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こうしてラ・マルタのギャラガー市長の客となったぼくらは、久々に人の住む街のなかで休むことが出来た。
市長の話によると、ラ・マルタはボゴタやカリより広大な面積を持つジャングルの中で五つの集落に分かれていて、ぼくらはその中心地「ミッションビエホ」の街に踏み込んだらしい。空中街の下の土地は立ち入り禁止で、ぼくらを捕らえた管理警察のパトロールが巡回して不審者や密猟者などに備えているという。
ぼくらはこの長い夜、次第に緊張を解いて市長からいろいろな話を聞き、市長の質問には主にエミリーが答えた。
ぼくが驚いたのは市長が元・監視者だったこともあるけれど、ぼくらやエミリーの事情も事前に知っているらしいことだった。市長はそれについてあまり明かさなかったけれど、ぼくやベンがギクリとすることを明かした。
「お前さんたちはカリでは有名人らしいな」
「なぜですか?」
ぼくが何気に尋ねると市長は、
「これを見てごらん」
揺り椅子の横にある小机の引き出しを開け、一枚の折り畳まれた紙を取り出す。それをぼくによこしたから、ぼくは促されるままそれを開くと。
「え!」
紙の上からぼくがこちらを見つめていた。それは全くいつ撮られたものなのか覚えがないぼくの写真で、着ているものや背景からこの逃避行の最初の頃だと分かる。ベンの写真も鮮明で、少し遠くを見る目をしているのは休憩中に山並みでも見ているときなんだろうか?そしてぼくらに挟まれてエミリーもいた。ただし、彼女は似顔絵で写真ではなく、実物より少し丸みのある顔に描かれていた。
「これは一体」
ぼくが驚いてつぶやくと、市長は苦笑して、
「一番上に書いてある通りだ」
確かに一番上に「指名手配ー賞金付き」とある。
「こいつはカリから三日前に回って来てな。写して回覧なり掲示なりしてくれと言われたが、この手のやつをカリが回す時は決まって政治犯や都合の悪い人物を排除するために決まっておる。それにラ・マルタはお前さんたちも経験した通り密かに入れる街じゃない。本物の悪党だったらとっくに牢屋へぶちこんでるさ」
市長は自慢げに胸を反らすと飲み物をゴクゴク飲んで、
「まあ、そう言うわけでお前さんたちは立派なお尋ね者ってやつで、賞金は一人でも捕らえたら最低でも一万ペソだと書いてあるから、カリ市民の半年分の給金に当たる。ここいらじゃ一年分だね」
一万ペソはサンマルティンじゃ二年分だろう。それに市長は言わなかったけれど、一万ペソはぼくの賞金で、ベンが一万二千ペソ、エミリーに至っては三万ペソだった。ぼくを苛立たせたのはそれだけでなく指名手配の理由で、そこでぼくらは強盗に放火殺人でボゴタで六人以上殺し、ジャングルを西に逃げている、危険なので見かけに騙されず注意せよ、となっていた。
「ぼくらはそんなことはしていません」
ちょっとムキになったぼくに市長は慰めの言葉をかけてくれた。
「もちろんそうだろうとも。安心していい。このラ・マルタじゃもし掲示しようがそんな紙切れのことをなど誰一人信じやしないし、お前さんたちを売り渡そうなんて考えるやつもほとんどいないよ」
「きっとあいつのせいだな」
ベンが壁をにらむようにしてつぶやく。もちろんカリのスパイだったフリオが救助され、こうなったに決まっている。この間、エミリーは例の無表情で、そろそろぼくも気付いていたことだけど、そういうときのエミリーは何か思いを巡らせているはずだった。
その後はぼくらを気遣ったのか市長は当たり障りのない話に終始して、ぼくらは夜更けまで話し込んでいた。ラ・マルタの生活ぶりを面白おかしく教える市長に、ぼくはサンマルティンの老人たちと共通したおおらかさと親しみやすさを感じ始めていた。終いには歌まで飛び出した市長のおかげで、ぼくは一時今の立場を忘れることが出来たんだ。
