28
バサバサバサッ!
銃声が響いた途端、ガンマの青い光が消え、真っ暗な闇の中から何かがたくさん飛び上がる音がした。ぼくの耳元でバサッと羽音がして、すると辺りからキーキーと鳴く声が響き、風と共に何か獣臭い臭いが運ばれた。ぼくはガンマの光を見ていたので、最初は盲人のように何も見えない状態で動揺していた。
「コウモリだ、クソッ!」
ベンがののしっている。次第に慣れてくる目に、ベンの姿が浮かんで、左手でエミリーを抱き寄せ、右手に握られた拳銃を左右に振り回しているのが分かった。
「ベン、何で撃ったのさ!」
ぼくは睡眠を邪魔されて飛びまわっているコウモリの羽音と鳴き声に負けじと声を張った。ベンがガンマを撃ったに違いない。相手は機械かも知れないけれど意思があって、気に入らないからと銃弾を撃ち込むのは、ぼくにはとんでもない暴力としか思えなかった。けれどベンはぼくの非難に吐き捨てるようにして、
「ろくなもんじゃないからさ!いいか、こいつはおれたちが自分を神と認めなければ殺すつもりだったんだぞ!ほら、見てみろ」
ベンはそこでヘッドランプを点けるほど抜けてはいなかった。こんな暗闇でそんなものを点けたらコウモリが驚いてもっと騒ぎまわるし、蛾や昆虫や毒虫が殺到する。代わりに暗視装置をよこして、ぼくはそれを目に当て、辺りを見回した。
ぼくらの前に祭壇があり、そこに朽ちた何かの神像が立っている。けれどそれはやっぱりただの木像でガンマなど入ってはいなかった。そしてぼくは祭壇を眺めているうち、ようやくベンの言いたいことに気が付いた。
「ガンマは神像に入っている、とか言っていたのに」
ぼくがつぶやくとベンは、
「機械の言うことなんか信じる奴は阿呆か天だよ、マレイ」
祭壇の二段目、何かの供え物を置く段の真ん中、素朴なコウモリの姿が線で彫られていて、そこに銃弾が二発命中した跡がある。コウモリの浮彫がずれていて、その中に銀色の金属の塊が覗いていた。
でも、それだけじゃなかった。祭壇の両側には今まで気付かなかったけれど石の塔があり、それに何か棘のようなものが突き出していて……
「ベン!」
思わず後退りしたぼくに、
「落ち着けってマレイ、もう撃って来やしないさ。こいつはガンマの命令で攻撃する仕掛けだったんだろう」
石の塔から突き出した突起は、ハチの巣みたいにたくさんの穴が開いた鋼板で保護された銃身だった。こういうのは上級市の入り口でよく見かける。中に人が入って穴から機関銃を突き出す銃座だった。もちろん、こんな細い銃塔に人は入れっこない。だから自動照準で発射する無人の仕掛けがしてあるんだろう。
ぼくは改めて祭壇のコウモリの線画を見る。コウモリの絵は線画に見せかけた蓋で、その中は空洞になっていて覗いている銀色の金属が、多分……
「じゃあ、こいつが」
「ガンマだ」
ぼくの問いにベンが素早く答えた。
「よく気付いたね。ぼくはあの青い光だとばかり思っていたよ」
「光は炎みたいにゆらゆらしていただろ。よく見れば下の方が強く光っていて、どうやら木の像の裏辺りの下から光が出ているようだった。そして下を注意していたら、そのコウモリを囲む丸い線がほんの少しずれていて中から光が見えた。そう言うことだ。ちょっとそれを。エミリーを見ていて」
最後はぼくに暗視装置を返すように言ってからエミリーをそっと押し出す。エミリーはだらんと両手を下げ朦朧としている様子だったけれど、大人しくぼくの横に来た。暗視装置を付けたベンは銃を構えながら祭壇に近付く。
「おい、ガンマ」
ベンがコウモリの蓋を外す。返事はなかった。
「死んでいようが死んだふりだろうが、どうでもいいけどな」
言いながら拳銃を前に突き出す。
パーン!
