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第五話 日雇い提督といじめられっこ ③

 『相談があります』という後輩からのメッセージを受け取った詩織は、指定された第二体育館へと向かっていた。


 如月詩織は最上級生学年首席の優等生として、広く学内で知られた存在である。

 伏龍に首席で合格して以降、只の一度も二位以下に落ちた事がない正真正銘の才媛(さいえん)であり、整った顔立ちと均整の取れたスタイルの持ち主として男女問わずに(あこが)れと羨望(せんぼう)、そして恋心を(いだ)く者が後を絶たないという人気者だ。

 それ(ゆえ)に蛮勇を奮って告白するも、()え無く玉砕する男子候補生は後を絶ない。

 だから、昼休みの呼び出しなど()して珍しいものではなく、詩織は疑問にも思わずに応じたのだが……。


 目的の体育館の入り口まであと(わず)かという所に差し掛かった時だった。

 不意に建物の陰から飛び出してきた三つの影が、形振(なりふ)(かま)わぬ勢いで組み付いて来たのだ。

 寸瞬の戸惑いは、彼らがヨハンの取り巻きだと認識した時点で雲散霧消(うんさんむしょう)した。

 流れるような体捌(たいさば)きで襲い掛かって来た暴漢を(またた)く間に投げ捨て硬い地面に叩き伏せたが、二人目を投げた時にバランスを崩した詩織は、隠し持っていた護身用の電磁警棒を肩口目掛けて振り下ろして来た三人目の攻撃を(かわ)せずに真面(まとも)に受けてしまう。


「うっ、あぁぁぁッッ!」


 弱電流とはいえ通電する痛みに耐え切れず、床に片膝をついて(うずくま)った詩織に、(よこしま)な欲望を(あらわ)にした男達が勢いに任せて襲い掛かった。

 身体が(しび)れて思う様に抵抗できない詩織は、用具倉庫の中に引き()り込まれ、(ほこり)(かぶ)った体操用の分厚いマットの上に押し倒されてしまう。


「あ、あんた達ぃっ! い、いい加減にしなさいッッ!」


 逃れようと必死に抵抗を(こころ)みるが、両腕を別々の男に押さえられてしまい、挙句の果てに太腿を(また)いだ男に下半身の自由を奪われれば、如何(いか)に合気道の達人といえども成す術はない。

 悔しさに唇を噛んだ詩織は、怒りに(まなじり)を釣り上げて襲撃者を(にら)みつけた。


 日頃の溜まりに溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らすためか、彼らは総じて異様に高揚した顔をしており、それを見た詩織は恐怖を覚えて身震いするしかない。

 その瞬間、ボスであるヨハンを視界の端に(とら)えた彼女は憎悪にも似た感情に胸を()がしたが、入り口の(そば)から此方(こちら)を見下ろしている首謀者は、何故(なぜ)か暴行に加わろうとはせずに立ち尽くすのみだ。

 彼を罵倒しようとした詩織は、ヨハンの顔が苦痛に(ゆが)んでいる様にも見えて逆に戸惑いを覚えてしまうが、今の彼女にそんな事を斟酌(しんしゃく)する余裕はなかった。

 自らの行為に興奮して見境(みさかい)を失くした男達の無遠慮な手が、制服の胸元のボタンへと伸びて来たからだ。


「い、いやあぁぁっ! ば、馬鹿あぁっ! や、やめてぇぇッッ!」


 恥辱と恐怖に打ちのめされて思わず唇から悲鳴が(ほとばし)る。

 必死の抵抗も(むな)しくジャケットは押し広げられ、ブラウスに至っては引き裂かれてボタンが(はじ)け飛ぶ。

 首筋から肩口の柔肌がさらされ、薄ピンクのキャミソール姿を目の当たりにした男達は下卑た哄笑(こうしょう)を上げて猛り狂う。


(こんなの嫌あぁ! いやっ、いやぁッ! 助けて、助けてぇっ、蓮──ッ!)


