第七話 日雇い提督は大いに戸惑う ①
週明けの月曜日。
いつも通り午前十時に伏龍へ出勤した達也は、教官室に入室するや否やクレアに詰め寄られて面食らってしまった。
その穏和な表情とは裏腹に『私は怒っているのですよ!』という感情が駄々洩れの彼女を前にすれば、負い目がある達也としては御機嫌伺いに徹するしかない。
「おっ、おはよう。ローズバンク教官……ど、どうしたのさ? ひ、ひどく不機嫌そうな顔をして……」
思い当たる節は多々あるが、取り敢えず恍けて誤魔化そうとした涙ぐましい努力は、氷点下を思わせる冷厳な言葉によって粉砕されてしまう。
「不機嫌そうなのではありません。不機嫌なのですわ白銀教官。少しお時間を戴けませんか? 是非とも伺いたいお話がありますの。此処では何ですから場所を変えましょうね」
清楚な微笑みと柔和な物言いは何時も通りだが、其処には寛容さは微塵もなく、笑顔の下に隠された怨嗟に満ちた夜叉の顔を幻視した達也は、己には拒否権がないという現実を理解するしかなかった。
「……はい。何処へなりともお供させていただきます……」
抵抗しても無駄だと早々に観念した達也は、先導するクレアに付き従って屋上へと場所を移したのである。
※※※
「いったいどういう事なのですか? 誤魔化そうとなさっても無駄ですからね!」
人気のない屋上でふたりきりになった途端、柳眉を吊り上げたクレアに詰め寄られた達也は、その厳しい追及に目を白黒させるしかなかった。
とは言え、嚇怒している理由がはっきりしないのでは、何とも答えようがないのも確かだ。
そこで詳しい説明を求めたのだが……。
グスタフ教官の暴挙を許せなかったクレアは、正式に告発するつもりで出勤したのだが、当の本人は既に先週末で依願退職した後であり、肩透かしを喰った気分で釈然としなかったのである。
その上、彼の退職理由が、白銀教官と私闘に及んだ末に重傷を負わされ、候補生への指導が困難になったからという出鱈目なものであるのを知り、その事が彼女を大いに憤慨させる一因になっているのだ。
おまけに、医療室に駆け込む教官の姿を目撃した複数の候補生達が、彼の顔面が潰れて血だらけだったという証言をしており、その大袈裟な情報が瞬く間に校内に拡散される中、一方の達也がかすり傷も負わずにピンピンしていた為、白銀教官が闇討ちしたのでは? という無責任な憶測までもが流布される始末。
それを知ったクレアは直ちに林原学校長に真実を報告し、誤った噂話は打ち消すべきだと要請したのだが、彼は困惑顔で彼女の請願を却下したのだ。
「この件については、既に白銀教官から詳細を聴取しております。彼の説明も君と全く同じだったが……今、校内で語られている事件のあらましは、白銀教官自身がそう喧伝する様にと申し出たものです。私は当校の責任者として彼の意見を支持するのが最適と判断しましたので、残念ながら貴女の申し出を認める訳にはいかないのです……詳しい事は、彼に直接訊ねてみては如何ですかな?」
この様な経緯を踏まえた上で、クレアは達也に詰め寄り詰問するに至っているという次第だった。
真実を捏造したのが、暴漢ではなく自分を救けてくれた恩人の方だという理解し難い事実こそが、クレアを憤らせている原因に他ならないのだ。
しかし、達也にしてみれば、華麗に面倒事をスルーした学校長の対応こそが心外極まるものであり、大いに憤慨するしかなかった。
(何が直接訊ねれば良いだよっ! 単に面倒だから俺に丸投げして逃げただけじゃないかっ! あのっ、狸親父がぁ~~~ッ!)
