第五話 日雇い提督といじめられっこ ①
新西暦二二五年 四月
伏龍に配属されて初めての月替わりを迎えた白銀組は、益々意気軒昂だ。
そんな中で達也を最も驚かせたのは蓮と詩織の素養の高さだった。
最新型のヴァーチャルシステムにすっかり慣れた教え子達は、目覚ましい進歩を遂げており、驚異的なスピードで指導内容を己の物にしていく。
座学を廃し、各科目に対応したプログラムを仮想空間で体感する授業スタイルは彼らにマッチしており、基礎知識とその応用、戦闘時に於ける基本行動と注意点など、初期段階は難なくクリアーして見せた。
(これ程とは思わなかったな。こいつらは間違いなく俺よりも優秀だ。初ダイブの時から、ある程度は期待できると思ってはいたが……)
今も仮想空間にフルダイブして課題に取り組んでいる教え子達が、最初に見せた表情を思い出した達也は口元を綻ばせてしまう。
システム導入後最初の授業に於いて、嘗て所属していたガリュード艦隊で恒例となっていた新米少尉歓迎プログラムを体験させてみたのだが……。
そのプログラムは《死》を体験できるという悪趣味極まりない代物であり、仮想空間での体験だからこそ許されるとは言え、新人らには総じて不評だった代物だ。
恐怖体験に負けて二~三日寝込んでしまうルーキーも珍しくなく、その過激さは銀河連邦宇宙軍内でも定評があり、現在でも新兵の教育課程に取り入れられているのを鑑みれば、その有用性は言わずもがなである。
基本的なシチュエーションは、戦闘中に乗艦する船の配属先で、突発的な事態に巻き込まれた挙句に戦死するという悲惨なものだ。
しかし、敵の艦砲の直撃を受けて部署ごと全滅……という展開等はまだマシな方で、足元からの爆発に巻き込まれる、外壁に亀裂が入り宇宙空間に放り出される、酸素の供給システムがダウンしての窒息死……等々。
通常人間が感じる十%程度の痛みとはいえ、それを伴う訓練は自死という強烈なトラウマを新人士官達に植え付けて来たのだ。
当然ながら、蓮と詩織も訓練を終えた後は散々な有様だった。
しかし、真っ青な顔で今にも倒れそうになりながらも、ふたりの双眸は光を失ってはおらず、その日以降、授業への取り組み方に真剣さが増すという嬉しいオマケまでついたのである。
(敵討ちなんて甘っちょろい事を言ってる場合じゃないっ。未熟なままでいられるものか!)
(無能な自分の失策で大勢の仲間が死ぬかもしれないなんて……そんなの耐えられないわ!)
達也は知る由もなかったが、面談時に聞いた彼の苦い昔話を心底理解したふたりは、それを自身への発奮材料としたのだ。
※※※
午後の特別授業を終えた達也は、次回使用する予定のプログラムを確認してからリブラを退艦し教官室へと向かった。
(放課後に補習をするよりも、生徒を増やす方が訓練には効果的なんだが……)
二時間にも及ぶ仮想空間へのフルダイブは、体力も精神力もかなり消耗する為、訓練時間を増やすというのは、あまり現実的なやり方ではない。
ならばどうするのかと言えば、現在AIで代行している役割を他の候補生が受け持てるよう、訓練を共にする人員を増やせば良いのだ。
未熟なメンバー同士が引き起こすトラブルも、訓練としては重要な要素であり、それらが齎す相乗効果が候補生達の能力向上に大きく寄与するからだ。
受け持ち候補生を増やす方法はないかと思案しながら歩いていた達也は、港湾部から南東方向に延びている防潮堤の上に人の姿を見つけて足を止めた。
せいぜい二m程の幅しかないコンクリートの上を、ふらふらと覚束ない足取りで先端方向へ歩いて行くその人影は、間違いなく伏龍の男子士官候補生だ。
休日には釣りを趣味にする候補生が散見される場所だが、平日の放課後とあって他に人の姿はない。
直感的に嫌な予感を覚えた達也は防潮堤へと足を向ける。
皇 神鷹は暗く鬱屈した感情を持て余し懊悩していた。
温かい春の陽光も、頬を撫でていく爽やかな海風も、彼の心の闇を溶かすことは出来ない。
統合軍軍人を父親に持つ彼が士官学校進学の道を選んだのは極めて自然であり、尊敬する父親の様に立派な軍人になって気弱な自分を変えたい。
そんな思いもあって、懸命な努力の末に合格を勝ち取ったのだ。