 まさしく絶体絶命の窮地(きゅうち)に、心の中で愛しい男の名を叫んだ瞬間だった。


「詩織ぃぃ──ッッ!」


 自分の名を叫ぶ怒声と激しい破砕音(はさいおん)が同時に空気を震わせるや、用具倉庫の鉄製の扉が吹き飛んで轟音と共に床へ倒れ落ちた。

 その場にいた全員が驚愕(きょうがく)に動きを止め、何事かと視線を入り口に向ける。

 そこには鬼気迫る表情の蓮が暴漢達を(にら)み据えて仁王立ちしていた。


 用具倉庫の古びた鉄扉を蹴破(けやぶ)って中に跳び込んだ蓮が目にした光景は、彼を激昂(げきこう)させるに充分なものだった。

 大切な幼馴染が複数の男達に組み敷かれており、日頃は勝ち気な詩織が涙に濡れた瞳で助けを求めている。

 その悲痛な泣き顔を見た刹那(せつな)、蓮の理性は粉微塵(こなみじん)に砕け散ってしまった。

 普段見せる人の好い顔に修羅の(ごと)獰猛(どうもう)さを(まと)った蓮は、雄叫びをあげて室内へと突進する。


 詩織に馬乗りになっていた男は恐怖に顔を(ゆが)め腰を浮かせて逃げようとしたが、蓮が放った渾身(こんしん)の右足の蹴りをまともに腹部に喰らってしまう。

 その衝撃でくの字に曲がった身体が詩織から引き()がされて宙を飛ぶや、派手な音と共に壁に激突し床に崩れ落ちる。

 腕を押さえていた男の片割れは、返す刀で振り切った左足で側頭部を蹴り払われ、残る一人は全力で放たれた右ストレートで顔面を(えぐ)られ、ドアが壊れて空いた空間から外へ叩き出されてしまった。


 この間、(わず)かに五秒。

 しかし、蓮は動きを止めず咆哮(ほうこう)を上げるや、この蛮行の首謀者に突進する。


「ヨハンッ、きさまぁっ! 絶対に許さないぞッッ!!」


 立て続けに顔面に数発のパンチが命中するが、何故(なぜ)かヨハンは棒立ちのまま反撃しようとはせず一方的に殴られる儘だ。

 普段ならば直ぐに異変に気付く蓮も、頭に血が昇っている所為(せい)か手を止めようとはしない。

 しかし、騒ぎを聞きつけて駆けつけて来た教官らに羽交い絞めにされて引き離される刹那(せつな)、蓮は辛うじてヨハンが(つぶや)いた言葉を耳に(とら)えた。


「……これで少しは()びの……代わりに……」


 だが、その意味不明の言葉の真意を問い(ただ)す間もなく、教官達によって蓮は床に組み伏せられてしまったのである。


           ◇◆◇◆◇


 その日の午後の授業は全て中止され、教職員達は事件の対応に追われた。

 如月候補生が同級生に集団で襲われたのも大問題だが、それ以上に問題視されたのは、高級将官を父に持つヨハンが暴行を受け重傷を負ったという事に尽きる。

 勿論(もちろん)、非が彼らにあるのは明白であり、それについて議論の余地はないだろう。

 しかしながら、偏狭(へんきょう)で独善的という噂の父親の意向を忖度(そんたく)する教官達は多く、軍上層部に対する体裁を取り(つくろ)う為、暴行に(およ)んだ蓮に謹慎処分を課したのだ。


 男子寮の自室に軟禁(なんきん)されたも同然の蓮は、(すで)に興奮から覚めて冷静さを取り戻していた。


(詩織の奴、ひどい怪我(けが)をしていなければいいけど……)


 今は幼馴染の安否(あんぴ)だけが気掛かりだが、今の彼にはどうする事もできない。

 逆上して暴力に(およ)んだ軽率さは(とが)められても仕方がないが、間違った事をしたとは思っていないし、もしも同じ場面に遭遇(そうぐう)すれば、その時も躊躇(ためら)わずに拳を振るうだろう。

 そんな事を考えていた蓮は、ドアがノックされた音を聞いて小首を(かし)げた。

 外には二名の教官が見張りに立っており、相手が誰であれ面会など許される筈がなく、てっきり何かの用で彼らがノックしたのだと思い扉を開けたのだが……。


「れ、蓮──っ!」


 感極まった幼馴染が、自分の名を叫びながら勢いに任せて飛び込んで来たものだから面食らってしまったが、蓮は躊躇(ためら)う事なく詩織の華奢(きやしゃ)な身体を受け止めて抱き締めていた。


