第八話 ドッグファイト・サヴァイヴァー ②
「もう駄目だ、お腹パンパンだよ……でも凄く美味しかった」
「ふみゅ~~~さくらも、お腹いっぱいだよぅ」
「キュ、キュゥゥ~~ン」
椅子の背凭れに身体を預け、お腹を擦りながら呻く達也とさくら。
膨らんだお腹が苦しいのか、床の上で仰向けになり息も絶え絶えの幼竜。
眼前で繰りひろげられる滑稽な光景に、クレアは吹き出しそうになるのを懸命に我慢しなければならなかった。
とは言え、何時までも和んでばかりもいられない。
「さくら。ちゃんと明日の用意をしなきゃ駄目よ。ティグルちゃんのバスケットにもタオルを敷いてあげるんですよ」
「うんッ! ママ、ごちそうさまぁ! いくよ、ティグルぅ!」
椅子から飛び降りた愛娘がパタパタと廊下を駆けて行くと、如何にも身体が重いといった風情の幼竜が翼を羽ばたかせて後を追う。
それを優しげな視線で見送る達也に、クレアは申し訳なさそうに話し掛けた。
「すみませんでした……態々立派な篭まで買っていただいて」
「礼を言われるほどではないさ。ティグルの面倒を見て貰っているのに知らん顔はできないよ。それに船内や街中で自由にさせると、興味本位で寄って来る人も多いからね……篭の中で大人しくさせていた方が騒動にならなくていいさ」
そう言って笑う達也にクレアも微笑みを返す。
「面倒を見るだなんて大袈裟な……どちらかと言えば、さくらがティグルちゃんを拉致している様なものですから……」
「あははは! 拉致とはひどいなぁ……でも、本当に珍しいんだよ? ティグルが初見の人間に懐くなんて……ほら、如月との初対面の時にさっさと逃げ出しただろう? 普段は警戒心が強いのに、さくらちゃんにだけは無条件で懐いちまった……あの娘が本当に綺麗な心を持っている証拠だろうね。延いては、ママの教育の賜物なのかな? 凄い、凄い」
さくらを褒めながら、柔和な微笑みを浮かべる達也。
褒められて照れ臭さくなったクレアは、それを誤魔化す為に澄まし顔を取り繕って反論した。
「最後はひどく投げやりな気がしますが……娘を褒められれば悪い気はしません。ですから、及第点を差し上げますわ」
「おいおい、その上から目線の物言いは何だよ? 少しも褒められた気がしないのは俺の気の所為かい? これでも素直に感謝しているんだがねぇ~」
こんな他愛もない会話を交わせることが嬉しくて、クレアは心が浮き立つ感覚に面映ゆいものを感じてしまう。
「それじゃあ、明日はさくらちゃんを連れて?」
そんな時に不意に話題を変えられたのだが、彼女は鉄壁のスマイルで心の動揺を覆い隠した。
「授業が終わってから上海シティーの両親の所へ預けてきます。私は一晩泊まって、翌朝シャトル便で直接学校に出勤するつもりですが、本当に大丈夫なのですか? 変なものを召し上がったりしないか、私はその方が不安で……」
「ちょ、ちょっと待ちたまえよ。どうして俺が変なものを食べる前提で話が進んでいるのさ?」
「だって……白銀さんですもの……晩酌のオツマミを主食になさるような方に、まともな食事ができるとは……はあぁ~~」
盛大な溜息と共に、如何にも心許ないわと言いたげな視線を向けられた達也は大いに憤慨したが、このまま引き下がったのでは沽券に係わると思い、語気を強めて不本意な評価を一蹴する。
「し、失礼なっ! いくら俺が不精者だからといって、毎晩君の美味しい料理を御馳走になっているんだ。好き好んで不味いモノを口にするほど、酔狂ではないつもりだよ!」
だが、そんな浅はかな抵抗が通じるクレアではない。
「本当ですか~~? せめて、まともな御店で食事をして下さいね……学食で済ませる様なみっともない真似は決してなさらないように」
(げっ! 見抜かれているっ! なんで俺の行動を見透かせるんだ?)
