第五話 日雇い提督といじめられっこ ③
『相談があります』という後輩からのメッセージを受け取った詩織は、指定された第二体育館へと向かっていた。
如月詩織は最上級生学年首席の優等生として、広く学内で知られた存在である。
伏龍に首席で合格して以降、只の一度も二位以下に落ちた事がない正真正銘の才媛であり、整った顔立ちと均整の取れたスタイルの持ち主として男女問わずに憧れと羨望、そして恋心を懐く者が後を絶たないという人気者だ。
それ故に蛮勇を奮って告白するも、敢え無く玉砕する男子候補生は後を絶ない。
だから、昼休みの呼び出しなど然して珍しいものではなく、詩織は疑問にも思わずに応じたのだが……。
目的の体育館の入り口まであと僅かという所に差し掛かった時だった。
不意に建物の陰から飛び出してきた三つの影が、形振り構わぬ勢いで組み付いて来たのだ。
寸瞬の戸惑いは、彼らがヨハンの取り巻きだと認識した時点で雲散霧消した。
流れるような体捌きで襲い掛かって来た暴漢を瞬く間に投げ捨て硬い地面に叩き伏せたが、二人目を投げた時にバランスを崩した詩織は、隠し持っていた護身用の電磁警棒を肩口目掛けて振り下ろして来た三人目の攻撃を躱せずに真面に受けてしまう。
「うっ、あぁぁぁッッ!」
弱電流とはいえ通電する痛みに耐え切れず、床に片膝をついて蹲った詩織に、邪な欲望を露にした男達が勢いに任せて襲い掛かった。
身体が痺れて思う様に抵抗できない詩織は、用具倉庫の中に引き摺り込まれ、埃を被った体操用の分厚いマットの上に押し倒されてしまう。
「あ、あんた達ぃっ! い、いい加減にしなさいッッ!」
逃れようと必死に抵抗を試みるが、両腕を別々の男に押さえられてしまい、挙句の果てに太腿を跨いだ男に下半身の自由を奪われれば、如何に合気道の達人といえども成す術はない。
悔しさに唇を噛んだ詩織は、怒りに眦を釣り上げて襲撃者を睨みつけた。
日頃の溜まりに溜まった鬱憤を晴らすためか、彼らは総じて異様に高揚した顔をしており、それを見た詩織は恐怖を覚えて身震いするしかない。
その瞬間、ボスであるヨハンを視界の端に捉えた彼女は憎悪にも似た感情に胸を焦がしたが、入り口の傍から此方を見下ろしている首謀者は、何故か暴行に加わろうとはせずに立ち尽くすのみだ。
彼を罵倒しようとした詩織は、ヨハンの顔が苦痛に歪んでいる様にも見えて逆に戸惑いを覚えてしまうが、今の彼女にそんな事を斟酌する余裕はなかった。
自らの行為に興奮して見境を失くした男達の無遠慮な手が、制服の胸元のボタンへと伸びて来たからだ。
「い、いやあぁぁっ! ば、馬鹿あぁっ! や、やめてぇぇッッ!」
恥辱と恐怖に打ちのめされて思わず唇から悲鳴が迸る。
必死の抵抗も虚しくジャケットは押し広げられ、ブラウスに至っては引き裂かれてボタンが弾け飛ぶ。
首筋から肩口の柔肌がさらされ、薄ピンクのキャミソール姿を目の当たりにした男達は下卑た哄笑を上げて猛り狂う。
(こんなの嫌あぁ! いやっ、いやぁッ! 助けて、助けてぇっ、蓮──ッ!)
