ep.57 同じ時を刻んで
進軍の準備が整った。
ヒナゲシの御蔭で抜かりなく、物資の管理も徹底されている。
準備は万端、銀の花が、その御旗にはためいている。
エル・アリアノーズは、動き出す。他でもない、“豊かで優しい国”を作る為に。
「……凄いな」
呆れかえるほどの晴天の中、空を仰ぐ。
長蛇の列を作るエル・アリアノーズ軍の中軍に、竜基の姿はあった。騎乗の腕はまだまだだが、ヒナゲシやグリアッドに教えられて、内股に痛みを感じない程度には慣れてきた。
竜基が思わず呟いた感嘆の言葉は、彼の視界に広がる光景そのものに向けられて放たれている。
とうとう、エル・アリアノーズ軍は出陣したのだ。未来を掴む為、王都に向かって。その始まりとも言える、旧北アッシアの城の城下町。街一番の大通りを進んでいく五列縦隊の軍に対し、町の人々が送る声援の厚さ。
今まで、沢山のことがあった。様々なことに、尽くしてきた。その多くは町の発展を願ってのこと。そのおかげでこうして、人々は笑顔で居る。こういう町をもっともっと増やすために戦いに行くのだと、町の人々は知っているのだ。
「がんばってー!! へいたいさーん!」
「帰っておいでよ~! アッシュ~!」
街道脇に押し寄せた民衆が、一様に手に持つ銀花の御旗。その一つ一つは小さくとも、それぞれが大きく振るその風景は美しい。
自分たちが、そして町の人々が築き上げた営みを象徴しているかのようで、竜基の頬は自然と綻んだ。
兵士達は鍛えられ、その声にも一切振り向かずに前へと突き進んでいく。これから戦いに行くのだ、そのくらいの意志は必要だ。
だが、ただの日本人としての竜基は、手を振ることくらいは許してやりたくもなっていた。
「……なんてな」
降って沸いた思考を振り払う。日本人としての思考なんて、今は持ち合わせるべきではない。とにかく、勝つこと。アリサの悲願を叶え、この国を美しいものにすることにこそ、全力を注ぐべきだ。
日本に帰る算段を考えるのは、それからでも遅くはない。
「そうだろ、クサカ?」
「ん? なんじゃ軍師よ」
「いや……お前らの記憶とか、そういうのよりも今は、アリサの悲願を叶える方が先だ……ってさ。悪いな」
隣を騎乗して進むは、アリサ軍きっての老将軍クサカ。彼がこんな年配で、同い年のはずのリューヘイがあれほど若いのか、その謎は全く分からない。
だが、今はそれよりも、もっともっと考えるべきものがあるのだ。
「ハッハッハ! 気にするな! 儂はもとより、記憶などに固執しておらんのだからな!」
「そう清々しく言い切られるのも、ちょっとさびしいけどな」
「……関わりがあったのだったな。いや、この戦いが終わり、儂がお役御免になった頃に、是非記憶を共有したいとは思っておるよ」
「そうだな……今の優先順位は、“豊かで優しい国を作ること”だ」
「うむ!!」
二言三言クサカと会話を交わす間にも、エル・アリアノーズ軍の歩みは進む。中軍位置に配属されている竜基とクサカの背後には、当然あの少女の姿があった。
「リューキ、クサカ。頼りにしてるわ」
「ああ……もう、負けない。それだけは、誓うよ」
「儂と竜基が本気を出せば、王国軍程度へでもないわ!!」
振り返れば、白馬に跨る我らが王女。護衛の人間がしっかりと付き、アリサの背後にはグリアッドも控えている。
竜基が頷き、クサカがその豪槍を振り上げた。何かの合図だと勘違いされないように控えめでしかないのだが、それでも頼もしさを感じさせる。
エル・アリアノーズ軍本隊の空気は、張り詰めながらも穏やかだった。
「アリサにはもう言ったけど、戦況報告をいくつか受けたよ」
「ほう」
外門が見えてきた頃に、竜基がふと思い出したように指を立てた。
専ら会話相手は隣のクサカ。軍部の責任者である彼と、参謀筆頭の竜基。重要な情報交換はもう済んでいるからこそ、戦況報告などの話で時間を潰していた。
「まず南東のランドルム。北上するルートをエツナンと被らないように置いた結果、厭戦気分の異常に高まった王都軍と激突。ランドルム侯爵の策略で徹底的に誘引し、わずか半日で王都南東の砦を陥落させたとのこと」
「王都の完全徴兵が裏目に出ておるというか……」
「おそらく、俺達本軍が辿りつくよりも早くそちら側からの攻撃を喰らうと思っていなかったんだろう。加えて言えば、何かの理由でエリザはアッシア王国を潰す気だった可能性が高い。殺し合いをさせたい以上、鉄砲玉になればいいと考えたんだろうが……」
「だろうが?」