全てを見通しているかの様な彼女の鋭い指摘に激しく狼狽したものの、なんとか平静を取り繕って強がりを口にする。
「あ、当たり前じゃないか。俺にだって教官としての面子がある。生徒達に見縊られるような真似はしないさ」
稚拙な言い訳などお見通しだとばかりに、クレアは再度大きな溜息を漏らしたが、さすがにこれ以上虐めるのも酷だと思い直して別の案件を切り出した。
「その言葉を信じておきますわ……それから、もう一つ御相談したい事があるのですが……」
懸案の電探システムの授業について実情を説明したクレアは、システムの概要と機密要綱について達也から質問されたのだが、特に軍機には抵触しないと判断して頷く。
「新型と言っても連邦軍が正式採用している機種の汎用型ですから、特に機密条項に指定されてはいません」
「そうか……それならば問題ないだろう。機材のデーターカタログとレイアウト、試験データーを合わせて俺の情報端末に送ってくれればいいさ。航宙研修が終わった週明けには使えるようにシステムを調整しておくから、実際に君が試してみて、授業に取り入れるかどうか決めればいい」
「ありがとうございます。実は授業時間が少なくて、生徒達の理解度が追い着かなくて困っていたんです。よかった、これであの娘達に胸が張れますわ」
「ははは。まだ試してもいないものを過大評価しない方がいいんじゃないかい? とは言え、ヴァーチャルシステムなら有用体感時間は三倍まで引き延ばせるから、反復訓練には適していると思うよ。さて……」
達也は壁の掛け時計をチラリと見て立ち上がった。
「ご馳走さま。本当に美味しかったよ」
「いえ、お粗末さまでした。御要望があったら何でも仰ってくださいね。これでも料理は得意な方ですから、大抵のリクエストにはお応えできますわよ」
「それは楽しみだ。でも、今でも充分満足しているから問題はないよ……それに、君やさくらちゃんに家族のように接して貰えることが何より嬉しいよ……はは、図々しいにも程があるかな」
自分の言葉に照れたのか、最後は苦笑いする達也。
一方、その台詞を聞いて昼間の志保とのやり取りを思い出したクレアも、気恥ずかしさを覚えて顔を伏せてしまう。
それでも、彼女は達也の言葉を否定したりはしなかった。
いや……出来なかったと言うべきなのかもしれない……。
◇◆◇◆◇
航宙研修とは現在就役している戦闘艦艇に乗艦し、現役士官から指導を受けながら、宇宙空間に於ける艦隊実務を経験するものだ。
しかし、以前達也が指摘した通り研修自体は毎月開催されるものの、その期間が短い為に内容が希薄になって、有効性に疑問を懐かざるを得ないという問題を内包していた。
それ故に、何処か物見遊山的な空気が蔓延って緊張感に欠けた研修実態が散見されるようになり、受け入れ側の艦長や幕僚達からは『通常任務で忙しい上に子守りまでさせられるのか』という不評を買っているのもまた事実である。
「どうかね副長、今回の子供達は?」
三年生が研修を行っている主力航宙母艦の艦長は、ブリッジに顔を見せて早々に、艦長席で候補生達の様子を見守っていた男性士官に訊ねた。
副長は三十台半ばの実直な少佐で、普段は下士官達の統率に殊更に厳しい態度で臨む反面、気さくで面倒見が良く、部下達からの信任も厚い器量人だ。
そんな彼が珍しく苦笑いを浮かべて両肩を竦めて見せた事で、艦長も大凡の状況を理解した。
副長が立ち上がり、入れ替わるように艦長がシートに腰を降ろすと、二人は訓練の喧騒を余所に声を潜めて情報を交換する。
「正直なところ如何に候補生とはいえ、最終学年の習熟度としては些か心許ないかと……任官して配備された彼らを再教育せねばならない我々の苦労を少しは考えて欲しいものです……そういえば、艦長こそ随伴の指導教官達との面談は御済みになられたのですか?」
