望薄き仔
肩膝立ちの状態から立ち上がろうとした俺に襲いかかってきたのは目眩、と言うには強すぎ遊園地のコーヒーカップの座席をしたジェットコースターに乗っている、と言ってもまだ足りないくらいのような感覚だ。更にそのジェットコースターはずっと一回転をループさせているような感覚。地面は、どっちだ! 吐きそうだ止めてくれ!
体感時間にして約50秒と言ったところだ。感覚が和らいできて背中にほのかに暖かさと柔らかいもの感じる。手を握ることも出来るし、息もしている。でも目が明かない……。開け……。開けっ!
「…………ん?」
開いた。ってか眩しっ!?
「もしかして……気がついた!?」
女の声?
「誰……だ」
声がかすれて出ない。まるで何時間も寝てたみたいだ。
「誰とはお言葉ね。開口一番にそんなひどい事言うなよ。来ただけでも感謝でしょ?」
「そそ。俺らだって暇を持て余してる訳じゃないんだから」
窓からの西日で何も見えない。
「とりあえず、カーテン閉めてくれ」
「はいはい」
軽快なスピードで俺の目を保護してくれる布が展開される。
「ありがとう」
「どこ向かって言ってんの? カーテン? それともあたし?」
もちろんお前に、と言いかけて口は動かなかった。西日のせいで網膜に付いたもやもやが取れた時、俺の目に映った人に驚いたからである。別にちょっとした有名人だとかそういうんじゃない。見知った人間だ。
「な、何で? 何でここにいるんだよ……?」
「あたしらはクラスメイトがトラックにはねられたって聞いて見舞いに来たんだけど?」
「クラスメイト……?」
何だ? どうなってる? 俺は正にパニクっているという言葉が似合っている。世界一……。
「正しくは一昨日までな。何だよ、事故のショックで覚えてませんってベタなボケとかかます気か? にしても卒業式の帰りに事故るなんて飾莉もついてないよな」
「せっかくうちあげに行こうって話してたのにね」
クラスメイト? うちあげ? 何の事ださっぱりだぞ……。
「大丈夫か? 顔色も良くないし、今の環境がまるでわかってないみたいだけど、ボケとかじゃなくもしかして本当に分からない?」
「あたしのこと分かる?」
「……亜斗理」
「オレは?」
「永雅」
卒業式の帰りに事故にあったのは間違っていない、でも……他の事に覚えは無い。
ん? 事故に、あった? あったっけ? どんなトラックに? わからない……。
じゃあ……何で俺は事故にあったなんて思ったんだ?
…………っ!? そうか、そうだ!!
「なぁ亜斗理!! この部屋って個室だよな!?」
「え? うん……」
「408号室か!?」
「えっ? あたし分かんない」
「ちょい待ってろ、オレ見てくる」
俺の目覚めに居合わせた俺の見知った自称クラスメイトの男子生徒は立ち上がって部屋の番号を見るために廊下に行った。そして歓声と言うか驚きを言うか、誰もが振りかえるような大声を出してからここが病院だという事に気付き、とっさに手で口を覆う。そしてそのままのポーズで中に戻ってきたかと思うと目を丸くして俺を少し見た。
亜斗理に「どうだった?」と催促されてやっと口を開いた。
「マジ!? カズすげぇ!!」
カズってのは下の名前のあだ名。別に気に入ってもいないが。高一の時にみんなでいきなりこう呼び始めた。理由は簡単だ、名字の方のあだ名と同じでこのあだ名は仲の良い友達を呼ぶためのあだ名ではなく、本名では呼びづらい、距離を置きたいと思っている相手を呼ぶためのものだ。気に入る筈が無い。しかし、俺を慕う奴はこっちのあだ名で呼ぶので名字のあだ名よりまだましに聞こえる。
だが、このあだ名は高校でついたあだ名だ。中学校までの付き合いのこいつらが知るわけ……。俺が本当におかしくなっちまったのか?