入学してからも研鑽は怠らず、常に学年二位の好成績をキープしており、多くの気の良い友人にも恵まれて充実した学園生活を送っていた。
だが、今年の一月に行われた自治会役員選挙から様相が一変してしまった。
友人達に推薦される形で気乗りしないままに会長選挙に出る羽目になり、会長に立候補したヨハン・ヴラーグと一騎打ちになったのだ。
選挙の結果は圧倒的多数の票を獲得して神鷹が会長に選ばれたのだが、落選したヨハンが教官推薦枠という意味不明のルールで副会長に選ばれたのを機に、彼にとって地獄のような日々が続いているという有り様だった。
ヨハンの父親は統合軍の軍人であり、ロシア方面の基地司令を務めている大将でもある。
然も運命の皮肉か、神鷹の父親はその大将殿の幕僚として参謀長を務めており、彼は父親の去就を人質にされているようなものだった。
それ故に、選挙で負けて恥をかかされたと言い掛かりをつけられ、ヨハンとその取り巻き連中に陰湿なイジメを加えられても、我慢するしかない日々が続いているのだ。
(卒業まで、まだ一年もあるなんて……どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないんだっ! もう、嫌だ……たくさんだっ!)
そんな投げやりな感情が心に渦巻き、防潮堤の先端部の更に先へと足を踏み出そうとした刹那。
「今日はいい天気だが、海水浴には些か早いんじゃないか?」
飄々とした声音に呼び止められた神鷹は肩を跳ねさせて振り向き、視線の先に先日着任して来たばかりの新任教官の姿を見つけて驚きを露にする。
穏やかだが何もかも見通すような教官の視線に射竦められた神鷹は、背筋に冷たい何かが走ったような気がして思わず顔を背けていた。
「確か君は……皇 神鷹候補生だったな? こんな場所で何をしているんだい?」
面識がない筈の新任教官が自分の名前を口にしたのに驚かされたが、それ以上に居心地の悪さは尋常なものではなかった。
「べ、別に……なにも……申し訳ありません。失礼いたします」
震える声を絞り出した神鷹は、足早にその場から逃げ出したのだ。
背中に突き刺さるような視線を感じながら……。
◇◆◇◆◇
「おらぁ! 服装検査をするぞ! お前ら、スカートの裾を自分で持ち上げろ! 違反がないか調べてやる!」
一年生用の寮舎一階大ホールに高圧的な怒声が響き渡った。
ヨハンと取り巻き連中が、自治会の風紀取り締まりを名目にして、新入生の女子候補生達を相手に悪質な憂さ晴らしをしているのだ。
不運にも彼らに目を付けられた五人の女子候補生たちは、上級生からの理不尽な命令に恐怖し震えているのだが、周囲には他の候補生達がいるものの、誰も彼女らを助けようとはせずに遠巻きに成り行きを見守っているのみだった。
下手に庇い立てすれば自分にも火の粉が降りかかるのは明らかであり、誰も声を上げる勇気が持てないのだ。
そんな中、恐怖で動けない下級生に苛立った取り巻きの一人が、いっそう大きな怒声を張り上げて彼女達を脅した。
「さっさと言われた通りにスカートを捲らねえかっ! ヴラーグ副会長様に逆らう奴は退学だからなっ! それとも、俺が手伝ってやろうかぁ~~?」
「「「「「い、いやああぁーーっ!」」」」」
下卑た笑みを口元に浮かべる取り巻きが、泣き叫びながら蹲る女子候補生達に手を伸ばした時だった。
「ひいぁぁ──ッ! ぎゃあぁッッ!」
人垣を割って飛び出して来た女生徒が、伸ばされた取り巻きの手首を掴み流麗な動作で身体を捻るや彼の身体は見事に宙を舞い、固い床に背中から落下して無様にも悲鳴を上げて悶絶したのである。
体格に勝る男子を軽々と投げ捨てた美少女は他でもない詩織だった。
ヨハンらを軽蔑に満ちた鋭い視線で牽制する詩織は、後輩達を庇いながら痛烈な言葉を浴びせる。
「春の陽気に当てられて、脳味噌にウジでも湧いたんじゃないの? 年下の女子の下着が見たいだなんて、あんた達、揃いも揃ってロリコンだったわけね? いくら同学年の女子に相手にされないからってセクハラは犯罪よ? その腐ったカボチャ頭にしっかり叩き込んでおきなさい!」