「一応ね……今期の候補生は粒揃いだと声高に吹聴していたよ」
「身贔屓は候補生たちの為にもならないのですがねぇ……夕食時のミーテイングはどうなさいますか?」
「我々にはどうしようもないさ……景気の良い美辞麗句でも並べて、候補生たちの士気高揚を図るしかあるまい」
問い掛けた副長も顔を顰め、そう嘯く艦長に同意するしかなかった。
そんな時だった……。
「失礼します! 如月詩織候補生以下十名。訓練に参加させていただきますっ! どうかよろしく御指導のほどを御願い致します」
訓練を終えた班と入れ替わりにブリッジに入室して来た候補生達。
その中の紅一点である女子候補生が、艦長席の二人に向けて見惚れる様な敬礼と共に透き通る声で上申する。
如月詩織と名乗った少女の隙のないその所作に、艦長と副長は思わず感嘆の吐息を漏らしてしまう。
(ほう……このグループは他の候補生達とは毛色が違うようだな)
今回の研修にあって初めて期待が持てそうな候補生達に出逢えた艦長は、表情を引き締めて答礼した。
尤も、彼のお眼鏡に適ったのは、詩織を含めて四名だけなのだが……。
少しはマシな候補生もいたのか……。
艦長らが懐いたのはその程度の認識でしかなかったが、それが大きな間違いだと直ぐに思い知らされるのだった。
◇◆◇◆◇
初日の研修項目は無事終了し、十五名の研修参加担当教官達は緊張から解放されて胸を撫で下ろした。
そんな中、本日最後のイベントである艦長や幕僚一同と席を同じくする夕食会に参加する為、彼らは作戦会議室に集まっている。
目にも鮮やかな白いテーブルクロスの上には、上級士官用の食堂で使用されている金属製トレーが並んでおり、そこには様々な料理が盛り付けられていた。
士官食堂で使用されている金属トレーとはいえ料理は豪華なものであり、研修に参加している教官達を歓待しようとの料理人の心遣いが見て取れる。
こういった高級将官の食事については、特に取り決められたルールは無く、各艦を統べる艦長の嗜好や性格に左右されるのが常だ。
コース料理さながらの晩餐を求める者もいれば、艦長自ら士官食堂で部下たちと気安く食事を共にする者もいる。
そんな両極端な例から推察する限り、当艦の艦長はまともな感覚の持ち主だと、クレアは好感を持った。
しかし、だからと言って胸の内に蟠る、蜷局を巻くような不愉快な感情が霧散するわけではなかったが……。
テーブルの対面には本艦の副長以下十二名の幕僚らが腰を降ろしており、こちら側には今回参加している伏龍指導教官十四名が並んでいる。
欠員になっている一名は、言うまでもなく白銀達也その人だった。
『統合軍内の機密保持の為』という理由を論った教務主任が、銀河連邦軍士官である達也の参加を許可しなかったのだ。
その決定を当の達也は素直に受け入れたが、統合軍という組織の狭量な一面を見せ付けられたクレアは、不快感を覚えずにはいられなかった。
同盟関係にある銀河連邦軍の士官に対し、たかが食事会への参加を拒むことに、一体全体どのような正当性があるのだろうか。
考えれば考えるほど、その無知蒙昧さに辟易させられてしまう。
『腹が立つのは分かるけれど、騒動にして候補生達に変な動揺を与えるのは不味いわ……白銀さんもそう言ってくれたのだから、今日の所は我慢なさい』
入室前に志保から窘められたのを思い出したクレアは、極力不機嫌さを顔に出さないよう笑顔を取り繕った。
丁度その時、やや遅れた艦長が入室して来たため、全員が起立して敬礼する。
「おぉ! 済まない、済まない。待たせてしまったようだね」
上座の席に着くや否や早々に答礼した艦長は、如何にもバツが悪いといった顔で謝罪するや、直ぐにアルコールが入ったグラスを手にした。
