第八話 ドッグファイト・サヴァイヴァー ①
どんな場合にも想定外という事態は起こりうるものだ。
達也にとっては嬉しい誤算に他ならないのだが、教え子たちの理解力の高さと、目を見張らんばかりの成長速度が、まさにそれだった。
現在使用しているヴァーチャルシステムは、体感時間を現実の三倍まで引き伸ばすように設定してある。
先日クレアとさくらに使用した娯楽用のプログラムであれば、五倍に設定しても問題ないが、訓練に於いて現実の感覚との齟齬を最小限に留めて情報を共有するには、精々三倍までが限界だ。
しかしながら、それでも日に実質六時間に相当する訓練を行い、そこで得た成果を日々積み重ねる教え子達は、形骸化した授業を受けている他の候補生達に倍する成長を遂げていると言っても過言ではない。
主力艦クラスの艦長、副長、操舵手、砲雷撃管制指揮、電探通信士、動力機関士などの役回りを交代で体感させる訓練は、彼等の理解力と対応力の高さも相俟って、僅かな日数で基礎課程を修了してしまったのである。
その結果、明後日から始まる航宙研修終了後に実施する予定だったプログラムを前倒しして導入できたのだから、まさに嬉しい誤算だったと言うべきだろう。
それは教え子一人一人が艦長として護衛艦を指揮し、実戦時に於ける高速戦闘を学ぶというプログラムであり、教官である達也自らが敵役を務めて彼らの習熟ぶりを査定するもので、それなりの手応えを得たのだが……。
(ふむ……初めての単独指揮にしては、まずまずの出来かな。各自まだまだ課題は多いが、充分に期待できる……って!? おいぃッ!)
訓練結果にそれなりに満足していた達也だったが、眼前に整列した教え子たちを見て思わず心の中でツッコミを入れざるを得なかった。
どうしたことか、蓮や詩織は元より、神鷹とヨハンまでもが、意気消沈して魚が腐ったような目で項垂れているではないか。
然も、その生気の欠片も感じられない姿は不気味の一言に尽きた。
「おい? お前達、どうしたんだ? ランチに何か悪いモノでも食べたのか?」
達也はシステム設定を間違って過度な負担を掛けてしまい、彼らが体調でも崩したのではないかと泡を喰ったのだが……。
「そんなんじゃ、ありませんよぉ……教官じゃあるまいし」(詩織)
「四人がそれぞれ五回づつ……それと四人がかりで三回……」(蓮)
「合計二十三回もやって全敗ですよ……信じられませんよ」(神鷹)
「しかも、白銀教官一人にな……すっかり自信がなくなったぜ」(ヨハン)
教え子達の言い分を聞いた達也は、彼らが体調不良に陥った訳ではないと知って安堵したが、同時に深い深い溜息を零さざるを得なかった。
ひどく複雑な心境だとの自覚はあるのだが、この感覚を如何なる言葉で形容すればいいのか悩んでしまう。
落胆しているのか? 呆れているのか? はたまた喜んでいるのか?
自身の揺れ動く感情が判然としない中、甚だしい勘違いをしている教え子たちへどう対応するかで達也は懊悩せざるを得なかった。
(微妙だな……だがこいつら、本気で俺に勝てると思っていたのか? 頼もしくもあるが……はあぁ、どうしよう……)
心の中の葛藤が溜め息となって口から零れ落ちると、それを見た詩織が頬を膨らませて不満を口にする。
「あぁ──っ! その溜め息はひどいのではありませんか? 私達だって二年以上も厳しい訓練に耐えて、研鑽を積み重ねて来ているのですよ! それなのにっ」
どうやら彼らが本気で自分に一泡吹かせるつもりだったのだと理解した達也は、教え子達が慢心せぬように現実を認識させるべきだと決めた。
「俺は十四年間も戦場で戦い続けて来たのだがな……少なくとも、卵の殻も取れていないヒヨコ相手なら、多勢に無勢でも後れを取ったりはしないさ」
言下にヒヨコ扱いされた教え子達は憤然とした表情を浮かべるが、授業の結果が結果であるだけに、悔しさと共にその言葉を受け止めるしかない。
そんな彼らを見た達也は、やれやれと頭を掻いて詩織に質問を投げた。
「全員で協力して俺に挑んだ三回目の模擬戦闘。お前の艦が先頭で単縦陣を敷いていた時、我が方の最初の主砲の一斉射で右回頭したのは何故だ?」
「えっ? あぁ、あれは、R惑星の重力に引かれて主砲ビームが当艦隊の左舷寄りに歪曲したからです」
「なるほど、しかし、面舵から転進し増速した先には、そのR惑星の強力な磁場が支配する宙域があり、お前らは全てのレーダーが使用不能に陥って自滅したのではなかったかな?」