胸の中で盛大に学校長を罵倒するが、それで現在の危機的状況を回避できる訳もないし、問題の解決に寄与しないのは明らかだ。
然も、激昂して我を忘れているクレアは気付いていないが、フェンス際まで追い詰められている達也と彼女との距離はないに等しい。
この儘では先日の二の舞になるのは確実で、再びビンタを貰いかねないと危惧した達也は大袈裟に両手を上げて見せた。
「あっ、わ、私ったら興奮して……ごめんなさい……」
そのゼスチャーで漸く我に返ったクレアは、美しい顔をほんのりと朱に染めるや、慌てて身体を離して距離を取る。
冷静さを取り戻した彼女の様子に達也は胸を撫で下ろしたが、このまま何の説明もなしではクレアも納得できないだろう。
そう観念して渋々といった顔で説明を始めた。
「あんな馬鹿でも候補生にとっては尊敬に足るエリート士官だったみたいだしね。徒に罪を論い、生徒達を幻滅させる必要はないだろうと考えたんだ。それに、未遂で済んだとはいえ、あれこれと邪推して詮索する無粋な輩は何処にでもいる。そういうのは煩わしいだけだと思ってね……個人の暴力沙汰で片付ける方が騒動が鎮静化するのも早かろう。そう、学校長にお願いしたんだ」
「そんなっ! それでは貴方一人が悪者ではありませんか!? 候補生達の間で出鱈目な憶測が乱れ飛んでいるのは御存じなのでしょう?」
苦悶に美しい顔を歪めたクレアが問うと、苦笑いを浮かべた達也は、ゆっくりと左右に首を振った。
「まあね。しかし、それこそ思う壺だよ。先にチョッカイかけてきたのは彼の方だし、喧嘩の末の傷害事件……これを疑う名探偵は当校にはいないだろうさ」
「白銀さんったら。貴方は馬鹿ですわ……いつもいつも、貧乏くじばかり引いて。私なんか貴方に救けて貰ってばかりなんですよ?」
申しわけない気持ちでいっぱいのクレアは罪悪感に顔を曇らせ、両肩を落として俯いてしまう。
「そんな事はないさ。俺だって君やさくらちゃんに救われているよ。お互い様さ。乱暴な事後処理をしてしまったけれど、今ではこれで良かったと思っている。君を煩わせて辛い思いをして欲しくはないし……今まで苦しんだ分だけ幸せになるべきだよ。亡くなった旦那さんの分までね」
そう言って明るく笑う達也の気遣いが胸に染み入るのが分かる。
恩着せがましく善意を押しつける男性を多く見て来たクレアにとって、己の損得を無視して他者の為に最善を尽くす達也は、敬意を懐くに値する人間だった。
長年に亘り地球を離れて苦労してきた筈なのに、自身の弱みなど微塵も見せず、仕事も大変なのに毎日のようにさくらの遊び相手になってくれてもいる。
彼と接する時間が愛娘にとって如何に大切なものか、最近のさくらの笑顔を見れば考えるまでもないだろう。
それが分かっているだけに、クレアは達也の気遣いを無下にはできなかった。
「そこまで仰るのであれば仕方がありませんわ……今回は御厚意に甘えさせて戴きます。ですが、決して御無理をなさらないで下さい……貴方に何かあれば、あの娘が……さくらが悲しみますから」
「あはは、丈夫で長持ちが取り柄だからね……しかし、さくらちゃんの事だけど、俺がこのまま関与してもいいのかい? 今更かも知れないが……」
表情を改めた達也は、やや躊躇いながらもストレートに問い返す。
クレアは水平線の彼方まで続く雲一つない青空を見上げるや、穏やかな微笑みを浮かべ、その問いを受け止めた。
「貴方が仰った通りだと思うんです。大人の理屈であの娘を縛るのは止そう。暫くは様子を見てからでもいい……と。それに……」
その言葉には愛娘に対する深い愛情が滲んでおり、穏やかな母親の顔をして佇むクレアの姿からは憂いは感じられない。
その事実に安堵する達也だったが、振り向いた彼女の視線と己のそれが重なった瞬間、非難の色を濃く纏い、刺々しいものへと変化した辛辣な台詞が浴びせられたものだから、茫然と立ち尽くすしかなかった。
「図々しいにも程がありませんか? 人様の愛娘を甘やかして誑かし、デレデレの骨抜きにしておいて。何が『このまま関与しても良いのかい?』ですか? 本当に今更ですわっ!」
先程までの笑顔は何処へやら。