「アリサの檄文のタイミング……エル・アリアノーズ建国の報が駆け巡った後だ。豊かで優しい国、という甘美で心地いいフレーズが目の前に現れた以上、元々やる気が無かったのに士気が上がる訳がない。後はまあ、ランドルム侯爵が上手かったんだろ」
「なるほど、あの局面で逆賊の汚名を受けることなく、敢えて建国に踏み切ったのが正解だったと」
「そう信じたいな」
顎を撫でるクサカは、竜基がしきりに「タイミング」や「時間差」と言っていたことに納得しているようだった。
とはいえ、あの時点で建国に踏み切ったのが吉と出るか凶と出るかは竜基にも分からなかったのだが、幸いプラス方面にはたらいてくれたらしい。
闊歩する馬は城下町を通り過ぎ、全ての声援を背に受けて中軍は北アッシア城を後にした。
リッカルド王子が進軍してきたルートを、今度は逆に攻め立ててやるのだ。
そう思うと、自然と手綱に力がこもる。
「他には?」
「北方のセイヴェルンは、物資の援助が必要無い、と言ってきた。むしろ、こちらも供給する側に回る、とも。確かに他の地方よりも被害は小さかったが、彼らとて余裕は無かったはずなのにどうしてだろうとは思ったんだ。それに関する収支については、書類の提出を求めている。しかし、なんでも北アッシアが王都に売りつけていた宝石の類を再利用して売り捌いているらしい、という話を聴く限り……よほど上手い商売に手を出したか、相当の腕利きが居るかだな」
「セイヴェルン卿は、建国当初は物資事情に困っていたようだからな……」
「そう。まあ悪いことはしてないんじゃないかとは思っているし、これからの展望的にも、海に面したあの区域が商業都市として機能してくれるならそれに越したことはないさ」
「戦況はどうなんだ?」
「セイヴェルンの南下作戦は、他のところより難易度が緩いからな。比較的じっくりとした進軍をさせている。じわじわと王都を嬲り殺しにする為には、一番のプレッシャーになってくれるだろう」
「……戦とは、ここまで上手く行くものなのか」
「戦い始めた時には、勝負は決まってる。俺から攻撃に転じる以上、欠片の抵抗も許したくないさ……!」
クサカの言葉に、竜基は目を伏せた。自分のミスで、何度戦いを窮地に追いやってしまったか。何度味方を死に際の危険にまで晒したか。
その後悔は、力になった。味方も守れない奴が、どうして敵に情けを向けられようか。
そう思うからこそ、まずは徹底的に全力で王都を叩く。慈悲は無い。
「戦わずして勝てれば、それが最善なんだけどな……」
「いくら無力化しても、魔剣使いの存在が敵にある以上、油断はできんよ」
「そう、だな」
戦いであるからこそ、殺しあわねばならないからこそ、逆に変な感情を持ってしまえば予想以上の悪夢を生んでしまう。
だから、自分がしっかりしなければダメなのだと、思う。
「竜基」
「ん?」
「そう、一人で背負いこむな。何の為にこの老骨が居ると思っておる」
「アリサの為に、戦ってくれれば文句はないさ」
「そうじゃあ、ない。そうじゃない。未来への屍となる為に儂のような老骨が居るのじゃよ」
「……何だそれは」
鋭い視線で睨む竜基に、しかしクサカの呑気な顔は一切崩れることはない。
年季の差なのか、それとも、互いの意志の強さが変わらないからなのか。
「味方の犠牲も考えない軍師がどこにおるか」
「必要の無い犠牲を考える軍師も居ない」
「イレギュラーは往々にしてあるもの。そういう時、真っ先に死んで報いるのが儂らの仕事じゃよ。平時に生きていて必要とされるのは、お主ら政治に生きる者じゃからのう」
「だからと言って……!」
簡単に死ぬなどと言ってくれるな。
そう言おうとして、言えなかった。分かっているのだ、必要な犠牲があることくらい。部将武将に戦死は付き物だと。
だが、それで感情が納得してくれるほど、竜基は大人にも戦士にもなり切れていなかった。
「竜基」
「なんだよ……! 俺は絶対、アンタを殺したりはしない……」
「それは、素直に嬉しく思う。じゃが、一つだけ言っておくとすれば」
指を一本立てて、竜基に突き出す。槍を握って生きてきた一人の男の、太く屈強な指だ。皺がどれほど刻まれようと、その不屈の精神が消え去ることは無い。
「良いか。戦いには死が付き物。それは当然のことじゃ。……じゃから、折れるな。誰が死のうと、誰が倒れようと、お主の心を折ることだけは……それだけは、絶対にあってはならん。お嬢の支えになることは、お主にしか出来ないのじゃからのう」
はっはっは、と高らかに笑うその声は、いくらか乾いて聞こえていた。
どう、考えてその言葉を言っているのだろうか。竜基が仕えるより遥かに前から、アリサを支えてきた古参の老将。
