
この理不尽な命令を下した幕僚部に対する憤りは募るが、ターゲットが憎みても余りある男だと知らされ、暗い復讐の炎に煽られた彼は、その命令を了承したのである。
しかし、自らがハンターであると確信していた彼は、突然背後から投げ掛けられた言葉に驚愕せずにはいられなかった。
「まさか、無差別殺人を楽しんでますってオチじゃないよな……標的は俺個人なんだろう?」
そこには数瞬前までスコープに捉えていた標的が立っており、値踏みするかの様な視線で自分を見つめているのだから、驚かない方が如何かしている。
だから、愕然としたロイン大佐は、不用意に呟いてしまったのだ。
「し、白銀達也……ど、どうしてっ!?」
「ほう……やはり人違いではないのだな……それで? 何処で俺と戦ったのかな? すまないが思い当たる節が多すぎてね……説明してくれないと分からないんだが」
「うわあぁぁぁぁッッ! このバケモノがぁぁ──ッ!」
不可解な現象に錯乱したロイン大佐が狙撃銃の銃口を向けたのと、達也が地を 蹴って疾駆したのは同時だった。
襲撃者が引鉄を引くより一瞬早く、達也が一閃させた炎鳳の切っ先が彼の左腕を肘の辺りで斬断する。
「ぎゃああぁぁぁッッ! う、腕がッ、腕がぁぁッッ!」
刀身に高熱を纏う炎鳳の斬撃は切断面を一瞬で炭化させるため、出血は僅かでしかないが、だからと言って痛みが和らぐ訳ではない。
工事中で未完成の床に倒れ伏して激痛にのたうつ襲撃者に、達也は炎鳳の切っ先を向けて冷酷な声音で質問を投げた。
「お前の所属と名前を言え……軍人としての訓練を受けているのは隠しようもなかろう? 正直に話さないと腕の再接合術が間に合わなくなるぞ」
この時になって漸く、白銀達也という男が自分では到底敵わない相手であると、ロイン大佐は気付いてしまう。
それ故に彼に残された道は、全ての証拠と共に自らを火球と化して憎い敵を道連れにするしかなかったのである。
「ならばぁぁッ! きさまも共に地獄に堕ちろぉぉ──ッ!」
絶叫して達也へ体当たりを敢行した彼は残された右腕で組み付くや否や、躊躇いもせずに奥歯に仕込んだ起爆装置を噛み締めた。
その途端、硬質ジャケットに仕込まれた高性能爆薬が一気に火を噴くや、紅蓮の大炎が周囲の何もかもを呑み込んだのである。
※※※
夕暮れ時の大気を震わせる盛大な爆音を耳にしたクレアは、反射的に身を起こし立ち上がっていた。
顔を上げるなと忠告された事など頭から消え失せ、身を焦がすような焦燥感に苛まれてしまう。
遥か視線の先には、達也が向かったビルの屋上周辺が炎輪に包まれているのが 見て取れ、華奢な身体を震わせた彼女は、炎舞の中で焼かれる達也の姿を幻視してしまい、眩暈に襲われてその肢体を傾がせた。
しかし、地面に倒れ伏す直前に力強い腕に抱きとめられて事なきを得る。
そして……。
「大丈夫かい? 気をしっかりと持って……問題は片付いたよ」
「し、白銀……さん?」
喪失しかけた意識がはっきりと覚醒するに従い、心配そうに自分を見つめている達也の顔を認識したクレアは、胸を締め付けられる様な切なさを覚えてしまう。
その想いを堪えられずにポロポロと涙を零す彼女は、達也の背へ腕を廻して抱き締めるや、胸に顔を埋めて詰るのだった。
「ば、馬鹿ぁッ! い、いつも、いつも無茶ばかりしてぇッ! 死んでしまったらどうするのですかっ!? 何時も心配させられる私の身にもなって下さいっ!! ほ、本当に、本当にひどい人ですッ! 貴方はっ!」
一方的に非難される達也だったが、不思議と嫌な気はしない。
(こんな風に誰かに心配して貰えるなんて初めてかも知れないな……存外悪いものじゃない)
不謹慎だという自覚はあったが、それはとても温かくて不思議な感覚だった。
安らぎを覚えるのと同時に、ひどく切なくてもどかしい……そんな不確かな気分が胸の中に芽生えて達也は戸惑ってしまう。
だから、何も言わずに震えるクレアの背中を優しく抱きしめ、彼女が落ち着くまでの僅かな時間、夕陽の淡い光の中で抱擁を交わすのだった。




