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 ボートは幅二メートル長さ五メートルの楕円形で滑らかな黒いゴム製。漁師が使う長靴のゴムよりしなやかで柔らかだった。理屈は空気袋にエンジンを付けたみたいなもので、乗り心地は想像したよりよほどいい。サンマルティンにはない贅沢なボートで、漁師が見たらうらやましがるだろう。なにしろ貴重な化石燃料を使うスクリュー付きのエンジンまで搭載しているんだ。もちろんサンマルティンにもエンジン付きの漁船があったけれど、そのどれもが機帆船で、よほどのことがない限りエンジンを使わないのが普通だった。北のベネズエラからはるばる船で運ばれて来る液化石炭燃料は、一リットルの値段が同量のパナマ産三つ星高級ラム酒とほぼ同じ値段だった。


 ゴムボートの舟底には簀の子が敷いてあり、二人掛けの木のベンチが二列あった。ベンチは座る板を外すことが出来て中はロッカーになっていた。先ほど積んだ燃料やぼくらの荷物、それにフェリペさんが用意してくれた堅いビスケットや乾燥豆など軽い保存食が入っていた。そのどれもがゴムの防水敷布で覆われていて、その理由はすぐにいやと言うほど分かった。

 カウカ河はマグダレーナ河の上流に数ある支流のひとつで、マグダレーナ河自体ははカリブ海に達する細長いボリバル湾に注いでいる。ぼくらは南方へ向かっているからさかのぼっているはずだけれど、地形も平坦で木々が川岸まで迫っているからさほど勾配を意識することはない。だからボートも前後に斜めになったりはしなかったけれど、問題は河の幅にあった。

 それはめまぐるしく変化して、数メートル手前ではおだやかで波一つない流れが、急に幅が狭く岩が右左に迫る急流に変わったりする。するとボートは上下動を激しく繰り返して、舳先を越えた水は船底にたまりチャプチャプとはね、たちまち濡れたところがない有様になった。当然、ぼくらもずぶぬれになり、太陽が高くになると、水をかぶっていても蒸し暑さとすぐにお湯に変化する水で気分が悪くなりそうだった。

 ぼくらはサンマルティンで漁も手伝ったからこんな小舟は慣れていたし、濡れネズミにもなったからこういう場合の対処も分かっていた。手すきのぼくは揺れるボートから振り落とされないように気を付けながらベンチの中を探り、必ずあるはずの物を探した。それはすぐに二個見つかって、ぼくは両方とも引っ張り出す。ブリキで出来たバケツだった。そしてぼくはボートが沈まないよう、船底にたまる一方の水をかき出す際限のない重労働を開始した。


 河を上り始めて三十分。

「交代だ」

 うなりを上げるエンジンの音に負けまいと声を張ったベンが言い、疲れて水をくみ出すペースが落ちていたぼくは喜んで代わった。けれど、エミリーが幅の狭いところでもエンジンの出力を落とさず速度を変えないから、舳先のぼくは今まで以上に水をかぶってしまい、転げ落ちないよう滑る取っ手を必死で握った。それでも見張りとしての役目は完璧にこなさないといけない。ぼくは、くねくねと曲がって進む河の障害物を避けるため、エミリーへ右だ左だと片手の身振りで進路を伝えるという役目を果たした。


 こうしてほぼ三十分おきに水かきと見張りを交代して、それが何回交代したのか分からなくなったとき、ようやくエミリーがエンジンをカットして河岸へボートを寄せた。

 気が付けば辺りはすっかり薄暗く、河面も黒々として見えにくくなっている。

「少し休む。こいつも少し休ませて燃料を上げないと」

 確かにエンジンはすごく熱くなっていて、触れるとやけどしそうだった。ぼくらはボートを岸に付けて近くの木にロープでつないで上陸する。腕が水かきの重労働で棒のようになってしまい、上げるのもおっくうだったけれど、ジャングルを歩いたのなら二日は掛かっただろう道のりを半日で消化出来たのだから満足だった。

