③化け物の正体
イワノフの拳を振り上げる様子を見たハンスは、判るか多少心配したものの、左手で大金槌を持ったまま右手を上げ、開いたままの扉に向けてから、中へと飛び込んだ。
室内はぼんやりとランプらしき明かりは灯ってやや薄暗いものの、外の暗さに慣れた眼には十分だった。しかし、予想していた通りの状況に、ハンスの心は却って暗くなる。
まず最初に見えたのは、居間らしき部屋一面に散乱した様々な家財道具。それらはテーブルや棚に載っていた物だろうが、乱暴に投げ散らかされ床の上で割れたり、ひっくり返っていた。
そして……青年の証言を裏付けるように、居間のテーブルの脇に横たわった死体が有った。いや、最早死体と言うより残骸と言うべきか。大半の部位は大きく抉り取られ、傷跡には幾つもの歯形が残されていたが、その跡は顎が大きく開く肉食動物とは異なる、人間の歯形そのものだった。
(……彼の言う通りなら、これは母親か。ならば、父親は……)
死体の傍でしゃがんでいたハンスが、立ち上がりながらそう思った瞬間、
「 あ あ あ ぁ … … ! ! 」
嗄れた声と共に部屋の反対側の扉が開き、胸から上を返り血で真っ赤に染めた人影が、ランプの灯りに照らされながら、ハンス目掛けて近付いて来たのだ。
「……今晩は……そして、さよならだ!」
だが、ハンスはそう言いつつ怯まずに大金槌を構えると、小さく振りかぶりながら横一文字に振り抜いた。
無論、彼にも自分より小柄な相手目掛けて、凶悪な鈍器を叩き付ける事に抵抗はあった。だが、がつん、と鈍い音と共に大金槌の平が相手の顔の側面を叩いた瞬間、長い金属製の柄を握り締めたハンスの掌は、硬く重い何かを叩いたような衝撃でビリビリと痺れる。
「 お"お"お"ぉ……ッ!! 」
相手は更に腹の底から絞り出したような濁声を発しながら一歩前に出たが、ランプの炎で照らされた顔には一切の表情は無い。そこに有るのは、眼のような丸い一対の穴と、噛み合わせの力が勝り欠けてしまった歯が並ぶ口のみ。正常な精神の持ち主ならば、瞬時で竦み上がる異様な面相と化した相手だったが、ハンスは容赦しなかった。
「そこは筋肉が無いから、当たれば気絶位はするだろう?」
間髪入れず振り上げた鉄槌を頭頂目掛けて振り落とすが、先程とは比べ様も無い程の速度である。姿形こそ人間と何ら違えど、中身は七百馬力を発揮するガソリンエンジンを積んだティーガー重戦車である。しかも、不可思議な助力に依り、鉄の箱に掛かる筈の重力という呪いから解き放たれた結果は、推して知るべしだ。
まるで木槌のような軽さで振るわれた大金槌は、その重さを一切見せぬまま直上から化物と成った男に向けられ、薪を叩き割るように頭蓋を貫いた。
べしゃっ、と前半分だけ真っ二つに割れた身体から次々と臓腑が床に降り注ぎ、背骨に沿って開きの亡骸と化したそれが、力を失って崩れる。
「……剣より使い易い……のか?」
威力に勝る残忍さに、ハンスは顔をしかめたものの、今更引き返して取り替える暇は無い。仕方なく落ちていたテーブルクロスで大金槌を拭き清めてから、扉を抜けて外へと出た。
闇に包まれた屋外に出ると、ハンスの姿を認めたイワノフが再び手を振り、自分も同じように振って答えてやる。
「さて……一人は始末出来たが、他はどうなのか……?」
ハンスの呟きが闇に溶ける瀬戸際、離れた場所から数人の動く気配を察し、再び大金槌を構える。
四人程の人影を認めると同時に、見覚えのある顔と知り彼等の方に駆け寄ると、
「おーい!! ハンスさんだよねー!?」
近付く者が、あの喧しい少女、そして先程の四人組だと判ったハンスは、
「おお、無事だったか? ……じゃ、なさそうだな」
そう言いながら合流すると、細面の若者が屈強な大男に担がれながらやって来た。
「ああ……後ろから急に襲われてな、鎧を着てたからまだマシだが……とにかく逃げてきたのさ」
怪我を負った彼は俯いて呻くのみで、口も利けない様子である。
「早く手当てしてやらんと……あそこの櫓に仲間が居るから、そこまで連れて行ってやってくれ」
「……ああ、しかし、あんたはどうする?」
「心配は要らんよ。追っ手を止めるから先に行ってくれ」
大男にそう伝えてから、再び見ているだろうかとイワノフの様子を窺うと、銃口を空に向けながら手招きしていたので、
「今すぐ走れ! 振り返ったらいかんぞ!!」
と、念押しする。こんな時こそ無線機が有ればと思いながら、二人の女性も行かせねばと身体を横に向け、声を掛ける。
「さあ、あんたらも足元に気をつけて走るんだ!!」
「……ありがとうございます!」
「ハンスさんも気をつけてねー!!」
各々を見送りながら、ハンスが構え直したその時、近くの建物の壁を突き破り、何かが噴水広場に転げ出た。
「……こいつか、その化け物は……!!」
黒い体表に大きな身体、そして壁を破壊しながら平然と現れた怪物は、ハンスの目の前でゆっくりと立ち上がる。
この世界に詳しくない彼には、似たような大きさの生き物は全く思い付かない。強いて挙げれば南方の象が近いが、
ふううぅ……、と息を吐きながら後ろ足だけで立ち上がり、ハンスの姿を認めると威嚇するように左右の腕を広げ、長い爪を伸ばしながらじりりと近付くその姿に、他の生き物との類似性は全く見られない。
そして、その背後から元は人間だったであろう、様々な年格好の変異した人肉喰らいが現れて、化け物に付き従うように集まりだした。
(……囲まれたら厄介だな)
ハンスがそう思った瞬間、櫓の上から一条の銃弾が放たれ、先頭に立つ元は人だったのであろう、黒い化け物の頭部を貫いた。