一転してその瞳に冷たい光を宿すや、不埒な男を睥睨して鼻を鳴らす美人教官殿が詰問調でそう言い放ったものだから、達也としては堪ったものではなかった。
彼女の言い分は強ち間違いではないのだが、一部に看過できない不穏当な指摘があったが故に猛然と抗議した。
「いやいやいやいやいや! 人聞きの悪い事を言わないでくれ! その言い種だと、俺が性質の悪い女ったらしみたいに聞こえるじゃないか!?」
「あら、違いますの? 母親として言わせて貰えば同じ穴の狢ですわ」
「違うしっ! 絶対に間違ってるしっ!! そもそも性質の悪い狸は学校長だけで充分じゃないか?」
「犯人は誰もが『自分は違う』と言い張るものですわ。観念なさった方がよろしいのではなくて?」
「こ、こいつ……あぁ、そうですか! なら俺も腹を括ろうじゃありませんか! おほん。『お母さん。どうかさくらさんを僕のお嫁さんに下さい! 絶対に幸せにしてみせますからっ!』」
「な、何を厚かましい戯言をっ? 絶対に許しませんっ! 許しませんからねぇ──っ!」
さくらという存在を仲立ちにして親交を深めていく達也とクレアは、楽しそうに軽口を交わし合うのだった。
尤も、息の合った漫才を繰り広げるふたりの姿は誰にも見咎められる事はなく、教官としての威厳を損ねずに済んだのは幸いだった……後になって達也とクレアは大いに反省したのである。
◇◆◇◆◇
銀河連邦宇宙軍・軍政部情報局という部署は、いわゆるスパイの総本山である。
軍全体の構成上軍政部に組み込まれてはいるが、実際には完全に独立した組織として機能していた。
情報局トップを任命できるのは銀河連邦評議会大統領のみであり、そういう意味からも軍内での独自性は揺るぎないものがある。
その中にあって、他の課から一目も二目も置かれているのが、情報局第七課であり、課長のクラウス・リューグナー大佐を筆頭に腕利きの情報員が多数在籍している事で知られているのだ。
そのクラウス・リューグナー大佐は現在、上官である情報局局長の執務室に召集され、見事に禿げ上がった局長の頭頂部に視線を落としていた。
名門と云われる侯爵家の現当主ではあるが、貴族閥お得意の御褒美人事で局長の座を射止めただけあって、才覚に恵まれた人物だとは言えない。
おまけに齢六十歳の短命種であり、ファーレン人として既に四百年を生きたクラウスから見れば、矮小で狭量という評価しか下せない程度の人間だった。
(さてさて。本日はいったい何事ですかねぇ? 妙に落ち着きがありませんが……先日の様につまらない案件だったら、辞表を出してもエリザ(妻)は許してくれますかねぇ~~~)
情報員として奉職して早くも二百年以上が経過しており、その過程で数え切れないほどの手柄を立て、貰った勲章は自宅の物置に山積みになっている。
だが、将官への昇進も打診されたが不自由を嫌って固辞し続け、大佐に留まって今でも現場を飛びまわっていた。
尤も彼は自分が長命のファーレン人であるのを秘匿しており、定年まで勤めあげて引退し、アバターを取り替えて若返っては再就職(?)を繰り返している。
妻からは『何を好き好んで……』と笑われるのだが、慣れた仕事が一番楽でいいと考える彼は何時も笑って誤魔化すだけだった。
そんな彼から見ても、今日の上司は明らかに挙動不審だと言わざるを得ない。
何時もならば、在りもしない威厳を誇示するかの様に豪華な肘掛け椅子の上で、ビア樽と揶揄するのが適切な巨躯を踏ん反り返らせているのだが……。
今日は何やら思い詰めた表情で、執務机の上に両肘を乗せて両手で顔を覆っては、似合いもしない溜め息など吐いているものだから不気味な事この上ない。
既に、呼び出されて十五分以上が経過しており、そろそろ忍耐も限界に近付いているクラウスは、不快な胸の内を愛想笑いで覆い隠して上司に話しかけた。
「それで閣下。本日呼ばれた理由は何でしょうか? 私も厄介な案件を多く抱えていて結構忙しいのです……出来るだけ手短にお願いしたいのですが?」
表情は愛想笑いで誤魔化せても、感情の抜け落ちた平坦な声音では不機嫌さが駄々洩れだった……。