楽しかったといってもいい市長との会話のあと、ぼくらはそれぞれ西塔のなかにある宿泊所に案内され、個室をあてがわれた。自分の家の部屋よりも大きな部屋で、ボゴタにある立派なホテル並の清潔な部屋だった。籐で作られたベッドには清潔なシーツが掛かっていた。レースのカーテンの向こうは大きな窓で、見事な夜景を見ることが出来た。
入り口のほかにもうひとつドアがあり、開けると洗面台と便器、シャワーの付いた部屋だった。こういうのは見たことがなかったので、ぼくは好奇心に負けて水洗のトイレを使ってみたり、蛇口をひねってお湯を出してみたり、洗面台の鏡に付いた湯気を拭ったり、シャワーの栓をひねって水を浴びたりした。まるで当然のようにぼくのリュックサックが洗面台の上に置いてあった。
けれどこうして久々に一人になってみると、次第に孤独感がふつふつと湧いて来る。ぼくはこれも久々のシャワーを浴びてさっぱりした後でベッドルームに戻り、しばらく夜景を眺めていた。それにも飽きてベッドに横たわり竹の天井を見つめながら、ベンやエミリーも同じように少し寂しいと感じているんだろうか、そうだといいな、と思った。
父さんやサンマルティンのこと、指名手配までして追っている上級市のこと、監視者のこと、途中で見た動物や植物、この街と市長。そしてベンやエミリーへと思いが一巡したところで、ぼくは疲れと酒の酔いのせいか深い眠りに落ちていった。
翌日の朝。久々にベッドでぐっすり眠ったぼくらは、例の女の子に起こされ、これまた久々に本物の食べ物にありついた。
朝食は焼きたての丸いトウモロコシパンとトマトにレタス、ゆで卵にマンゴー、ヤギのチーズと本物のコーヒーまで付いた豪華版だった。ぼくとベンは何日も食べていない遭難者顔負けに食らい付き、あっという間に平らげたから一緒に食事の席に着いた市長も満足そうに笑っていた。
エミリーは、というと、何か考え事でもしているのかフォークをもてあそんでいた。給仕役についていた女の子がコップに水を注ぎながら、
「お口に合いませんか?何か別のものでも」
と聞くと、
「いえ、結構です」
と答え、ようやく申し訳程度にレタスを口にする。そういえば、エミリーがちゃんとした食事をするのは、ぼくらと最初に出会った頃に一緒に食べた缶詰以来だと気付かされた。あのキャンディだけで三日間、ジャングルを越えて来たわけだ。食料の尽きたぼくらもそれをもらっていたから、一粒で十分な栄養と満足感が得られる「監視者キャンディ」のすごさを知っていたけれど、これだけおいしそうな本物の食事を前に手を出さないなんてぼくには信じられなかった。
食事が終わると、市長がコーヒーを味わいながら、
「さて、どうするね。これからの話だが」
ぼくらは視線を交わしあう。エミリーはしばらくぼくとベンの顔を見た。ぼくは気持ちを固めていたし、ベンも同じはずだったから、エミリーの視線に頷きで答える。するとエミリーは市長の方に向き直って、
「先へ行こうと思います。いろいろとありがとうございました」
さらりと言った感じだったけれど、エミリーはそういう人だったから、ぼくは付け加えようと後を引き取った。
「勝手に街に入ってすみません。それに寝るところや食べ物まで頂いて。お礼も出来なくて、ごめんなさい」
するとベンが、
「いろいろ良くしてもらって助かりました。でも、本当におれたちはこのままでいいんですか?」
市長は大きな体を揺するようにして座り直し、
「このまま、とは?」
「このまま、何もしないで先に行ってもいいですか、ということです」
ベンが少し言い辛そうにする。それを市長も感じてくれたに違いない。
