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 すっかり夜が明けて、空は真っ青に晴れ上がっている。空気は湿っていたけれど昨晩過ごした不気味なオリジン・ガンマの森よりずっと過ごしやすく、風が穏やかに吹いていて気持ちのよい一日の始まりだった。

 だが、ぼくらの状況は天気と全く正反対で、土砂降りのスコールよりもずっと惨めだった。

 肌の色が真っ黒な男たちはぼくらを取り囲むと、まずはエミリーを引き離した。ぼくは男たちの興奮した様子から、エミリーが乱暴されそうになったら死ぬ気で戦って彼女を逃がそうと覚悟を決めたけれど、そんなことにはならず、男たちのリーダーらしき男(先ほど訛のある言葉で逃げるなと警告した男だ)が、びっくりするほど紳士的にエミリーを誘導し、河岸の先で待っていた一頭立ての二輪馬車に乗せ、自分も向かいの席に乗り込んだ。エミリーはまだ混乱していて素直に従っていたから、ぼくは逆に少し安心する。

 ぼくらの方は、穂先に毒を塗った槍や使い古して銃床が黒ずんだライフル銃を構えた十数人の兵隊に小突かれながら、馬車の後ろを歩かされる。ベンとぼくは数珠つなぎにロープで腰と両手を縛られていたから、転ばないよう注意しながら歩くしかなかった。


 最初はジャングルの中を走るでこぼこ道で、ぼくらの前を行く馬車がゆっくり歩く速度で進んだからまだよかった。けれど、道が一キロほど先で河の一つにぶつかると、馬車を渡し舟のイカダに乗せなくてはならず、その作業にぼくらも手伝わされた。けれどぼくらはロープで結ばれたままだったので小突かれながら、汗だくになりながらの大変な作業になった。

 そんな幅が五十メートルほどの河の向こうは再び無舗装の道で、次第にぬかるみが多くなって馬車が何度も泥にはまり、その都度エミリーたちが降りてぼくらと兵隊が車輪をほじくり出す、そんな場面も繰り返された。

 そしてその先が再び河。そして渡しのイカダ舟と同じ作業が何度も繰り返された。道が陥没して穴だらけの場所では、馬を外して馬車を担いで行かなくてはならなかった。それも当然のようにぼくたちに車軸の重い部分が任され、その時も彼らはロープを外してくれなかったから、ぼくはロープを足に絡ませて転び、危うく馬車の下敷きにされそうにもなった。

 そんな具合だったから、昼時に広い道路に着き、そこに無蓋のトラックが二台待っていたのを見ると、ぼくは思わず兵隊たちと一緒に歓声を上げてしまい、ベンにすごい顔でにらまれた。

 でも、それもぬか喜びというやつだった。兵隊たちに囲まれ、ぎゅうぎゅう詰めに荷台へ押し込まれると、幌もないトラックの荷台はアサード(焼き肉)の鉄板そのもので、兵隊たちもぼくたちも尻を炙られるのを嫌いみんな最初は座ることを拒否した。その辺りの雑草を刈って集め、ワラ布団のようにして荷台に敷くと、ようやく皆座れるようになり、ワイワイガヤガヤ騒々しい一団はやっと出発した。

 トラック自体も、まるで数世紀前の乗り物が化けて出たようなもので、燃料は貴重な本物のガソリンでも液化石炭でもメタンガスでもなく、単なる薪。蒸気自動車だった。サンマルティンがいくら田舎でも、ぼくらは蒸気自動車なんか見たことはなかったから、ぼくもベンも最初はもの珍しく、薪を燃やす様子を眺めていた。そんな力のないエンジンを積んだトラックに定員の倍くらい人が乗っているから、ノロノロとしか進まない。元々燃料の薪を積んでいるからただでさえ重たいんだ。しかも蒸気だから水も補給しなくちゃならない。おまけに普通の車と違って排気管じゃなくて煙突まで付いている。こいつが灰色のむせる煙を荷台に振りまくからたまったものじゃなかった。この自動車を作った人は運転席の前にエンジンを積んで煙突を立てたら、運転手やエンジンに薪をくべる助手含め乗っている人間全員が迷惑することを考えたんだろうか?

