ep.58 これから始まる怒涛に向けて
エリザの元に次々と送られてくる情報は、彼女を焦らせるに足るものだった。
「南東のランドルムが、ダリスの砦を突破! 王都方面へと依然進軍を続けております!」
魔剣使い二人を失ってから、一気に手札が乏しくなってしまった。まさか、ここまでアリサに計算を狂わされるとは思っていなかったのだ。
「北東のセイヴェルンが周囲の諸侯と連携し、王都への直下作戦へと移行! 至急ご命令を!」
アリサたちが来るよりも早く、貴族たちが蜂起して動き出すなんて。彼らのエネルギーは根こそぎ削いだはずでは無かったか。
「王都へ駐屯していた商隊が、次々に北東のセイヴェルンへと移っています! どういたしますか!」
「捕えなさい! 全て搾取して味方の援護に回すのよ!!」
北東のセイヴェルン。
そうだ、あの商人エイコウが行方不明になってから、急に力を増した場所ではなかったか……!! もしそうだとすれば、エイコウは……王都で押さえていた北アッシアの鉱石宝石類の商売を、セイヴェルンに移行してから捌き始めたということになる。
「あの女……!!」
思わず拳を握りしめた。エイコウは他の領地からの物品を買い叩かせ、旨味のある仕事をさせていたはずだった。北アッシアの鉱石類など、特にそうだ。あの地域が力を持ってしまわないように、宝石関係に関してはかなり相場を弄らせ、好きなようにやらせていたというのに。
だというのに、利道に反してあの女はエリザの元から姿を眩ました。ルーがついて居ながら、どうして行方不明になったかなど分かっている。
間違いなく、あの時の間諜がやらかしてくれたに違いない。
全てが……全てが繋がっていく。悪い連鎖を積み重ねていく。
なんだ……なんだこれは……!
「もっと……もっと国力を削がないといけないのに……!」
暗い部屋の中で一人、彼女はぶつぶつとまるで呪詛のように呟き続ける。
何をどうしなきゃいけない。それが分かっている聡明な彼女だからこそ、今の状況が“自分”にとってどれだけまずいのかが分かる。
王都保有戦力と、地の利、天の利を考慮に入れて、まだ慌てるようなタイミングではないことは分かっていた。
だが、それとはまた別に、彼女に課せられたノルマが彼女自身を締めつけてやまない。
「南東のエツナンがウルビダ小山脈を突破、魔剣使い二人は未だ行方不明ですが、敵部隊の中に彼らの魔剣を見た者が居るとのこと!」
そんな中またしても届く報告。
凶報だ。
自分にとっても、王都軍にとっても。
あれだけ上手く行っていたはずの策略は、どこで覆されていたのだろうか。
「もう……いいわ……」
「はっ?」
最後に報告に来た部下が、部屋の前で傅いたまま声をあげた。何が、もう良いのだろうか。それが分からない以上、致し方のない返答と言えよう。
エリザは椅子からゆらりと立ち上がると、割れたティーカップをそのハイヒールで踏み砕きながら兵士の方へとやってくる。
その瞳に映るのは、燃えたぎるような憎悪と、焦燥。
いったい、彼女が何を見ているのか分からないままに、兵士はそのプレッシャーに押しつぶされてただ彼女の言葉を待つしかない。
「アリサの本隊は……どうなっているの」
「はっ、エル・アリアノーズ軍本隊はサイエン地方、ウルビダ直轄領を経由して王都へと向かっております! サイエン、ウルビダともに、半日足らずで陥落させられた模様!」
「……あの辺は兵も少ないし、何より役者が違い過ぎるから仕方ないわ。アリサはともかく……魔剣使い二枚相手ではそこらへんの雑兵じゃ無理よ」
現状を分析しつつ、エリザは思考を高速化させていく。
魔剣使いが二枚居る時点で、そもそも通常の城でも籠城戦を決め込まない限りは勝てやしないというのに、向こうにはナグモ・リューキが居ると来た。
それでは、とてもではないが兵力差・実力差ともに勝てるはずが無かっただろうことは伺える。
せめて、相手の兵力を少しでも削れていれば御の字だ。
「敵性兵力は?」
「エル・アリアノーズ軍本隊が5000程度。これは、旧北アッシア軍に加えて諸侯の軍が集った結果だと思われます。そして、魔剣使いが二枚、確認されています!」
「……5000に、魔剣使い。分かったわ。下がってちょうだい」
「はっ」
魔剣使いが二枚。風と、炎。
それは、前回リッカルドを捨て駒にやった時に分かっていたことだ。10000の軍勢に対して、余裕のない北アッシアが、魔剣使いを隠すことなど不可能だったはずだ。
だとすれば、魔剣使い二枚に対してこちらも残っている魔剣使いを……とそこまで考えて、気が付いた。
「……あれ」
じゃあ、先の戦いで魔剣使いが二人あっさりと消されたのは……誰に?