まさしく絶体絶命の窮地に、心の中で愛しい男の名を叫んだ瞬間だった。
「詩織ぃぃ──ッッ!」
自分の名を叫ぶ怒声と激しい破砕音が同時に空気を震わせるや、用具倉庫の鉄製の扉が吹き飛んで轟音と共に床へ倒れ落ちた。
その場にいた全員が驚愕に動きを止め、何事かと視線を入り口に向ける。
そこには鬼気迫る表情の蓮が暴漢達を睨み据えて仁王立ちしていた。
用具倉庫の古びた鉄扉を蹴破って中に跳び込んだ蓮が目にした光景は、彼を激昂させるに充分なものだった。
大切な幼馴染が複数の男達に組み敷かれており、日頃は勝ち気な詩織が涙に濡れた瞳で助けを求めている。
その悲痛な泣き顔を見た刹那、蓮の理性は粉微塵に砕け散ってしまった。
普段見せる人の好い顔に修羅の如き獰猛さを纏った蓮は、雄叫びをあげて室内へと突進する。
詩織に馬乗りになっていた男は恐怖に顔を歪め腰を浮かせて逃げようとしたが、蓮が放った渾身の右足の蹴りをまともに腹部に喰らってしまう。
その衝撃でくの字に曲がった身体が詩織から引き剥がされて宙を飛ぶや、派手な音と共に壁に激突し床に崩れ落ちる。
腕を押さえていた男の片割れは、返す刀で振り切った左足で側頭部を蹴り払われ、残る一人は全力で放たれた右ストレートで顔面を抉られ、ドアが壊れて空いた空間から外へ叩き出されてしまった。
この間、僅かに五秒。
しかし、蓮は動きを止めず咆哮を上げるや、この蛮行の首謀者に突進する。
「ヨハンッ、きさまぁっ! 絶対に許さないぞッッ!!」
立て続けに顔面に数発のパンチが命中するが、何故かヨハンは棒立ちのまま反撃しようとはせず一方的に殴られる儘だ。
普段ならば直ぐに異変に気付く蓮も、頭に血が昇っている所為か手を止めようとはしない。
しかし、騒ぎを聞きつけて駆けつけて来た教官らに羽交い絞めにされて引き離される刹那、蓮は辛うじてヨハンが呟いた言葉を耳に捉えた。
「……これで少しは詫びの……代わりに……」
だが、その意味不明の言葉の真意を問い質す間もなく、教官達によって蓮は床に組み伏せられてしまったのである。
◇◆◇◆◇
その日の午後の授業は全て中止され、教職員達は事件の対応に追われた。
如月候補生が同級生に集団で襲われたのも大問題だが、それ以上に問題視されたのは、高級将官を父に持つヨハンが暴行を受け重傷を負ったという事に尽きる。
勿論、非が彼らにあるのは明白であり、それについて議論の余地はないだろう。
しかしながら、偏狭で独善的という噂の父親の意向を忖度する教官達は多く、軍上層部に対する体裁を取り繕う為、暴行に及んだ蓮に謹慎処分を課したのだ。
男子寮の自室に軟禁されたも同然の蓮は、既に興奮から覚めて冷静さを取り戻していた。
(詩織の奴、ひどい怪我をしていなければいいけど……)
今は幼馴染の安否だけが気掛かりだが、今の彼にはどうする事もできない。
逆上して暴力に及んだ軽率さは咎められても仕方がないが、間違った事をしたとは思っていないし、もしも同じ場面に遭遇すれば、その時も躊躇わずに拳を振るうだろう。
そんな事を考えていた蓮は、ドアがノックされた音を聞いて小首を傾げた。
外には二名の教官が見張りに立っており、相手が誰であれ面会など許される筈がなく、てっきり何かの用で彼らがノックしたのだと思い扉を開けたのだが……。
「れ、蓮──っ!」
感極まった幼馴染が、自分の名を叫びながら勢いに任せて飛び込んで来たものだから面食らってしまったが、蓮は躊躇う事なく詩織の華奢な身体を受け止めて抱き締めていた。
「し、詩織? あぁ、良かった……怪我はなかったか?」