「し、詩織? あぁ、良かった……怪我はなかったか?」

「う、うん……大丈夫だよ。だって蓮が守ってくれたもの……」

「でも、どうして此処(ここ)に……ってぇぇ! え、遠藤教官。ローズバンク教官も……それに神鷹もいるのか?」


 詩織の背後にある入り口から、抱き合うふたりを(のぞ)き見している人影が三つ。


 志保は『いいもの見ちゃったわぁ~~』と言わんばかりにニヤニヤ顔。

 クレアは、そんな志保を(たしな)めながらも微苦笑(びくしょう)を浮かべ。

 神鷹は顔を真っ赤にしてオロオロオタオタしている。


「し、詩織っ! は、離れろぉ! み、皆が見てるからぁっ!」

「えぇ~~っ? 最高に感動的なシーンなのにぃぃ……」


 思いっきり不満顔で抗議する幼馴染を何とか引き()がした蓮は、彼女達を部屋に(まね)き入れて話を聞いた。

 見張りに立っていた教官らは志保とクレアが体よく追い払ったそうだ。

 そんな経緯を簡単に説明した志保が、表情を改めて真面目な顔で切り出す。


「真宮寺君。落ち着いて聞いてちょうだい。先程から緊急の査問委員会が開かれているの……主題はヴラーグ候補生に暴行を働いた貴方に対する処分よ」


 そう聞かされても、蓮は特に驚きはしなかった。

 それは昨今の伏龍に蔓延(はびこ)る雰囲気を(かんが)みれば容易に想像できる事態だし、(むし)ろ、そうならない方がおかしいだろう。


「事件の関係者は誰一人出席を許されていないし、参考人として招致(しょうち)されているのは皇君だけ……結果ありきの完全な魔女狩り裁判よ!」


 さすがに志保も腹に()えかねたのか、柳眉を釣り上げて吐き捨てた。

 今回の事件を単なる暴行事件として処理するべきだという多数の意見に押され、真相究明を主張した志保やクレアらの少数意見は、一顧(いっこ)だにもされずに黙殺されたのだ。


「白銀教官が頑張(がんば)ってはおられるけれど、孤軍奮闘では……」


 クレアも美しい顔を(うれ)いに曇らせてはいるが、滲む怒りを抑えきれてはいないし、詩織に至っては沈痛な面持ちで憤りを隠そうともしない。


「ひ、ひどい……蓮は私を助けてくれただけなのにっ、それなのにっ!」


 女性三人が沈痛な表情を浮かべる中、この部屋に閉じ込められてからずっと考えていた事を蓮は皆に話した。


「実は……あの騒動の中で、ヨハンの様子が変だったんです。妙に達観したような感じで……」


 そう前置きして、乱闘の終了間際に彼が(つぶや)いた意味深な言葉について話した。

 すると、詩織と神鷹が思案顔で彼の言葉に同意する。


「確かに変だったわよね……私を目の(かたき)にしてた筈なのに、あいつ自身は襲い掛かってはこなかった」

「僕も変だと思うんだ……彼と口論になった時、どうしてふたりを目の(かたき)にするのか分からなくて、『昔は普通に会話をしてたじゃないか?』って聞いたんだよ……その時一瞬だけど辛そうに顔を(ゆが)めたようにも見えた」

「ふぅん……それって、一年の秋頃の話よね……確かにあの頃を境にして取り巻きを引き連れ群れるようになったのよ」


 漠然(ばくぜん)とした彼らの主観が何を意味するのかは分からないし、それだけでは問題の本質は見えてこないが、その前に片付けなければならない問題を抱える者もおり、唯一査問委員会に招致(しょうち)されている神鷹は、顔つきを改めて蓮と詩織に頭を下げるや、胸に(わだかま)っていた想いを吐露(とろ)した。


「蓮、如月さん。僕に意気地(いくじ)がなかったばかりに、ふたりには迷惑を掛けてしまった。本当にごめん……僕は(つぐな)いをしなければならない。そうでなければ、僕は自分の目指す軍人にはなれないんだ。その為にも蓮を見殺しにするなんて出来ない……だから戦ってくるよ」

「ば、馬鹿野郎。水臭い事を言うなよ神鷹……」

「そうよ、こんな処で終わりなんて余りに間抜け過ぎるわ。絶対に(あきら)めないで……私達も(あきら)めないから!」


 友人達のエールに励まされた神鷹の表情には清々(すがすが)しい笑みが滲んでおり、部屋を出ていく彼の足取りが力強いもの見えたのは、(あなが)ち見間違いではなかったのかもしれない。