勿論、腹いせによる彼なりの意趣返しでもあるのだが……。
局長は顔を顰めて、優秀だが生意気な部下を睨みつけた。
「……西部方面域。太陽系での五年前の案件といえば察しがつくのではないかね? 君が担当したのだろう?」
部下とはいえ、功績著しいクラウスを咎める度胸はないらしく、局長は簡潔に用件を口にする。
クラウスはその内容に驚きはしたが、それを顔に出すほど迂闊ではなかった。
「さて……何のお話か、私には分かりかねますが?」
肩を竦めて恍けるクラウスに、今度こそ局長の怒りが爆発した。
「巫山戯ておる場合ではないわ! 現在、かの星に派遣されている軍政官が、秘かにあの事件を調べ始めたという報告が入っておるっ! しかも、選りにも選って、GPOのヒルデガルド・ファーレン殿下までもが情報収集を始めたとの事だっ! 万が一にもあの事件の真相が白日の下に曝されでもした……ら……」
激昂して言葉を荒げる長官だったが、身も凍る様な冷淡な視線で射竦められれば黙らざるを得ず、恐怖に引き攣った顔で部下の忠告を聞くしかなかった。
「局長、迂闊な事を口にされては困りますねぇ……貴方とて大金を叩いて手に入れた今の地位を失いたくはないでしょう?」
有無を言わせない恫喝を受けて顔面蒼白になった無能者は、その口を金魚の様に開閉させるしかない。
「いいですか? あれは辺境の思いあがった国軍が、無謀な開発競争に狂奔した挙句の人災です。それ以外の何ものでもありませんし、今更調べても何も出はしませんよ。寧ろ、藪を突いて蛇を出すような愚かな真似をしないよう自重してください……では、私はこれにて」
怜悧な眼差しで上司を一瞥したクラウスは、踵を返して局長室を後にする。
(……ヒルデガルド殿下が絡んでいるとなると楽観視はできませんかねぇ……尤も私個人の問題でもあるし、厄介な事態にならなければ良いのですが)
クラウスは珍しく小さな溜め息を漏らすのだった。
◇◆◇◆◇
「そうですか、やはり進展はありませんか……」
授業を終えた放課後、達也は航宙練習艦リブラのブリッジで、イェーガー准将とスクリーン越しに情報交換をしていた。
「事件の表層部分については、概要説明程度の資料が氾濫しておりますが、原因や戦闘詳報については大雑把な報告書さえ消失している有り様ですな」
「つまり、真っ黒というわけですか?」
「はい。表沙汰にはできない何かがあった……そう考えて間違いはないでしょう」
何かしらの隠蔽工作が行われた可能性は大きく、ふたりはそう確信して話を進めざるを得なかった。
「それから引っ掛かる事案があります。この事件で引責辞任し強制的に退役に追い込まれた高級将官全員が、その後一年以内に変死を遂げております」
この報告に達也は眉を顰めた。
「変死? 穏やかではありませんね……それは殺されたという意味ですか?」
「いえ、交通事故であったり、病死。余暇中の海難事故や登山での滑落など理由は様々ですが……事件の半年後から立て続けに起こっております」
「警察や軍の監査部の対応は?」
「通り一遍の形式だけの捜査の後、事故扱いで早々に処理されたようですな」
イェーガー准将が呆れる様に肩を竦める。
これ以上の調査をするとなれば、方面派遣軍の寂しい体制では如何ともし難いと言われ、達也は強引な調査は控える様に指示するしかなかった。
(あと頼りになるのはヒルデガルド殿下だけか……借りは作りたくないが、贅沢は言ってられないな。とは言え地球にGPOの支局が無い以上、成果を期待するのは酷かもしれない)
八方塞がりの感は否めず、打開策にも乏しい現状に苛立ちばかりが募る。
焦っても仕方がないと自分に言い聞かせた達也は、様々な選択肢を検証する事に没頭するのだった。
リブラを退艦したのは夕方の五時を少し過ぎた辺りで、明日は地球統合政府樹立記念日であり祝日となっている。
昨日の日曜日に引き続いて飛び石連休になるのだが、この二年間というもの陸に休暇を取っていなかった達也としては、妙に感覚がズレてしまい現状に馴染めずにいた。
(任務の最中は余計な事を考える余裕はないからな。ふふ、日雇いだなんだと陰口を叩かれてはいても、案外俺には性に合うのかもしれないな)
