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デスプエス~それから、  作者: 小田中 慎
アンデス東脈
21/41

20

 その日最初の行程はエミリーが先頭に立った。彼女は何事もなかったかのように、「じゃあ、行くわよ」と言ってジャングルに入った。

 朝の一件は、ぼくの中で大きなしこりになっていて、ぼくは一言も口をきかずにしんがりを勤めていた。きっとぼくの不機嫌さに気付いたんだろう、ベンが時々寄って来てはサンマルティンの時のように冗談を言ったり肘で小突いたりしたけれど、ぼくはぎこちない相づちしか打てないでいた。そんな態度をしていたら今朝のこと、ぼくが二人を覗き見していたことに気付かれるかも知れないのに。ぼくはエミリーやベンのように平静でいることが出来なかった。


 今なら、あの時のぼくの感情を言葉で表すことが出来るかも知れない。

 エミリーに対する感情。監視者で女性で頭も良い彼女。そしてベンに対する感情。幼なじみで物心付いた時から常に苦楽を共にし、彼のいない生活なんて想像も出来なかった。

 二人に対する尊敬と嫉妬と不安、焦り。もやもやとして掴み所のないイライラ。親愛の情がにじみ出ると今度は反感が鎌首をもたげる。感情がせめぎ合い複雑に絡まって、ぼくは途方に暮れていた。それを何と表現していいのか、その時のぼくには分からなかった。

 でも、今なら言える。

 ぼくはベンとエミリー、二人同時に同じ程度の恋愛感情を持っていたんだろう、と。


 霧は跡形もなく消えて、太陽が昇ると同時に強烈な暑さが戻って来た。

 サンマルティンを逃げ出して以来、比較的高地を歩いて来たけれど、ハイウェイから先、次第に高度の低い土地に入っていて、特にこの日から先、ジャングルの様相も随分違って来た。

 シダやツタの類が増え、それが足に絡まり進路をふさぐから次第に先へ進むのが遅くなる。岩や古木にはびっしりと厚くコケが生していて、まるで緑色した巨人が膝を付いているように見える。にょっきり立ち上がって、列をつくるコビトみたいに見えているのは巨大なゼンマイだった。

 ふんわりと飛びまわる大きなアゲハ。赤や黄色、黒が緑の中で鮮やかだ。緑の身体に紅い手足と真っ赤な目をした毒々しいカエルたち。中でもまぶたや背中にトゲのあるやつは毒を持っている。ジャングルの緑よりずっと鮮やかな緑をまとったトカゲ。黄色一色のヘビ。どれもサンマルティンではお目にかからなかった動物たちだ。

 こうした緑一色に塗り固めたようなジャングルは昼間でも薄暗く、太陽の直射は遮ってくれるものの一緒に風も遮ってしまい、淀んでじめじめと湿った空気は暑さと一緒になってぼくらを苦しめた。


 雨の少ない季節になっていたけれど、学校で習った微かな記憶だと、コロンビアの南西部、アンデスが二つに分かれて南北に走る部分では少雨期でも他の地方と違ってスコールがあるらしい。この二週間ほど小雨や霧はあったけれど、本格的なスコールはなかった。それがこの日は立て続けに二回、突然暗くなったかと思えばいきなりのどしゃ降りで、三人ともずぶぬれになってしまった。

 スコールは深い緑の天井など物ともせずに降り注ぎ、白いしぶきで前方が霞み、シダの葉に跳ね上がる水やツタから落ちる水はまるで滝の中にいるみたいだった。それはサンマルティンで雨の多い季節に経験した豪雨以上で、たちまちくるぶしまで水に浸かったぼくは、洪水でも来ないかと聞き耳を立てたほどだ。けれどこの滝のような雨の中では動くことすらままならない。ぼくらは濡れねずみになって突っ立ったまま、じっとスコールが通り過ぎるのを待つしかなかった。


 そんなぼくらが「キャノピー」に出会ったのは次の日、二回目のスコールが通り過ぎてしばらく後のことだった。

  