ベンはもう一発祭壇に撃ち込むと振り返って言った。
「おれはお前のようなやつが大嫌いなんだよ!」
コウモリはまだバサバサと飛んでいる。ぼくは暗視装置を付けてジャングルをボートまで戻ろうとしていた。ベンはエミリーをほとんど担ぐようにして続いている。ぼくは倒れた草や千切れた蔓草を目印になんとか道を辿っている。
ベンが仕方がなかったとはいえガンマを壊してしまったので、エミリーを治すのはぼくらの仕事となった。彼女は何か悪い薬でも使っている人みたいにボーっとしたままで、ぼくらがいくら話し掛けても返事すら出来なかった。そもそもベンやぼくの姿が目に入っているのかどうかも分からない。
こんな状態のエミリーを連れ、ボートへ戻って、ぼくらはどこへ向かえばいいのだろう。エミリーが普通に戻らないと彼女の目的地が分からない。そもそも、その目的すら分からなくなってしまったんじゃないだろうか。
ぼくはこうしてジャングルをさまよい歩き、道を探して、ゴールを探していた。それはとても象徴的だった。ぼくらの今を現すのに、このジャングルをあっちこっちとうろうろしている姿以上のものがあるだろうか?
そしてぼくは道を失うのを怖がっていた。それは今、ボートへ帰る道ばかりじゃなく、色々な「道」だ。
ぼくはこの旅で道の大切さを嫌と言うほど知った。ジャングルの道がないところでは、道のありがたさが身にしみる。道は以前誰かが通った場所だから、それは必ず目的地につながっている。
でも、そういう現実の道も大事だけれど、人の道も大事だと思った。本物の道と同じで人にも道があって、それは目的地につながっている。自分一人だと苦しいことや辛い出来事は乗り越えるのが大変だけれど、同じ目的と考えを持った人と一緒に行けば越えられる。そう言う道のことだ。
ぼくはベンやルックと一緒の道を歩いて来た。ルックは行ってしまったけれど、気持ちの上ではまだこの旅を一緒にしていたんだ。そこにエミリーが加わって、ぼくは本物の道以外にも道があることを知った。だからエミリーも大切な道を一緒に歩く人なんだ。
道を探して、少しずつボートに戻りながら、ぼくは反省もした。
色々な前兆があったと思う。エミリーの様子は今思えば最初から不思議だった。ぼくらは疑問があったのに解決する努力をしなかった。エミリーを見ているようで見ていなかった。もっと早くに気付いてもよさそうだった。
これからはもっとよく考えて、それまでの彼女の行動や態度と結び付け、ガンマによって知らされた情報と照らし合わせ正しい行動を選ぶ判断をしなくては、と思った。
エミリーのことだけじゃない。ベンのことだって心配だった。
サンマルティンでのベンは明るくて、運動は何をやらせても一番で、勉強は嫌いだったけれど頭は良く、判断するのも早かった。きっとこんなことが起きなければ将来、ぼくの父さんのように村の評議員になっていただろう。
なのに旅に出て、ベンは少しずつ変わった。具体的に何が、と言うのは難しいけれど、強いて言えば、元来短気なところが強調され乱暴になった。いつもいら立っていて、言葉がきついことも多かった。サンマルティンでもそんなことがあったけれど、長くは続かなかったし、何より顔付きが全然違った。
今のベンはとても怖い顔だ。それは気難しいとか暴力的とかそんなことじゃなく、何かしでかしそうな、ぼくが思いもしない行動を突然始めてしまいそうな、そんな感じだったんだ。
こんな風に考え気分が沈んで行くと、この二人を見守るのはぼくしかいないということがだんだん重荷に思えて来る。ベンはいいとして、エミリーはこのままだと完全な重荷でしかない。
ぼくとベンはエミリーを捨ててしまい楽になることも出来る。幸いにボートもあるし、黙っていたけれどあのエンジンはサンマルティンの漁師がそっくりなものを使っていたから、ぼくとベンでも何とかなりそうなものだ。ラ・マルタのフェリペさんが言っていたこの河の流域に住む住民のところにエミリーを預けて、二人だけでどこか遠くへ……