 彼の背中を見送った蓮はクレアと志保に懇願した。


「教官。僕らも査問委員会に出席できないでしょうか? 自己弁護をしたい訳ではありません。ただ、真実を知りたいのです!」

「私からもお願いします! 遠藤教官! ローズバンク教官!」


 教え子ふたりに(そろ)って頭を下げられた志保とクレアは暫し逡巡(しゅんじゅん)したが、意外にもOKを出したのはクレアだった。


「いいわ。査問委員会は第一面談室で行われているわ……隣は」

「そうか、控室を兼ねた準備室だったわね……しかも女性用」


 腐れ縁の思惑を瞬時に理解した志保も意地の悪い笑みを浮かべて相好を崩す。

 クレアは大きく(うなず)いてから、教え子達を(うなが)して部屋を出るのだった。


            ◇◆◇◆◇


「如月は複数の男子候補生に組み敷かれて、乱暴される一歩手前だったのですよ。これは立派な犯罪ではありませんか?」

「それこそ大袈裟(おおげさ)な表現ではないかね? 彼らは面白半分の悪ふざけだったと主張している。少し驚かしさえすれば終わる筈だったのに、乱入してきた真宮寺候補生が有無(うむ)も言わせずに暴行に(およ)んだせいで、被害者は全員全治二週間以上の重体だ。これこそ犯罪だと言えるのではありませんか?」


 達也の意見に反論したジェフリー・グラスが、教務主任らに賛意を求めた。

 査問委員会を構成するメンバーは、議長に林原学校長以下三名の教務主任と最上級生の特別授業を受け持っている七名の教官、合わせて十一名で構成されている。

 当然ながら中立の立場である林原学校長は、自らの見解を(もって)って議論を主導する立場にはない。


 達也以外の構成メンバーは、全員がヨハンの父親に(おもね)日和見(ひよりみ)主義者ばかりであり、まさにこの場は四面楚歌の様相を呈していた。

 多少の行き過ぎはあったにせよ、あくまでも悪ふざけの範疇(はんちゅう)だったと言い(つの)るジェフリーに、無条件で賛意を示す彼らは、ヨハンらの蛮行をなかった事にしようとしているのだ。


 査問会が始まって(すで)に二時間近くが経過しており、意見はあらかた出尽くしてしまった。

 このまま採決に持ち込まれれば達也の敗北は必至(ひっし)であり、それは真宮寺蓮候補生が軍人への道を閉ざされる事を意味している。


何処(どこ)までも恥知らずな連中だ。若者達を教育して(みちび)かねばならない立場の人間が、上役ばかりを見て自身の栄達に汲々(きゅうきゅう)としているなんて……)


 陳腐(ちんぷ)な三文芝居に付き合わされている達也の憤怒も相当なものであり、苛立(いらだ)ちは頂点に達しようとしていた。

 何処(どこ)に行っても、この手の愚劣な(やから)()いて捨てるほど居る。

 経験も能力も持ち合わせていないくせに、安っぽいプライドだけは一人前。

 そんな無能な高級将官相手に、どれだけ無駄な時間を費やして来たか……。

 どれだけ、足を引っ張られ、任務の邪魔をされたか……。

 その所為(せい)で己の手から(こぼ)れ落ち、救えなかった命がどれほどあったか……。


 将官に昇進して以降の二年間の苦い経験を思い出した達也は、改めて軍制改革の必要性を痛感せざるを得なかった。

 とはいえ、今は目先の問題を切り抜ける方が最優先だ。


(皇 神鷹の意見陳述(ちんじゅつ)だけでは弱い。何かないか? 場を引っ繰り返す妙手が)


 神鷹の証言が蓮にとって有利に働くのは間違いないだろう。

 (たと)え、ジェフリーらが裏で工作しようとも、立ち直った神鷹ならば嘘偽りのない証言をしてくれると確信している。

 しかし、彼の証言が不当な(あつか)いを受け、取り上げられない可能性がある以上は安閑(あんかん)としてはいられない。


 何とか知恵を(ひね)り出そうとするが、妙案が浮かぶその前に唯一の証人である神鷹が入室させられた。

 林原学校長の正面に設置された簡易の証言台に上った彼は、背筋を伸ばして前を見つめるが、登壇(とうだん)した神鷹を見たジェフリーは、その口元を微かに笑み崩れさせてしまう。

