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「やた!」
ルックが小躍りしながら走って来る。枝を投げたベンも走り寄り、フリオの手から拳銃を奪い去る。ぼくもすかさず彼女に走り寄り、彼女の置いた銃を拾い、投げ捨てたナイフを手の届かないところまで蹴り飛ばした。その間、彼女は驚く様子もなく、動くこともしなかった。
「フリオは味方じゃないの?」
ぼくの第一声はベンを苦笑させた。
「おまえ自身、信じていないくせして」
まったくベンの言う通りだったから、ぼくは肩をすくめただけで、
「やっぱり信じられない?」
「こいつだよ」
ベンは伸びてしまって身動きしないフリオの手に、落ちていた手錠をかけながら、ぼくに何かを放ってよこす。
「読んで見ろよ」
それはプラスチックのカードで、フリオの写真が左上に印刷してある。軍服姿で少し前の写真だろう、無帽の髪の毛が刈り上げてあって、とても若く見える。
「ルシアーノ・エストラーダ、少佐、第三リベラ大隊……何?これは」
「リュックサックに隠してあった。おとといの夜、こいつが中から下着を出している時に一番下に黒いポーチが見えた。きっと大事なものだと思ったから、その時は知らんぷりしていて、今朝、おまえが出かけた後で開けて見たんだ。それより、その浮き彫りの紋章と一番下段の街の名前を見て見ろよ」
「これって……カリシティ!」
二つの頭を持つヘビが絡まった右手に握られる三本の矢。それの意味を考えるまでもない。下段に『カリシティ 市長』とサインがある。
「フリオって、カリシティの兵隊だったの?」
ベンは黙って頷くと、気を失ったままのフリオをひっくり返し、ポケットの中のものを全部出し始めた。
「死んでないよね?」
心配になったぼくの問いかけに、
「大丈夫だ。脈はあるし、当たりどころだって計算してる」
ベンは大人顔負けの枝投げ猟の名人だったから自信たっぷりだった。
「フリオって偽名だったんだね。ボゴタシティへ交渉に行くとか、そこのエミリーを差し出して村人を助けるとかうまいことを言ってぼくらをだましていたんだ。本当はカリシティに連れて行くつもりだったのかな?」
「そんなことはもう、どうだっていいよマレイ。それよりその娘をよく見張ってろ」
もっともだ。ぼくはエミリーの持っていた銃を確かめ、安全装置が外れていないのを確かめてから銃口を彼女の足下に向ける。銃の扱い方は子供の頃からなじんでいた。サンマルティンの子供はみんなそうだ。ジャングルには山犬やアナコンダ、滅多にいないけどジャガーだっている。幸いにもエミリーの銃はホリットの自警団が持っていた拳銃によく似た二十二口径のものだった。天の武器には見えないから、やっぱりあの飛行機から持ち出したものだろう。
「こいつ、やっぱりスパイだ。小型の通信機を持ってやがった」
ベンがフリオのポケットから黒い何かを取り出した。ぼくはそれを見て疑問が一つ解けた。
「そうか、それでどこかと連絡を取っていたからエミリーが逃げ出したのを知っていたんだ。あの飛行機の墜落を見て驚いていたのはお芝居だったんだね」
すると、
「それはすぐに壊さないで捨てた方がいいわよ」
エミリーが口を開く。ベンがその手のひら大で薄い長方形の装置を持ったまま、
「なぜだ?」
「その手の装置には発信器がついていて、移動がトレースされているからよ。当然この場所も知られている」
ベンはちょっと迷ってからその箱を地面に置いて、
「あんた、エミリーとか言ったよな」
「ええ。あなたは?」
「ベンだ」
思わず答えてしまってからベンは首を振り、
「自己紹介なんかどうだっていい。あんたの目的は何だ?」
「目的?」
「あんた偉い監視者さんなんだろ?それが天から降りて来て、村の近くにいた。一体何のためだ」
「話せば長いわ」
ベンは鼻で笑って、
「なるほど。確かに時間がないな。じゃあ一つだけ。ここも危ないんだろ?」
「相当に。この人は私がここにいることを知っていた。マレイの言う通りその通信機で情報を得ていたんでしょうね」
ベンは腰に両手を当てたまま胸を反らせていたけれど、そこでふと力を抜いて両手を下げた。顔は険しいままだったけれど、声は天気の話でもするように、
「あんたは逃げているんだよな」
「……ええ」
ベンは道の向こうを指さして、
「ボゴタシティから」
「ええ」
今度は転がって動かないフリオを指して、
「カリシティから」
「ええ」
空を見上げて、
「そして天から」
エミリーから吐息が聞こえた。何かあきらめたように、
「ええ、そうよ」
「じゃあ、おれたちはとりあえず一緒の立場だ」
ベンが笑ったので、ぼくも銃を下げ、笑う。そばで成り行きを見守っていたルックがほっと息を吐き出した。彼女は無表情のままだった。
ぼくらはフリオを担いで自分たちの一夜の宿まで戻ると、急いで荷物を持って出た。フリオは後ろ手に手錠をして猿ぐつわをしたまま部屋の真ん中に寝かせた。気が付いていたけれど、もうろうとしているみたいで、騒ぎも暴れもしなかった。
「このままで大丈夫かな?ジャガーとか来ない?」
ぼくが聞くとベンは、
