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 ハチドリは黒い体を宙に固定してこちらを見ている。河や夜空を背景に目を凝らすと、その黒い姿が浮かび上がって来た。ぼくらが動くとその首も動いて、常にこちらを向いている形になる。そいつは数える気が失せるほどたくさんいた。


 ぼくはそいつを見ながら後悔に苦しめられていた。あいつをフリオの作業場の屋根で見た後、ぼくはそのことを誰にも言わなかった。ルックにせがまれ何度もエミリーを屋根から見た話をしたのに、なぜかその部分を話さなかった。心のどこかで、あれは本物のハチドリだったのでは、とか、夢を見ていたのでは、とか思っていて、ルックやベンに話してもお化けを見たんじゃないかと馬鹿にされるだろうと恐れていた。それにエミリーの姿を伝えるのに一生懸命になっていて省いていたんだ。

 この旅の最中でも、あいらはぼくらを尾行していたんじゃないか、とも思う。真っ黒で小さいから、離れたところからなら目立たないし気付くわけがない。

 では、一体あれは敵なのか味方なのか?

 敵なら、ぼくらをつけ回し、本部みたいなところへぼくらの行動を報告し、最終的に襲うチャンスをうかがっていたことになる。味方なら、ガンマが話した「予定通り」にエミリーが行動するか監視していたんだろう。

 でも、この状態ではあちらが知らせてくれない限り敵なのか味方なのか知りようがない。エミリーは変わらずぼうっとして反応がないから、ハチドリのことを聞きようがない。分からないから、あれは敵だと思って行動しなくてはならなくなった。ぼくは自分の間抜けさ加減に打ちのめされてもいたんだ。


「どうする、ベン」

 ボートの周りは羽音がうるさいそいつらで一杯だった。フリオの作業場では攻撃されなかったけれど、今は油断して近付けば襲って来そうな気がしてならない。

「どうするも何も」

 ベンはぼくの耳元で、

「先へ行かなくちゃならないだろ?」

「どうやる?」

「もう見られているんだ。どうするもこうするもないよ、マレイ」

 ベンはそう言うと、ぼくらの後ろで突っ立ったままでいたエミリーを引き寄せ、左肩を彼女の右肩に入れる。

「マレイ、そっちを頼む」

 ぼくは頷いて、エミリーの左肩に右肩を入れた。エミリーはあらがうことなくされるがままに肩を担がれる形になった。

 こうしてエミリーの体に触れたのは、握手をしてから後、ジャングルの坂で何回か手を貸して以来だったし、女の子とこんなにべったり触れ合う経験も、一年前に交換市で酔っぱらって、どこかの上級市から来たというきれいな娘とキスした時以来だった。こんな危機の時でも腕に感じる彼女の温もりと胸のふくらみにどぎまぎする自分がいて、ぼくは自分を殴り付けてやりたい気分だった。

「いくぞ、マレイ」

 ベンは覚悟を決めて歩き始め、ぼくはそれに合わせるよう、よろけないように集中することで鳥の恐怖を薄めようとした。

 もし、あいつらが何か武器を持っていたら。あの尖ったくちばしでぼくらを突いたら。途中のジャングルで見たコバルト色の蝶の大群の時に怖かった、集団で襲われるという予感。そしてあれは小型カメラを積んでいて、ぼくらの姿をどこかで見ている人間に送信しているだろう、という確信。

「足下に気を付けて、そら、ウノ、ドス、ウノ、ドス」

 ぼくの体の震えを感じたのかも知れないベンが掛け声でぼくらの行進を指揮する。

「ウノ、ドス、ウノ、ドス」

「ウノ、ドス、ウノ、ドス」

 ぼくも小声で調子を取り、ぼくらは素直に足を運ぶエミリーを間に、足並みを揃えてボートに向かった。ぼくはこんな時に三人一緒の仲間意識を強く感じていた。そこへベンの声が掛かる。