 現状有利な査問会の推移も相俟(あいま)って、(すで)に勝利を確信していた彼は神鷹の証言が自分らに有利に働き、憎き白銀達也に一泡吹かせられるとほくそ笑んでいた。


(騒動の後、念入りに言い含めてあるからなぁ……俺に逆らう様な真似が小心者の皇にできる筈もあるまい)


 今回の証言に先駆けて神鷹にはヨハンを擁護(ようご)するようにと恫喝紛(どうかつまが)いの説得をした上で、最悪父親の去就(きょしゅう)にも影響が(およ)ぶ可能性があると言い含めてある。

 だから、気が弱い彼ならば必ず偽証をすると高を(くく)っていたのだが……。


「今回の騒動は特定の候補生を狙い撃ちにした、ヨハン・ヴラーグと仲間達による卑劣な蛮行であります。自分は本日二時限終了時に裏庭で襲撃を画策していた彼らの密談を知り、口止めによる暴行も受けております……よって今回の事件が計画的な犯行であったと重ねて申し上げる次第であります」


 毅然(きぜん)と証言をした神鷹によって、ジェフリーの思惑は木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。


「こ、皇 神鷹っ! きさまっ! 気でも狂ったかぁっ!」


 意に反する展開に激昂(げきこう)して腰を浮かせたジェフリーには一瞥もくれない神鷹は、正面に座する林原学校長に対して深々と(こうべ)()れて請願(せいがん)する。


「学校長に申し上げます。今回の騒動は事態を承知していたにも(かか)わらず、自分の弱さに負けて目を(そむ)けた私の責任であります。自治会長としてもその責を免れるものではありませんし、ヨハン・ヴラーグ候補生らと同等の処分を賜るのが妥当だと覚悟しております」


 この申し出に林原学校長は口元を(ほころ)ばせ、他の教官たちは神鷹の潔い態度を目の当たりにして自分らの行為を恥じたのか、顔を背けて一様に口を閉ざしてしまう。

 だが、そんな中、ジェフリーだけは(まなじり)を釣り上げるや、声を荒げて強弁した。


「学校長っ! 彼の証言は矮小(わいしょう)戯言(たわごと)に過ぎません。この者は今回の処分対象の真宮寺とは仲が良く、共謀して不当な言い掛かりをつけてヴラーグ候補生を(おとし)めようとしているのです。こんな妄言に耳を貸してはいけません!」


 神鷹は理不尽な罵倒を受けたにも(かか)わらず、怒りを覚える所か(むな)しさのみが胸中に拡がり落胆せざるを得なかった。


(こんな人を優秀だと思い込んで師事していたなんて……)


 しかし、神鷹が己の人を見る目の無さに深い失望を覚えた時だ。

 怒りを滲ませた達也が妄言を吐き散らす男を(みす)据え罵倒(ばとう)を返した。


「皇候補生の今の顔を見てそんな(たわごと)言が言えるとは……何処(どこ)まで恥を(さら)せば気が済むんだ?」

「な、何ぃっ! 新参者が何を偉そうにっ」

「そんな事が関係あるかっ馬鹿が! 自分の責任に言及し、処罰を覚悟して証言した候補生の真摯(しんし)な行為に(つば)を吐く愚かな言動を(つつし)めッ! (しか)も、自分の行為が身内の人生を左右すると知りながら、真実を口にした皇 神鷹の清廉(せいれん)さを称賛するべきなのに……それを貴様はッ!」


 自分を弁護してくれる新任教官に神鷹は心からの謝意を(いだ)く。


(白銀教官。士官候補生として最後に御教授頂けたのを心から感謝いたします……許されるならば、貴方の下で学びたかった……)


 達也とジェフリーの双方が剣呑(けんのん)な視線をぶつけ合って、一触即発の空気が室内に満ちた瞬間だった。


 何の前触れもなく入り口の扉が開き、そして……。


「皇の言っている通りだよ……俺は、真宮寺や如月を(おとし)めるつもりで襲ったんだ」


 そう言いながら入って来た人物こそ、今回の騒動の張本人であるヨハンだった。

 顔中を(おお)った包帯姿は痛々しく、その隙間からのぞく顔は青く()れ上がっており、彼は右足を引き()るようにして神鷹の隣に並んで立つ。


 室内がざわめきに満たされる中、林原学校長がヨハンに尋ねた。


「病棟を抜け出したのかね? あまり感心はできないが、この場に来たという事は君自身が証言をする気があると判断していいのかな?」

「ああ、ケジメはつけなきゃならないからな……」

「よろしい。特別に君の参加も認めよう」


 学校長は何か言おうとするジェフリーを視線だけで黙らせるや、ヨハンに質問を投げた。


「自分の罪を認めたことは(いさぎよ)いと思うが、理由を聞かせてくれないかね? 何故(なぜ)あのふたりにそこまでの嫌悪感を(いだ)くのか? そこを明確にしなければ、ケジメをつけたとは言えないだろう?」