「短い時間だが同じ軍人同士だ。肩肘張らずに気楽に歓談してもらえると嬉しい。意見交換は食事をしながらでも構わないだろう。気付いたことがあったら遠慮なく述べてくれ給え。では、諸君と候補生達の未来に幸多からん事を願って、乾杯!」
「「「乾杯っ!!」」」
簡潔な艦長の挨拶に続いて乾杯を終え食事会が始まった。
とは言え、彼の言葉ほどに双方の会話が弾むことはなく、専ら幕僚達の興味本位の視線がクレアと志保に集中し、ふたりを不愉快にさせたのは御愛嬌だったのかもしれない。
そして、粛々と時間だけが過ぎて食事会が終盤に差し掛かった時だった。
それまで他愛もない世間話に興じていた艦長が、やや興奮した面持ちを伏龍教務主任に向けて華やいだ声を上げたのだ。
「実は私も少々候補生たちを見縊っていたと反省させられてねぇ~~。最後の組にいた、如月詩織、皇神鷹、ヨハン・ヴラーグ、真宮寺蓮の四名。彼らの練度の高さには感嘆せずにはいられなかったよ」
まるでお気に入りの玩具を見つけて燥ぐ子供のように、相好を崩す艦長や副長らブリッジ勤務の面々とは対照的に、教務主任やジェフリー・グラスら数人の教官の顔は、まるで苦虫を嚙み潰したかの様だった。
現役艦長に初日から名前を覚えて貰える候補生など、滅多に居るものではなく、それだけ彼らの実力が抜きん出ているという証でもあるのだが、ジェフリーらにとっては断じて認められない話であり、彼らが不機嫌になるのも当然だろう。
「どの部門に配置しても基本行動を理解しているからか、即座に臨戦態勢に入るし、その後の艦の運行、戦闘行動に於いても教導官が教える事がないほどの習熟ぶりだ。然も、他の六名のメンバーの不手際までをも見越してフォローしていた……まさに脱帽ものだったよ。聞けば所属するクラスは別々だが、特別授業で同じ教官に師事していると聞いた……彼らを指導した白銀達也大尉は何方かな?」
破顔する艦長の視線が伏龍教官陣に向けられるが、教務主任らは目を合わせようともしない。
何処か不穏な彼らの雰囲気に、艦長や幕僚部の面々が怪訝な顔をした時だった。
「白銀教官は、銀河連邦宇宙軍から派遣されて教鞭を執っておられる方ですが、機密保持を理由にして、この夕食会には出席を許されておりませんわ」
すっぽりと感情が抜け落ちた声が、不穏な静寂に包まれた室内に響く。
皆が視線を向けた先ではティーカップを手にしたクレアが、見惚れるような美貌とは裏腹に能面の如き冷たい表情を浮かべていた。
しかし、さすがに艦長ともなれば、その程度の事では動じもせず、顎に手を当て小首を傾げて呟く。
「機密保持とはまた大袈裟な……」
困惑気味な艦長を余所に、今度はジェフリーがクレアを牽制するかの様に言葉を発した。
「彼は異端児と言える存在であります。銀河連邦軍士官とはいえ士官学校出身ではなく、傭兵から士官登用されたという人物ですので……教育課の方からも要注意との警告を受けておりますれば、この様な席に出席させるのは適切ではないと愚考した次第であります」
この物言いに柳眉を吊り上げて抗議しようとしたクレアを、隣の志保が机の陰に隠れている太腿辺りを押さえて黙らせるや、自らが皮肉めいた口調で反論した。
「どのような軍歴を歩んだとしても、士官に任官された事実に変わりはないでしょう? そのような些事を論って彼を排斥する狭量さでは、寧ろ、候補生たちの失笑を買うのではありませんか?」
「排斥などしてはいないっ! これは必要な区別だッッ!」
志保に挑発されたジェフリーは瞬時に激昂して声を荒げるや、憤然と席を蹴って立ち上がった。
「士官としての素養もない野蛮人が、統合軍の将来を担う若人を教育するなどとは不条理極まりないっ! このような愚行を許しては千年の悔いを残すだろうッ!」
そう吐き捨てるように喚いたかと思うと、艦長に一礼して足早に部屋を出て行ったのである。
他の教官達も互いの顔色を窺っていたが、結局ジェフリーの後を追うように退出していく。
