ep.33 味方の心
エリザ王女の手による侵攻は、瞬く間にアリサ軍に襲い掛かった。
リューキの手にも余らんばかりのこの進撃を如何にして凌いだのか。
それはつまり、仲間との絆だった。
エル・アリアノーズ戦記
アリサの執務室。
第二の会議室になっているといっても過言ではないその場所には、すでに竜基以外のメンバーが揃っていた。執務デスクの手前にある机に、クサカとヒナゲシが座っている。ライカは執務室内の壁によりかかって大斧の手入れをしているし、ガイアスは日の落ちた外を眺めながら体操を行っていた。
グリアッドもアリサの近くに控え、アリサはアリサで自らのデスクに地図を広げて小首をかしげる。
「……ねぇ」
ヒナゲシの、棘を含んだ声。機嫌がよろしくなさそうなその声色にアリサは顔を上げる。ヒナゲシの足元に転がっているものを、彼女は不快そうに睨みつけていた。
「僕は何も聞かされてないんだけどさ。なんでこんな露出狂を僕の足元に転がしておくわけ? 不愉快なんだけど」
「こここここの僕を指さしてあまつさえ不愉快だと!? 無礼にもほどがあるぞ!」
「はぁ? 無礼なのはお前だよ。何を持って乙女の前に全裸で転がっているのさ。スカートの中とか見ようとしないでくれる?」
「転がされてるから見上げようとしているだけだ!」
「……ッチ。不潔な男」
「やっぱりアリサのところの部下は酷過ぎないか!?」
舌打ちしてよそを向いたヒナゲシに、もはや涙目のリッカルド。そろそろ精神がマックスまで削られそうなこの状態を、さして何事もないかのようにアリサは無視していた。
「別に、王城で好き勝手やっていた分の報いだと思えばいいじゃない」
「誰が好き勝手やってなど居たか! 僕は王族としての当然の振る舞いをだな……!」
「あ~……そのくらいにしておいたほうがいいわよ」
「はあ!?」
それを言いたいのはこちらだ! と猛然と顔を向けるリッカルドだったが、妙にアリサの顔が真剣味を覚えていることに対して疑問が生じる。あれだけプライドを傷つけておいて、反論はそのくらいにしておいたほうがいい? 冗談じゃない、と思うリッカルドであったが、そのアリサの表情が何かを訴えかける。
「それはつまりどういう――ヒッ」
ぎらつくほどに輝いた大斧が、リッカルドの顔面直前に振り下ろされた。
床を粉砕することもなく、さっくりと差し込まれた程度にしか感じないのが逆に恐ろしい。どれほどの切れ味を持っているというのか。
そして、こちらを見下ろす赤髪の少女の瞳には、まるでゴミでも見るかのような色しかうつされていないこともさらに恐怖に拍車をかけていた。
「……あ~、ライカ。殺さないで」
「うるせー……こいつがのうのうと生きている間……あたしらは……」
「……ヒ……あ……」
震える声には、重みがあった。竜基が居なかったら今頃自分はどうなっていただろうかと。きっと、復讐の悪鬼となってアッシア中を暴れまわっていたに違いない。この国の統治者が、もっと人々にやさしければ。あのような事件が起こっても、衛兵の管理さえしていれば。……己の無力さに嘆くことも、なかったはずだというのに。
「……ライカの気持ち分かるんだよね。……裏でレザムを操って、僕たちを死地に追いやった間接的な要因。そう考えると、僕は今武器を持ってなくて本当に良かったかも」
ポツリとつぶやいたヒナゲシの顔は、無理やりの笑みを作っていた。
その瞳には、憎悪。
「お前の顔を見ているだけでさぁ……気がどうにかなっちゃいそうだよ……!」
廊下を駆ける。駆ける間も、思考は鈍らせてはならない。この状況を打破できるのは、結局考えることだけ。何もできそうにない状態でも、負けることだけは許されない。
駆ける。斥候の情報では、到着は早朝。仮眠をとる時間を正確に抉ってくるあたり、この状況はとてもまずい。
謀られたか、と思う。
このタイミングで、残党ではなく新規の敵兵。五千の新鋭がこの北アッシア城に迫っている。