 ベンチ下のロッカーにあった古い地図を見ると、この河はまだしばらくボートが通行出来るくらいの深さと幅がありそうで、うまくすればカリの勢力圏を越え、コロンビアでも一番南にある大きな街、モコアの近くまでも行けそうだった。

 エンジンを調べているエミリーを置いて、ぼくらは河岸にワニやヘビがいないか確かめ、野獣の足跡も調べたが何もいなかった。安心して防虫剤を振りまき、ごろんと草の上に横になる。もう、夜はすぐそこで、木の間に覗く空には気の早い星たちが見え始めていた。


 ぼくはウトウトしていたんだろう。ふと気付くと、同じように寝転がっていたベンが立ち上がる気配がして、

「マレイ起きろ!」

 ベンの姿は黒い影で、辺りは既に闇の中だった。

「今、何時くらい?」

「寝ぼけてる場合じゃない。エミリーを見ろ」

 ぼくはベンの声に含まれる緊迫感ですっかり目を覚まして、言われた通り河の方を見た。

 エミリーが河を背景に影となって動き回っている。同じところをくるくる回っているようで、いつも被っているキャップを外しているのか長い髪が乱れ、それに両手をやっているから、とても悩んでいる人がする動作みたいだった。すると何かをつぶやいているのか、ぶつぶつ言うエミリーの声が聞こえた。

「おい、エミリー!」

 ベンが声をかけたけれど、反応はなく、くるくる回り続けることも止めなかった。ベンは舌打ちしてエミリーに駆け寄り、両肩に手をやって動きを止めようとした。けれど、エミリーはそれを振り払い、再び頭に手をやるとくるくる回りを再開する。

 ぼくもベンに走り寄って、

「どうしちゃったの、彼女」

「知るもんか。気が付いたらこんな具合だ」

 近くで見るとエミリーの様子はますます変で、いつもの涼しげで動じない表情が消え、いかにも不安と悩みで押しつぶされそうな人のする表情に見えた。その目が大きく見開かれているのが何か呪術を連想させて、見ているぼくの方まで不安に押しつぶされそうになって来る。

 そしてぼくらが途方に暮れてしまい、二人してどうしようか思いあぐねていた時。

「一体、おまえは誰だ」

「え?」

 エミリーがぴたっと止まって、ぼくらの方を見ている。

「誰なんだ!」

「エミリー!一体どうしちゃたの?」

 ぼくが言うと、突然、エミリーがぼくに向かって走り出す。それはすごい勢いだったから、ぼくはすっかり彼女が何か暴力を、例えば殴り掛かるのかと思って身構える。けれどエミリーはその勢いのままぼくとベンの間をすり抜けると、全速力でジャングルに駆け込んでしまった。明かりもなにもないまま、真っ暗なジャングルの中へ。

「まずい!」

 ベンが急いでボートへ走り、ベンチの蓋を放り投げてぼくらの荷物からヘッドランプと暗視装置を取り出して戻って来る。

「追うんだ!」

 ベンはぼくにヘッドランプを一個放り投げると、ランプを付けるのももどかしげに走り出した。ぼくもあわてて後を追った。


 エミリーは監視者で電脳という小型のPC装置を頭に組み込んでいるから、夜の真っ暗な中でも昼間と変わらず歩くことが出来た。そのおかげでヘッドランプや暗視装置の助けを借りずに夜のジャングルをつまずきもせず歩くことも出来たけれど、彼女はなぜか今までそれをあまりやらずに進んで来た。ひとつには自分だけ真っ暗な中を歩けてもぼくらがそれを出来ないからだし、ぼくがなぜしないのか尋ねると、電脳のそういう機能を使うと監視者から気付かれる可能性があるからだ、と言っていた。

