31
ぼくらはパストの旧市街にある石造りの高い塀に囲まれた城塞のような一続きの建物に連行された。建物は白く明るい照明に照らされていて、それは黒く沈んだ色をしている建物の陰気さを必死で薄めようとしている無駄な努力みたいに思えた。先に連れて行かれたエミリーが中庭の噴水の前にある石のベンチに腰掛けているのが見える。噴水の前にはぼくらを連行して来た兵隊が整列していて、その横ではリーダーの男がベオウルフの男数人と立ち話をしている。
ぼくらがその前を通り過ぎる時、エミリーがこちらを見た。ぼくは元気付けるように笑顔で頷いて見せたけれど、彼女は微笑んでぼくらが連れて行かれるのを見ているだけの様子だった。
ベオウルフの若い士官は背の高い男で、金髪と灰色の入った青い目がとても目立った。ベオウルフを名乗る人間を見たのは初めてだったので、マスクも防護服もない姿は意外だった。彼らも監視者なら地上のウイルスや雑菌対策のため、あの妙な服装が必要なはずなのに。
尋問の小部屋に三人だけ残されると、男は静かに言う。
「座りなさい」
暴力的な対応を予想していたぼくは、またも裏切られた。ぼくはベンを横目で見て、彼が動かないのでぼくも立ったままでいた。すると士官は、
「君らが座らないとわたしも立ったまま話をしないといけないのだが」
「立ったまま話ちゃいけないんですか?」
ベンがいきなり言うからぼくは飛び跳ねそうに驚いた。あまり刺激しない方がいいのに、ベンはとても攻撃的になっている。
「座って友好的に話を聞こうと思ったのだが」
士官はそう言うとしばらくベンの顔を見つめる。ベンも負けじと見つめ返すからぼくの心臓はますます跳ね上がって行った。
長いにらみ合いの後、ようやく士官が話し出す。
「君らはどこから来たのだ?」
ぼくは前を向いて口をつぐんでいた。ベンは変わらず士官をにらんだまま。
「名前は?」
間。
「年齢は?」
間。
「あの女性とどこで知り合ったのだ?」
間。
士官はやれやれと首を振り、
「脅すつもりはないが、君らがその調子だと、こちらも考えなくてはならない。ちなみに、今の質問は別に答える必要のないものだ。そのくらいはこちらも承知している」
そう言うと、ベンに対して、
「ベントゥーラ・デ・ガンテ。十六歳。コロンビア地区セクターセントラル、ボゴタ市生まれ、現在は同じく東海岸、サンマルティン居住」
そしてぼくに。
「マレイ・ソトマイヨール。十六歳。コロンビア地区セクターセントラル、ボゴタ市生まれ、現在は同じく東海岸、サンマルティン居住」
もう一度ベンに。
「二人はボゴタの襲撃の際、かねてからカリ市より潜入し居住していた工作員と一緒に脱出、六日後セクターセントラル、ラマルにてエミリー・ブランドンなる女性と遭遇、同行していたカリの工作員を卒倒させ三人で逃亡する」
ぼくは思いを表情に出すまいと必死だった。ベンは、といえばそれを怒りに紛らわせているように見える。
「無駄なことだ。我々はそういうことに長けている」
そういうことがなにを示しているのか、ぼくらにじっくり想像させているんだろう、士官はたっぷり一分は黙った後で、
「全て話す気にはならないか?」
そして付け加える。
「痛い思いをする前に」
するとベンが牙をむく。
「話しても話さなくても痛い思いをさせるんだろ?」
そしてこっちも間をおいてから、
「そしてどっちにしても殺すんだろ?」
ぼくはベンの肝っ玉に驚いていた。とてもぼくなんか適わない強さだった。そして密かに決心する。よし、出来るだけベンについて行こう。ベンの足を引っ張ったり、エミリーを窮地に追い込むような情報は与えなかろう。
「そんなことにはならないよ、ベン」
士官は優しく言う。
「君は頭がいい。だから忠告しておこう。最初から痛めつけてさっさと情報を得て、後は殺してしまえ、という意見もあることは間違いない。君はこういうことも知っているかもしれないな。私がアメで別にムチがいることも、ね。私が取りなせば事は簡単に収まるし君たちも痛めつけられることはない。約束しよう。協力すれば村に返す。君らだけでない。ボゴタの施政者に命じて村人も返そう。君らは元通りの生活に戻ることが出来る。そう取りなすよう謀ったのは君たちだ、と村人にも伝えよう。そうなれば君たちは英雄だ。村人に感謝され将来も安泰だ。どうだね?」
表情に浮かびませんように。悪魔の誘惑に負けませんように。ぼくは神様に祈っていた。ぼくらにその誘惑が浸透するようにまたしても長い間をあけた後。
「最後に言っておくが、君らの態度如何でエミリーの運命が決まることになる。君らから情報を得られないのであれば、彼女から得るしかない。彼女はグリーンのフィールドワーカーと知れている。だから我々の最大の敵でもある。私は反対だが、仲間にはいたぶって殺したいと考える手合いもいるし、それを実行する権力を持つ方もいる。時間は限られている。君たちの持っている情報を早く言ってもらえないか?」
士官はぼくらの顔を交互に見て、
「少しだけ時間を与えよう。ちょうど食事の時間だしな。三十分間だ。食事の後、答えを聞こう」
