第42話 ツンドラのあるじ
【濡烏】の刀身がかき消え、闇と化した。
〈シャドウ・スラッシュ〉!
フィーン先生に組み付いていたタイガ・タイガーを切り裂く。
ひるんだ虎は横に転がった。よし、まずはフィーン先生の救出に成功。
ちらりと横に目をやると、ラウル先生は肩口に噛みつかれながらも、超至近距離で剣を突き立てているところだった。互いに削りあいかな。
アレン王子は……どうなってるのかよくわからなかった。星が後から後から湧いてきてなにも見えないのである。おそらくこの下にアレン王子と虎がいるんだろうけど――エフェクト機能オフにしたい。
とりあえずマリスさんがラウル先生を回復。たぶん、いい判断だろう。
起き上がったフィーン先生が目の前の虎とやりあうあいだ、私は遠慮なく横合いから斬りつける。黄と黒の体毛が赤に染まっていく。それでもタイガ・タイガーはなかなかにしぶとい。これだけの巨体であると、相応のヒットポイントがあるのだろうな。ええい、さらに攻撃だ。
ようやく中ボスの一匹が息絶えたのは、ゲームで言えば3、4ターン目くらいであった。よし、後は流れ作業だ。
フィーン先生が、ラウル先生にのしかかっていた虎を切り裂く。私も横から一太刀。我々が援護したことで、それまでずっと虎に〈のしかかり〉されていたラウル先生は脱出できた。ここまで、マリスさんに回復してもらっては、噛まれたり、引き裂かれたり、押しつぶされたりしていたのである。
虎はすでにかなりのダメージを負っていた。三人でざくざくっと息の根を止める。どうでもいいけど、虎ってワシントン条約で保護された貴重な生き物だったりしないの? モンスター扱いで殺してもいいの?
――私の小さな疑問をよそに、フィーン先生とラウル先生が最後の一頭(アレン王子にのしかかってるやつ)を手早く片付けた。息絶え、地に伏すタイガ・タイガー。二人はアレン王子を巨体の下から引っ張り出す。高レベル冒険者のはずだが、この人たちあんまり格好良くなかったな。
しかし、我々は虎退治に成功したのだ。ちなみに加藤清正が虎を退治したという歴史的事実はありません(戦国知識自慢)。
「やれやれ、手間取ったね」
へらへらと笑うアレン王子。〈のしかかり〉から最後まで自力脱出できなかった男の勇姿がそこにはある。
「……マリスさんがいなかったら、お三方とも死んでいたんじゃ?」
「そうかもね」
実際にはポーションがあるから大丈夫だったろうけど……。回復役がいないと、とてもやっていけないな。
「しかし、4頭もいると、皮を剥ぐのも一苦労だな」
ラウル先生がぼやく。回復しているとはいえ、虎と格闘戦を演じた直後に平然としているあたりはさすが教官だろうか。
「皮を剥ぐんですの?」
「皮は売れるんだ。あと肝もな」
「肝……」
こんな大きな動物を解体しているところはあまり見たくないなあ。
「しかし、ぼろぼろの虎皮に商品価値はないでしょうね」
「こっちの二頭はいけるんじゃないかな」
「処理するのに少し時間かかるけど、どうしよう」
などと、相談している男三人。
「どれくらいかかります?」
「最後までちゃんとやるなら、夕方くらいにはなるかなあ」
「じゃあ、今日はここで一泊だね」
「帰りましょう」
私は横から言った。
「いや、来たばかりだぜ」
「宿に戻って、明日また〈大氷原〉に挑戦しましょう」
来て早々だが、とりあえず中ボスは倒したのだ。今日の戦果はこれで充分。宿に帰れる余裕があるのなら、いったん帰ったほうがいい。キャンピングカーと宿では、疲労の回復度合いが違う。
冒険は二日目。まだ無理するタイミングじゃない。それにマリスさんの〔スタミナ〕が60を切っている。いま帰って休めば、明日の正午には90近くまで回復できるはずだ。
ここは虎皮なんぞより体力のほうを優先すべきところだろう。
「んー、無理はしないという判断か」
「それはありでしょうね」
「ぼくはそれでもいいよ」
と、宿に戻ることが多数決っぽく決まった。
このパーティーのリーダーってだれなの? アレン王子じゃないの? マリスさんは侍従らしく意見を差し控えているけど……あなた、リーダーやってくれません? 一番決断力がありそう。
「でも、ちょっと待ってくれ、こっちの二頭だけ持って帰る」
「時間がかかるんじゃありませんの?」
「簡単に処理するだけだからすぐ終わるぜ」
ラウル先生はタイガ・タイガーの血抜きをして、内臓を抜く(ぎゃー)。これでだいぶ軽くなったようだ。ロープを使って、キャンピングカーの上に引っ張り上げて固定する。残り二頭は首だけ持って帰ることになった。臭い上に気持ち悪いのでこれもキャンピングカーの上へ。
「残酷なものですね」
「ええ、でもこれが冒険者であり、自然の摂理ですから」
草原の向こう側、うち捨てられた虎の遺骸には、もうハゲタカとハイエナが群がっていた。正確に言うと、ジャイアント・スカベンジャーとムーンウルフ。このマップの雑魚敵だ。後者はさっきの群れかな?