 その彼女が取り乱したようにジャングルへ飛び込んだものだから、ぼくらの方の慌て振りも大変なものだったろう。先を行くエミリーはすぐに分かった。音を立てることに神経質になっていた彼女とは正反対で、今は盛大に草を払い木の枝を折って進んでいる。一体彼女に何が起きたのか分からないまま、追うしか手だてのないぼくら。彼女は電脳があるからいいけれど、ぼくらは夜のジャングルを歩く時の慎重さを捨て去って手当たり次第に前の障害物をなぎ払い、出来るだけ急いで後を追っていた。

 それがどのくらい続いただろう?山刀片手にヘッドランプを付けただけの身軽な格好では時間も分からない。しかも印も付けず、がむしゃらにジャングルの奥へ進んだから今となってはちゃんとボートの場所へ帰れるのか、心細くもあった。今夜は月の出も遅い時間で、ジャングルの中は本当に漆黒の闇というやつだった。音と言えば辺りは静まりかえっていて、聞こえるのはエミリーが枝葉を払う音とぼくら互いの息使いくらいなものだった。いつもは聞こえるはずの虫の音や野獣の声もしない。こんなに不気味に静まりかえるジャングルなんて本当にあるのだろうか?ひょっとしたらぼくはまだ眠っていて、夢なのだろうか。

 醒めることのない悪魔の夢、シャーマンの言う精霊の集う森にぼくらは踏み込んだのかも知れない、などと考えていたとき。

「マレイ!」

 ベンの制止でぼくは止まる。

「どうしたの?」

 暗視装置を着けて先を進んでいたベンが指でその先を示す。闇に慣れた目にそのゴーグルを着けたベンはまるで想像の宇宙人か未来人のようだ。

「あそこに何かいる」

 ジャングルはこの辺りの典型的な様相で、ここもツタやカズラが木と木の間を占めて空間を埋め、地面からは日陰の植物がニョキニョキと伸びている。そのなかにぼんやり薄い青の光が見え、そこだけ青い世界に染めていた。

「エミリー」

 ぼくはその青い中に立ち止まっている彼女を見た。両腕をだらりと下げ、その光の方向を向いている。

 ベンがぼくの肩を突き、身振りでこっちだ、と言っている。ぼくは促されるまま彼女と光の左側、カズラのよりたくさん茂った方へ忍び足で向かった。そのとき。

「そこで止まってくれ」

 掠れた男の声がして、ぼくはぎくりと立ち止まる。ベンがさっと辺りを見回すけれど、ぼくらとエミリーの他に人の気配はなかった。

「慌てなくてよい。攻撃はしない」

 再び男の声。その方向を見れば、エミリーの姿にぶつかる。あの青い光の方向。

「言語はこれでいいのだろうか?カステジャーノは理解出来ているか?答えてくれないか?」

 淡々と感情の表れない声は間違いなくぼくらに向けられていた。すると突然ベンが声を上げる。

「そちらの言うことは理解出来ている。おれたちは普段カステジャーノを話している。今、そちらに行くからな」

「ベン!」

「シッ!」

 ぼくの制止を振り払うと暗視装置を外したベンはその光の方へ歩いて行った。ぼくはその後に従うしかなくなって、おっかなびっくりついて行く。

「どうか、そのあたりに座ってくれないか」

 ぼくらが茂みから出ると、声が頼んだ。

「おい、どこにいる?」

 ベンはそれを無視して仁王立ちで光の方を見て言った。その青い光は何か祭壇のような人工の石段の上で脈動するように強くなったり弱くなったりしている。脈動は不規則で、それはまるで心臓の鼓動か呼吸にあわせたみたいだ。

「わたしはここにいる」

「姿を見せろ!」

 ベンがさっきから強気に言うから、ぼくは声がいつ攻撃的になるかハラハラしていた。けれど、声は変わらず落ち着いていて、

「きみが思っている姿はない。わたしは『オリジン・ガンマ』と呼ばれている。きみらが言うところの電子頭脳だ」

 青い光は心なしか強くなった。


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