 ヨハンは(しば)逡巡(しゅんじゅん)したものの、観念したかの様に小さな吐息を漏らす。


「上手くは言えないが、俺は嫉妬(しっと)していたんだと思う……軍人である父親を持ちながら、あいつらはその父親を尊敬し一途に後を追いかけている……それに引き換え俺は……権力や金銭に執着してやりたい放題の(ろく)でもない親父が(うと)ましかった……恥ずかしくて仕方がなかったんだ」


 自嘲気味に悔恨の念を口にするヨハンは口元を(ゆが)めて話を続ける。


「それだけならまだしも、俺の周りには大将位にある親父に()り寄りたい連中ばかりが集まるようになった。俺を(たよ)りにしているわけじゃない、任官後に親父の引き欲しさに俺におべんちゃらを使っていただけなのさ」


 黙って聞いていた達也が納得顔で言葉を差し(はさ)む。


「成程……だから、全てを清算するつもりで、自作自演の下手なシナリオを描いたわけか。これだけの騒ぎになれば、主犯のお前も共犯連中も、綺麗さっぱり退学になるのは確実だ……そうなれば、真宮寺や如月、そして皇に迷惑をかけずに済むと考えたんじゃないのかい?」


 達也の指摘にヨハンは再び溜息を(こぼ)すや、表情を苦悩に(ゆが)めた。


「最初は悪い噂しかない親父への反発だったのに……気が付けば俺自身が、あれほど唾棄(だき)した筈の最低野郎に成り下がっていた。成績は下降する一方なのに、親父の意向に忖度(そんたく)する教官達が俺の成績を捏造するに至って本当に情けなくなったんだ。すまなかったな神鷹……鬱屈(うっくつ)した感情の()け口にして随分と乱暴をしてしまった。謝って済む事じゃないが、おまえ達の前には二度と現れないから……」

「ま、待ってよ、ヨハンっ! 君はそれでいいのっ? 君だって軍人になりたくて頑張っていたじゃないか。今までの行いを反省し(つぐな)う勇気があるのなら、やり直す道だってある筈だよっ!?」

「い、今更だろう、散々迷惑をかけてきたんだ! どんなに望んでも、俺に統合軍士官を目指す資格がある訳ないだろうがッ!」


 神鷹の説得に一瞬心が揺れたヨハンだったが、彼には未練を断ち切るかのように大喝(だいかつ)し、投げ遣りな言葉を返すのが精一杯だった。

 しかし、彼が吠えたその瞬間に、バ~~ンッ! と、派手な音がして隣室に続く小さな扉が勢いよく開け放たれたのだ。

 その予期せぬ出来事に狼狽(ろうばい)した面々は、断りもなく入室して来た詩織が、柳眉を吊り上げた険しい表情で証人席に向かう姿を見て唖然(あぜん)とするしかなかった。

 そして、誰からの制止も受けなかった彼女はヨハンの前に達するや、間髪入れずに強烈な右の張り手を彼の頬に叩きつけたのだ。


 乾いた音が室内に響き、ヨハンの顔が大きく横に振られる。

 怪我人相手にも遠慮会釈(えんりょえしゃく)もない詩織の暴挙を、教官達は元より達也も座視(ざし)するしかなかった。

 そんな周囲の反応など歯牙(しが)にもかけない詩織は、(ひる)んだヨハンの目を(にら)みつけるや、怒気を(あらわ)にして吠えたのだ。


「あんた、このままじゃ唯の負け犬じゃないっ! それでもいいのッ!? 父親の評判が悪くてウンザリした? 散々迷惑をかけた? 軍人を目指す資格がない? 戯言(たわごと)言ってんじゃないわよっ! アンタの性根が腐っていたのを父親の所為(せい)にして逃げていい筈がないでしょうッ!」