達也の解説を聞いても、教え子達には教官の意図する所が良く分からない。
互いに顔を見合わせてアイコンタクトするも答えは得られず、結果として惨敗したという事実以外には何も見出せなかった。
それは、彼らが本当の意味で白銀達也という軍人を知らないが故の帰結だったのだが、教え子達は直ぐに己の未熟さを思い知らされたのだ。
達也は手元のディスプレイを操作し、大型のスクリーンに訓練中の艦隊運動の推移を記録した映像を転写させる。
それは、ほんの今しがた話に出た訓練を達也側の視点で捉えたものだったのだが、その記録映像を凝視していた教え子たちは、データー中の要所要所で入る達也の解説に驚倒せざるを得なかった。
『さて、ここで敵艦隊左舷を掠るように主砲を放てば、堅実な運用をする如月君は面舵をきって磁場に突入……勝手に自滅してくれるだろう』
映像に添付された何処か楽しげな達也の解説に、教え子たちは失意の底へと叩き落とされてしまう。
自分が行動する事によって教え子達が見せるであろうリアクションを、事前に事細かく予測して解説まで添付する余裕が達也にはあった。
然も、その予測が唯の一度もハズレないのだから、教え子たちは弥が上にも現実を直視するしかない。
自分達は教官の足元にも及ばないのだと……。
続けざまに再生される映像には詩織だけではなく、他の全員が手の内を見透かされて手玉に取られる様子が、これでもかというほど記録されており、互角に戦えていると思っていた訓練が、実は歴戦の教官の掌の上で踊らされていたに過ぎなかった……。
その事実を思い知った教え子達が受けた衝撃は計り知れない。
「まあ、至極当然だが、今のお前達の戦術など幼稚園のお遊戯レベルでしかないと自覚しろ。艦隊運動や艦の機動から、己の意図を相手に見透かされているうちは、艦長職など夢のまた夢だと思って間違いない……もっと精進しなさい」
冷淡なダメ出しに教え子達は一様に唇を噛み締め、両の拳を握り締めて悔しさを露にする。
(悔しさも成長する為の糧にしてこそ一人前だ……この程度で躓いたりするんじゃないぞ!)
達也は教え子達に内心でエールを送り、訓練の記録データーを考課表と共に全員の情報端末に送信してやった。
「全員の記録を纏めてあるから参考にするといい。各自の問題点を把握して今後の訓練に役立てて貰えれば幸いだ。ただ、訓練に於いて勝ち負けに拘る必要はない。お前達が学ばなければならないのは結果論としての勝ち負けではなく、戦場で生き残る為に必要な技術だと肝に命じなさい」
語気を強めて言葉を続ける。
「さっきも言ったが俺は十四年。お前たちはたったの二年なんだぞ。それを比較しようなどとはおこがましいにも程がある! 今は自分の技量と実力の底上げに注力せよ」
そう発破を掛けられた教え子達は、漸く顔を上げて前を向く。
達也は小さく頷いてから、諭すように本日最後の訓示を行うのだった。
「現状で行っている訓練を、フルダイブ式のゲーム等と同じだと舐めて掛かるのは絶対に許さない。体感時間を三倍まで伸ばしているのは『長時間の訓練をした』という自己満足を得る為ではない。必要な技術を取得するには、それでも時間が足りないからだ……お前達が成すべきはただ一つ。一分一秒を惜しんで切磋琢磨する。それだけだ。以上っ解散っ!!」
◇◆◇◆◇
最上級生の担当教官とはいえ特別授業を受け持っていないクレアは、午後の枠の大半を二年生相手の教鞭に当てていた。
(う~~ん……昨今の新型レーダーシステム開発分野の躍進は目覚しいのだけれど、候補生が新式の電探システムに適応するには授業だけでは不十分だわ……)
進化していく技術へ対応しようにも、士官学校教官個人では如何ともし難いのが現実だ。
せめて、軍の教育担当部がカリキュラムの更新を急いでくれたらと思い、幾度となく上申を繰り返すのだが、常に梨の礫で訓練環境が改善された例はない。
腹立たしくもあるが有効な手段はなく、それが目下最大の悩みだった。
そんなクレアだったが、教官室の自席で考課表を作成しながらも、頭の片隅では夕食の献立を何にするか考えあぐねている。
お隣の生活不適格者と夕食を共にするようになって早くも一週間が過ぎており、当初は拙い料理を気に入って貰えるかどうか不安だったが、直ぐにそれは杞憂だと分かって、クレアは胸を撫で下ろしていた。