どこからだ! ファリンを派遣したのだ。少なくとも行軍中の敵を見つければ、いくらなんでも襲われる前に報告に来るだろう。それすらもないから、確実にファリンの消息が途絶えたのは王都に到着してからのはずだ。だとすれば、王城到着の時点で別の経路から侵攻されたとしか考えられない。
いったいどこからだ。いやそれよりも。
この状況で、新規の敵が、それも王都からやってきているという。
どう考えても、リッカルドの敗走を聞いてやってきたわけではないだろう。だとすればリッカルドを派遣してからの波状攻撃と見て間違いないはずだ。
やられた。
こちらが密偵を送るルートを読んだうえで、リッカルド王子というビッグネームを捨石にして、到着時間を息つく暇もない戦いあけの早朝に設定したうえで相手は攻めてきている。
「ックソ!!」
トンだ策士がいるじゃないか相手には。仮にも王子を、捨てるだと。
敵軍の侵攻ルートは後々潰すことは必定といえよう。だが今はそれよりも、この迫りくる五千の兵相手の対策を練ることが最優先だ。
だが、どうやって。
草原の火計はもうできない。それどころか今は死体の山だ。そして五千の兵がくるというのなら、潰走した兵士たちを味方に組み込んでいてもおかしくはない。だとすれば、先の戦でみた一万以下の兵、よりも予測ができない、五千以上の兵、だ。
残る七百と少しの兵士で籠城戦を決め込むには苦しいものがある。
だが、だからと言って。
「この状況を打破するための一手が浮かばない!」
劣勢に追い込まれたことは別に、これが初めてではない。
だが、不安要素が多すぎる。
兵士および魔剣使いの疲労もある。草原は使いものにならない。早朝という、厳しい時間帯。おまけに相手の軍は体力が残っている状態。それも、兵力差は軽く四千強。
「……どうする……どうする……」
廊下を駆ける。もうすぐアリサの執務室だ。部屋の中ではメンバーが各々に休息を取っているかもわからないが。
機転を働かせ、余裕の表情で入ることができない。今の思考は、完全に手詰まりだ。
「……状況を説明するほうが先か」
どうにもできそうにない。ではなく、どうにかするしかないのだ。
どの戦いでも、そうしてきた。
今回に限ってできないなどということが、あるはずがない。あってはならない。
胸にそう誓って、扉を開いた。
重苦しい空気の中、ど真ん中にはパンツ一丁の見慣れぬ金髪が転がっていた。
「……ええっと?」
「あ、竜基おかえり」
今まで考えていたものがすべて吹き飛んでしまうような、良くわからない光景だった。
「リューキー!」
「っと、ライカか、どうした」
「……ちょっと。こうしてて……」
突然腹に向かって突撃してきた、赤髪の少女。ぎゅっと顔を埋めて微動だにしないのを、どうしようか少し悩んだが。きっと何か嫌なことがあったのだろうと頭をなでる。
「……あ~、何があった」
「……そこの金髪が王太子。説明終わり」
「ヒナゲシもずいぶんと荒れてるな」
「失礼だねキミは。僕は普段通りだよ。……ライカが羨ましいね、癒し場所があるというのは」
「……んなこと言ってる時点でどこが普段通りだ」
肩を竦めてヒナゲシを見るも、彼女はすぐさま顔を背けた。クサカは歳の功か落ち着いてはいるが、義賊をやっていた二人組も穏やかではないようだ。
「で、なんでここに王太子が?」
「私としてはいろいろと吐かせるつもりでいたのだけれど、みんな思ったよりも感情的だから」
「なるほどな。……まあ、切り替えられない何かってのも、あるよな確かに」
竜基には、そこまで強く何かを言うような過去はない。だが、ほかのメンバーにはすべて思うところがあるのだろう。このあたりは自分が何かを言うのではなく、発言を待つべきだ。
今は、そんなことよりも。
「全員聞いてくれ」
「五千の兵が、攻めてくる」
先ほどまでの沈鬱とした空気とは違う、緊迫感が部屋を包み込んだ。