「ウノ、ドス、トレス、で止まろう、ウノ、ドス、トレス」

 エミリーだけ一歩先に行った形で止まる。エミリーからそっと肩を抜くと、彼女はその位置で立ったまま、定まらない視線を河の方に向けた。

 たちまちブーンと言う音がしてハチドリが寄って来る。恐ろしいススメバチを連想させる行動だ。やつらも人の目の前に来て襲うかどうか考えるみたいだけれど、こいつもぼくの前で空中停止してこちらを見ている。間近に見たのはこれが初めてだった。本物のハチドリより少し大きく、羽音が機械的に聞こえるだけで後は姿形はそっくりだ。けれど色は全く違う。真っ黒で光沢もない。でも本物と同じでくちばしの根本の上にポツリと付いている目には光沢があって、光もないのに何かを反射するように光っていた。

「構うな、マレイ。エミリーを乗せてボートを押すんだ」

 はっとするとベンがもやいを解いているところで、彼の左右にもお供のようにハチドリが付いていたけれど、ベンは全く無視している様子だった。

「エミリー。分かるか?乗るよ」

 ベンが言うけれど、エミリーは反応がない。仕方なく再びぼくと二人で彼女を担ぐようにしてボートに乗せた。抵抗しないことだけが安心材料だった。

 ベンは船尾でエンジンを突いている。

「分かる?」

「なんとかなりそうだ」

 ぼくの問いに答えると、スターターの紐を思い切り引いた。

 ブオーン、ドッドッド。

 エンジンが一発で掛かり、

「出すぞ!」

 グオーン。

 快調なエンジンの音と共にボートは河の中に向かう。ハチドリの群れはそのままボートの周りを飛びながら付いて来た。

「こいつら、攻撃は出来ないのかな?」

 ぼくはエンジンの音に負けまいと声を張る。

「分からないさ。今だけ大人しいのかもな」

 まるで他人事のようにベンが言う。表情は険しいままだったけれど、こうしてエンジンと舵取りの仕事が出来たから、ガンマを撃った時のような破裂しそうな爆弾みたいな怖さはなくなっていた。

「放っておくしかないね。こっちが手を出さない限りついて来るだけみたいだから」

 またベンがいきなりハチドリを撃って、逆にこいつらに突かれるんじゃないかと考えたぼくは先手を打った。

「そうだな。分かったから前を見て、水をかい出していてくれよ、マレイ。しばらく川上へ向かおう」

 ぼくはほっとして笑い、ベンに手を振るとエミリーがちゃんと座っていることを確認し、辛いバケツの作業を開始した。ハチドリはそんなぼくらを追い、監視し続けていた。


 河は右に左に蛇行していたけれど、既に空が朝の濃い灰色に変わって来たから岸や障害物は見えた。三十分でぼくはベンと交代し、エンジンを受け持つ。それをもう一度繰り返して、ぼくがバケツに戻った時。


 それはいきなり始まった。

 

 プシュ。プシュ。

 突然圧縮空気が抜ける音がする。ぼくがびっくりして音のする辺りに走るとボートの側面に穴が二つ開いていた。シューという音と共にたちまち空気が抜けて行く。この手のボートは二重構造のはずで、外側のゴムが破れても内側で水に浮かんでられるはず。けれどこの時は内側まで穴が開いて、空気はどんどん外に出てゴムの船体がふにゃふにゃになって来た。

「ベン!」

「分かってる!岸に付けるからエミリーを頼む!」

「了解!」

 ぼくは水のかい出しを止め、バケツを放り出してエミリーの座る後ろのベンチへ行く。

「エミリー、分かる?」

 ぼくが言うと顔だけ上向けて何?という表情になる。とても理解出来るとは思えないから「ごめん」と言うと彼女を抱きしめるようにして立たせた。抵抗はしなかったけれど足下が水浸しの揺れるボートでは構えていても立っているのは困難だったから、ぼくはずぶ濡れになりながらエミリーを抱きしめ、倒れないように踏ん張っていた。

