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キャノピーはジャングルの奥深く、樹上で生活している。普通、木と木の間を移動するためには、木を降りてまた登るか吊り橋を渡さなくてはならない。彼らは警備以外めったに木を降りないことで暮らしているから空中街では吊り橋が道路の代わりとなっている。
けれど、距離が近い場合は吊り橋でいいが、長い距離を移動する場合は吊り橋では作る方も大変だし移動の時間も長い。だからキャノピーは「ジップライナー」を使うんだ。
「要領は分かったかな」
市長はぼくらにハーネスとヘッドギアを着けさせ器具の使い方を説明した後、一人ずつ順番に回ってそれぞれのカラビナ付きロープをワイヤーの滑車へ連結した。
「最初は飛び出すのに勇気がいるし、力の入れ具合が分からず体が回転したりして目が回ることもあるが、すぐに慣れるからね」
そう言う市長はシャツと短パンというラフな格好のまま、普通サイズより二周りは大きなハーネスと先端にカラビナの付いた太いロープを身に着けている。ぼくは百二十キロはありそうな市長の体に本当にワイヤーが保つのかどうかちょっと心配になっていた。
「みなさん用意はいいですか?」
ぼくらがハーネスを着けるのを手伝って安全を確認してくれた市長の部下がにこやかに尋ねる。
「どうぞよろしくお願いします」
エミリーが明らかにお愛想笑いを浮かべると、
「先にみなさんの荷物を送り出します。すぐ続いて市長が行きますから、私の合図に従い、先ほど決めた順番で飛び出してください」
市長の部下は、目の細かい丈夫な網の袋に入ったぼくらのリュックサックを太いロープで滑車と連結すると、ポッカリ開いた飛び出し口のすぐ横の箱から受話器を取り出し、終点にいる係と話した後で、
「では行きます。用意」
ぼくらの荷物がゆっくりと押し出され、やがて飛び出し口を越えると……
「ヒューッ」
思わずベンが口笛を吹いた。荷物のかたまりはシャーという滑車の回転する音と共にたちまち遠ざかって行き、塔から五百メートルくらい離れた次の「駅」へ向かった。
「次」
助手の声に市長が動き出し、後ろを振り返ってぼくらに笑顔を見せると、軽く助走をして飛び出した。グンっとワイヤーがしなり、ザーという重い滑車の音がして、市長の大きな体はたちまち小さくなって行った。
「次」
ベンがぼくにウインクすると、市長に負けない思い切りのよさで飛び出して行く。ワイヤーと滑車でつながったロープ一本に体重を預け、そのロープに両手を掛けた姿は、既に黒い塊にしか見えない市長を追って行く。
「次」
そしてぼくの番。一歩後ろに下がると、両手をロープに掛け、ぼくはぴょんと飛び上がる。ぼくの体重を受けたワイヤーがたわみ滑車が滑り出すと、たちまちぼくの下から床が消え、風がヒューと唸りを上げて斜め下から吹き付けた。想像したより高い!それはブランコ遊びなんか比べようもない、とんでもない高さだ。今まで一番高い木によじ登った時より数倍高い。けれど心臓のドキドは心地よく、頭上で響くシャー、という滑車が回転する音や耳元を抜けてく風の音が次第にぼくを高揚させて行った。
ロープ一本で止まっている体は慣れないと回転を始め、放っておくと気持ちが悪くなる。右回りに回り始めたぼくは教えられた通り両手を離してコウモリのように広げ、シャツがパタパタと風に鳴り始めると次第に回転が収まって行く。ちょっと怖いけれど、この格好だと本当に空を飛んでいるみたいだ。
再びロープをつかんで体を引き上げると、振り返る余裕も生まれて、思ったより高い所に塔の駅が見え、エミリーが続いて来るのが見えた。前を見ればベンがいて、その先、市長が駅に着くところ。既に駅の入り口がぽっかり黒い口を開けて、ほぼ同じ高さに見えている。
この辺りで半分が過ぎ、ぼくは景色を眺める余裕が出来た。空中街の家々が緑の中に転々として、それを川で使うタモの網目のように吊り橋がつないでいる。シュロの葉で葺いた屋根や派手な赤や黄色に塗られたトタン屋根がジャングルにちりばめたタイルのようだ。足の下を流れる木々は次第にぼくに接近して、手を伸ばせば届くくらいになって来るともう駅は目の前だった。
お腹に力を入れ足を前に出す。駅の入り口は木のスロープになっていて、その先、茶色い土が盛られているらしい。さあ、到着だ。足先が木に触れた瞬間、ぼくはバウンドして、再びスロープに触れてバウンドすると、次は土の上に着地する。ザザーっと足から滑り込むと、土かと思った茶色はもっと柔らかく大きな粒の何かで、それはガクンと体が止り、反動で尻もちをついたとたん、木の削りくずだと分かった。