自虐的な発想に苦笑いしながらも、軽快な足取りで家路を急ぐ。
どのみち明日の休日は、さくらの相手をして過ごすことになるのは確実であり、それ故に唯一の娯楽である《一人家飲み大会》を今夜決行すると決めたのだ。
スコッチやバーボン類を好んで飲むが、ワイン以外のアルコールならば、何でもござれという大酒豪として達也は仲間内で知られた存在だった。
一晩にスコッチとバーボン合わせて十本を飲み干した挙句、翌日平然とした顔で作戦の指揮を執り、海賊ギルドを壊滅させた武勇伝は、今も伝説として語り継がれている。
そんな達也が偶然にも発見したのが、通勤途中にある、住宅街の路地の奥まった場所にある古い酒屋だった。
そこには酒飲み垂涎の的と言っても過言ではない、年代物の貴重な美酒が丁寧に保管されており、何故か店主に気に入られた達也は、希望の銘柄を優先的に売って貰えるという幸運に浴していたのだ。
さすがに、士官学校で授業中にアルコールの匂いを発散させるのは不味いため、平日は晩酌程度で済ませているのだが、休日前となれば何の遠慮もいらない。
お宝的銘酒が溜まりに溜まっている今、百人の美女がウェルカムしている以上に魅惑的な世界が自分を待っている……。
そんな妄想に心弾ませながら、達也はオツマミ確保の為に近所のスーパーマーケットに突撃するのだった。
「あら、白銀さん。珍しいですわね? 夕食のお買い物ですか?」
買い物籠に適当に好みの食品を放り込んでいると、心地良い透き通った声がして達也は足を止めた。
振り向いた先には、ベルト付きのシックなロングワンピース姿のクレアが微笑んでおり、達也も相好を崩して軽く会釈を返す。
ダークブルーの色彩が良く似合っているクレアは、美しいその相貌も相俟って、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。
本人は取り立てて着飾っているつもりはないのだが、元の素材が秀逸すぎて、地味な服を着る程度では彼女の魅力が減ずるなど有り得ない。
事実、店内で擦れ違う男性客のほぼ全員が、チラチラと彼女に好奇と憧憬の視線を向けているのが、彼女の容姿が如何に優れているかを雄弁に物語っていた。
「おや、ローズバンク教官。まあ、そうなんだが……君も買い物かい?」
周囲からの視線に半ば呆れながらも曖昧な答えを返すと、クレアは困ったように眉根を寄せて抗議の言葉を口にする。
「もう、白銀さんったら。学校を出てまで《教官》をつけるのは止めて下さい……結構、恥ずかしいのですよ」
「あっ、あぁ……そう言われれば、そうだね。これは失礼。ローズバンクさん」
わざと仰々しい物言いをする達也と顔を見合わせて微笑んだクレアであったが、彼が手に提げている買い物籠の中身を見て思わず顔を曇らせてしまう。
(サラミに生ハム。チーズと総菜のフライドポテト。あっ、タコの刺身……これが夕食? ま、まさかね……)
ひどく偏った食材に違和感を覚えたクレアは、妙にハイテンションな達也に恐る恐る訊ねてみた。
「あのぉ~~~その籠の中身が御夕食ですの?」
「えっ? あぁ、これは晩酌のオツマミだよ。明日は休日だから、今夜は久しぶりにゆっくり飲もうかと思ってね!」
お隣さんの勢いに押されたクレアは、彼の言に納得してしまいそれ以上の追及はしなかった。
と言うより達也の台詞の意味を勘違いし、良い方向へと解釈してしまったのだ。
(そう……夕飯の前に晩酌をなさるのね……私ったら早合点して……彼の奥さんでもないのに悪い事を聞いてしまったかしら?)
クレアは恐縮して素直に反省したが、彼女に非を求めるのは酷だろう。
達也にとって晩酌とは夕飯と同義であり、それらは全くの別物と考えるクレアとの認識の差が誤解を生んだ原因に他ならないのだから。
元よりこれだけで済んだのであれば、達也とクレア双方にとって何の問題もない休日前の一コマだったのだが……。
後日、彼を良く知る者達が腹を抱えて爆笑するイベントが、その咢を開いて自分を呑み込もうとしているとは思いもしない達也だった。