こう考えると自分がものすごく卑しく汚い人間に思えて、自分が嫌いになって来る。そんなことをベンに提案する自分が想像出来ないし、本当に言ったら撃たれかねない。ベンもそのくらい思い込んでいるんだ。
そんなことをちょっとでも考えた自分を嫌悪した後、思いは最初に戻る。二人を見守り助けなくてはならない重圧。けれどぼくはやり遂げなくてはならない。なぜなら、二人の先にルックやサンマルティンや父さんたち村人がいるからだ。
「道」は二人とぼくとをつないでいるだけじゃないんだ。その先にみんながいる。ボゴタに踏みにじられたサンマルティンやぼくらの家族が、仲間ともつながっている。だから二人を見捨てることはサンマルティンを見捨てることになって行くんだ。
こうしてぼくは密かに何があってもエミリーとベンと三人で先に進もう、と決心した。
けれどもそれは、熱くなり過ぎて目先だけを見ていたぼくの幼稚な考えだったんだ。
たった数日間一緒に旅をした彼女の変調が、ベンもぼくも鈍感にさせていた。その後に起きたことは、全てぼくらが先を想像して避ける行動をしなかったからなんだ。
ぼくがガンマと出会ったあの時、もっと賢くもっと冷静だったら、やるべきことはひとつだった。ぼくらはガンマなどに関わらず、すぐにでもエミリーを引っ張ってそこを離れるべきだったんだ。
魔術に掛けられたような静けさもベンの銃弾で破られて、夜のジャングルは騒々しい場所に戻った。
ようやくコウモリの乱舞から抜け出したぼくらは、遠く動物たちの鳴き声や虫のざわめきの中、一歩一歩ボートを停泊させた場所へ戻って行った。運が良かったこともあるんだろうと思う。ぼくは目印もない中でジャングルを二キロほどさまよって、やっと河の流れの音がする辺りまで戻って来た。この辺はジャングルの木々に隙間があり、ぼくらの夜目も利くようになって暗視装置も必要なくなっていたけれど、ぼくは念のため装置を掛けたままでいた。それがそいつらを見つける結果になったんだ。
河が木の間から見えて来た。ぼくはほっと吐息を吐いたけれどすぐに異変に気が付いた。河岸に何かが、それはやっと見つけたボートの周りで……
ぼくはぎくりとして立ち止まった。暗視装置で見ると深い青緑色した火の玉がボートの周りでフワフワ踊っているように見えた。急いで装置を外し、額から流れ落ちた汗を拭い、肉眼で確認しようとした。けれど暗視装置を外した目には何もおかしな物は見えない。けれど……
「何だこの音」
ブーンブーンブーン。ザワザワザワ。
突然聞こえ始めた音。それは鳥の羽音に違いなかったけれど、肝心の鳥が見えない。それにこの音は、一羽や二羽が立てる音なんかじゃない。
「どこだ、たくさんの鳥が……」
ぼくに追いついたベンは、ぼくの手から暗視装置を奪い取り、急いでそれを付けて辺りを見回した。
「これは!」
その時、ぼくの目にもそいつらが目に付き始めた。暗視装置で火の玉に見えたもの。それは真っ黒な鳥だった。最初は気付かなかった小さな鳥。まるでハチドリにそっくりで、それが何羽も宙に止まって見えている。けれど、これと同じものをどこかで見たような……
「あ!」
ぼくは突然思い出した。思い出すと同時に背筋が凍えた。黒い、小さな鳥。ハチドリのようで少し違う、羽音がブーンと機械的な……
「ぼく、これを見たことがある」
「なに?」
ぼくの間の抜けた声にベンが反応する。
「見たって、どこで?」
「ごめん、ベン」
ぼくは思わず謝っていた。
もっと早く思い出すべきだったし、もっと早くベンやエミリーに伝えるべきだった。そしてジャングルではもっと気を付けているべきだったんだ。
「どこで見たんだよ!」
ベンがエミリーを離し、ぼくの両肩を持って揺さぶる。ぼくは力なく答えた。
「サンマルティン。あの、フリオの作業場の屋根……」
「いつだ!」
「エミリーが捕まった夜。初めて彼女を見る直前、空に浮かんでいたんだ」
ぼくは目の前が真っ暗になるような絶望に打ちひしがれながら言う。
「あれはきっと敵なんだ。ぼくらをずっと追いかけていたに違いないよ、ベン」




