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※この章では残酷な表現が使われています。苦手な方は回避してください。
火柱があちこちで上がる。音もなく、光もなく。ただ、人体の一部分(頭が多かった)が瞬間的に赤くなると、それは内側からめくれるように火を噴く。それは人だけでなく建物も植物もお構いなしだった。
ぼくの目の前で原住民の兵隊の帽子が赤くなったと思ったら頭ごと火を噴いた。その男は叫ぶこともしなかった。ただ頭が燃えるとポンと音立てて紅い飛沫をまき散らした。まるでインパチェンスの種が弾けるみたいに吹き飛んだんだ。
何かに似ていると思って思い当った。虫眼鏡で紙を焼く時にそっくりだった。みんな次々と赤くなり、ざわっと火が点くとあっという間に燃え始める。
石とレンガ作りなのに建物が松明みたいに燃え、立木が燃えながら倒れる。止まっていた人を運ぶトラックの幌が赤くなると、次の瞬間にはトラックはメラメラ燃え始めた。ぼくが顔を背けるのとトラックが吹き飛ぶのは同時だった。吹き飛んだ残骸が宙を飛び、それが倉庫のシュロ葺屋根に当たるとこれも燃え出した。別の固まりは頭を抱えて伏せていた兵隊の上にドシンと落ち、炎の中へしみ出す血だまりが黒く見えた。
兵隊たちは逃げ惑い、助けを求め、叫びまわっている。もう、ベオウルフや地上兵の区別も分からない。誰も彼もが犠牲者だった。
目に見える範囲が炎に包まれ出すと、ぼくにもこれの正体が分かって来た。あの「天罰の穴」、ビリャビセンシオの街を滅ぼした「緋色の雷」に違いない。ベオウルフは政府側のはずなのに何故同志討ちするのかは分からない。ひょっとするとこれはグリーン側の「緋色の雷」かも知れない。
でも、ぼくにはどっちでもよかった。こんな地獄の光景が展開して、けれどもぼくはそれをただ見ているだけだった。壁に寄り掛かって細いスリットの窓から見ていた。人がどんどん目の前で死んでいるのに何も感じない。その時の気持ちなんか今では表現出来ない。
もちろんぼくだって危なかった。炎が空高く舞って「緋色の雷」の攻撃を逃れていた建物や乗り物にも引火する。爆発は次の火事を引き起こし、もう、火を消そうとする人もいない。みんな頭を押さえ逃げまどい、十字を何度も切って一心に祈る人もいる。でもそれは滑稽だ。天には神なんかいない。いるのは無慈悲な同じ人間の監視者なんだ。
「ばかだな、ほら、言わんこっちゃないや」
ぼくはひざまづいて祈っていた兵隊が炎に包まれ吹き飛ぶのを見て呟いた。
「祈ったって無駄なんだよ」
ぼくはもうここから逃げ出せないことを知っていた。
ぼくらが放り込まれたここは、旧時代からあったと思われるもので古くてぶ厚いコンクリートの建物だった。こいつは方々のジャングルや廃墟でも時折見られ、サンマルティンでぼくらが「緑の巨人」と呼んでいたものと同じだった。
それは噴水のある中庭にあって、同じ形の建物がもうひとつ、反対側の端にこちらと向き合う形で建っているのが見える。元々カズラに覆われていたのが今はそのカズラに火が回って燃えている。ぼくのいるここもものすごい暑さだった。まるで溶鉱炉の隣に寝ているみたいに。ここも反対側の建物と同じで炎にあおられているんだ。
炎の熱気は耐えがたくなって、ぼくの髪の毛がチリチリ焼ける臭いがして、皮膚もあぶられてヒリヒリし出したけれど、怖くはなかった。ぼくは痛みをこらえて歩き出した。歩いてみると案外痛くもなく歩けた。それは痛みというよりしびれだった。鉄の扉は焼けて鈍い赤になっていた。それはぼくの肌を焼いたけど、気にしなかった。ぼくは灼熱の中庭に出て行った。
あのユットナーという悪魔野郎がぼくをこんな風にしたんだ。痛みとも友達になれるなんて半年前のぼくに言ったら腹を抱えて笑ったことだろう。でも今、ぼくの友達はしびれと痛みだけだった。ユットナーがしつこく殴った顔は腫れ上がっていて、目がほとんど塞がれちゃっているけれど、あいつは目だけはやらなかったからなんとか周りは見えている。あいつが楽しみながら二度三度と折った両腕は、ギブスもしていないからぶらんと垂れ下がったままだ。その先に付いているはずの指は全て感覚がない。それは幸せなことだ。指の感覚が戻ったらすごく痛い友情でぼくを包み込むはずだから。