容赦ない罵倒を受けたヨハン達の顔が怒りに歪んだ。
「如月っ……お前も真宮寺の奴と同じ様に俺らに逆らうのか? 調子に乗ってると陸な事にならねぇぞ」
「あら? やっぱりカボチャ頭は駄目ねぇ……去年、覗きをやっていたアンタ達を纏めてプールに投げ捨ててやったのは誰だったかしら? 思い出させてあげるからかかってきなさいよ。その代わり今日叩きつけられる先はプールじゃなくて床だからね……受け身を取らないと大ケガするわよ」
詩織は父親の影響もあってか幼い頃から護身用の合気道を習っており、その実力はかなりのものだと広く周知されている。
分が悪いと悟ったヨハンが憎々し気な目で彼女を一瞥して踵を返すや、失神した仲間を抱えた取り巻き連中も、陳腐な捨て台詞を残して後を追うのだった。
するとホールに盛大な歓声が沸き起こり、被害者達は元より周囲で人垣を作っていた者達までもが詩織を称賛したのだが、彼女は忸怩たる思いを懐かずにはいられなかった。
(これだけの人数が力を合わせれば、あんな奴らが好き勝手に振る舞える筈がないのに……)
士官候補生でありながら事態を傍観し、仲間を庇おうともしなかった下級生達には失望を禁じ得ない。
いくら合気道の上級者だとはいえ、複数の男子と張り合うのは詩織でも恐ろしいし、できる事ならば願い下げだと言うのが偽らざる本音だ。
(それにしても、益々手に負えなくなっていくわね……いったい何に苛立っているのかしら……蓮や神鷹君にトバッチリが行かなければいいけど……)
漠然とした不安を覚えた詩織は、表情を曇らせて溜息を零すしかなかった。
◇◆◇◆◇
「今日もさくらを守ってくれてありがとう。明日もよろしくねぇ……パパおやすみなさぁ~い!」
パジャマ姿のさくらが小さな手を組み合わせて頭を僅かに垂れる。
少女の前にあるのは本棚に飾られた両親のウェディング写真だ。
そんな愛娘の姿に優しい視線を向けているクレアは、穏やかな微笑みを浮かべているであろう自分を自覚し、喜びを感じずにはいられなかった。
数日前から日に四度、写真の父親へ『おはよう』『いってきます』『ただいま』『おやすみなさい』の挨拶を欠かさなくなった愛娘。
亡き父親に対する敬意を育んで欲しいとは思っていたが、記憶に無い父親を過度に押し付けるのは教育上良くないのではと思い悩み、これまでは特に強要するような真似はしなかった。
だからこそ愛娘の突然の変貌に驚き、何があったのか尋ねたのだ……すると。
「あのね。白銀のおじちゃんが教えてくれたの!『さくらのパパはお空の上から、ずぅ~~っと見守ってくれているよ』って! だからうれしくってぇ……えへへ、お礼を言うにはどうしたらいいの? って聞いたらね。こんな風にしなさいって、おしえてくれたんだよぉ!」
喜色溢れる笑顔でそう語る愛娘をクレアは抱き締めずにはいられなかった。
ずっと懐いて来た悩みが思いもよらず解決した安堵感と、我が子が優しい子供に成長してくれているのだと知り、心地良い温もりに胸が満たされるのが分かる。
(こんな事なら、もっとたくさん写真を撮っておけば良かったな……)
過去に想いを馳せるクレアは、胸に芽生えた小さな悔恨の情に吐息を漏らしてしまう。
亡夫の悠也は周囲の人間が呆れるほどの写真嫌いだった。
本人曰く、『魂を抜かれたら、どうするのですか!』と冗談とも本気ともつかない事を宣い、恐怖心を露にして逃げ回るのが常だったのだ。
非科学的な迷信に振り回されるなんて、学術研究員として失格だと当時は随分と揶揄ったものだが、本人が嫌がるのならば仕方がないと無理強いはしなかった。
その結果、残されたウエディング写真が、亡夫がこの世に在った唯一の証になってしまったのが悔やまれてならない。
だから三Dホログラムに加工し、そのデータを保存したペンダントを御守り代わりとして愛娘に与えたのだ。
それは、少しでも亡き父親を身近に感じ、親愛の情を育めるようにとの精一杯の想いだったのだが……。
(私は悩むだけで上手な解決方法も見いだせなかったのに、白銀さんは言葉で諭すだけでこの子を導いてしまった……でも、少しは私の母親としての立場を慮ってくれてもいいんじゃないかしら?……もうっ!)