「するもなにも、お前さんたちは何もしていないからな。不法侵入と言い張ってもいいが、何も知らん人間を杓子定規に捕まえるのはウチの流儀じゃない。もしもカリシティがお前さんたちを捕まえなかったことを知ってわしを責めたとしても、そいつはお門違いだし、あちらもこの件でわしらと事を構えるほどのめり込みはしないだろうと思うよ」
そこで市長は細い目を更に細めるようにしてエミリーを見ると、
「そもそも、こいつは天の問題で地上の問題ではないからな。いくらカリシティの石頭どもだってこいつが天の一部には都合がよくても自分たちには決して都合がいいとは言えないことぐらい、分かっているはずだ」
すると珍しくエミリーが口を挟んだ。
「本当にそう思っていらっしゃいますか?」
エミリーは無表情に見えたけれど、微かに眉間にしわを寄せている。市長が笑みを浮かべたまま答えないでいると、彼女は再び、
「これが本当に地上と関係がない、と思います?」
「思うね」
市長はあっさり言うと、
「もっとはっきり言えば、地上に責任のない話だな。これは天の行く末に関わる話で、地上はそいつに巻き込まれようとしている、それだけだ」
市長もエミリーもはっきり何の話か言わないけれど、想像は付く。ぼくはあのハイウェイでエミリーがぼかして語った「天の功罪」の話を思い浮かべていた。
エミリーはしばらくの間、眉間のしわを消さずに市長を見つめていたが、やがて興味を失ったかのように視線を下に向けた。市長はやれやれといった感じで首を横に振る。
「お前さん方の荷物は泊まった部屋にあったはずだ」
市長の言葉にぼくとベンが頷くと、
「では、出かける準備をしなさい。わしも途中まで見送るとするよ」
市長の公邸がある西塔は、並び立つ東塔とともにラ・マルタの中心にあり、レンガとしっくいで出来た建物ではコロンビア一の高さだと市長は自慢していた。塔には市長公邸のほかに彼の執務室や市役所、議会など役所があるらしい。その証拠に、昨夜は人気のなかった不気味な塔が一夜明けて日が昇ると人々がやって来て、たちまちにぎやかになった。ぼくらが荷物を持って再び西塔の最上階、市長のプライベートな居住区に戻る頃には、廊下で何人もの人々とすれ違うようになって、昨夜は舞踏会場のようだと思った待合室には、様々な用事でやって来た人たちが思い思いに藤のベンチに腰掛けていた。
「では、いいかな」
市長はぼくらを迎えると、食事をした部屋の奥にあったドアを開け案内する。短い廊下と前室の先にそれはあった。あの鳥人間が渡っていたワイヤー、「ジップライナー」だった。
「こいつを使ったことは?」
ハーネスとヘッドギア、引っかけ器具のカラビナ付きロープが壁にずらりと下がる前室を指さし、市長が聞く。
「ありません」
ぼくが正直に答えベンがうなずくと、市長は念のため、といった感じで、
「エミリーは?」
「あります」
「ほほう」
市長が小さな目を見開いたので、エミリーは説明する必要を感じたのか、
「私は『グリーン』のフィールドワーカーです。『ジップスライド』、ああ、こちらでは『ジップライナー』と呼ぶのですね、この器具は南のペルーやボリビアではよく見かける交通手段です」
「なるほど。確かにコロンビアでは少ないが、ペルー辺りでは多いと聞くな」
「あのワイヤーですよね?」
ベンが聞くと、
「そうだ。ちょっとそこでハーネスの付け方や乗り方を教える。なあに、簡単だ。ロープにぶら下がり踏み出すだけで、あとは着地の時に足をけがしないようにさえ気を付けていればいい。ところでいまさらだが、高所恐怖の人間はいないよな?」
「大丈夫です」
ぼくは笑いながらベンと顔を見合わせて答える。ぼくらはサンマルティンの丘の大ブランコや屋根の上でさんざ遊んでいたから高いところは問題ない。
ぼくは小部屋の先に覗いていた遠く彼方へ伸びるワイヤーを見て、興奮が抑えられなくなって来る自分を感じていた。




