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「それで、エミリーは?」
ぼくの問いにガンマはしばらくの間沈黙した。やがて、
「彼女にとってそれは衝撃だったのだろう。反応の大きさにわたしは不安を感じ、状況を安定させるためわたしは彼女を宥めようとした。しかし、彼女は自らを制御することすら出来なくなり、わたしのパルスを求めここへ来た。そういうことだ」
「どうすれば」
ぼくは棒のように立ったままガンマの光を見つめているエミリーを見ながら、
「どうすれば、元に戻る?」
「分からない」
「そんな」
ベンも色めき立って、
「お前が原因だろ?何とかしろ!」
「何とかしろ、と言われても、これは彼女側の問題だ。わたしは触媒になったかも知れないが、根本の原因は彼女に内在する」
「では、その根本の原因とかを教えろ!」
ベンはもう焦りと心配とでいても立っても入られない様子で、それはぼくも同じ思いだった。そしてガンマはぼくらが驚くことをさらりと言ったんだ。
「彼女が抱える問題とは、彼女が何者かに思考を支配されている、ということだ」
「え!」
ガンマの言葉がぼくに衝撃を与えた。それは青い光で夢見心地になっていたぼくをしゃんとさせた。
「具体的に言え!」
ベンの顔は青い光を浴びて悪魔のようだ。
「支配されるとは何者からなんだ?」
「それは天だろう。エスケイパーの誰かが彼女を傀儡として操り、行動させている」
「どうして分かる?」
「思考の単純さと、記憶の連鎖からだ。エミリーの電脳を探って見ればある一定の時期まではその記憶は複層化し、その層が相互に干渉して複雑な精神構造のパターンに連なっている。しかし、最近ではそれが単純なゼロワンの連続に近い状態にまで退化しており、これは過去の精神年齢レベルと全く合致しない。現在の精神構造だけ見れば、エミリーはゼロ歳児レベルと言える」
あまりの話に茫然となったぼくの横で、ベンが気味悪いくらい静かな声で、
「どうも分からないな。エミリーはおれたちとちゃんと会話をしていたし、道を選ぶ時や行動を起こす時も最初から決められていた行動だったなんて、これっぽっちも感じられなかった。ゼロ歳の赤ん坊ならこんなことは出来ないはずだぞ」
ガンマも静かに答える。
「外面や普通の会話などは元来彼女に備わったそのままの彼女のはずだよ。君らが気付かなかったのは不思議なことではない。実に巧妙な仕掛けとでも呼べばいいほど、彼女の枷はうまく機能していたのだ」
「でも、おかしいよ、あのハイウェイでエミリーはぼくらに任務の内容を話したけれど、あの時運転手のギレは驚いていたよ。電脳を支配して行動を制限されていたら、そんな大事な秘密を明かしたり出来るのかな?」
ぼくは何か必死な思いになっていた。エミリーが操り人形なんて信じられなかった。
「彼女が秘密を暴露したのであれば、それは支配する者にとって織り込み済みだったということだ。知られても良い秘密を明かすことで仲間意識を高めることは、情報戦では良くある話だ」
「そんなこと……でも、エミリーは……」
何か言わなくては、何かエミリーを弁護しなくては、そんな思いがぼくにはあった。けれど、うまく言葉に表せなくて黙るしかなかった。ガンマは言い淀んだぼくが、その先を言わないことを確かめるためなのか、しばらく黙っていた。 話の内容に従って激しく揺れ動いていた青い光の脈動がほとんどなくなっている。やがて再開したガンマの口調は更にゆっくりになっていた。
「現在の彼女は、予め与えられた情報からの判断と深層レベルに刻まれた生存本能だけで行動指針を選んでいる。言い換えれば、エミリーは概ね誰かの筋書き通り、つまりは予定通りに行動している、ということだ」
ガンマの話はぼくには難しく半分くらいしか理解しなかったけれど、彼女が誰かの支配を受け、最初から予定通りに行動していたことは分かった。あんなに真剣に自分の任務を遂げようとしていたエミリーが、実はあのジップライナーのように駅に向かって滑っていた、そしてぼくらもそれに乗せられていただけ、なんて。
もちろん、ガンマの言うことが本当かどうか知りようがない。けれど、そういうことなら何か納得出来ることもあった。