 こんな具合だからトラックは五、六キロ走っては何かの原因で止まり、それを解決するのがひと騒動だった。水を補給するのも、薪を積み込むのも大騒ぎで、薪なんか最初から用意して道端に貯蔵する小屋でも建てておけばいいのに、その場で作ろうとするから、兵隊たちが一斉にジャングルに入って考えなしに木を切ってくる。それは当然生木だから煙たいばかりで燃えないし、エンジンも力不足で働かない。慌てて乾いた枯れ木を集めたりして時間ばかりがどんどん過ぎて行った。けれどさすがに逃亡の危険が大きいこの作業はぼくらに手伝わせるわけに行かず、見張りを一人置いて、エミリーも一緒に縛られて一ヶ所に座っているように言われた。

 ぼくらはこんな調子の彼らを見ているうちに緊張感が薄れて行き、間が抜けているけれど陽気で騒々しい彼らにだんだん親近感が湧いて来た。

 ぼくらを見張っているのがこれまた随分と歳を取った親父さんで、ライフル銃を持っているけど構えもしないで杖代わりにしている。もしもぼくとベンが手と腰を縛っているロープを切ってしまったら、全く敵じゃなくなりそうな感じだった。けれどさすがに堂々とロープを石に当ててこすったり、歯で少しずつ削ったりは出来なかった。一度ベンが汗を拭う振りをしてロープの結び目に歯を当てたらすごい剣幕でまくし立て、ライフルを振り上げて撃つのではなく棍棒みたいに殴ろうとするから必死で謝ったりした。ぼくらはおとなしく親父さんが口ずさむ旧時代のボサノバに耳を傾けていたんだ。


 そんなドタバタ劇も夕方になるとゴールが近付いて来る。ジャングルがどんどん後退していって草原となり、見晴らしがよくなってくると遠くに街が見えて来る。西日を浴びてオレンジに輝く屋根や白い建物、尖塔が見えるのは教会だろう。

 ぼくは何度かあの親父さんや他の兵隊たちに話しかけてみたけれど、その度に小突かれて「しゃべるな」とやられたからしばらく黙っていた。でも、街の姿がどんどん大きく見え、その規模がボゴタほどではないけれどサンマルティンの数倍はあると分かると黙っていられなくなった。

「すみません、あの街は何という街ですか?」

 ぼくの隣にいた兵隊は、車の煙に散々悪態を吐き続けていた中年だった。その親父さんは街が見えてほっとしたんだろう、ちらっとぼくの顔を見ると、

「パストだ」

 そう言っただけでぷいっと顔を背けた。


 パストはボゴタやカリのような上級市には及ばないけれど、人口が五千人くらいになる大きな街だった。カリより南で一番大きな街で、コロンビア全体でも一番南にある街だった。ここまで来るともう少しでエクアドル地方で、その中心地キトはホーナー・ウォーの時、カリと死闘を繰り広げた有力な上級市だった。こういったことは学校で習ったし、あのラ・マルタのギャラガー市長と話したときにも出て来たけれど、ぼくにとってはもう一つ関心のあることがあった。

 それまではジャングルの見通しの悪いところばかり歩き続けていたから、それが見えることはなかったし、ラ・マルタの時は自分たちの心配とジップライナーの爽快感ですっかり忘れていた。

 そう、光の糸のことだ。

 街の門が見え出した頃、薪を使い果たしたトラックが動かなくなり、ぼくらは徒歩で最後の一キロを歩いた。ぼくは影の方向と傾く太陽を見て南側を知り、そちらの空に目を凝らす。雲一つない一日だったから空は高く見えた

