短編16(勇者から魔女にシフトチェンジした女)
助けてなんて都合のいいことだと思わない?
だってこの世界の人達が何をしてくれたと言うの?強制的に連れてきて、一方的に助けを求めて。あなたしかいないのだなんて。あなたが最後の希望なのだと。世界を助けてなんて。
ああ、本当に自分勝手よね。私の知らない世界でそんなこと言われたら、ねえ?脅迫じゃない。この世界には私の味方なんていないんだもの。みんな勇者を求めるの。世界の命運を背負わせて、勇者が動けば世界は救われるという前提で私を戦いに駆り出そうとするの。
ならばこの世界にいる間の衣食住が保障されるのは当然でしょう?そちらが頼む立場なのだから。強制的に役目を背負わせたのだから。まだまだ足りないくらいだわ。そうは思わない?
生まれ育った世界から引き離されて。無理やり命を奪う役目を背負わされて。縁もゆかりもない世界のために命をかけさせられて。まだまだまだまだ足りないわ。当然でしょう?
「ねえ、そうは思わない?シルフィ」
「そうね」
ソファにうつぶせて足を上下に動かしながら言う波打つ黒髪を肩まで伸ばした女、エリーゼにシルフィは本に目を落としたまま頷く。
ソファの上に揃えた両足は、リズムをとるようにソファを叩く。そのたびに膝に乗った本が揺れるのだがシルフィは気にしない。
「シ~ルフィ~?聞いてるの?」
「聞いてるわ」
「なら反論はないの?」
「反論?」
顔を上げたシルフィは眉を寄せる。
「その通りだと思うけど?」
「腹立たしくは思わないのかしら?」
だってあなたは衣食住すら保障されなかったじゃない、とエリーゼが首を傾けた。
それにああ、とシルフィが頷く。
突然放り出された右も左も分からない世界。
人気のない道にぽつんと座り込んだシルフィは、五人の子供を馬車に乗せたガラの悪い男三人に拾われた。売るために。
逃げようとすれば髪を引っぱられて引きずられた。頬を張り飛ばされた。何が何だか分からなくて。怖くて。泣けば怒鳴られ、酷い時は殴られた。
売られた先では隙間風吹く小屋が住処だった。纏う服はボロ。食事もまともに与えられず、使い捨てとばかりにこき使われた。
…真実使い捨てだったのだろう。シルフィが買われる前日に一人死んでいた。シルフィが買われて一か月後にまた一人死んで、翌日一人買われてきた。
使い捨ての道具。壊れれば新たに買えばいい。だからこそ酷使された。
朝も昼も夜も関係ない。寝ていても主が呼べば叩き起こされ、暗闇の道を走ったこともある。体調が悪くても主の愛娘のために恋が叶うと女性の間で噂されるハート形の石を探しに行ったこともある。
「でも代わりに主様に拾っていただけたわ」
愛娘の我がままで美容にきくと噂される水を汲みに入った森で死にかけた。
栄養を与えられない体は痩せ細って。力もろくに出なくて。頭は朦朧として。転んだが最後、もう動けなかった。
ああ、死ぬんだ。
そう思ったその時だった。シルフィという名前をくれた主に会ったのは。
「主様ねえ。ヴィンリード・エヴァンス。今や人間の裏切り者と呼ばれるノードルド王国元宰相補佐様」
「主様が拾ってくださって、元の名前を忘れてしまった私にシルフィという名前をくださって。私を必要としてくださった。何にも代えがたい大切な大切なお方」
その方と出会えたのだもの、衣食住が保障されていたあなたを苛立たしくなんて思わないわ。
そう口元を緩めるシルフィにエリーゼは呆れたように、けれど微笑ましそうに笑った。
どういう時間軸になっているのか。シルフィとエリーゼは同じ世界、同じ時代に生まれていた。この世界では百年以上の開きがあるというのにだ。
エリーゼはもう正確には覚えていないが、百年以上前にこの世界に召喚された。勇者として。そして魔王を倒した。
その後、エリーゼは元の世界に戻ることもできず、この世界で生きることになったのだが、エリーゼは勇者だ。魔王を倒した勇者。そうである以上、魔王を倒してなお勇者として常に最前線にいた。
エリーゼの存在は牽制に最適だった。
エリーゼの存在は最強の武器だった。
エリーゼに助けを求める国民。
エリーゼで利益を得る国。
エリーゼが勇者であることを捨てたのも、エリーゼを知る誰もの前から姿を消したのも、全て全てはそれ故だと、誰も気づかないままエリーゼの名は歴史の中に埋もれていった。