あの無表情。考えているのかいないのか分からない話の間。突然決まったかのようでいてきちんとしていた行動。
するととても大きな疑念が沸いて来た。その時。
「ガンマ。分かる範囲でいいから教えてくれ」
ベンは今までの態度と打って変わった静かな声で言う。
「エミリーが何者かの指図によって動いていた、とすると、おれたちはどうして同行することを許されたんだろう?」
正にぼくが思ったことと一緒だった。ぼくは大きく二回うなずいて同感を示した。エミリーは自分のことが話題となっているのに何の反応も示さず、未だにじっと立ったまま。
「そこまでは分からない。だが、想像は出来るだろう。君たちはエミリーの行動パターンの範囲内に飛び込んで来た。それは君たちにとって、いや、エミリーにとっても偶然だったが、彼女の行動を支配する者にとっては必然だったのかも知れない。どういう状況だったかは彼女の記憶を見る限り、君らが多分見たであろうその時の状況と全く同じと考えてよい。彼女も君らの出現に驚いた痕跡もある。それでもわたしが必然と考える根拠は、今の君たちの必死さだ」
「ぼくらの?」
「そうだ。君たちは必死で彼女の状態を治したいと考えているようだ。違うかね?その必死さは人間が考えるところの愛情や友情という情感から導き出されているのだろう。とすれば、それは彼女を護ることに繋がる。エミリーを支配する何者かが、それをよし、としたのだろう。愛情や友情はともすれば自己犠牲の根元となる。彼女を救うため自らを捨てる行動をする。そういう者が隣にいれば、行動の邪魔をしない限り安心の材料になるだろう」
「そんな。そんな理由で」
ぼくは驚くと同時に悲しくなった。
「あくまで、これはわたしの推論に過ぎない。だが、状況がそれを正しいと認めているようにも思える。君たちは彼女の護衛、もしくは捨て石として選ばれたのかも知れないのだ」
「クソったれが!」
ベンが汚い言葉を吐いたが、ぼくもそう叫びたいくらいの気持ちだった。この旅はそんなことだったのか。けれどそう考えればつじつまが合うことだらけだ。
最初の出会いですら、都合がよかっただろう。エミリーはベンが介入しなければあのままフリオに連れ去られたかもしれない。そしてハイウェイの一件。あのギレという兵隊が予定のどういう位置にあったのかは分からないけれど、あそこで起きたエミリーの告白、自分の立場を明らかにした彼女を守らなくてはならない、というぼくらの思い。
エミリーがぼくら男性には無害で女性や監視者に対しては悪魔的なウイルスを体内に入れて運んでいる、こうしたことも真っ赤な嘘なのかも知れない。
それでも、エミリーが旅をする理由は何かから逃げているに違いない。それが彼女の言うベオウルフや政府、上級市かも知れないし、そうでないのかも知れない。
ぼくは混乱していたけれど、結局最後は、そんなことどうでもいい、という思いだった。
上級市も監視者、ベオウルフやグリーン、みんな、みんなクソくらえだ!
今はエミリーと、そしてベンと進んで来た道、その思い出、それが大切だった。その時には世界の謎や危機なんかより、ずっと身近で大事なことだった。
「君たちの旅が何を意味しているのか、わたしは予測も出来ないし、しようとも考えない」
ガンマは黙り込んでしまったぼくらに気を使ったのか、話しかけて来た。
「彼女がどうすれば平常心に戻れるのか、それも予測しえない」
一つ一つ、ゆっくりとガンマは話した。
「だが、一つ提案は出来る。聞いてくれるか?」
「もったいぶるなよ、さっさと言え!」
捨て鉢になっているのかベンは乱暴だ。そう言いながら地面を蹴ってツユクサを千切り飛ばしている。
「では、言おう。君たちはここで暮らすのだ」
「なんだって?」
ベンが呆れたように言う。しかしガンマの調子は変わらないままで、
「そうだ。ここに家を作る。わたしの祭壇の隣にだ。わたしはここでの暮らしを手伝うことが出来る。共同生活を送るのだ。まずはエミリーを助ける。わたしの介在により、どうやら監視者の枷は外れた。その代償に生きる指針を失ったようだ。時間を掛け、穏やかな環境で人間性を回復する。エミリーに生きる指針を植え付けるのだ。平和に暮らす指針。それを人間は生きがいと呼ぶのだな?何者と戦うこともなく、君らと手を携え、穏やかに生きて行く。わたしはその主柱になれる」