残された艦長と幕僚部の士官達は、唖然として彼らを見送るしかなかった。
「う~~ん? 触れては不味い話だったのかね。中尉?」
苦笑いを浮かべる艦長が、伏龍側で残っているクレアと志保に恐る恐る訊ねる。
「御不快な思いをさせてしまい、同僚に成り代わって謝罪申し上げます……彼等には良い薬になったと思いますので、お気に病む必要はありませんわ」
「そうですねぇ……これ以上馬鹿を晒されては、我が校が……延いては地球統合軍そのものが、全銀河の笑いものになる恐れがありますからねぇ」
冷淡な表情で辛辣な言葉を吐く美女を見た艦長以下その場にいた全員は、何処か居心地の悪い思いで顔を見合わせるのだった。
◇◆◇◆◇
夕食会で一悶着が起きていた頃、蓮たち白銀組四名は、ハンガーで整備班長の怒声を浴びながら戦闘時に於ける行動訓練に取り組んでいた。
勿論、達也の命令である。
借りものの整備士服に着替えた蓮らは班長や熟練の整備士の号令に従い、整備中の機体が整然と並ぶハンガー内を駆け回らされていた。
乗艦して以降この時間まで休む間もなく訓練漬けにされ、オマケと言わんばかりに本日最後の追加特訓を課せられているのだ。
手加減という言葉を知らない鬼教官に、思いっきり心の中で呪詛を吐き散らしながらも、教え子達は歯を食い縛って最後まで全力を尽くして見せた。
「よおーーっし! そこまでっ! 全員整列っ!」
副主任の怒号にも似た号令に、正規の整備士達が駆け足で班長の前に整列する。
蓮達も重い脚を引き摺るようにして彼らの背後に整列し背筋を伸ばす。
全員が揃ったのを見計らって、小柄ながらも老成した貫禄を放つ整備班長が口を開いた。
「今日は士官候補生諸君の飛び入りもあり、気合の入った良い訓練だった。お前達も若い彼らを見倣って一層奮起するように。それから、候補生諸君には、此のまま真っ直ぐに成長して貰いたいと切に願う! 本日はこれまでとする。解散っ!」
班長の訓示に全員が敬礼で応え、全ての業務と訓練が終了する。
蓮たち四人は整備班員達に笑顔で激励され、彼等も顔を綻ばせて礼を述べて交流を深めていた。
一通りの挨拶を終えた教え子たちは、班長の隣に並んで立つ達也の前に駆け足で整列して姿勢を正す。
「白銀組、如月詩織以下四名。本日全ての訓練を終了いたしました!」
彼女の報告に達也は満足そうに頷いてから、諭すように訓示を述べた。
「空母に乗艦する機会を得たのだから、整備班の方々の苦労を知っておくのは大事な事だ……とかく士官という者は自分が艦を動かしているのだという錯覚に陥り、チームワークを軽視する愚か者が多い。しかし、航宙母艦の戦力を左右するのは、それらのパフォーマンスを十全に発揮させる彼ら整備班なのだ……お前達が任官して空母乗り組みを命じられたならば、努々それを忘れないように! 今日の経験を糧にして明日からも精進しなさい」
「「「「はい! 教官並びに班長! 御指導ありがとうございました!」」」」
訓練が終わり教え子達は、ようやく緊張感から解放され息をつく。
彼らの顔に疲労感は色濃く滲んでいたが、それ以上の満足感も見て取れて達也は自然と笑み崩れてしまう。
「よし。シャワーを使わせて貰ったら食事をするといい。訓練で遅れるとは伝えてあるから、今からでも充分間に合うはずだ。頑張った褒美にデザートを頼んでおいたからな……勿論俺の奢りだ」
「「「「ごちになりま~~すッ!」」」」
破顔して礼を述べる士官候補生達に、周囲の大人達は温かい笑みを向けて彼らの健闘を称えているようだった。
御世話になった整備班の方々に再度敬礼した教え子たちが退出すると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた達也が整備班全員に向かって拳を突き上げる。