そう言うなり、さっと回れ右をしてドアを開け、あっという間に部屋から姿を消した。
ぼくが深いため息を吐いた時、カチャっとドアが開き、男が五人入って来た。ぼくは身構えると同時に驚きで息が詰まった。
「フリオ……」
あのフリオ、カリのスパイのフリオが目の前にいる。本名なんか忘れてしまったけれど、ぼくらを交互に見て、苦笑いを浮かべている。
「食事をご用意いたしました、ご主人さま」
おどけて手を下げ、召使いの仕草をした後で、
「そうさ、フリオさんだよ、挨拶なしで別れたんだっけな坊主ども」
そしてベンに、
「まあ、やってくれたもんだな。お陰でおれはカリで笑い者だ。手柄があっという間に致命的な失敗だからな」
そう言うと、今度はそら恐ろしい表情を浮かべ、低い声で言う。
「ベオウルフがお前らをどうしようが知ったこっちゃないが、もしお前らが彼らに協力しないなら、尋問の後でお前らのことはおれが自由にしていいと言われている。その辺をよーく考えることだな。と、その前に」
フリオはベンに歩み寄るといきなりヒザ蹴りをベンの鳩尾めがけて振るう。他の男二人に挟まれていたベンは逃げることも出来ず、まともに蹴りを食らった。ベンは腹を抱えて崩れ落ち、少し吐いた。けれど、すぐに顔を上げ、涙目をこらえ、フリオをにらんだ。
「おっと、食事の前に粗相はいかんな」
フリオは楽しげに言うと、低い声で、
「こいつはあの木の枝の分だ。いいか、こんなもんでは済まないからな」
そう言うなり、裏拳でぼくの頬を殴る。ベンの心配で気をそらしていたぼくもそれをまともに食らって、床にひざを突いた。口の中に血の味が広がって、痛みで開いた口元からたらりと血が滴る。
「じゃあな。せいぜい抵抗しろよ。死なない程度にな」
フリオはそう言うと、笑いながらドアを出て行った。
残された四人の兵隊のうち、フリオの暴力を手伝わなかった一人が、手にしていたトレイを机の上に置く。
「飯だ」
その兵隊はそういうと、他の三人と一緒にさっさとドアを出て、再びガチャンと閉じた。
ぼくは立ち上がって盆を取りに行く。ひしゃげた銀色の四角い盆にそれぞれトウモロコシパンが一切れと同じ銀色の器にスープが入っている。たったそれだけで、いかにも囚人の食事だった。
ぼくはそれを持ち上げて運び、ベンの前にひとつ置いた。けれどベンはそれも見ずにずっと壁を見つめていた。
「なんか、薬とか入っているかな」
ぼくはベンに言ったけれど、ベンは、
「そんな面倒なことはしないだろうよ」
「食べてみるね」
スプーンはないから、器に口を付けてごくりと飲んでみる。意外とおいしかったから、一日何も食べていなかったぼくはごくごくと一気に飲んでしまった。
「おいしいよ、ベン」
ぼくはトウモロコシパンを食べながら言ったけれど、
「食べる気になんないよ」
「食べなよ。元気をつけないと」
「じゃあ、お前が食えよ」
ベンは不機嫌に言う。こういうところはベンのいけないところだと思う。こんな時こそしっかり備えておかなくてはならないのに。
「腹が減ってたらもしもの時に力が出ないよ」
「知るかよ」
「ねえ、ベン」
「うるさい!」
ぼくはちょっと頭にきて、さめたスープの器を座るベンの目の前に置き直す。
「食べろ、ベン」
「しつこいぞ!」
ベンはスープの器を払う。カラカランと音を立てて器が転がって中味が全部床にこぼれてしまった。
「ベン!」
ぼくは思わずベンの胸倉をつかんだ。こんなことは普段絶対にしない。やっぱり異常時だったんだなと思う。ぼくは色々なものに怒っていたし焦れてもいた。ベンにぶつけたって仕方がないのは分かっていたけれど、思わずそんな行動をとってしまったんだ。
ベンはぼくに殴りかかるかな、などと頭の片隅に思ったけれど、意外にもベンは引きずられた格好のままぼくを見上げているだけだった。
「離せよ」
全く普段の声でぽつりと言う。ぼくは慌てて離し、
「ごめん、ベン!」
「いや、いいんだ」
元気なく視線を落とした。ぼくは自分の行動とベンの様子で動揺してしまい、立ったままおろおろとしていた。
そして、ぼくがどうしていいか、何を話せばいいか迷っていると、ガチャリとドアが開いて看守の兵隊が覗く。
「ケンカはやめろ!」
じろりとにらむと、再びドアが閉じる。
ぼくはもう食べる気になれず、後は二人して時間が過ぎるのを待っているだけだった。
三十分後、といっても時計もなかったから士官が時間を厳守したと信じただけだけれど、若い士官は戻って来た。
「さあ、話す気になったか?」
ぼくもベンも押し黙ったまま、じっと士官の肩越しに壁を見ていた。
士官は肩をすくめた。そしてため息をひとつ吐くと、
「残念だ」
そのままドアを開けて出て行く。入れ替わりに兵隊が二名入って来て、
「おい、お前だ」
ベンを指差し、
「ついてこい!」
ベンはちらっとぼくを見ると。
「がんばれよ」
ぼくは胸が痛くなった。ひょっとするとこれで二度と会えなくなるのかも知れない。
「ベンも」
それしか言えなかった。
「こら!話すな!」
兵隊の一人がぼくを小突いて、ベンの腕を引っ張る。
「こい!」
そしてベンは二人の兵隊に引っ張られ、出て行った。