 先頭を行くエミリーが突然立ち止まった。続くベンが立ち止まるとしんがりのぼくはベンと並び尋ねた。

「何?」

「あれだ」

 ベンは空を指さしたけれど、最初は何か分からなかった。ちょうどジャングルの切れ目で空が覗いている。

「見えないか?二本の線」

 戸惑うぼくにベンが、

「ワイヤーが張ってあるだろ?電線みたいに」

 確かに黒いワイヤーロープが二本、二メートルくらいの間隔で平行に空を横切っている。

「電線じゃないのかな?高圧送電線」

「こんなところにか?そんなもの上級市の周りでしか見たことないぞ」

「でも、ここはもうカリに近いよ」

 そう、ぼくらはコロンビアで一番南にある上級市、カリの二百キロほど東まで来ていた。

「でも、あれは電線としたら随分おかしなものじゃ……」

 ベンが言いかけた時。

「下がって!隠れて」

 そう言いながらエミリーが駆け寄ると、シダの葉陰に滑り込んだ。ベンが素直に従い、ぼくはあわててエミリーの横に駆け込む。

 ぼくが隠れるのとほぼ同時に、その音が聞こえ出した。

 シャー。カラカラカラ。シャー。

 金属がこすれる音と何かの回る音。なんだろうと空を見た瞬間、ぼくは見たんだ。空を横切る鳥人間を。


 最初に通り過ぎたのは赤と黄色と緑が鮮やかな何か、だった。ワイヤーに沿って、一瞬で空を過ぎった。

 それが人間だったとは、にわかには信じられないことだった。ぼくの目にはジャングルに棲むオウムに見えた。けれど、オウムはいくら大きくたってあんなに巨大ではない。

 それは鮮やかなポンチョ風の衣装をまとった人だった。先ほどの人に続いてもう一人、ワイヤーに何かの器具でぶる下がり、ものすごい勢いで右から左へ過ぎ去った。

「一体、何だ?」

 カラカラという滑車の音が遠ざかると、ベンが空をにらんで呟く。するとエミリーが、

「『キャノピー』だ」

「え?」

 聞き慣れない言葉にぼくが反応すると、エミリーが説明する。

「木の上で生活する人たち。カリの東側がテリトリーらしいけれど、詳しいことは私も知らない」

「木の上で生活するって……」

「行くわよ!」

 エミリーはぼくを遮り肩をぽんと叩いて立ち上がると、

「こんなところは早く抜けるに越したことはないから」

「あの連中は敵なのか?」

 ベンが尋ねる。エミリーは小首を傾げて、

「分からない。カリの支配下にはないらしいけれど、油断すると痛い目にあうわ」

 エミリーはさっさとリュックサックを背負い直す。

「少しきついけれど、遠回りしないと」


 その日は日が暮れるまで、三人黙々と歩き通した。

 今までは割と平坦な場所を選んで歩いて来たけれど、キャノピーとか言う人々を垣間見てからは斜面や崖の縁など危険な場所を進んだから緊張の連続だった。

 途中、面白いものもあった。ぼくが先頭に立って背後からエミリーの指示で斜面を越えていたとき、どこからともなく動物の臭いがし出した。それは懐かしい臭いだった。

「ねえ、ヤギの臭いがしない?」

 エミリーに教えようと振り返ると、彼女は顔をしかめて、

「この先に家畜がいるらしい。少し静かに行こう」

 エミリーが身振りで先頭を代わるよう促したので、ぼくは素直に道を譲る。

 それはエミリーに代わってから直ぐに見えて来た。

「あそこ、上!」

 斜面の上、その縁に柱を組んで高床式の倉庫みたいなものがある。それはどこの村にもあるネズミ返しの付いた倉庫とは比べ物にならない高さと大きさがあった。ぼくの家よりずっと大きくて、多分村長の家くらいはあっただろう。でも、それは普通の建物ではなかった。

「鳴き声が聞こえる」

 エミリーが立ち止まって上を指差し、鼻をつまむ仕草をした。確かにメェーという鳴き声が籠って聞こえる。

「臭いもあそこからだね」

 ぼくは同意すると、その空中家畜小屋を感心して見上げた。

「すごいな。あんな高いところで飼うなんて」

「静かに。ヤギがいるなら人もいるでしょ?行くよ」

 エミリーは音をたてずに斜面を下り始め、家畜小屋から離れて行く。家畜が好きなぼくは、姿の見えないヤギを想ってちょっとのあいだ小屋を見上げた。野獣の心配は分かるけど、なぜあんな高い場所でヤギを飼うのか聞いてみたい気もする。水とか餌をやるのはさぞかし大変だろう。ぼくは村で飼っていたヤギのことを思い出し、少し気分が沈んだ。あのヤギに誰か水やエサを上げる人は今村にいるんだろうか?

「おい、マレイ」

 いつの間にかベンが隣に来て、背中を小突かれた。

「分かってる」

 ぼくはもう一度小屋を見上げてからやっとそこを離れた。

 

 このジャングルは高い木とそれに絡まるツタ、カズラで覆われ、それらの蔓草が腐葉土と地面に飛び出す木の根と一緒になってぼくらの妨害をした。何本かの河が谷を作っている場所なので起伏もあり、進むのがかなりきつかった。

 先に進めば進むほど建物も多く見られるようになり、そのどれもが木組みの上や自然の木と木を組み合わせた上にあって、地面にある建物はひとつも見られなかった。それに何度か風に乗って話し声が聞こえたりして、ぼくらは緊張を強いられ続けた。けれど、最初のワイヤーを渡る人たち以外に人を見ることもなく、ぼくらは午後一杯、建物を発見してはそれを避け、汗びっしょりになりながら草をかき分け進んで行った。

 

 そんな苦労も一瞬で終わる時が来る。

 それは翌日の日も傾きジャングルの中が薄暗くなった頃、そろそろ次の休憩が頭に浮かび始めた頃合いだった。

「止まって!」

 突然前を行くエミリーがぼくを止めた。そこは相変わらずの斜面で、ぼくは危なっかしく斜めに立って後ろから来たベンに場所を空けた。ぼくに追いついたベンは小声で、

「どうした?」

「しっ!」

 エミリーが制して怖い顔で辺りを見回すと、

「ここはまずい。戻るわよ」

 そう言って、ベンに身振りで逆戻りして斜面を下れと指示した瞬間。

「動くな!」

 甲高い男の声が斜面の上からする。はっと見上げると、小銃を構えた男が五人、斜面の上からこちらを狙っていた。

「山刀を地面に置け、ゆっくりだ!そして手を上げて、待つんだ」

 別の声が下からすると、たった今登って来たばかりの斜面の下にこれも男が五人、小銃を構えている。

 ぼくは銃のことを知っていたから、その銃は上級市の軍隊が持つライフル銃にそっくりで、しかも構えている男たちの態度から、彼らが銃の扱いや獲物を追いつめる方法をよく知っているのが分かった。なぜなら、挟み撃ちをする場合、味方同士銃弾を浴びないため、お互い獲物を挟んで重ならないよう角度を取らないといけないけれど、彼らはちゃんとそうしていたし、銃の構え方が堂々とした立ち撃ち姿勢で、その銃口がしっかりとぼくらを捕らえているのがよく分かったからだ。

 ぼくはそんなことを考えながら男たちをにらみつけていたんだ。




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