『凄く美味しいよ! 君は料理の天才だなぁ……』
毎回毎回、称賛の言葉と共に美味しそうに料理を食べるのが達也の常であり、その無邪気な燥ぎっぷりを目の当たりにすれば、気恥ずかしさ以上に喜びを感じてしまい、ついつい張り切らざるを得ないのだ。
(それにしても、昨夜は本当に驚いてしまったわね……うふふ……)
昨夜の食事風景を思い出したクレアは、思わず口元を綻ばせて忍び笑いを漏らしてしまう。
亡夫が日本人の血を引いていた事もあり、クレアは日本料理を取得するべく懸命に和食の勉強に取り組んだ時期があった。
幸い母親も日本人であり、子供の頃からそれなりに和食に接する機会が多かった為、幾つものメニューをマスターし、夫に喜んで貰えると胸を弾ませたのを今でも覚えている。
しかし、残念ながら夫は地球外の星の生まれであり、祖先が日本人だったに過ぎず、殊更に有難がりはしなかった。
折角練習した和食のメニューも、夫にとっては特別なものにはなり得ず、クレアは大いに落胆したのである。
それでも折角覚えたものをお蔵入りさせるのは勿体無くて、達也は日本出身なのだから受け入れてくれるかも……。
そう考えて和食を振る舞ってみたのだが……。
御飯と豆腐の味噌汁、鯵の塩焼きに茶碗蒸し。
珍しくもないありきたりの料理を緊張した面持ちで見ていた彼が、ふっくらしたお米を口にして静かに咀嚼した途端……。
閉じた瞳から涙の雫を零し、小さな嗚咽を漏らして咽び泣いたものだから面食らってしまった。
クレア自身も驚いたが、さくらは余程吃驚したらしく、慌てて席を立つや、達也にしがみ付いて一緒に泣き出す始末。
『ごめん。十四年振りに和食を口にしたら、何か込み上げて来るものがあってね。不様な姿を見せてごめん。だけど嬉しかったよ、本当にありがとう……』
さくらに泣かれて驚いたからか、すぐに涙を拭って照れ臭そうにそう謝ってくれた達也の姿に、十四年という長い月日に彼が味わった寂寥感を思わずにはいられず、クレアは遣る瀬ない想いに胸を突かれて何も言えなかった。
とはいえ、人前で泣くという醜態を晒したことがよほど恥ずかしかったのか、今日の達也は朝からずっと視線を逸らし、真面に顔を合わせようとはしない。
(何となく、頬が赤いようにも見えるし……昨夜はさくらに散々揶揄われていたものねぇ)
『あっ! お父さんのほっぺた、真っ赤っかだよぉ──っ!』
はしゃぎながら達也の頬を指で突っつく愛娘と、恥ずかしげに顔を振って逃げる達也。
その時のほのぼのとした光景を思い出したクレアは、知らず知らずのうちに頬が緩んでしまうのを堪えられなかった。
すると……。
「何よ? ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべちゃって」
不意に声を掛けられたクレアは、その声の主に心の中を気取られまいと、努めて平静を装って顔を上げた。
案の定、そこには授業を終えて戻って来た志保の姿があり、隣の席に腰を降ろすなり興味津々といった顔で此方を見ているではないか。
「えっ? そんな顔してないわよ。変な言い掛かりは止めてちょうだい」
「してたわよっ! 『あ~ん!今夜は素敵な彼氏とデート!楽しみだわぁ』と顔に書いてあったじゃないの!」
如何にも軽薄極まる物言いだが、それが彼女の本意ではないのをクレアは誰よりも良く知っていたし、塞ぎがちだった自分を慰める為に態と道化役を演じてくれていた志保には、心から感謝していた。
だから、もう大丈夫だと告げたくて親友の手をそっと握り、その想いを言葉にしたのである。
「……ありがとうね志保。長い間心配ばかりかけてごめんなさい。もう私は大丈夫だから……あの人の事も大切な想い出も……何もかもこの胸に大切に抱えて生きて行くから。今までの事、本当に感謝しているわ」
空いたもう一方の手を胸に当てるクレアの顔には欠片ほどの迷いも見られず、清々しい笑みに彩られており、そんな彼女を目の当たりにした志保も、安堵して表情を綻ばせた。
「きっと良い道を見つけられたのね……おめでとう。いつだって私は貴女の味方だから……これからも遠慮なく頼って頂戴」
だが、凡そ彼女らしくない真っ当な激励に心を絆されたクレアは正真正銘の甘ちゃんだった。
表情を一変させた腐れ縁は、車輪付きの椅子を瞬間移動させるや、クレアの肩に腕を廻して拘束し、下世話な興味を露わにして囁いたのだ。