「魔剣使いの人数は、確認できていたはず。他の領に魔剣使いが現れた報告も無い。そんなイレギュラーが……それも、魔剣使いを二人あっさりと倒せるほどのイレギュラーが……?」
困惑の色は隠せず。エリザは筆を執る。
このままでは勝てない。だから、もういっそ。
計略を早めてしまう他ないだろう、と。
順調な行軍を続ける竜基たちは、ウルビダ直轄領東方のウルビダ小山脈を経て、エツナン軍と合流する手はずになっていた。
最終決戦とも言える王都との戦いに向けて、北西からやってきたエル・アリアノーズ軍本隊と、南西からやってきたエツナン軍を合流させることで、戦力の安定を行う。
再編成をする必要はないので、王都南西の平原に陣を貼る予定だった。
「破竹の快進撃とはまさにこのことですな!」
「そうですね。しかし、士気を落とさない為にそういうことにしてはあるのですが……あれらの城は既に捨てられていたと考えた方がよさそうです」
エツナン領主シャルルは、もうじき自らの領の軍と合流することもあって中軍に加えられていた。
隣を進む竜基との会話は、比較的明るいものには違いない。
だが、油断を許されない現状であることには変わりなく、ウルビダ小山脈を抜けていく竜基の表情は硬いままだ。
それはそうだ。抵抗と言えるほどの抵抗も受けずここまで進んできてしまったのでは、何かしらの罠が置かれていると思わない方が不思議だ。
ましてや、相手はあのエリザ。むしろ彼女は、本隊相手に攻撃を加えることが目的になっている気さえする。
だとすればやはり油断は出来ないし、それ以上に如何にして打倒するかには焦点をおかなければいけなかった。
「……雨?」
ぽつり、ぽつり。鼻の頭に小さく落ちた水滴に、思わず竜基は上を見上げた。
ウルビダ小山脈は先の戦場となった場所。エツナン軍が苦しみながらも突破した、小さな渓谷だ。
空を見上げれば、そびえたつ崖がサイドにあるせいで狭く感じる。だが、間違いなくその曇り陰った空の亀裂から、小ぶりの雨が降り出していた。
「ありがたくない話だな」
「どうしました?」
「いや、雨は、俺達に不利な天候ですから」
「……お聞きしても?」
「もしこの先の平原が戦場になったとして、エリザなら本隊を叩くためにそれ相応の兵力を揃えてくるでしょう。そうなると、人数で劣るこちらが不利。何せ、地形的に障害物が無い状況です。総力戦になる」
「でもこちらには魔剣使いが二人も居るではないですか」
「魔剣使いなら向こうにも居る可能性があり、それ以上にまずいのは、ライカの特性です」
「火、ですか。いやまさか鎮火されるということはありますまい」
「もちろん、そんなやわではないし、水を引っかけられて消えるはずがないのですが……問題は、蒸気」
「蒸気?」
「もしこの雨が強まった場合に、あの炎を十全に使おうとしたら間違いなく見通しが悪くなるんです。このままで済んでくれたらいいのですが……」
空を見上げた竜基は、雲の流れを見つめて小さく舌打ちした。
流れる方向に、積乱雲。こちらへと向かっている。
「かなりの確率で、結構な雨になります」
「しかし、相手も条件は同じでは?」
「普通の兵士は。ですが、魔剣使いの居る戦ではそうもいかないのが常。相手の魔剣使いは、あのファリンに攻撃を当てることの出来る相手なので……視界の悪さは、そのままこちらが要人を失う事態になり兼ねないんですよ」
「っ……! 魔剣使いを失うどころか……」
思わずシャルルが振り返った先には、自らが主君と謳う、銀の少女。
つまりは、そういうことだ。