「う、うん……大丈夫だよ。だって蓮が守ってくれたもの……」
「でも、どうして此処に……ってぇぇ! え、遠藤教官。ローズバンク教官も……それに神鷹もいるのか?」
詩織の背後にある入り口から、抱き合うふたりを覗き見している人影が三つ。
志保は『いいもの見ちゃったわぁ~~』と言わんばかりにニヤニヤ顔。
クレアは、そんな志保を窘めながらも微苦笑を浮かべ。
神鷹は顔を真っ赤にしてオロオロオタオタしている。
「し、詩織っ! は、離れろぉ! み、皆が見てるからぁっ!」
「えぇ~~っ? 最高に感動的なシーンなのにぃぃ……」
思いっきり不満顔で抗議する幼馴染を何とか引き剥がした蓮は、彼女達を部屋に招き入れて話を聞いた。
見張りに立っていた教官らは志保とクレアが体よく追い払ったそうだ。
そんな経緯を簡単に説明した志保が、表情を改めて真面目な顔で切り出す。
「真宮寺君。落ち着いて聞いてちょうだい。先程から緊急の査問委員会が開かれているの……主題はヴラーグ候補生に暴行を働いた貴方に対する処分よ」
そう聞かされても、蓮は特に驚きはしなかった。
それは昨今の伏龍に蔓延る雰囲気を鑑みれば容易に想像できる事態だし、寧ろ、そうならない方がおかしいだろう。
「事件の関係者は誰一人出席を許されていないし、参考人として招致されているのは皇君だけ……結果ありきの完全な魔女狩り裁判よ!」
さすがに志保も腹に据えかねたのか、柳眉を釣り上げて吐き捨てた。
今回の事件を単なる暴行事件として処理するべきだという多数の意見に押され、真相究明を主張した志保やクレアらの少数意見は、一顧だにもされずに黙殺されたのだ。
「白銀教官が頑張ってはおられるけれど、孤軍奮闘では……」
クレアも美しい顔を憂いに曇らせてはいるが、滲む怒りを抑えきれてはいないし、詩織に至っては沈痛な面持ちで憤りを隠そうともしない。
「ひ、ひどい……蓮は私を助けてくれただけなのにっ、それなのにっ!」
女性三人が沈痛な表情を浮かべる中、この部屋に閉じ込められてからずっと考えていた事を蓮は皆に話した。
「実は……あの騒動の中で、ヨハンの様子が変だったんです。妙に達観したような感じで……」
そう前置きして、乱闘の終了間際に彼が呟いた意味深な言葉について話した。
すると、詩織と神鷹が思案顔で彼の言葉に同意する。
「確かに変だったわよね……私を目の敵にしてた筈なのに、あいつ自身は襲い掛かってはこなかった」
「僕も変だと思うんだ……彼と口論になった時、どうしてふたりを目の敵にするのか分からなくて、『昔は普通に会話をしてたじゃないか?』って聞いたんだよ……その時一瞬だけど辛そうに顔を歪めたようにも見えた」
「ふぅん……それって、一年の秋頃の話よね……確かにあの頃を境にして取り巻きを引き連れ群れるようになったのよ」
漠然とした彼らの主観が何を意味するのかは分からないし、それだけでは問題の本質は見えてこないが、その前に片付けなければならない問題を抱える者もおり、唯一査問委員会に招致されている神鷹は、顔つきを改めて蓮と詩織に頭を下げるや、胸に蟠っていた想いを吐露した。
「蓮、如月さん。僕に意気地がなかったばかりに、ふたりには迷惑を掛けてしまった。本当にごめん……僕は償いをしなければならない。そうでなければ、僕は自分の目指す軍人にはなれないんだ。その為にも蓮を見殺しにするなんて出来ない……だから戦ってくるよ」
「ば、馬鹿野郎。水臭い事を言うなよ神鷹……」
「そうよ、こんな処で終わりなんて余りに間抜け過ぎるわ。絶対に諦めないで……私達も諦めないから!」