素直な称賛と少しばかりの非難が入り混じり、心の中で膨らむモヤモヤした感情が抑えられない。
身勝手な言いがかりだと分かってはいても、最近の愛娘の変貌ぶりを目の当たりにさせられては、母親として心中穏やかでいられないのも正直な想いだ。
「ママぁ~~今日も、パパにごあいさつ終わったよぉ~~!」
飛ぶような勢いで駆けて来るや、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべ甘えて来る娘を見たクレアは複雑な想いに胸中が騒めいてしまう。
少し前までは自分や祖父母、そして周囲の大人達の反応を窺い見ては無理矢理に笑顔を取り繕っていたさくら。
どんなに可愛らしいと他人が褒めてくれても、母親であるクレアにしてみれば、娘が自分の気持ちを押し隠して無理をしているのが分かるだけに、深い憐憫の情を懐かずにはいられなかった。
しかし、さくらは白銀達也という人物に出逢って劇的ともいえる変化を遂げた。
以前は遅くまで保育園に残っていたにも拘わらず、最近では早々に帰宅するので、何かあったのかと担当の保育士から連絡が入る始末。
それは言うまでもなく、夕方帰宅して来る達也を待ち受けて、少しでも長く一緒に遊んで貰いたいと切望する愛娘の想いの表れでもあった。
ティグルに出逢って以来、寸暇も手放さない執着ぶりにも、さくらの意外な一面を目の当たりにして驚かされたものだ。
(本当に心の底から嬉しい、楽しいと思っている笑顔だわ。もう、この娘ったら、どれだけ白銀さんを気に入ったのやら……)
勿論、心から感謝すべきであり、非難する謂れはないと分かってはいる……。
だが、クレアや両親までもがさくらの事で思い悩み、解決の糸口さえ掴めなかったのに、出逢って半月と経たずに愛娘の心を開き、無垢な笑顔を引き出して見せた白銀達也という人間に、彼女は感謝と同等の嫉妬を覚えずにはいられなかった。
それは自身の無力に対する失望の裏返しであるのだが……今のクレアはその醜い感情を認められずにいる。
だから、失意に打ちのめされ、自分の中で蠢くその感情に向き合う瞬間が迫っていようとは、彼女自身思いもしなかったのである。
◇◆◇◆◇
クレアが葛藤に揺れていた頃。達也は北部地区に転居してきたイェーガー夫妻の新居を訪ねていた。
フレデリックの妻であるアルエットは、ややカールがかかったセミロングのプラチナヘアーを持つ美しい女性である。
年齢的にも五十歳になったばかりだが、実年齢より十歳以上は若く見えるという評価は知人達の共通する認識だ。
だが、彼女自身は褒められるのに慣れないのか、今でも照れてしまう様な可愛らしい女性でもある。
性格は控え目で温厚篤実。
夫のフレデリックがガリュード艦隊で総参謀長を務めていたころから、艦隊勤務士官の奥方達の纏め役でもあり、特に料理の腕前には定評があった。
そんなアルエットは達也を実の息子同様に可愛がっており、一時は本気で一人娘の婿にと考えていたが、娘が早々に他の男と結婚して独立してからというもの、益々達也の無精癖を悲観しては、心配が増すばかりだとぼやくのが常だ。
「あなたは本当に結婚する気があるのかしら? 先日もアナスタシア様が嘆いておられたわよ。『あの子は折角の見合い話に見向きもしない』と仰って……」
新築祝いに託けて、久しぶりに奥方の美味い料理に舌鼓を打っていた達也は、出来上がったばかりの料理をテーブルに並べながら愚痴るアルエットに、冷や汗を流しながらも自己弁護に余念がない。