「周りには肉食の動物はいないみたいだから、大丈夫だろう。それにここも間もなく誰かがやって来るし。どこからかは分かんないけど、そいつらが助けるだろうよ」
ボゴタシティか、カリシティ、それともエスケイパーとか言う天の監視者か。ベンの答えに改めてぼくらはこの三者から逃げる羽目になったんだ、と思う。
エミリーはずっと外で待っていた。逃げも隠れもせず、表情も変わらなかった。
「逃げてもよかったのに」
ベンはつまらなそうな態度でそう言うと、ぶっきらぼうに尋ねる。
「あんた、荷物は?」
「この先の廃墟に」
「じゃあ取りに寄ろう」
「ベン」
「何だ」
「私のことは名前で呼んでくださいな。エミリーと」
「分かったよ、あんた、いや、エミリー」
そのぎこちないやりとりにぼくが思わず苦笑すると、ベンは怖い顔でにらみつける。ルックと目があって二人同時に肩をすくめた。ベンの気持ちはよく分かる。ぼくらだって同じだ。同じ年頃の女の子なんて村にはいないし、出会う機会も年に数回の合同交換市くらいしかない。その時も声を掛けるのはよほどのことがない限り無理だった。この地上では女の子と気軽に話すなんてありえない。しかもエミリーと来たら、今まで出会ったどんな女の子とも違う強さや美しさがあったから尚更だった。
エミリーの隠れ家は意外と近くにあった。ぼくらが、いや、あのフリオがこの廃墟の村を調べた時、彼女の存在に気付かなかったのは、エミリーがこうして逃げるたり隠れたりすることに慣れていることを示しているんじゃないだろうか、と思う。
その廃墟はぼくらが宿にした場所とほとんど変わらない感じの場所だった。寝袋があって、それを器用にクルクルと丸め、小さめのリュックサックに縛り付ける。ぼくらが見張っている前で、エミリーの準備はあっと言う間に終わり、彼女は僕らに続いてリュックサック一つに登山に使うストックを持って外に出た。
「さあ、どうする」
ベンが皆に聞く。
「どう逃げるか、方向だけでも決めないと」
既にベンは皆のリーダーになり掛かっている。ぼくもルックも依存はない。遊びでもいたずらでも、常にそうだったからだ。だが、エミリーが加わるとそうも行かない。彼女は一番年上だし、なによりぼくらを天から見張っている監視者の一人なのだから。自然と視線がエミリーに集中する。それを意識しているのかいないのか、彼女の表情は落ち着いたままだ。やがて低い声で話し出す。
「私には行かなくてはならない場所がある。そこに行けば、今の立場を変えられそうな場所が」
「それはどこ?」
思わずぼくが聞くとベンが制して、
「続けて」
「そこはここから道のりで七百キロは離れたところ。歩いたら一ヶ月は掛かると思う。それでも私は行かなくてはならない」
一瞬、間を空けてからベンが、
「どうして行かなくてはならないんだ?」
「会わなくてははならないから。あなたたちの言う天の監視者と」
「その天から追われているんじゃないのか?」
「理由を話している時間はないから言うけど、それでも会わないといけないの」
そこでエミリーは少し悲しそうな顔をした。
「例え命を奪われる可能性があっても、直接会っておかなくてはならないのよ」
少し考えてベンが言う。
「それは、おれたちにも関わる話なのか?会って知らせなくてはならない何かをここで見つけたのか?」
エミリーの表情が更に変わる。驚いた表情だった。
「どうしてそう考えたの?」
言った途端、今度は眉をひそめて首を振り、
「ああ、どうでもいいことね、そう、関係していると言ってもいい」
「それはぼくらに話せる話なの?エミリー」
ぼくが聞くと彼女は首を横に振る。
「今は出来ない。ちなみにこの話は盗聴されているかも知れないわ」
「じゃあ、話はやめだ」
ベンはすっぱり言うと、
「エミリー。先導はあんたに任せるよ。慣れていそうだし、道を知っている」
「じゃあ、行き先はそこで?」
「構わない」
ベンはそう言ってから、表情を緩める。
「途中で行き先なりあんたなりが気に入らなかったりしたら、外れるだけだ。とりあえずついて行くよ。な?」
最後の、な?は、ぼくとルックに確認だった。ぼくは頷いたけれど、ルックは迷った。
「ぼくは……」
「何だ、いやか?」
「嫌じゃないけれど、村の人たち、父さんたちが気になって」
ぼくは、はっとした。いろんなことが立て続けで、父さんたちのことを忘れていた。
「そうだったよ。どうするの?」
ぼくも迷ったのを見て、ベンはエミリーに、
「エミリーの行きたい先にたどり着いたら、それはサンマルティンのためになるか?」
エミリーは顔をしかめ、うなだれて、
「あなたたちの村にはとても済まないことをしたと思っている。私は生き延びるためにあなたたちの村に保護を求めた。結果、村の人たちに取り返しの付かない災難を与えてしまった。だから私は、少しでも償いたいの」
そこで顔を上げたエミリーは、力強い声ではっきりという。
「この先どうなるか、それは分からない。けれど、私の報告が然るべき人の耳に届けば、今、地上に訪れようとしている災難を回避出来るかも知れない」
そしてぼくらの顔をを見回すと、
「約束は出来ない。けれど村の人たちが元の暮らしに戻れるよう、出来る限りやってみるつもり」