友人達のエールに励まされた神鷹の表情には清々しい笑みが滲んでおり、部屋を出ていく彼の足取りが力強いもの見えたのは、強ち見間違いではなかったのかもしれない。
彼の背中を見送った蓮はクレアと志保に懇願した。
「教官。僕らも査問委員会に出席できないでしょうか? 自己弁護をしたい訳ではありません。ただ、真実を知りたいのです!」
「私からもお願いします! 遠藤教官! ローズバンク教官!」
教え子ふたりに揃って頭を下げられた志保とクレアは暫し逡巡したが、意外にもOKを出したのはクレアだった。
「いいわ。査問委員会は第一面談室で行われているわ……隣は」
「そうか、控室を兼ねた準備室だったわね……しかも女性用」
腐れ縁の思惑を瞬時に理解した志保も意地の悪い笑みを浮かべて相好を崩す。
クレアは大きく頷いてから、教え子達を促して部屋を出るのだった。
◇◆◇◆◇
「如月は複数の男子候補生に組み敷かれて、乱暴される一歩手前だったのですよ。これは立派な犯罪ではありませんか?」
「それこそ大袈裟な表現ではないかね? 彼らは面白半分の悪ふざけだったと主張している。少し驚かしさえすれば終わる筈だったのに、乱入してきた真宮寺候補生が有無も言わせずに暴行に及んだせいで、被害者は全員全治二週間以上の重体だ。これこそ犯罪だと言えるのではありませんか?」
達也の意見に反論したジェフリー・グラスが、教務主任らに賛意を求めた。
査問委員会を構成するメンバーは、議長に林原学校長以下三名の教務主任と最上級生の特別授業を受け持っている七名の教官、合わせて十一名で構成されている。
当然ながら中立の立場である林原学校長は、自らの見解を以って議論を主導する立場にはない。
達也以外の構成メンバーは、全員がヨハンの父親に阿る日和見主義者ばかりであり、まさにこの場は四面楚歌の様相を呈していた。
多少の行き過ぎはあったにせよ、あくまでも悪ふざけの範疇だったと言い募るジェフリーに、無条件で賛意を示す彼らは、ヨハンらの蛮行をなかった事にしようとしているのだ。
査問会が始まって既に二時間近くが経過しており、意見はあらかた出尽くしてしまった。
このまま採決に持ち込まれれば達也の敗北は必至であり、それは真宮寺蓮候補生が軍人への道を閉ざされる事を意味している。
(何処までも恥知らずな連中だ。若者達を教育して導かねばならない立場の人間が、上役ばかりを見て自身の栄達に汲々としているなんて……)
陳腐な三文芝居に付き合わされている達也の憤怒も相当なものであり、苛立ちは頂点に達しようとしていた。
何処に行っても、この手の愚劣な輩は掃いて捨てるほど居る。
経験も能力も持ち合わせていないくせに、安っぽいプライドだけは一人前。
そんな無能な高級将官相手に、どれだけ無駄な時間を費やして来たか……。
どれだけ、足を引っ張られ、任務の邪魔をされたか……。
その所為で己の手から零れ落ち、救えなかった命がどれほどあったか……。
将官に昇進して以降の二年間の苦い経験を思い出した達也は、改めて軍制改革の必要性を痛感せざるを得なかった。
とはいえ、今は目先の問題を切り抜ける方が最優先だ。
(皇 神鷹の意見陳述だけでは弱い。何かないか? 場を引っ繰り返す妙手が)
神鷹の証言が蓮にとって有利に働くのは間違いないだろう。
譬え、ジェフリーらが裏で工作しようとも、立ち直った神鷹ならば嘘偽りのない証言をしてくれると確信している。
しかし、彼の証言が不当な扱いを受け、取り上げられない可能性がある以上は安閑としてはいられない。
何とか知恵を捻り出そうとするが、妙案が浮かぶその前に唯一の証人である神鷹が入室させられた。