「えっ? 飾莉の言ったた通りだったの!?」
「俺もびっくりした!!」
俺は驚かない。この事はすでに知っていたからだ。
「何で飾莉わかったの!?」
「……ただの当てずっぽうだ」
さっきのは……夢だったのか…………? でも、俺はあいつの顔を忘れちゃいない。
「あれ? 飾莉ってコーヒー飲むの?」
「なんで」
「飲みかけの缶があるから」
「えっ? 飲みかけ?」
「いや、飾莉は今起きたんだからそれはないだろ」
その缶はあの缶だった。どうやら夢ではないらしい。
この後、自称クラスメイトの男が医者を呼びに行き、医者が来て検査のため後一週間入院だと告げていった。この間親は顔を見せず、その後も来ることはなかった。時間だけが無駄に流れて行き。気づけば夜中の2時。
「この後どうなんだろ……」
「どうなると思う?」
「ふー……やっぱり来たか」
「なーんだ、驚かないんだ。 予想済みってかい?」
「もしかしたらって思ってただけだ」
何の根拠もなくそう思ってた。だから寝なかった。
「待っててくれて嬉しいねぇ」
「話の整理がしたい。待ってたぞ頓珍漢」
「その良いリズムの言葉は……俺のこと呼んだの?」
「そうだ」
「少し酷くないかい?」
「こんな訳のわからない状況になった人間を楽しむような眼で見てる方が酷くないか?」
こいつの顔には笑みがあった。
「お互い様だね」
ヘラヘラとした態度でオーバーなリアクションをするのが気にいらないが、不思議と怒りにはならずにいる。
「見舞いに来た二人と記憶の相違があるんだが、お前のせいか」
「ちょびっとね」
「……で、これからどうなるって?」
「……」
黙んなよ。
「……ここから先は取引だ。『人生やり直し』に挑戦しませんか?」
「やり直し? つーか取引って?」
「今までの缶コーヒーあげたり部屋番教えたりってのは無料サービス、前置きね。でもこれからは有料だ」
「具体的には何をしてくれる」
「お、良いノリだね」
いいから早くしろ。
「はいはい。時間を巻き戻すんだ。そして、やり直してもらう。その時、十個まで希望を叶えてあげられる。でもその希望数の分値は上がる」
「目の前にいる高卒ニートに何を要求する気だ?」
「人間は『時は金なり』なーんて言うみたいだけど、時間は金なんていう下等なもんじゃ買えないものさ。貰うのはあんたの過去だ」
訳わからん……。
「つまり時間を遡ってやり直せるんだけど、そうした時にやり直す前の今までの時間を塗り替えることになる。その塗り替えられた時間をもらうのさ」
……?
「遡れるのは最近10年間までで……」
「待て。さっき希望することの数によって値段が変わるって言ったよな?」
「はい」
「それでこっちが払う謝礼は遡った時に出来た重複した時間だって」
「はい……あー、もしかして気づいちゃった?」
やっぱり。
「5年遡る奴が二人いて、一人は何も要求なしでもう一人は十個の要求したら払う時間の量は同じだろ? その時はどうする?」
「んー……希望内容のサイズにもよるんだけど…………人間関係をいただきます……」
人間関係?
「繋がりの薄い人から順にあなたに関する記憶を消していく。世界からあなたの存在を削ることで過ごした時間と同じ代償としていただきます」
「つまりでかいことを願えば願うほど、みんなに忘れられるんだな?」
「そういうことだね」
「よし乗った。遡る時間は8ヶ月、望みは……いつでも願ったことが叶うこと」
「たった8ヶ月っ!? しかも、その願いでかいよ!? 話し聞いてたじゃん!」
「これでいいんだ」
「もしかして、みんなに忘れられたい……の?」
「さぁな。で? そのサービスはいつ開始なんだ?」
「……いつからでも」
「朝起きたら始まってるようにしてくれ」
「決定なの?」
「うん」
では、おやすみなさい。それが最後に聞いた言葉だった。
引続き御視読いただきありがとうございまーっすw




