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幕間1 俺の妻は病気だ


 俺の妻は、対人恐怖症だ。

 周りはただの緊張しいだと言っているが、あれはもう精神病の域だと思う。



 彼女の家は、伯爵家ではあるが、その昔は公爵家であったそうだ。事業に失敗したとかで伯爵家にまで落ちてしまったが、今でも王家とは交流がある古い歴史のある家だ。

 その家のご令嬢であるエミリアと俺は、幼馴染であり、一か月前に結婚した。




 はっきり言おう。俺は彼女との距離を測りあぐねていた。

 目の前に立てば体を強張らせ、感情のこもらない声を出し、かと思えばどもったり片言になったり。幸い大きな失敗はしていないが、挙動不審な行動もよくする。

 とにかく彼女は、人がいると極度に緊張してしまうのだ。



 結婚式は本来、俺が十八になってからの予定だった。だが、いまだに緊張を解いてくれない彼女のために三年も延ばした。

 素の彼女は仕草に優雅さがあり、しゃべりにも品があった。

 まあ、結婚して関係性が変わったせいなのか、また元の緊張している彼女に戻ってしまったが。



 俺にとって彼女は、そこら辺の女より特別な存在だ。

 だが、そこに恋慕はない。

 どちらかというと兄妹に近い。

 そんな相手とどう夫婦になれというのだ。


 一緒に寝もしない。会うのは朝と夜の、ほんの数十秒。

 一般的にこれではいけないと分かっている。しかし、俺はこれで良いと思っている。

 俺は気まぐれに女性と遊び、帰りが遅くなり、彼女との会話を極端に減らす。とても夫婦とは言えない関係。だが、これが良い。この形が一番望ましい。


 そう思っていた――思っていたのだ。




(まさか舞台鑑賞が趣味だったとはな。あれほど喜んでいるエミリアを見たのは初めてだ)


 城の壁を背に座りながら、壁に頭を軽くぶつける。

 ここは俺の秘密の休憩所だ。

 秘密といっても、ここが俺の縄張りであることを知っている人はそれなりにいる。王城の人の通りが少ない廊下の窓枠を越えたここは、一人で考え事をしたいときによく来る。


 昨日は、一応懇意にしている令嬢と演劇を見に行った。俺はつまらなかったが、令嬢は最後に涙まで見せていて滑稽だった。

 そのチケットをエミリアに見られた。

 聡い彼女のことだ。俺が日頃から仕事の合間を縫って遊んでいることに気付いているだろう。これはさすがに詰られるかと思ったが、しかし俺の予想とは反して彼女は劇の内容を聞いてきた。



 あんなに興奮気味に話すが彼女が珍しく、俺は咄嗟に一緒に見に行くかと誘ってしまったのだ。


「さて、どうするか」


 見に行くのは構わない。ただ、どの演目にしようか迷う。

 俺は、彼女の好きな作品が全く分からなかった。彼女と出会って十五年余り。俺は彼女のことをてんで知らないのだ。俺が知る彼女は、いつも本を読み、伏し目がちにした姿だけ。好きな物も嫌いな物も浮かび上がらない。



 俺の憂鬱な心とは裏腹に、空は雲一つない晴天。


 しばらく空を眺めていると、サクサクと草を踏み分ける音がした。音のした方を横目に見ると、見知らぬ侍女がいた。着慣れていない服の感じから、最近城に来たのだろう。

 迷い込んだのか、それとも俺がいると知ってきたのか。頬を染めているから後者だろう。億劫だ。俺は気だるげに立ちあがり、女の前まで歩く。

 距離が縮まるごとに、女は期待に満ちた表情を浮かべる。

 

「あの、私、貴方と二年前のパーティーでお会いしたことがあって、覚えていますか?」

「記憶にないな」

「あ、いいんです! ほとんど会話とかなかったので、覚えていない方が当然だと思います。私が忘れられなかっただけなんで、謝らないでください」



 ああ、これは面倒くさい女だ。


 いつか理想の男が現れるとか夢見ている女の顔だ。

 こういう女には、真正面から壊してやるのが効果的だ。

 自分の顔の良さは自覚している。だから、あと腐れのない女としか遊んでこなかったのだ。

 俺は女の顎を掴み上げた。


「で、キスの一つでもくれればいいのか」

「へ?」

「それともデートの一つでもすれば満足するのか」

「…ぁ…」

「あいにく君は俺のタイプじゃないんだ。気が済んだら、とっとと消えろ」


 エミリアより小さいな。



 彼女は蜂蜜色ではなく、薄い桃色の瞳をしている。おかしい。いつもは彼女との違いを思い浮かべることはないというのに。

 女の瞳が翳る。泣くか。だが、その方が都合が良い。

 このまま走って俺から逃げろ。そして、二度と姿を現すな。

 しかし、俺の思惑に反して女はキッとこちらを睨み上げた。瞳の翳りが消え、赤い炎が燃え上がる。


「貴女みたいな軽薄な人、こっちがお断りよ!」


 女が俺の手を振り払い、肩を怒らせながら背を向けて去っていく。まるで怪獣の行進のように、ドシドシと音を鳴らしながら歩いているように見えた。昨日に続いてまたも予想外の出来事だ。

 俺はふと思いついて、彼女の背に問いかけた。


「なあ、演劇を見るならどんなモノがいいと思う!?」

「貴方みたいな人をぶん殴るやつ!」



 わざわざ振り返って答えてくれた。律儀な女性だ。


「俺みたいな奴をぶん殴るやつ…悪役? ――冒険ものか、いいかもな」


 俺は先ほどの女性の顔を忘れ、この時期に行われている演目を思い出しながら仕事に戻った。


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