そんな男が、何を思ってこの言葉を発したのか。それを考えられない竜基ではなかった。
「……まだ、生きていてもらうからな」
「おや、託そうと思ったのだが」
「アリサが王として頂点に立つ。その夢は、まだ半分しか叶えられてない。それなのに、あっさりアンタだけ退場しようと思うなよ? ……それに」
「それに?」
ふ、と竜基の視線が下を向いた。
見えるのは自らの乗る馬の、立派なタテガミだけだ。だが、彼の目に映るのはそんな物理的なものではない。もっと先の……そしてもっと下にあるもの。
自らが、日本人であった頃の、記憶。
「こんなところで死なれたら、笑えないんだ」
こんなところ。
その言葉が持つ意味は、きっとこの戦いに限ったことではないのだろう。それは、クサカにも分かることだった。
記憶を失った自分。そのことに対して密かに竜基が奔走していることを、知らないクサカではない。
きっと一生懸命、自分の記憶が戻る方法を、ヒナゲシの記憶が戻る方法を、皆には黙って探しているのだ。この少年は。
「……なあ、クサカ」
「んむ? なんじゃ」
俺達が日本で騒いで楽しくやっていた記憶は……俺だけが持つ仮初のモノなんだろうか。
「……いや、何でもない」
「なんじゃそれは」
ふ、と弱気とも取れる儚い笑みを浮かべ、竜基は前を向いた。
どうしても記憶が絡む話をすると、気分が落ち込んでしまう。自らの父親が真っ向から自分を忘れていたことが、結構堪えているのかもしれない。
「まあ、あれじゃよ」
「ん?」
「結局は、儂らが一人一人必死で頑張って、戦い抜けばいいだけの話じゃ。大丈夫、竜基の思うようなことにはならんよう、努力はしよう。……じゃが、万が一の時には絶対、折れんでくれ」
「分かってるっての……この、老骨」
「ハッハッハ! その意気じゃ!」
楽しげに、そして豪快に笑うクサカの性格は昔から変わらない。
ただ、きっと。捧げるべき相手が、日本での家族から、アリサに変わっただけのこと。
それはもしかしたら、竜基も同じなのかもしれない。
そんなニヒルな思いを込めて、竜基はまた美しい青空を見上げていた。
「ハルト様!」
声をかけられて振り向いた、若き青年。彼はセイヴェルン領主の跡継ぎである、ハルト・ド・セイヴェ。領主不在の今、セイヴェルンの領地を一手に担っている若きリーダーであった。
「どうしました? リューキ殿には全ての情報を送ったはずでしょう?」
「いえ、そうではなく、また物資を追加で持ってきたんですよ、あの人が……」
城内の一室。ハルト自身の部屋で、慌てたように部下の男はそう言った。
別段、悲報でもなんでもないのだが。それでも、セイヴェ家で行う仕事の量は、毎度毎度増えていく。
嬉しい悲鳴というか、なんというか。
好青年らしく爽やかなため息を吐くその姿も、様になっていた。
「全く。分かりました。それでは我々の方で手配をし、全ての品を捌きましょう。金銭の類も、食糧にしても、近くの地方への援助はこちらで賄いましょう」
「は、はい! そ、それと……また何やら変なものを売りつけられそうになったので……私にはどうしていいやら」
「またですか。でもどうせ役に立つものですから、買い取るのは吝かでは……いえ、僕が行きましょう」
扉を閉めた後に、廊下を駆けていったらしき部下の声が聞こえていた。
セイヴェルンは今、王都に簒奪されたはずの品や他の地域との交易で得た物資を近くの地方に安値で捌き、エル・アリアノーズの革命に大きく貢献していた。
竜基が不思議に感じていた、想定以上のスムーズな行軍。その理由は、このセイヴェルンにあったと言っても過言ではない。
ハルトは、いつも商談を行っている応接間に向かう。
結局なんだかんだ言って買わされるのだから、もうそろそろ適当でいいのではないかと考えてもしまうが、油断をするとふざけて法外な値段を吹っかけてくるので、一々こうして交渉する必要があった。
というか、一週間単位で新しい売り物が出てくるとはいったい何事なのだろうか。
本人は、少しでもエル・アリアノーズの手助けになれば、と言っているが、明らかに商売を楽しんでいるように見えていた。
商人なんてそんなものかと思いつつ、今日も憂鬱ながら応接間の扉を開く。
オレンジ色の髪をした少女が「助けてやって」と言っていた時は、とてもボロボロになっていたはずのその商人は、今はやたらとパンクな恰好に身を包み、ハルトが来たと見るや立ち上がって、決め顔で黒いメガネ(本人はサングラスと言っていた)を外すと笑顔で手を差し出してきた。
「YO! 今日も商売と行こうYO!!」