「岸へ乗り上げるぞ!」

 けれどもうボートが持たなかった。ぐにゃりと真ん中で折れ始め、水が一気に入って来た。エンジンのスクリューが、ガボッと水面から上がって空しく空気を掻き始める。グオーンとすごいエンジン音が響き渡った。

「飛び降りろ!」

 ベンが叫び、舵をロックすると素早く立ち上がりスノコを蹴って河に飛び込む。バシャン、と水しぶきが舞い、ベンはそのまま泳ぎ始めた。

 次はぼくとエミリーの番で、まずぼくが河に飛び込んでからエミリーに手を差し伸べる。ほっとしたことにエミリーは素直に手を出してボートが水面と同じ高さになっていたせいもあって簡単にぼくの胸の中に飛び込んで来た。立ち泳ぎするぼくはエミリーの体重を受けて一瞬沈んだけれど、エミリーも自分から泳ぎ始めたからぼくは手を離し、

「こっちだ、分かる?」

 するとコックリするのが分かった。どうやら今の騒動で少しだけ意識がはっきりしたみたいだった。ぼくは先に岸へ上がったベンを追って泳いだ。

 河の流れはゆったりしていたし深さも平泳ぎの二掻き三掻きで足が底に付いた。ぼくが立ち上がって振り返るとエミリーも立ち上がって、不思議そうな顔をしてぼくを見ている。

「おいで、エミリー」

 エミリーの手を取って重い水を分け、ぼくらはずぶ濡れで上陸した。そのままぼくはしゃがみこんだ。エミリーも隣に座る。

「大丈夫?」

 ぼくははっとした。エミリーがぼくの顔を覗きこんでいる。表情は感情に乏しいままだったけれど、小首を傾げた姿は幼い少女の仕草だった。

「うん。大丈夫だよ。エミリーは?」

「うん。大丈夫だよ」

「ぼくのこと分かる?」

「マレイ・ソトマイヨール。十六歳。コロンビア地区セクターセントラル東海岸サンマルティン出身」

 驚きと溜息が半分だった。多分まだ混乱しているんだろう。自分が記憶していた情報だけを言っている。電子頭脳のガンマと同じだ。ぼくはエミリーの頭を優しくポンポンと叩く。天に兄貴がいるならそうするだろうと思ったからだ。年上のエミリーは今はぼくたちの妹みたいな存在になっていた。

 ふとハチドリは?と気付いて辺りを見回した。あんなにしつこく、蚊のようにまとわり付いて来た黒い鳥は姿を消していた。既に馴染んでしまっていたから気付くのが遅れたんだ。

「あいつら、どうしたんだろう」

 返って不安になってくる。ボートに急に穴が開いたのも偶然ではない気がして来る。穴は銃弾で開いたみたいに思えたけれど、銃が発射される音は聞こえなかった。

「ベン、どうする?」

 ぼくが声を掛けると、ベンは腕を組んで、

「荷物を引き上げないとな。流される前に」

「そうだね」

 そう言ってぼくが河を見た瞬間。

「ベン!」

 ベンもはっとした表情になる。

「うん、見えている」


 河の幅は五十メートルくらい。こちらは草地の岸だったけれど、向いはマングローブが岸を覆っている。そこに人が大勢見えた。カーキ色のシャツとズボン姿で銃を構える者や投げ槍を持つ者が見える。肌の色はぼくらよりずっと真っ黒で、ジャングルの奥で暮らすマイノリティに見えた。

「そこを動くな。今、そちら側にも人が向かっている。逃げるな。逃げたら必ず捕まえて殺す」

 中の一人がメガホンを通して言って来た。訛りがあるカステジャーノだった。

「どうする?」

 ぼくがベンを見ると、

「動かない方がよさそうだな」

 意外と落ち着いていたので、ほっとする。どう考えても逃げるのは難しかった。武器も山刀も食べ物もみんな河の中で、自分を失っているエミリーを抱えている。エミリーだけでも、とふと思ったけれどすぐに無理だと打ち消した。

 こうしてぼくらは再び未知の人々に捕らわれてしまったんだ。


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