「それでぇっ? あの顔面岩教官に何を囁かれて立ち直ったのよ? ひょっとしてぇ……もう抱かれてしまったのかしらぁ~? 優しく慰めて貰った甘い夜かぁ……素敵よねぇ、ク・レ・ア・さんっ!」
その奇襲攻撃は、情に絆されて油断し切っていたクレアを直撃し、彼女を大いに狼狽させるに充分な効果を発揮した。
「は、はあぁッ!? なっ、なにを根も葉もないことをッ!! そ、そ、そんな、そんな事が、あ、ある筈、な、ないでしょうっ!」
達也のお蔭で苦しみから解放され感謝の念を懐いているのは間違いないが、だからといって恋愛感情があるわけではないのだ。
しかし、さくらとの事があるとはいえ、彼を自宅に招き入れて家族ゴッコに興じている以上、傍から見れば恋人同士に見られても何ら不思議はないだろう。
それ故に志保の悪巫山戯に冷静に対応できないクレアは、羞恥に頬を染めた挙句に声まで震わせてしまう。
周囲から不審に思われないように懸命に声を潜めて否定しようと試みたが、顔が熱を持つわ、唇は震えて呂律は廻らないわ、おまけに志保は満面の笑みを浮かべて勝ち誇っているわで、全く否定の体を為してはいない。
「ち、違うからねっ! 私達はそんな関係じゃありませんからっ! 白銀教官にも御迷惑が掛かるのだから、迂闊な事を口走らないでッ!」
懸命に平常心を搔き集め、ニヤニヤ意地の悪い笑みを浮かべている志保に全力で抗議すると、彼女はふっと口元を綻ばせるや、うって変わって優しい表情を浮かべたのだった。
虚を衝かれたクレアはすっかり主導権を奪われてしまい、それ以上の追及を封じられてしまう。
「冗談よ、冗談。幾ら何でも馬鹿正直で不器用なアンタに、そこまでドラマチックな展開を期待したりはしないわよ。でも、彼に助けて貰ったんでしょう? アンタ気付いている? 最近、昔みたいに明るく笑えるようになった事に……そして凄く優しい眼差しで彼を見ているアンタ自身に……」
「そ、それは……」
相手かまわず軽口を叩いてみせ、男前で大雑把な性格だと思われがちな志保が、実は他人の心の機微に敏感で、思いやり深い女性であるのをクレアは長い付き合いで熟知している。
だからこそ、彼女の観察眼が優れているのを誰よりも知っているが故に、志保の言葉に耳を塞げないのだ。
「別に揶揄おうってわけじゃないの。これでも白銀さんには感謝しているのよ……アンタが自分から悠也のことを話したって聞いた時にさ、この男性ならば、クレアを闇の中から引き揚げてくれるんじゃないかって期待したもの……そして、それは間違ってなかった」
そう語る志保の表情は喜色に彩られており、それを見たクレアは反論もできずに唇を尖らせて拗ねるしかない。
「何よっ! 普段はいい加減なくせに……こんな時だけ《出来る女》を装うなんて卑怯よ、志保」
「あらぁ~随分ひどい事を言うわね。『素直じゃない女は、可愛げがないから趣味じゃないんだ』と彼にフラれてても、私は助けてあげないからね」
「な、何を馬鹿な事を! な、ないからっ! 有り得ないからっ! 私と彼の間に恋愛感情なんか、断じてありませんからッ! ええ、そうよ、絶対に違うんですからねっ!」
呆れ顔の志保から説教されて再度羞恥に襲われたクレアが、彼女の言葉を全力で否定した時だった。
「ん~~? 何が違うってぇ?」
唐突に背後から呑気な声を掛けられたクレアは、今、最もこの場にいて欲しくない人物の登場に完全にテンパってしまった。
混乱の極みにある彼女は瞬時に立ち上がって振り替えるや、呑気な顔で立っている達也を非難がましい視線で睨みつけて罵倒したのである。
「何でもありません! 女性同士の会話を盗み聞きするなんて、白銀教官は悪趣味ですわッッ!! 不潔ですッ!!」
「ふ、不潔って? お、おいっ……」
なぜか耳まで赤くして怒っているクレアの異様な迫力にタジタジになる達也は、彼女に両肩を押されて強引に回れ右をさせられてしまう。
華奢な細腕でグイグイ背中を押されて、まるで近寄るなと言わんばかりの剣幕に慌てた達也は用件を申し立てた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺は借りていたデーターを返しに来ただけだよ」
それで漸く彼女の動きが止まったのだが、今度は腕組みをしてそっぽを向くや、視線すら合わせようともしない。
(俺、何かやっちまったかな?)