 思いもしなかった叱責にヨハンの顔が(ゆが)む。

 すると、詩織の後を追って入室して来た蓮が口を開く。


「ヨハン……こんな()びなんか必要ないよ。お前が親父さんとは違う軍人になるっていうのなら、やり直してみればいいじゃないか……そうでなければ、詩織の言う通り唯の負け犬で終わってしまうぜ」


 敵対心を燃やして嫉妬(しっと)をぶつけてきた相手からの言葉に、ヨハンの気持ちは大きく揺らいだ。

 許されるならば、やり直してみたい。しかし……。

 葛藤(かっとう)狭間(はざま)で彼は思いあまって蓮と詩織に疑問をぶつけてしまう。


「どうして……どうして、簡単に俺を許せるんだよ? あれだけひどい嫌がらせをした俺が憎くはないのかよ!?」


 血を吐くような悔恨(かいこん)の情が滲んだ問いに、蓮と詩織は顔を見合わせて躊躇(ためら)いもせずに答えを返した。


(うら)(つら)みで他人に報復するような軍人にはなるなと俺達は白銀教官から教えられている……士官たるもの如何(いか)なる時でも冷静沈着を(むね)とし、それを阻害する感情は持つなって事だ。だから、おまえの事も(うら)みには思わないよ。それに俺は一方的に殴ってしまったからなぁ~~偉そうな事を言う資格はないさ」

「ふん。私は心優しくて寛大だから、さっきの一発で全部チャラにしてあげるわ。その代わりアンタも神鷹も一つだけ私の命令をききなさい」


 そう言い放った詩織は、姿勢を正して林原学校長に懇願(こんがん)するのだった。


「学校長にお願いがあります。今回の件で処罰を受ける人間が出る事を我々は望んではいません。皇神鷹、ヨハン・ヴラーグ、そして他の者たちにも寛容なる慈悲の心を(もっ)って御寛恕(ごかんじょ)を戴けたらと思っています」


 詩織の後を受けて蓮が言葉を続ける。


「無条件で許せば、我々以外に迷惑を被った候補生達は納得しないかもしれません。そこで提案なのですが、皇神鷹を含めた七名を現行の特別授業クラスから退席させて、我々と同じ白銀教官のクラスに編入しては如何(いかが)でしょうか? そうすれば他の候補生の視線も幾分(いくぶん)は和らぐと思うのですが?」


 この提案にジェフリーは激怒して反論しようとしたのだが、それよりも早く軽妙な笑い声が響いて、入り口のドアが了承も無しに開け放たれたのだ。


「おいおい、参謀長。候補生達だけで絶妙な落としどころを見つけてしまったじゃないか……最近の若者達も(したた)かで、やるねぇ」

「はっ。全くです。迷惑をかけた私としては、誠に(もっ)って汗顔(かんがん)(いた)りであります」


 戸口に立っていたのは二人の統合軍高級士官だった。


 禿頭(とくとう)で腹回りに貫禄を滲ませた壮年の将官は大将の階級章を附けており、背後に控えているのはスラリとした体躯の大佐だ。


「お、親父っ!??」

「と、父さんっ!??」


 その二人を見たヨハンと神鷹の素っ頓狂な叫び声を受け、彼らの正体に気付いたその場の全員に緊張が走る。

 達也などは、悪名高いヨハンの父親が強制介入に来たのかと身構えたのだが……それは全くの杞憂(きゆう)に過ぎなかった。

 ヴラーグ大将が大股で蓮と詩織に歩み寄るや、周囲の思惑を裏切って頭を下げて謝罪したのだ。


「馬鹿息子が迷惑をかけてしまったようで、本当に申し訳なかった……任務に追われていたとはいえ、増長したヨハンを放置した私にこそ責任がある。この通りだ」


 見事な禿頭(とくとう)を深々と下げる大将殿からの謝罪に蓮と詩織は面食らうしかない。


(え~~っと……この人の何処(どこ)が悪人なんだ?)

(し、知らないわよ……これじゃあ、話が違い過ぎない?)