林原学校長の正面に設置された簡易の証言台に上った彼は、背筋を伸ばして前を見つめるが、登壇した神鷹を見たジェフリーは、その口元を微かに笑み崩れさせてしまう。
現状有利な査問会の推移も相俟って、既に勝利を確信していた彼は神鷹の証言が自分らに有利に働き、憎き白銀達也に一泡吹かせられるとほくそ笑んでいた。
(騒動の後、念入りに言い含めてあるからなぁ……俺に逆らう様な真似が小心者の皇にできる筈もあるまい)
今回の証言に先駆けて神鷹にはヨハンを擁護するようにと恫喝紛いの説得をした上で、最悪父親の去就にも影響が及ぶ可能性があると言い含めてある。
だから、気が弱い彼ならば必ず偽証をすると高を括っていたのだが……。
「今回の騒動は特定の候補生を狙い撃ちにした、ヨハン・ヴラーグと仲間達による卑劣な蛮行であります。自分は本日二時限終了時に裏庭で襲撃を画策していた彼らの密談を知り、口止めによる暴行も受けております……よって今回の事件が計画的な犯行であったと重ねて申し上げる次第であります」
毅然と証言をした神鷹によって、ジェフリーの思惑は木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。
「こ、皇 神鷹っ! きさまっ! 気でも狂ったかぁっ!」
意に反する展開に激昂して腰を浮かせたジェフリーには一瞥もくれない神鷹は、正面に座する林原学校長に対して深々と頭を垂れて請願する。
「学校長に申し上げます。今回の騒動は事態を承知していたにも拘わらず、自分の弱さに負けて目を背けた私の責任であります。自治会長としてもその責を免れるものではありませんし、ヨハン・ヴラーグ候補生らと同等の処分を賜るのが妥当だと覚悟しております」
この申し出に林原学校長は口元を綻ばせ、他の教官たちは神鷹の潔い態度を目の当たりにして自分らの行為を恥じたのか、顔を背けて一様に口を閉ざしてしまう。
だが、そんな中、ジェフリーだけは眦を釣り上げるや、声を荒げて強弁した。
「学校長っ! 彼の証言は矮小な戯言に過ぎません。この者は今回の処分対象の真宮寺とは仲が良く、共謀して不当な言い掛かりをつけてヴラーグ候補生を貶めようとしているのです。こんな妄言に耳を貸してはいけません!」
神鷹は理不尽な罵倒を受けたにも拘わらず、怒りを覚える所か虚しさのみが胸中に拡がり落胆せざるを得なかった。
(こんな人を優秀だと思い込んで師事していたなんて……)
しかし、神鷹が己の人を見る目の無さに深い失望を覚えた時だ。
怒りを滲ませた達也が妄言を吐き散らす男を見据え罵倒を返した。
「皇候補生の今の顔を見てそんな戯言が言えるとは……何処まで恥を晒せば気が済むんだ?」
「な、何ぃっ! 新参者が何を偉そうにっ」
「そんな事が関係あるかっ馬鹿が! 自分の責任に言及し、処罰を覚悟して証言した候補生の真摯な行為に唾を吐く愚かな言動を慎めッ! 然も、自分の行為が身内の人生を左右すると知りながら、真実を口にした皇 神鷹の清廉さを称賛するべきなのに……それを貴様はッ!」
自分を弁護してくれる新任教官に神鷹は心からの謝意を懐く。
(白銀教官。士官候補生として最後に御教授頂けたのを心から感謝いたします……許されるならば、貴方の下で学びたかった……)
達也とジェフリーの双方が剣呑な視線をぶつけ合って、一触即発の空気が室内に満ちた瞬間だった。
何の前触れもなく入り口の扉が開き、そして……。
「皇の言っている通りだよ……俺は、真宮寺や如月を貶めるつもりで襲ったんだ」
そう言いながら入って来た人物こそ、今回の騒動の張本人であるヨハンだった。