うーん……あいつらを倒せば、レベルアップできる気がする。
「……先生、私たち、まだ戦う余力ありますよね? ポーションもエリクサーも使ってないし」
「ええ。でも、先ほど無理はしないと言ってましたよね?」
無理はしなかった。だって強いとはいえ雑魚だし。
宿への帰還は少し遅くなった。キャンピングカーの荷台には、ジャイアント・スカベンジャー二羽と、ムーンウルフ四頭が増えていたが、特に触れるべき話題ではないだろう。
■
いろいろあって、翌日は丸一日宿で休むことにした。天候もぐずついていることだし、ちょうどよかったよね、うん。
猟師村のハンターたちは、我々の猟果に驚いていたようだった。このあたりで猟といえば、普通、エルク(ヘラジカ?)猟を指すものらしい。もし、狼を一頭でも仕留めたのだとしたら、それは英雄扱いされるような偉業なのだという。そして、虎を持ち帰った者など、この10年いなかったそうで――
「さすが、殿下だ!」
「エリスランド万歳!」
「王家よ、永遠なれ!」
わりとお祭り騒ぎであった。
「ハハハ、ぼく一人の力で倒したわけじゃありませんよ」
それにしても、アレン王子を中心に語られるのが納得がいかない。このパーティーの場合、中核は回復役のマリスさんだよな……。むろん、彼女は出しゃばったり、功を誇ったりせず、控えているわけだが。王家に仕えているからというより、目立つのを好まない彼女本来の性格によるものだろう。ちなみにリリーさんは功を大いに誇りたかったのだが、肝心の功が虎の待ち伏せに気づいたことくらいしかなかった。
獲物の解体はハンターさんたちが率先して手伝ってくれた。そりゃもうみんな王子様のためならなんでもやりますわな。虎はすぐに虎皮にされる。テレビで見るような大の字になったあれだ。お頭付きですぞ。といっても最終的な処理に時間がかかるようなので村の職人に預ける。
狼は四頭ともその場で買い手が付いた。どうやら、買った人たちは、持ち帰って自分が獲ってきたことにするらしい。恥ずかしいまねであるが、どうせ誰も信じないからいいんだ、などというちょっと悲しい声も聞こえる。釣りに行ったお父さんが魚屋に寄って帰るような感じなのかな?
鳥二羽(ジャイアント・スカベンジャー)は、羽毛部分を商人が買い取っていった。羽根がマジックアイテムの材料になるとのことで、私たちも一部を自分達の手元に置いておく。解体で出た肉は調理されて村中に振る舞われる。もはや宴会状態である。
「そういえば、戦利品の分配はどうしますの?」
夕食の席で私はパーティーの面々に尋ねる。
「俺は武器が欲しいなあ」
「ぼくは歴史的な遺物がいいですね」
とはラウル先生とフィーン先生。
「私はなにもいりません。すでに王家よりお給金を頂いていますから」
マリスさんがそんなことを言った。
「いや、冒険で命をかけるほどのお金はもらってないでしょ。ちゃんと五等分します。って、……殿下はなにもいりませんよね? 国ひとつ持ってますから」
「もらいたいなあ……最近なにかと物入りでね」
いつも笑顔の王子様だが、今夜は苦笑であった。
「は? 王子がなにを言ってるんです? そもそもこの土地自体が殿下のものでしょう?」
「ぼくの国じゃないし、土地は王家のものじゃないし、そもそも財布が別だよ」
「――殿下は少々お金に困ってるのです」
マリスさんが私に耳打ちする。ああ、普段、キャバクラで豪遊してるから……
とりあえず、狼と鳥の売却代金はすべてアレン王子に渡しておいた。たいした金額ではないが、キャンピングカーを用意してくれた分の経費である。現金は彼に回して、私は強力なアイテムをもらおうっと。
翌日。
冒険四日目である。一日休んで元気全開。朝からキャンピングカーは〈北の大氷原〉に入る。前々日にある程度のマッピングを進めているので、探索は快調だった。
中ボス討伐済みということもあってか、特に目立った出会いはない。あえて言えば、野生馬の群れを見かけたくらいであろうか。道産子のような大型馬が、数百頭単位で草原を駆けていくのである。これがもうど迫力。車外にいたら、地面が揺れているのがわかったに違いない。
アレン王子は馬をほしがったが、この草原ではオフロードバイクでもないと捕まえるのは不可能だったろう。それに……道産子にまたがった王子様は頂けない。白馬を用意してもらいなさい。マリスさんも馬好きということで「四頭ばかり」ほしいと言っていたが、今回は諦めてもらおう。技術的に無理です。
お昼休憩を挟んで午後二時頃。
とうとう待ち望んでいた瞬間がやってきた。
「シロクマがいますね」
と、一号車から無線が入ったのである。
それは小川沿いにいた。他の野生動物と違って、キャンピングカーを見て逃げることがない。気にせず川辺でごろごろしている。我々のことなどまったく脅威に感じていないのだろう――だって、その気になれば、キャンピングカーくらいひっくり返せるだろうから。
巨大なシロクマである。左目に深い傷跡がついている。過去の勇士が斬りつけた証だ。そしてクマが生きているということは、その勇士がもういないこともまた意味しているに違いない。
「どうします?」
「倒します。あれが〈北の王者〉――このあたりの主です」
この〈大氷原〉のラスボスだ。
「リリーくんは、相変わらず、妙なことを知っていますね」
「人より少しだけ知ってることが多いんです」
これ、最近、口癖みたいになってるけど、ごまかすのに便利だから使ってるだけで、そういうものではありません!