どんどん、どんどん人が死んで、ベオウルフや地上兵もほとんど燃えてしまい、残ったのは運のよい(それは数分単位で寿命が長いだけなのかも知れないけれど)数名だった。
もう、天も地も区別なんかなくなって、みんな寄り集まって吹き飛んだトラックの残骸の陰にいる。こんなことになったら上も下もなくなって同じ人間になるんだ。少しでも寄り集まって、自分が犠牲とならないように祈るんだ。まるでサバンナのシマウマみたいに。ははは、ばっかだな、シマウマなんか見たことないのに、ぼくは何を言っているんだろう。
ぼくは、まだまだ猛威を振るっている「緋色の雷」が引き起こす惨劇を眺めながら、歩いた。歩いて、歩いて、歩き続けた。確か大昔のダンテとか言う人が書いた本に、地獄を見学する人間のことが書いてあるって習ったけれど、ぼくはそれを本当にやっているんだ。
もう、隠れたって仕方がなかった。痛みはしびれになって、周囲は灼熱の地獄なのに体が冷えて来たような気がする。血のめぐりが悪くなっているんだろうか、出血はそんなにしていないのにさ。全身がだるくて重くて、時折痺れの向こうから痛みが覗いて、やっぱり痛くて、痛さはどんなに我慢して忘れようとしても、それに成功しかかったら再び襲って来る。全く、本当にまったく意地悪で、それで、それで……きっとぼくも死にかけているんだろう。だからもう、どうでもよかった。どう、でも、いい、や。どうでも。
ふと、気付くと、ぼくはペタンと尻もちをついた直後のように、ティディベアみたいに赤ん坊座りをして、ぼけっと炎を眺めていた。もう、わめいたり騒いだり泣き叫ぶ人間もいなくなった。みんな死んだか、ぼくみたいに死にかけている。このパストの街の真ん中で死にかけている。
この場所は街の人にとって、あの「天罰の穴」のように怖れ忌み嫌われる場所になるんだろうか。そんなことを考えていると、ああ、まだ生きて二本足で歩く人間がいた。それは炎を背景に、だんだん、だんだん姿が大きく見えて来る。二人、いや三、四、五人、こちらにやって来ているのが分かった。ぼくが座ったままその姿を見ているうちに、その格好がはっきりする。おや、あれは……
体の線がはっきりするボディスーツ。ベオウルフでも配下の地上兵でもない本物の監視者の格好だ。ぼくを見つけたのか、早足でぼくの前に来て、見下ろした。
「マレイ君だね」
男はぼくが不思議そうに見ている前でヘルメットを脱いだ。一体となったゴーグルが外れると緑色の目が現れる。深いしわの奥で細く輝いているその目を見ると、エメラルドグリーンだったエミリーの目を思わずにいられない。
男は倒れたぼくの脇で膝を折ると、ぼくの顔をのぞき込むようにする。男の顔がぼくの上に来てよく見えるようになると、その目がぼくを見据えてこう言った。
「すまなかった」
男が目をそらし、俯く。
「君らには申し訳のないことをした」
ポツンと何かが顔に落ちて来る。
ポツン。ポツン。
「こんなことはしたくはない。だが、自分たちが始めた間違いは自分たちできれいさっぱり終わりにしなくてはならなかったんだ」
そこで男はゆっくりとボディスーツに付いた雑嚢を開くとT字型の白い器具を取り出す。確かめて封印を破るとT字の縦棒を握って横棒をぼくの左肩に当てる。
「少しだけ痛いが、すぐに楽になる」
それを聞いてぼくは溜息を吐く。ああ、きっとこれは安楽死させる薬だ。それをぼくに天の注射器で注射しようというんだ。これでぼくもベンとエミリーの後を追える。また一緒に旅が出来るかも知れないな。その時、男の横からぼくの顔を覗く顔が、あれは、覚えのある顔で……ああ、そうか。
「ああ、ギレさん」
直後、男が器具をぼくの肩に押しつける。次の瞬間、ぼくはあまりの痛さに、ユットナーの拷問と同じくらいかそれ以上の痛みに悲鳴を上げていた。
「う、そつき」
世界が一気に暗転した。