顔中を覆った包帯姿は痛々しく、その隙間からのぞく顔は青く腫れ上がっており、彼は右足を引き摺るようにして神鷹の隣に並んで立つ。
室内がざわめきに満たされる中、林原学校長がヨハンに尋ねた。
「病棟を抜け出したのかね? あまり感心はできないが、この場に来たという事は君自身が証言をする気があると判断していいのかな?」
「ああ、ケジメはつけなきゃならないからな……」
「よろしい。特別に君の参加も認めよう」
学校長は何か言おうとするジェフリーを視線だけで黙らせるや、ヨハンに質問を投げた。
「自分の罪を認めたことは潔いと思うが、理由を聞かせてくれないかね? 何故あのふたりにそこまでの嫌悪感を懐くのか? そこを明確にしなければ、ケジメをつけたとは言えないだろう?」
ヨハンは暫し逡巡したものの、観念したかの様に小さな吐息を漏らす。
「上手くは言えないが、俺は嫉妬していたんだと思う……軍人である父親を持ちながら、あいつらはその父親を尊敬し一途に後を追いかけている……それに引き換え俺は……権力や金銭に執着してやりたい放題の陸でもない親父が疎ましかった……恥ずかしくて仕方がなかったんだ」
自嘲気味に悔恨の念を口にするヨハンは口元を歪めて話を続ける。
「それだけならまだしも、俺の周りには大将位にある親父に擦り寄りたい連中ばかりが集まるようになった。俺を頼りにしているわけじゃない、任官後に親父の引き欲しさに俺におべんちゃらを使っていただけなのさ」
黙って聞いていた達也が納得顔で言葉を差し挿む。
「成程……だから、全てを清算するつもりで、自作自演の下手なシナリオを描いたわけか。これだけの騒ぎになれば、主犯のお前も共犯連中も、綺麗さっぱり退学になるのは確実だ……そうなれば、真宮寺や如月、そして皇に迷惑をかけずに済むと考えたんじゃないのかい?」
達也の指摘にヨハンは再び溜息を零すや、表情を苦悩に歪めた。
「最初は悪い噂しかない親父への反発だったのに……気が付けば俺自身が、あれほど唾棄した筈の最低野郎に成り下がっていた。成績は下降する一方なのに、親父の意向に忖度する教官達が俺の成績を捏造するに至って本当に情けなくなったんだ。すまなかったな神鷹……鬱屈した感情の捌け口にして随分と乱暴をしてしまった。謝って済む事じゃないが、おまえ達の前には二度と現れないから……」
「ま、待ってよ、ヨハンっ! 君はそれでいいのっ? 君だって軍人になりたくて頑張っていたじゃないか。今までの行いを反省し償う勇気があるのなら、やり直す道だってある筈だよっ!?」
「い、今更だろう、散々迷惑をかけてきたんだ! どんなに望んでも、俺に統合軍士官を目指す資格がある訳ないだろうがッ!」
神鷹の説得に一瞬心が揺れたヨハンだったが、彼には未練を断ち切るかのように大喝し、投げ遣りな言葉を返すのが精一杯だった。
しかし、彼が吠えたその瞬間に、バ~~ンッ! と、派手な音がして隣室に続く小さな扉が勢いよく開け放たれたのだ。
その予期せぬ出来事に狼狽した面々は、断りもなく入室して来た詩織が、柳眉を吊り上げた険しい表情で証人席に向かう姿を見て唖然とするしかなかった。
そして、誰からの制止も受けなかった彼女はヨハンの前に達するや、間髪入れずに強烈な右の張り手を彼の頬に叩きつけたのだ。
乾いた音が室内に響き、ヨハンの顔が大きく横に振られる。
怪我人相手にも遠慮会釈もない詩織の暴挙を、教官達は元より達也も座視するしかなかった。
そんな周囲の反応など歯牙にもかけない詩織は、怯んだヨハンの目を睨みつけるや、怒気を露にして吠えたのだ。