 そして、予想通り西日を浴びたそれが目に付いた。

「ああ、光の糸だ……」

 その声に、後ろを歩くベンが、

「何だって?」

「ベン、あれだよ、あそこ。空から真っ直ぐ降りてきて光っている線」

「ああ、あれが」

 すると兵隊がライフルの銃口で突いて「話すな!」と怒鳴ったから後は二人して黙ったまま糸を見ながら歩いた。

 オレンジ色のグラデーション。すうっと明るくなるとまた消えかかる。そしてそれが空高く吸い込まれていくように見える。ずっと昔、父さんとあれを見たのはもっと東でもっと北にあるパウヒルの港。ここはもっと近いからそれははっきりと見えていて、空への昇り方もずっと急で、ずっと高く見えていた。

「エミリーは、あれを下って来たんだな」

 ぼくは独り言を言って目でエミリーを追った。ぼくらのずっと前で、あのリーダーの男と並んで歩いている。トラックに乗ってから、ぼくらとは別のトラックの助手席に座らされていたエミリー。連中が薪を探している間だけ一緒になったけれど、話しかければ年寄りの兵隊が怒ったし、ガンマの前にいた時ほどではないけれど、状況に対して反応が鈍かったからぼくは心配だった。今も後ろ姿に力がなく、背中も丸くなってとぼとぼ歩いて行く。エミリーを見ているうちに、光の糸と再会した感動も、のんびりとした連行の旅の気楽さもしぼんでしまう。ちょうど街の入り口が見えていて、その石造りの壁とアーチが太陽の最後の輝きを写しているのが見えた。その濃いオレンジが本物の赤に近付くとそれはアーチの影の黒と対比になって、何か恐ろしい怪物が潜む洞窟の入り口みたいに見えていた。それはこれから起きることの暗示に思え、ぼくは再び緊張に体が固くなってくのを感じた。

 すると、ぼくの不安に応えるかのように、アーチからぞろぞろと人が出て来る。最初は二列になった男たちで、それは全くぼくらを捕まえ連行して来た兵隊と似たり寄ったりの連中だった。でも、その後ろから出て来た数人は全く違う連中だった。ここからでもきちんと仕立てたモールの付いた軍隊の制服とテカテカと光るブーツをはいているのが分かる。それは学校の本にある二百年くらい前の軍隊が着ていた服によく似ていた。日が沈み、急に青みを帯びてきた風景の中で、男たちの派手な格好はひどく目立っていた。

「おお、なんだか偉そうな連中がいるな」

「おい!黙れ!」

 ベンが皮肉っぽく言い、兵隊が黙らせる。けれど、その兵隊は明らかに震えていてアーチの下に出迎えるその連中の方を見ようとしない。ちょうどエミリーとあのリーダーが出迎えを受けるところで、ここからだと友好的に挨拶しているようにも見えた。そしてエミリーとリーダーが制服の男たちと一緒にアーチの中へ消えた後。

 一人だけ残った制服の男がこちらへ歩いて来た。ぼくらもアーチまですぐのところまで来ていたから、男は少しだけ歩けばよかった。

「そこで止まれ」

 男が言うと、ぼくら二人を囲んで歩いていた兵隊がさっと背を伸ばし、誰かが小声で掛けた「ウノ・ドス・トレス!」の合図で足並みそろえて止まり、全員同時に気を付けをする。それは今までの彼らの態度がうそのようにきちんとしていた。

 男は気を付けをする兵隊たちにさっと敬礼すると、ぼくとベンの前に来る。

「君たちがあの女性の護衛役か?」

 ぼくはさっとベンに視線を流したけれど、ベンは口元をゆがめて男を眺めていてぼくの方を見なかった。

「君たちはあの女性と一緒にジャングルを逃げたんだね?」

 ベンは口を閉じたまま、男を眺めている。よし決めた。ぼくも出来る限り無言でいよう。

 男はそんなぼくらの抵抗に遭うと、ひょいと肩をすくめた。若い男はどう見てもこの辺りの人間にみえない。その第一印象は当たっていて、その正体はすぐに男の口から明らかになった。

「まあ、この後、本部で語り合うとしよう。わたしは宇宙地上打撃軍・地球派遣特殊任務地上作戦チームの大尉だ。敵対する者味方問わずベオウルフとあだ名される部隊の士官と言うことになる」



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