「さあ。此処からは無礼講だ! あいつらの訓練に助力して貰ったお礼だ! 呑みあかすとするかっ!!」
喜悦を含んだ掛け声に整備士たちは歓喜の声を以て応えた。
達也が秘かに差し入れたスコッチのボトル十本が次々に開封され、予め用意してあったグラスと氷が全員に行き渡るや、ハンガーの床の上に車座になって宴会が始まったのである。
呆れた事に乾きもののオツマミまでが用意されている周到さであり、気心の知れた戦友とのどんちゃん騒ぎ……こんな砕けた雰囲気が達也は大好きだった。
「貴方の教え子達は、きっと良い軍人になりますぞ。今から楽しみですなぁ」
「ははは。まだまだこれからですよ。褒めると直ぐに調子に乗る奴らばかりでしてねぇ……私としては班長のように手放しでは喜べんのです」
「贅沢な悩みですぞ! 今どきの新人少尉ときたら全く使い物にならず、艦長らが激怒して再教育を施さねばならない有様ですからな……それに比べたら彼等は百倍マシですな」
グラスを交わしながら談笑していると、早くも顔を赤くした年若い整備兵が二人の前にやって来た。
「大尉殿! 無礼講でありますっ! 余興に相撲を一番! 私に御教授下さい!」
身長は達也よりやや低いが、横幅があるせいか体格では彼の方が勝っている。
だが、酒の席での余興を拒んだとあっては酒飲みの面子が立たない。
グラスに残った琥珀色の液体を一気に飲み干した達也は、真っ向から若人の挑戦を受けて立った。
「ようしっ! その無謀な威勢だけは買ってやる! ただしっ! 俺に勝とうなど百年早いと知れッッ!!」
「おぉ! じゃぁ、私が勝ったら何か褒美を下さいっ!」
「ふむ。よかろう! 研修が終わって地球に帰還したら、綺麗どころが揃っているクラブに全員飲みに連れて行ってやる! それでどうだぁっ!!」
「「「「「うおおおおおおおぉぉッッ!!」」」」」
ハンガーの壁が震えたかと錯覚する程の大歓声が爆発し、余興は狂乱の相撲大会へと雪崩れ込んでいく。
丁度その時、白銀達也という人物に興味を懐いた艦長が副長を伴ってハンガーに姿を現し、中の様子を窺っていた。
酒宴で盛り上がる一部始終を入り口から見ていた副長は、慌てて宴会を中止させようとしたのだが、艦長に止められてしまい不満げに言い募る。
「か、艦長! 如何に任務明けとはいえ、ハンガーで酒盛りなど……」
「まあまあ。固い事を言いなさんな……みんな気持ち良く盛り上がっているのに、上官が水を差すなど野暮だよ。幸い此処は動力部からは離れているから、少々熱くなっても飛び火する事はあるまいさ」
苦労人らしく寛容な器量を見せた艦長に副長は畏まって頷いたのだが、次の瞬間には狼狽して言葉を失ってしまった。
准将の階級章も煌びやかな軍服を脱いだ尊敬する上官が、それを乱暴に放り投げて来たものだから驚かない方がどうかしている。
辛うじて軍服を両手で受けたものの、ガキ大将を彷彿させる無邪気な笑みを浮かべた艦長から、軍帽をチョコンと頭に乗せられた副長は、本日最後の命令を呆れ顔で聞くしかなかった。
「私が酔いツブれたら、艦長室にでも放り込んでおいてくれたまえ」
そう言うや否や、静止する間もなく猛然と酒宴に突撃して行く艦長。
「うおおおっ! 私も混ぜてくれぇいっ!」
「「「「「うわあああっ! 艦長の乱入だあぁぁぁ──ッッ!」」」」」
「私が許可する! ガンルームの酒をありったけ拝借してこんかいっ!」
「「「「「うおおおおお!! 艦長、最高っす!!」」」」」
最早、誰にも止められない終着駅不明の暴走列車が走り出す……。
(悪夢だ……士官学校の研修中に酒盛りだなどと……しかも艦長までが……うん、これは夢だ。きっと悪い夢なんだ……)
現実逃避して精神の安定を確保した副長は、何も見なかったと自分に言い聞かせるや、疲れた足取りでその場を後にするのだった。