「あんた、このままじゃ唯の負け犬じゃないっ! それでもいいのッ!? 父親の評判が悪くてウンザリした? 散々迷惑をかけた? 軍人を目指す資格がない? 戯言言ってんじゃないわよっ! アンタの性根が腐っていたのを父親の所為にして逃げていい筈がないでしょうッ!」
思いもしなかった叱責にヨハンの顔が歪む。
すると、詩織の後を追って入室して来た蓮が口を開く。
「ヨハン……こんな詫びなんか必要ないよ。お前が親父さんとは違う軍人になるっていうのなら、やり直してみればいいじゃないか……そうでなければ、詩織の言う通り唯の負け犬で終わってしまうぜ」
敵対心を燃やして嫉妬をぶつけてきた相手からの言葉に、ヨハンの気持ちは大きく揺らいだ。
許されるならば、やり直してみたい。しかし……。
葛藤の狭間で彼は思いあまって蓮と詩織に疑問をぶつけてしまう。
「どうして……どうして、簡単に俺を許せるんだよ? あれだけひどい嫌がらせをした俺が憎くはないのかよ!?」
血を吐くような悔恨の情が滲んだ問いに、蓮と詩織は顔を見合わせて躊躇いもせずに答えを返した。
「怨み辛みで他人に報復するような軍人にはなるなと俺達は白銀教官から教えられている……士官たるもの如何なる時でも冷静沈着を旨とし、それを阻害する感情は持つなって事だ。だから、おまえの事も怨みには思わないよ。それに俺は一方的に殴ってしまったからなぁ~~偉そうな事を言う資格はないさ」
「ふん。私は心優しくて寛大だから、さっきの一発で全部チャラにしてあげるわ。その代わりアンタも神鷹も一つだけ私の命令をききなさい」
そう言い放った詩織は、姿勢を正して林原学校長に懇願するのだった。
「学校長にお願いがあります。今回の件で処罰を受ける人間が出る事を我々は望んではいません。皇神鷹、ヨハン・ヴラーグ、そして他の者たちにも寛容なる慈悲の心を以って御寛恕を戴けたらと思っています」
詩織の後を受けて蓮が言葉を続ける。
「無条件で許せば、我々以外に迷惑を被った候補生達は納得しないかもしれません。そこで提案なのですが、皇神鷹を含めた七名を現行の特別授業クラスから退席させて、我々と同じ白銀教官のクラスに編入しては如何でしょうか? そうすれば他の候補生の視線も幾分は和らぐと思うのですが?」
この提案にジェフリーは激怒して反論しようとしたのだが、それよりも早く軽妙な笑い声が響いて、入り口のドアが了承も無しに開け放たれたのだ。
「おいおい、参謀長。候補生達だけで絶妙な落としどころを見つけてしまったじゃないか……最近の若者達も強かで、やるねぇ」
「はっ。全くです。迷惑をかけた私としては、誠に以って汗顔の至りであります」
戸口に立っていたのは二人の統合軍高級士官だった。
禿頭で腹回りに貫禄を滲ませた壮年の将官は大将の階級章を附けており、背後に控えているのはスラリとした体躯の大佐だ。
「お、親父っ!??」
「と、父さんっ!??」
その二人を見たヨハンと神鷹の素っ頓狂な叫び声を受け、彼らの正体に気付いたその場の全員に緊張が走る。
達也などは、悪名高いヨハンの父親が強制介入に来たのかと身構えたのだが……それは全くの杞憂に過ぎなかった。
ヴラーグ大将が大股で蓮と詩織に歩み寄るや、周囲の思惑を裏切って頭を下げて謝罪したのだ。
「馬鹿息子が迷惑をかけてしまったようで、本当に申し訳なかった……任務に追われていたとはいえ、増長したヨハンを放置した私にこそ責任がある。この通りだ」
見事な禿頭を深々と下げる大将殿からの謝罪に蓮と詩織は面食らうしかない。
(え~~っと……この人の何処が悪人なんだ?)