懸命に記憶を辿るが、彼女の不機嫌の原因など見当もつかない達也は困惑するしかなく、クレアの横で、さも面白いといわんばかりに忍び笑いを漏らしている志保の態度も意味不明であり、ますます謎は深まるばかりだ。
それでもこのまま退散する訳にもいかず、達也は恐る恐る用件を切り出した。
「これ借りていたデーターROM……ありがとう。参考になったよ」
「い、いえ……お役に立てたのなら幸いですわ」
相変わらずそっぽを向いたまま素っ気ない返事を返すクレアに代わって、志保が興味津々といった顔で訊ねて来た。
「へえ? いったい何のデーターなの?」
『余計な会話を増やさないでっ!』と視線でクレアから抗議の視線が飛んで来たが、鉄面皮の志保は軽くスルー。
「地球統合軍が主力護衛艦や航宙母艦のブリッジや戦闘指揮所等に採用している、レイアウトとディティールのデーターだよ。馴染みがある風景やシステムのほうが訓練には都合が良いからね。今夜中にはアップデート出来るだろうから、早速明日の授業から使うつもりだよ」
簡単に説明してからブツを返却した達也は、そそくさと自分の席へと退散する。
クレアはほっと胸を撫で下ろしてから、志保を恨みがましい視線で睨みつけてやるが、蛙の面に何とやらで効果はなかった。
「そんなに取り乱していたら、自分で白状したも同然じゃないのぉ?」
「違うから……絶対に違うんだからっ! 変な事を白銀教官に吹きこんだりしたら、貴女でも許しませんからねっ!!」
志保は親友の剣幕に苦笑いしながらも、両肩を竦めて自分のデスクに戻った。
クレアは頬を膨らませて悪友を一瞥し、自分も考課表の作成に戻ったのである。
情報端末を操作しながらも、頭の中では羞恥と後悔が渦巻いていた。
(どうしよう……あんな冗談で取り乱してしまうなんて……また白銀さんに変な所を見られてしまったわ、もうっ!)
いとも簡単に脳裏に蘇る醜態の数々……。
思い込みが暴走して非の無い彼を罵倒して鬱憤晴らしをするわ。
公園では蛙に驚いて抱き着いた挙句にビンタを喰らわせるわ。
怒りに任せて説教するわ……穴があったら入りたい心境だった。
(でも、彼は怒るどころか声を荒げた事もない……腹立たしい思いをされていた筈なのに……それなのに私ときたら……)
胸の中で溜息を漏らしながら達也の席の方に視線を向けたが、既に帰宅したのか姿は見えない。
(そう言えば、今日はさくらを連れて、ティグルちゃんの移動用の手提げ篭を買いに行く約束をしてらしたわね)
そう思い至ったクレアは益々落ち込んでしまう。
明後日から行われる航宙研修の間。さくらを上海シティーに居を構えている両親のもとに預ける事にしていたのだが、愛娘は寂しさからか、ティグルを一緒に連れて行きたいと駄々をこねて達也を困らせたのだ。
基本的にティグルの所有権と責任は達也にあり、然もそれは特例によって認められている為に様々な制約が付いて回る。
一定以上の距離が離れる事も禁止事項に明記されていて、さくらの願いを叶えてやるには非常に難しい状況だった。
クレアの説得で不承不承ながら納得したさくらだったが、ひどく落胆してしょげかえってしまい、その様子を見かねた達也が関係各局へ懇願を繰り返して、何とか許可を取り付けたのである。
勿論、さくらはもとよりティグルも大喜びだった。
(さくらの事では迷惑ばかり掛けしてしまって……でも、本当に優しい方ね、私も見習わなければ……そうだわ! カレーライスが好物だと仰っていたわね。うん、今夜は久しぶりにカレーにしましょう)
ある程度量を作らねば美味しくない料理だけに、普段は殆んど作らないメニューだが、達也自身が好物だと言っていたのを思い出したクレアは迷わず即決する。
そして名案だと心の中でポンと手を叩いて微笑むや、具材は何にしようか彼是と考え始めるのだった。
愛娘以外の誰かの為に料理を作る……。
そんな日常の他愛もない事が楽しく思えて仕方がないクレアは、無意識のうちに優しい表情を浮かべながら、お気に入りの歌を口ずさむのだった。