「立って!」
係が走り寄ってぼくを支えていたロープのカラビナを外し、ぼくを立たせると横に引っ張った。
「どうだった?」
市長が笑っていて、横でベンも笑っている。ベンの笑顔は久々な感じがして、ぼくもうれしくなった。拳を突き出すベンにぼくも拳をコツンと合わせ、
「この乗り物って、サイコー!」
ぼくが興奮した気持ちをそのまま声に出すと、市長は満足そうにぼくの肩を叩いた。その後ろではエミリーがぼくよりずっと上手に両足をそろえて着地して、ぼくら最初のジップライナーが終わった。
その駅はぼくらにとってはただの中継地に過ぎなかった。右横にらせん階段があって、それを昇るとそこには再び駅があり、次のジップライナーのワイヤーがその先の駅めがけて走っていた。
駅は上下二つに分かれていた。上の階は下から二十メートルくらい高い位置にあって次の駅への出発点で、下の階は到着点になっている。中間点の駅はそれぞれ両方にワイヤーを伸ばしていて、それはちょうど電線を渡す鉄塔に似ていた。ぼくらが出発した塔のように高いところは降りて行く一方通行で、逆に上りは別のワイヤーを引っかけて上からモーターで巻き取りながら登るのだそうだ。
既にぼくらの荷物が出発していて、精力的な市長は、
「さあ、休んでいる暇はないぞ」
と言いつつ自らカラビナを滑車に掛け、係の合図を受けるや否や飛び出して行った。
こうしてぼくらは何本もジップライナーを乗り継いで行き、歩けば丸一日掛かりそうなジャングルを足下に距離を稼ぐことが出来た。
一度、大きな駅で途中下車して、市長が周辺を案内した。その駅は六角形をしていて五つの方向からワイヤーが集中していた。上下二本ずつだから十本のワイヤーが走っていて、それが一斉に使われている様子は慣れ始めたぼくの目にも驚くばかりの光景だった。
驚きはそれだけでなかった。
駅の前には農場や雨を貯める貯水施設などがあって、もちろんそれらも空中に作られている。
特に雨水のタンクが整然と並ぶ様子は壮観だった。矢倉の上に小さな家一軒ほどのドラム缶型タンクが十いくつ、それから網の目のようにパイプがつながっていて、それがキャノピーの水道だった。
もちろん農場も木の上に広がっていて、緑の葉物野菜やイモ、トマトなどが透明なビニールの倉の中で育てられている。その中では張り巡らされたパイプの水が空気を冷やして温度を調節し、日照を調節する大きな日除けは一人でも操作出来るように工夫されていた。
農家の息子のぼくは近代的なやり方や道具の数々に圧倒され、あまりにもサンマルティンとかけ離れた有様に感心しっ放しだった。
農場の管理棟で昼食が出され、ぼくらは再び新鮮な野菜や果物、ヤギ肉のカレーシチューをお腹一杯食べた。間違いなくこれがしばらく食べ納めの新鮮な食べ物になるはずで、ぼくは名残惜しく出来る限り味わって食べた。
「残念だが、わしはここまでだ」
食事が終わると市長が言って、順番にぼくらを抱きしめた。たった一日しかいなかったのに、ぼくは自分のおじいさんのような感覚を味わって、ちょっと悲しくなって来た。ひょっとすると、いや、多分二度とは会えないはずで、市長は一人一人の顔を眺めると、
「いいか、諦めるんじゃないよ。何があっても前に、信じたものに向かって進むんだ。そうすれば神様が救ってくれるさ」
すると市長は給仕役の男を呼んで、何事か耳打ちする。そうしておいて、
「さあ、行こう」
駅に戻ると、そこには三人の男が待っていた。その中の一人は昨日ぼくらを市長の塔に連れて行った管理警察の士官で、確か、名前は……
「管理四部のフェリペさん」
ぼくが名を呼ぶとフェリペさんは苦笑し、ベンが小さく舌を打つのが聞こえた。きっとベンも覚えていたんだろう。ぼくに先を越されたのが悔しかったに違いない。ぼくはちょっと得意になったし安心もした。ベンがここに来てからいつものベンらしくなったからだ。そんな様子を見ていた市長が、
「覚えていて結構。彼がお前さんたちを境界まで送る。ではわしはここで」
「ありがとうございました」
三人が一斉におじぎをして、ぼくらは市長に別れを告げた。
本当なら今頃はカリの兵隊に引き渡されていたのかもしれない。親切な市長と街にぼくらは運よく救われたことが、この時、どきっとするくらい鮮明に理解出来たんだ。
「じゃあ、行くぞ。みんな、用意はいいか?」
フェリペさんは昨日と打って変わって友好的で、ぼくらを次のジップライナー乗り場へ案内する。
「こいつを後十本以上乗り継がないといかん。君らもさっさと行きたいだろう?」