(し、知らないわよ……これじゃあ、話が違い過ぎない?)
蓮と詩織がアイコンタクトを飛ばす間に大将殿は神鷹にも頭を下げ、自分としては如何にも不本意なのだがと前置きした上で爆弾発言を炸裂させた。
「神鷹君。君の父上は切れ者で優秀な男なのだが、目的の為ならば上官である私の人格を貶めても恥じ入らない冷血漢なのだよ……今の部署に配属された時に『いい機会だから、金儲けに執着するクズ共を一掃しましょう』とか言って『新司令官は金に汚く賄賂が大好きな亡者だ』と、とんでもない噂を撒き散らしてくれてねぇ。そのお蔭で不正を働く商人や軍政官僚は簡単に排除できたんだがね……貶められた私の名誉は回復しないままなんだよ……ひどいと思わないかい?」
落胆した表情で首を振る大将殿に、神鷹の父、皇 霊蓬大佐は苦笑いしながらも飄々とした物腰で慰めともつかぬ事を宣う。
「大丈夫ですよ、閣下。我々幕僚部士官は元より、方面軍麾下の部下達は、閣下の実徳なる性格を良く知っており、心からお慕い申し上げておりますから」
「その割には敬意の欠片も感じないのは、私の気のせいかね?」
「はっはっはっ! 閣下の思い過ごしに決まっているじゃありませんか」
二人の漫才みたいな会話に呆然と聞き入る一同を置き去りにしてヨハンへと歩み寄った霊蓬は、先程の大将閣下同様に深々と頭を下げて謝罪した。
「貴方に父上様の実相を誤解させてしまった罪は私の浅慮にあります。早急に方面軍の綱紀粛正が必要だったとはいえ、御身内の方々に対する配慮を欠いていたのも事実です……どうかお許しください」
真実を知ったヨハンは、嬉しいやら情けないやらで複雑な心境だった。
(なんだ。結局は俺の早とちりだったのかよ……やっぱり馬鹿だ、俺は……)
そう胸の中で自虐的に呟いたが、長年鬱積していた劣等感と父親に対する葛藤は消え失せたようで、心が軽くなった心地良さに思わず目頭が熱くなってしまう。
だが、感傷に浸るヨハンの背後で不穏な空気が揺らめいた。
「凄いオチだったよな……少し前までは熱血青春物語だったのに……」
「呆れてものが言えないわ……私、この怒りを何処に向ければいいのかしら?」
「ヨハン……幾ら何でも、これは……あんまりじゃないかな?」
振り向いたヨハンは、蓮、詩織、神鷹が、半眼で自分を睨んでいる姿に冷や汗を流すしかない。
何とか弁明しようとしたヨハンだったが、三人からの盛大な罵声は甘んじて受け入れるしかなかったのである。
「「「この、アンポンタン! 全部お前の(アンタの)独り相撲じゃないか(ないの)ッ!」」」
結局、今回の騒動は不問に付される形で決着した。
林原学校長の裁可で蓮や詩織の請願が受諾されてヨハンと神鷹は達也のクラスへ転属となったが、他の五名はそれを拒否して退校を選択した。
それ故に、ヴラーグ大将の厚情と皇 霊蓬大佐の斡旋もあり、特別措置として、ロシア方面の士官学校に転籍する事が認められたのである。
こうして、新たに二名の生徒を得た達也は、まさに棚から牡丹餅とはこの事かと高笑いするのだった。
◇◆◇◆◇
【お知らせ】
令和4年 3月27日。
砂臥 環 様(https://mypage.syosetu.com/1318751/)よりFAを戴きました。
左から、ヨハン、神鷹、詩織、蓮の教え子カルテットです。
白い制服も初々しい士官候補生の図。
感激で踊り狂っております。(笑)
砂臥様。本当にありがとうございました。
◎◎◎