 蓮と詩織がアイコンタクトを飛ばす間に大将殿は神鷹にも頭を下げ、自分としては如何(いか)にも不本意なのだがと前置きした上で爆弾発言を炸裂(さくれつ)させた。


「神鷹君。君の父上は切れ者で優秀な男なのだが、目的の為ならば上官である私の人格を(おとし)めても恥じ入らない冷血漢なのだよ……今の部署に配属された時に『いい機会だから、金儲けに執着するクズ共を一掃しましょう』とか言って『新司令官は金に汚く賄賂(わいろ)が大好きな亡者だ』と、とんでもない(うわさ)()き散らしてくれてねぇ。そのお蔭で不正を働く商人や軍政官僚は簡単に排除できたんだがね……(おとし)められた私の名誉は回復しないままなんだよ……ひどいと思わないかい?」


 落胆した表情で首を振る大将殿に、神鷹の父、皇 霊蓬大佐は苦笑いしながらも飄々(ひょうひょう)とした物腰で(なぐさ)めともつかぬ事を(のたま)う。


「大丈夫ですよ、閣下。我々幕僚部士官は元より、方面軍麾下(きか)の部下達は、閣下の実徳なる性格を良く知っており、心からお(した)い申し上げておりますから」

「その割には敬意の欠片も感じないのは、私の気のせいかね?」

「はっはっはっ! 閣下の思い過ごしに決まっているじゃありませんか」


 二人の漫才みたいな会話に呆然(ぼうぜん)と聞き入る一同を置き去りにしてヨハンへと歩み寄った霊蓬は、先程の大将閣下同様に深々と頭を下げて謝罪した。


「貴方に父上様の実相を誤解させてしまった罪は私の浅慮(せんりょ)にあります。早急に方面軍の綱紀粛正(こうきしゅくせい)が必要だったとはいえ、御身内の方々に対する配慮を欠いていたのも事実です……どうかお許しください」


 真実を知ったヨハンは、嬉しいやら情けないやらで複雑な心境だった。


(なんだ。結局は俺の早とちりだったのかよ……やっぱり馬鹿だ、俺は……)


 そう胸の中で自虐的に(つぶや)いたが、長年鬱積(うっせき)していた劣等感と父親に対する葛藤(かっとう)は消え失せたようで、心が軽くなった心地良さに思わず目頭が熱くなってしまう。

 だが、感傷に(ひた)るヨハンの背後で不穏な空気が揺らめいた。


「凄いオチだったよな……少し前までは熱血青春物語だったのに……」

「呆れてものが言えないわ……私、この怒りを何処(どこ)に向ければいいのかしら?」

「ヨハン……(いく)ら何でも、これは……あんまりじゃないかな?」


 振り向いたヨハンは、蓮、詩織、神鷹が、半眼で自分を(にら)んでいる姿に冷や汗を流すしかない。

 何とか弁明しようとしたヨハンだったが、三人からの盛大な罵声は甘んじて受け入れるしかなかったのである。


「「「この、アンポンタン! 全部お前の(アンタの)独り相撲じゃないか(ないの)ッ!」」」


 結局、今回の騒動は不問に付される形で決着した。


 林原学校長の裁可で蓮や詩織の請願(せいがん)受諾(じゅだく)されてヨハンと神鷹は達也のクラスへ転属となったが、他の五名はそれを拒否して退校を選択した。

 それ(ゆえ)に、ヴラーグ大将の厚情と皇 霊蓬大佐の斡旋(あっせん)もあり、特別措置として、ロシア方面の士官学校に転籍する事が認められたのである。


 こうして、新たに二名の生徒を得た達也は、まさに(たな)から牡丹餅(ぼたもち)とはこの事かと高笑いするのだった。


           ◇◆◇◆◇



【お知らせ】

令和4年 3月27日。

砂臥 環 様(https://mypage.syosetu.com/1318751/)よりFAを戴きました。

挿絵(By みてみん)

左から、ヨハン、神鷹、詩織、蓮の教え子カルテットです。

白い制服も初々しい士官候補生の図。

感激で踊り狂っております。(笑)

砂臥様。本当にありがとうございました。

◎◎◎

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― 新着の感想 ―
[良い点] スケールの大きさ、社会システムや地球政府と銀河連邦とのパワーバランス、達也の人柄や能力、立ち位置の設定は作品世界に違和感なく調和しており、非常に完成度の高い物語であると思います。 [気にな…
[良い点] 蓮君が助けに来てくれたシーン。来てくれると思ってはいましたが「やったあ!」と喜びました。 その後の詩織さんとのコミカルなシーンも面白いし、ヨハンが実はいい子で達也さんの生徒になるという展開…
[一言] えーと( ̄▽ ̄;) ヨハンくん。 やり方が根本から間違ってるって。 問題起こしたいならもっと他にやり方があったんじゃねぇか? 女性に乱暴とか本当に洒落にならんぞ。 いやそれ以前に女性へ…
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