ジップライナーに慣れたぼくは、このささやかな空の旅を楽しんだ。一本の長さは五百メートルくらいだけれど、それを何本も乗り継いでいくと、鳥が木から木へと飛んで行くみたいに思え、ぼくは少しだけ空中の生活が分かった気がした。
一度飛んでいるときにスコールがやって来て、三十分くらい駅で足止めもあった。雨の最中はやっぱり危ないそうで、雷がひどい時など滑っている途中の人間に落雷することだってあるという。
その後は使う人も増えて来て、平行して何本も走るところでは空の上が飛び交う人で一杯になった。最初に垣間見た鳥人間の格好をした人もいて、それはカワセミのように鮮やかな青と緑や赤に染め抜いたレースで、空中街のおしゃれなのだそうだ。余裕の出来たぼくはすれ違う鳥人間に手を振ったりして、相手も手を振り返したりするから、ぼくはすっかりラ・マルタのことが好きになってしまった。
けれど、楽しいときはあっという間に終わった。
最後のジップライナーを降りると、そこは河に面した崖の上だった。木の矢倉を降りると細い道が崖に作られていて、太い鉄の鎖が渡してある。鎖は日に照らされて熱く、ぼくらは教えられるまでもなくそこの木箱にいくつも置いてあったブタ皮の手袋を付けて慎重に降りて行く。
河は、この旅で見た中では一番大きく、対岸はマングローブの木々がぎっしり生えていて、水の流れはゆったりと北に向かって流れている。
「あれを使うがいい」
フェリペさんが指さす先に、四人乗りのゴムボートが河岸の岩に逆さまに置いてあった。
「でも、河は人目があるから……」
河や水路は街にも近いし交通もある。ぼくの迷いにフェリペさんは、
「この河はカウカ河と言う。このカリシティの南側は人口が少ないし山も険しいから水運も余りない。昔から住んでいる原住民がひっそりと暮らしているだけだ。すれ違うとしたら住人のカヌーだけだ。川幅が広くなる頃にはパストの街が近い。そこまでなら気にせずこいつで行けるはずだ。その先は君らの運次第だな」
「でも、これを使っちゃうと……」
ボートは返すことが出来そうにない。と、そうぼくが言い掛けると、
「構わない。行けるところまで行って置いておけば誰かがまた使う。神の思し召しがあればボートはまたここへ戻ることだろう」
ぼくの心を読んだかのようなフェリペさんに、ベンとエミリーが「ありがとう」と言い、頷く。ぼくは申し訳ない気持ちで一杯になり「ごめんなさい」と謝ってしまう。
「謝ることはない。私は命じられたことをしているだけだ」
彼はそう言うと、ボートが置いてある岩に開いた横穴から黒い箱を重そうに取り出す。
「エンジンだ。使い方は……エミリー、君なら分かるよな」
「ええ、大丈夫です」
エミリーは箱を開けるフェリペさんの横からエンジンに手を掛け、あちこち触ったりばね蓋やスイッチを確かめる。その手際を見て安心したのか、
「オイルはくれたばかりだから大丈夫だが、年期が入っているから無理はさせないように。軽油は缶が二つ、ベンチ下のロッカーに入れられる」
するとフェリペさんの部下が二人、岩の穴から燃料缶を取り出しておいてボートを水に浮かべ、流されないようにロープで岸の杭に結んでから二人掛かりでエンジンを取り付け燃料缶を積んだ。続いて荷物を積み込み、ぼくらが乗り込むと、フェリペさんの部下がもやい綱を解いてぼくに投げ渡す。
「では気を付けて行きなさい。ああ、忘れるところだった」
フェリペさんがエンジンを掛けようとするエミリーを止め、部下の一人を手招くと、部下が拳銃二丁と大型のナイフを持って来る。
「これはエミリー、君のだ。そしてこれはベン、そしてマレイ」
ぼくらはそれぞれ取り上げられていた武器を返してもらった。その時、ぼくはナイフを返してもらったエミリーに拳銃を差し出して、
「返すよ」
フリオとの対決以来、ぼくが持っていた拳銃を返そうとすると、
「いいから持っていて、マレイ。そもそも私の銃ではないし」
そう、これはエミリーがボゴタの兵隊から奪ったか貰い受けた物だった。その瞬間例の疑問、どうしてチルトローター機の兵隊が死んだのかを聞きそびれていたことを思い出したけれど、今はそれを聞く時ではなかったしそもそも聞く余裕もなかった。
「神のお導引きがありますように」
フェリペさんが胸の前で十字を切ると、それを合図にしたようにエミリーがエンジンのスターターひもを引っ張って始動する。たちまちグオーンというけたたましい音と黒い煙が上がった。
エミリーがそのまま船尾でエンジンと舵を受け持ち、ベンが舳先で見張りを、ぼくは当分やることもなく真ん中に座り、見送るフェリペさんたちにカーブを曲がって見えなくなるまで手を振った。こうしてぼくらはら・マルタを後にして、新たな旅の局面に立ち向かうことになった。