勇者としてのエリーゼの名は、だけれど。
「ほーんと、大好きねえ」
「ええ。お慕いしているわ」
「日本人らしい恥じらいはどこへいったの?」
「ふふ。あなたこそ、曖昧な言葉で場を濁す日本人はどこへいったのかしら?」
今や魔女として世界に名を馳せている元勇者。
魔女。
己の好奇心に正直な善悪の区別のない存在。
そう世界では言われている。
己の中で存在するルールに従い、世界のルールを容易く破ってしまう存在。
「曖昧な言葉は相手の好きに解釈されるもの。もううんざりよ」
空気を読んで。傷つけないように言葉を選んで。話が進まないからと妥協して。
そうしてこの世界で得たものなどなかった。ならば自分の好きなように生きてやる。故郷を奪われて、家族を奪われて、友人を奪われて。そうして己までも奪われるくらいならば。
「魔女と呼ぶなら呼べばいいのよ。勇者様なんかよりよっぽどいいわ」
口元が吊り上る。
目は笑ってはいない。
今見ているものはシルフィではないのだろう。だからシルフィはそうね、と頷いて視線を本に落とすと、
「あなたが勇者のままだったら会えなかったわね」
そう言葉を零す。
エリーゼはきょとん、として、そうしてふわりと笑った。
「シルフィ。ヴィンリード。もう、聞こえないのね」
折り重なり合う二人の男女の側にエリーゼは姿を現わす。
つい先程までここは戦場だった。新たに現われた魔王の居城へと行くために必要な五本の鍵。その一本がこの城にあったからだ。
鍵の番人であったヴィンリードとその忠実なる僕であるシルフィ。その二人と戦った相手は勇者一行。エリーゼと同じ世界から召喚された少女だ。
分かっていた。二人は死ぬだろうと。勇者に負けるだろうと。二人だって知っていた。きっと勝てないだろうと。それでも戦った。そうして、命潰えた。
「…まあったく、幸せそうな顔だこと」
二人揃って微笑んでいるようにも見える。
異なる世界で生まれ育ち、同じ世界で出会い、そうして一緒に生きて、一緒に死んでいった二人。
長い長い間生きてきた。その中で出会った人と死に別れたこともあった。けれどこの二人ほど幸せそうに死んでいった人とは会ったことはなかった。
ヴィンリードを主と呼び、生きる意味と定め、命を捧げることを幸せと微笑み続けたシルフィ。
シルフィを僕と呼び、共に生きる存在と定め、存在ごと腕に抱きしめ離さなかったヴィンリード。
出会ってから最期までずっとそう在り続けた二人にエリーゼは笑う。
本当に最期までずっとずっとそうだった。
「さ、てと。そろそろ勇者達が鍵を手に入れた頃かしら。あなた達の望み通りあなた達を私の炎で包んであげるわ。あなた達が一緒に過ごしたこの城と一緒に」
死を迎えても、魂が抜けた体が離れないように。魂はずっとずっと一緒にいるだろうけれど、体ばかりはもうどうにもできないから。
だから生を終えたならば一緒に燃やしてほしい。死ぬ時は必ず一緒だから。
示し合わせたわけではないだろう。それぞれに違う時間にそう言われて、思わず呆れを通り越して感心したのを覚えている。
「おやすみなさい、私の友人達。もしも輪廻転生があるのなら、きっとあなた達はまた一緒にいるのでしょうね」
炎が生まれた。
燃える城を木の枝に腰かけて眺めながら、下で呆然としたように燃え盛る炎を見つめる勇者に声をかける。心は一緒に燃えていく友人達の元にあるけれど。
「あれでいてね、あの二人独占欲強いのよ」
ああ、ねえ。この世界なんて大っ嫌いだけれど。もう私を召喚した人達は誰もいないけれど、相も変わらず召喚に頼るこの世界が大っ嫌いだけれど。
あなた達と会えたこと、一緒に過ごせたこと。それだけで少しだけ好きになれたのよ。
「…だ、れ?」
ねえ、勇者様?
あなたはどうなるのかしら。私と同じ世界から同じように召喚されて勇者の肩書を背負わされたあなた。けれど私と違ってそれを受け入れ、自分の意思で世界を救いたいと願うあなた。
私と同じ道を行く?それとも違う道を行くのかしら。どちらでもいいけれど、全てを終えたあなたをこの世界はどう扱うのかしらね?その時、私はまたこの世界を大っ嫌いになるのかしら。ほんの少し、好きになれたこの世界を。
友人達がいない今、それはあなたにかかっているのよ、勇者様?
シルフィとヴィンリードと勇者も書けたらいいなと思います。