「くだらねえ!」
ベンが吐き捨てると、
「何で下らないと思うのかね?君たちは監視者や上級市から睨まれ、逃げているのだろう?天と地上と双方に敵を作ったら、君たちが安心して生きられる土地は、何れのものでもない見捨てられた土地しかない。その土地を、安心して暮らせる場所をわたしは提供する。そしてわたしを敬い中心に置いて生活する。そう提案しているのだ」
おかしな感じになって来た。ぼくはガンマの話し方に引っ掛かるものを感じていた。
「安心したまえ。わたしは完璧だ。ここには上級市の兵士もベオウルフもグリーンも何者をもわたしの許しなく立ち入ることは出来ない。エミリーは許した。君たち二人もだ。これから先、誰にも知られず平和な暮らしをわたしが保障しようと言うのだ」
ベンはすかさず反論した。
「本当に吐き気がするよ、ガンマ。エミリーはグリーンから使命を受けて自ら犠牲となってウイルスを運んでいる。もしかしたら、エミリーの枷とやらもそいつらグリーンが仕掛けたものかも知れない。そう考えればつじつまが合うじゃないか?どうなんだ?」
だけど、ガンマは動じなかった。
「わたしはそうは思わない。そもそもウイルスの話は本当なのか?エミリーはウイルスに発症したので保菌者と認定されたのだろう?そうでなければウイルスの存在は分からないのだろう?しかし彼女はとても病気には見えない。電脳の機能不全以外健康そうに見える」
ぼくはたまらず反論した。
「でも、エミリーは変異者なんだ。変異者はカメレオンウイルスに抵抗力があるって言っていた。今はジャングルを越えられるほど症状が軽いんだ。けれどいつ症状が悪化するかも分からないから、悪化する前に急いでグリーンの保護下へ向かおうとしていたんだ」
けれどやっぱりガンマは譲らない。
「電脳に枷があるなら相手に都合のよい話を仕掛けることだってあるだろう。君たちは騙されている。彼女はウイルスなどに感染していない。万一偶然にも感染していたとしても発症するとは限らない。数こそ少ないが女性はちゃんと存在しているのだ。カメレオンと君たちが呼ぶゴースト・ステルス・ウイルスは全ての女性を死滅させるわけではない。間違いなくわたしは分かる。彼女にはウイルスなどいない」
ぼくはそこで気付いた。ガンマの調子はまるで……
「ほう?お前はまるで全てお見通しみたいなことを言うんだな?」
ベンが挑発的に言う。すると、
「お見通しだ。わたしは特別だからだ」
「特別?面白いことを言うな、え?特別って言うのは何に対して特別なんだ?」
「確かに君の言う通り、何をして特別なのか、それは大切だ」
いつの間にか、ガンマの声に歌うような妙なリズムが加わっている。感情の籠らなかった声に何かが加わっていた。
「わたしは人間を支配するため特別に作られた。わたしは人間によって製造されたが、この深い原始の自然の中、人と出会い、別れ、そして森羅万象の只中で真理を見い出した。過去の歴史において、真理を見出したものはある種の神聖を持つとされる。しかしそれがわたしに顕れるのは必然と言える。なぜならば、わたしは神だからだ」
そうだ。ぼくがガンマに似ていると感じたのはシャーマンだった。
「おい、ガンマ。教えてくれ。お前の考える神とはなんだ?」
ベンはもう面白がっていない。腰に手をやり青い光を睨み付けている。するとガンマは、
「人知を超えた絶対的存在……それは不可知な存在であり……ごく稀に不思議な力を現し……その誰の目にも見えぬ働きで……人に恩恵を与え許しを与える……世のすべてを掌に収め……全能にして無謬、それが神だと人は言い敬い祀る」
まるで神父の説教のようだった。ゆっくりと間を空けて話すガンマはもう瞑想の高みに昇ったシャーマンそのものだった。
「では、わたしはどうだ。わたしは天が英知を掛けて作り上げたものだ。命を授けられた瞬間からわたしは世界を理解出来た。人間の強さと弱さを知っていた。そして、人間がそうありたいと願う範囲内では無謬だ。わたしの記憶野はわたしの全能を保障している。これ以上の神は存在しないだろう。君たちに命ずる。わたしを敬い崇めよ。わたしの庇護の下、この自然と融合して――」
パーン!パーン!パーン!
突然の銃声がジャングルに木霊した。