「そんな事を言われましても……この二年間で、何十回任地を転戦したと思いますか? 銀河系中をたらい回しにされている内は、結婚など考えられませんよ。一緒になる女性に負担ばかりかけてしまいますし……」
達也の言い分も分かるだけに、アルエットはそれ以上の小言を封印するや、短い溜息を吐いてキッチンへと引っ込んでしまった。
夫と達也が仕事の話があるのを察し、気を利かせて席を外したのである。
愛妻がキッチンへ姿を消したのを確認してからイェーガーが口を開いた。
「あれは心配性でしてな。娘が結婚してからというもの寂しい様で、頻りに貴方の世話を焼きたがるのですよ。まぁ大目に見てやってください」
「とんでもない。私の方こそ奥様には良くしていただくばかりで……感謝しております。結婚を否定しておる訳ではないのですが、こればかりはどうにも……」
達也の歯切れが悪くなって来た処で、これ以上イジメるのも可哀そうかと思ったイェーガーは顔つきを真剣なものに改めて口調を変えた。
「調査を依頼されていた件ですが……胡散臭いとしか言いようがありませんな」
「と、言うと?」
「真相究明の為に事件後に設置された調査委員会は、対外的な体裁を保つ為の形式的なものであった可能性が高いです。不思議な事に当時の政府も軍司令部も、早急な幕引きに躍起になって調査を等閑にした形跡があります」
「そんな馬鹿な! 仮に発表通りの不幸な遭遇戦だったとしても、調べるべき事は少なくないでしょう? しかも、あれは間違いなく待ち伏せによる殲滅戦です……誰が? いったい何の目的で? 解明するべき真実が山ほどある筈ですよ!?」
「長官の疑問は尤もですが、どうも不可解な点が多くて……政府か軍、或いはその両方に何か後ろ暗い事があって、隠匿しなければならないという思惑があるのかもしれませんが……」
「現状では、軽率な判断は避けた方がいいですね……それにしても……」
余りに情報が少なくて事件の輪郭が見えずに困惑する達也は、志保から聞きかじった話を口にした。
「地球は銀河連邦評議会に対して鬱屈した思想を有していたようなんです。だから連邦宇宙軍によるパテントの供与を拒んで、地球独自の航宙戦闘艦の開発を夢見て試験航海にまで漕ぎつけた……」
「その苦労も一瞬で、然も一方的に打ち砕かれたとすれば、失意の余り早々に事件を過去に押し流し……全てを闇に葬りたいと思うのは分からないでもありませんが……」
「そんな単純なものではないはずです。しかし、この事件で得をした者はいるのですか?」
「どうでしょうか? 統合軍上層部の主だった者は、ほぼ全員が引責による辞任を強要されておりますし。その穴埋めに昇進した者達も、事件から二年後に政権与党の座に就いた、現在の革新左派政権の強硬な軍縮方針に逆らえず辛酸を舐めさせられているのが現状でしょう。武器製造を生業にする企業連合にいたっては、事件のダメージで廃業を余儀なくされた企業が目白押しですしね……」
「得をしたのは、政権を奪取した野党の政治家だけですか……如何に空想が大好きお天気頭の左派とはいえ、太陽系内の安全保障を崖っぷちに追いやるような博打を打つとも思えないし……」
漠然とした意見に終始して核心を絞れない二人は、その後、角度を変えて情報を精査してみたが結果は芳しくはなかった。
「仕方がありませんな。この件はヒルデガルド殿下からの報告を待って再検討するしかないでしょう」
彼の提案に頷きながらも、達也は得体の知れない存在に少なからず恐怖を覚えるのだった。