擒賊擒王。この平原の戦において、相手の頭を狙うだけの危険な真似が出来る魔剣使いが、相手には存在している。
大軍相手の戦いよりも、ある種厄介なそれ。
「どんな攻撃を加えてくるか分からないから、ファリンをアリサの護衛に回し、そこに、クサカとグリアッド、それにヴェルデさんがつける。一時的にはそれで凌げるだろうし、ライカをあまり前線に上げるつもりはないんです。いざとなったら戻せるようにしてありますし。……リューヘイさんが居れば楽なんでしょうが、彼は今セイヴェルンに向かっているらしいので難しいですね」
「そうなのですか。セイヴェルンは現在、重要地点の一つと成りつつありますからな」
リューヘイの意図がどうあれ、セイヴェルンに向かったということはそれなりに時間がかかるだろう。黒き三爪の一人ヴェルデがアリサ本隊と行動を共にしている以上、何れはこちらに向かうのだろうが……今回の戦いでリューヘイを戦力に数えることは出来そうになかった。
「ルーさえ消せれば、また話は違うんだけれども、味方に居ればこの上なく楽とはいえ、魔剣使いを相手取るってのは常識が通用しなくて辛いな……本当に」
うぅむ、と唸り腕を組む竜基は、馬上で考えを巡らせているようだった。
そうした会話をしている途中にも、ぽつりぽつりと雨足は強くなる。
「いやしかし、雨か。短期決戦にしたい以上、上手く逆手に取れないものか」
ため息交じりに見上げた空は、酷く濁っていた。
平原へと向かう軍は、アリサ率いるエル・アリアノーズ軍本隊以外にもう一つ存在していた。
王都より繰り出された、8000を数える軍隊である。
今にも重くのしかかりそうな曇天の中、同じように灰色に染まった軍隊の士気は高くない。
否、低いわけでもなかった。戦わざるを得ない、そんな状況に駆り立てられていたのだから。
脱走を試みた兵士の尽くが、翌朝首だけを陣中に晒されていれば。自ずと答えは出てくるというものだった。
「この先に……エツナン軍が?」
「はい、後方からの本隊と合流する模様」
斥候からの連絡に、金髪の青年は頷いた。
先の戦いで危うく溺死しそうになったが、体調に支障はなさそうだ。
軽く握り拳を試してから、前を向く。
戦場へ向かうリーダーとして将軍を一人置いているが、実質頭は王都最高の魔剣使いルー・サザーランドその人である。自らの魔剣である針の調子を確認しつつ、一糸乱れず進む軍隊を眺めて呟く。
この戦争、如何に総力戦にするべきかと。
ルーの側……エリザの思惑通りにことを運ぶならば、今回の戦いで重要なのは勝利でも、アリサ王女の殺害でもない。
それは分かっている。難しい任務ではあるが、ルーは自身に課せられた任務を脳内で再確認していた。
互いの戦力を削り、血で血を洗う最終決戦を迎える為に。思った以上に予定が狂ったらしいことも考慮に入れると、アリサ王女の殺害はせいぜい優先度三位程度でしかないのだ。
ならば、何が一番優先されるべきか。
今回の戦において、一番の目的は両軍の兵力を盛大に削ること。
そのための平原だ。そのための野戦だ。総兵力でもってぶつかり、盛大な殺し合いをさせることこそが最優先。
雨が降るということで動きは鈍るだろうが、そんなことはルーの考慮の内になかった。
では、二番目に優先されるべきことは何か。
それこそが、ルーが今回アクティブに動く理由であり、エリザに命じられた彼自身の為の任務。
もうこれ以上邪魔をさせる訳にはいかない。予定が狂っている最大の要因を殺すしかない。
そう、本隊中軍に居るであろう、ナグモ・リューキの殺害だ。