私たちはキャンピングカーから降車してフォーメーションを取る。幸い、戦いの邪魔になりそうな生き物は周囲にいない。いや、〈北の王者〉に近づくものなどないということか。これは好都合。単独出現ボスなど、HPが高いだけの雑魚に過ぎない。
「マリスさんは回復に専念。前三人、取り囲んでボコボコにしておしまい」
「わかった」
「了解だよ」
私のキャラが乱れてきた。
まあ、秘策は用意してあるんスよ――懐の秘密兵器に手を伸ばす。そう、ボス戦といえば、リリーさんの〈投げる〉ですね。アイテムで弱点を突いて、ノーダメージクリアしてさしあげましょう。
〈北の王者〉はようやく起き上がった。しゃらくさいと言わんばかりに、のそのそとこちらへ歩いてくる。川でシャケでも捕ろうかというお気楽さだった。こちらの間合いに入る――その瞬間。
巨大なクマが立ち上がった。
大きい。本当に大きい。3メートルか、5メートルか。人間の背丈の倍くらいはあるかもしれない。こんな生き物がいるなんて信じられない。人間は大きなものに本能的な恐怖を感じるという。そう、私は怖かった。こんなのと戦ったら殺されてしまう。
「GRAAAAAAAAHHHHHH!」
それに追い打ちをかけるような〈咆吼〉!
「くっ!」
全員へのダメージ&スタン攻撃だ。咆吼に三半規管を揺らされて、全身がビリビリする。しかし、【抵抗の指輪】のおかげで、私はなんとか気絶を免れる。前列のメンズ三人も耐えた。
マリスさん、スタン!
しまった、彼女は耐性を上げる指輪をつけていないんだ。私は慌てて手にした秘密兵器をしまい、聖水を取り出す。攻略プランはすでに崩壊しております! これはまずいか?
しかし――
そのときである。
ラウル先生とフィーン先生がちらりと目線をあわせたのが見えた。
次の瞬間、両者が同時に動く。左から〈コールド・ブレード〉、右から〈ブレイズ・ブレード〉――魔力を込めた剣がX字に刻まれる。見たことのないエフェクトだった。なにこれ、複合スキルみたいなもの!? こんな新機軸聞いたことない!
そこに星が落ちてくる。真ん中からアレン王子が一閃。これは――〈スターダスト・ストライク〉ではない。〈シューティング・スター〉! ボス戦に有用な敵一体を攻撃する上級スキルだ! エフェクトはいつもの乙女チックなキラキラではなく、隕石がどすんと重量級。
いきなりの三連続攻撃で〈北の王者〉がばったりと後ろに倒れる。賞賛の口笛が吹けたら吹いていたのに。
「王子、〈シューティング・スター〉使えたの?」
私はマリスさんを抱き起こしながら尋ねる。
「試してみたら使えたんだ」
〈シューティング・スター〉は、〈スターダスト・ストライク〉がレベル5以上になると習得できるスキルである。おそらく、この旅の最中にスキルが成長してゲットしたのだろう(レベル6相当?)。だが、さすがに〈スターライト・シャワー〉は当面先かな。
「マリスさん、まずご自分から回復して……」
と、聖水で目を覚ましたマリスさんに話しかけているうちに、〈北の王者〉が起き上がる。やべぇ、すでに目が赤い。深手を与えたのはいいが、狂乱モードだ。
巨大なシロクマがむちゃくちゃに駆け出した。前の三人が攻撃を繰り出すが、意に返さない。騎士たちの剣によってさらなる深手を負いながらも、まとめて吹っ飛ばす。これは〈大暴れ〉か! 防御力低下と引き替えの全員攻撃だ。もちろん私たちも狙われるわけで――
迫る巨体。避ける暇なんてない。二人一緒にはね飛ばされた。
「ぐっ!?」
背中から墜落。一瞬息が詰まるが、身体は動く。さっきの〈咆吼〉と〈大暴れ〉で、HPの半分くらい持って行かれたかもしれない。みんなも似たようなものだろう。
五人全員が負傷し、回復役が一人だけ。
これでは回復が間に合わない!




