⑮泊まっていけばいいさ
互いに自己紹介を終えた三人だったが、ハンスとエレナは訪れた時間が遅かったので、日を改めて出直すと斡旋所を辞するつもりだったが、アルベルナは此処に泊まればいいと言い出したのだ。
「その……ご迷惑ではありませんか?」
「迷惑? いや、そんな事はないよ。此処には以前、大勢の同居人が居たからね」
斡旋所、と聞いていたのでハンスは公役の施設だと思っていたが、どうやらここはアルベルナの個人経営のようだった。その証拠に狭いホールとカウンターだけの空間を隔てた壁の向こうは、アルベルナの私宅になっていた。
「たいしたもてなしは出来ないが、寝る場所だけはあるので心配要らないよ」
斡旋所の扉の向こう側は、彼女の気さくな人柄を思わせる飾り気の無い住まいがあり、二人は招かれるままに居間へ案内される。
聞けば様々な組合にも顔が利くアルベルナは、斡旋と共に駆け出しの若い者を下宿人として受け入れる時もあるらしく、
「多い時には十人位が出入りしていた頃もあるよ。今は全員出払っているから同居人は居ないがね」
どうやら彼女は初対面の印象とは違い、案外面倒見の良い性格なのかもしれない。エレナがそう思っていると、居間に並ぶテーブルや椅子に付いた傷や磨り減った跡の一つ一つが彼女と同居人達の間柄を物語っているように感じられ、自然と心が解きほぐされていく。
「……余り、料理は得意ではないが、座って待っていてくれ。ハンス君もだよ」
アルベルナがそう言うと、ハンスはエレナに先に座るよう椅子を引いてやり、彼女が座るのを確かめてから自分も腰を掛けた。
居間の向こうから暫くすると湯気の立つ気配がし、アルベルナはどうやら湯を沸かして何かを茹でるつもりのようである。直ぐに彼女が(……いや、違うな……)とか(……む、大きすぎるか)等と呟く声が洩れ、ハンスとエレナは顔を見合せて苦笑いしてしまう。
やがてアルベルナが大きな皿に盛り付けた茹でたジャガイモと焼いたベーコンを手に、
「待たせたね、さあ、食べようか」
と、テーブルの上にドスンと置き、取り皿とフォークを二人の前に差し出した。
「ありがとうございます! とても美味しそうです!」
礼を述べるエレナに、アルベルナはやや苦笑いを浮かべつつ、
「……お世辞でも嬉しいけどね、料理は苦手で同居人達からは、食事の時は必ず座っていろ、と常に言われ続けていたものさ」
そう言って乱雑に切られたジャガイモをフォークで刺し、塩を振ってから頬張った。
「いや、こういう材料は、手間を省いて茹でただけの方が旨いものですよ」
ハンスは自分の取り皿に半切りにされたジャガイモを取り、彼女に倣って塩を振って齧り付いた。噛み締めるとほくっ、とした外側がほぐれ、やや内側は微妙にさくっ、とした歯応えを残して崩れていく。
しかし、流石にジャガイモは喉の通りが良い食物ではない。ハンスが飲み物が欲しいなと思ったその時、
「ハンス君、喉が渇くだろう」
そう言いながらアルベルナが取り出したのは、黒く大きな瓶だった。そしてその中身がビールだと知った時、ハンスはかつてない程の興奮を覚えたと言う。
「ハーンースさーん! はーやーくーー!!」
先立って歩くエレナが振り返りながら彼を煽り、漸く酒が抜けて来たハンスは、苦笑いしながら後を追う。
【……私の故郷の祠かい? ああ、まだ有ると思うよ】
昨夜、アルベルナから三日程歩いて向かえば辿り着ける村に、獣従士の祠が存在する事を知ったエレナは、翌朝になるとまだ酒の抜け切らぬハンスを引き連れて、彼女の郷里を目指して出発したのだが。
【……随分と前に廃村になったから、人は居ないよ。祠もどうなっているのかは……判らない】
アルベルナはそう言うと、二人に道程の途中で一つ仕事をやってみないかと言いながら、
【いや、多分問題は無いと思うんだが……強い魔素で獰猛化したゴブリンの討伐が一件有る。請け負ってみるかい?】
一枚の紙を二人に見せて、反応を窺った。
「……ハンスさん、前から不思議に思ってたんですが、その服って変わった柄ですよね?」
彼女の元に辿り着いたハンスに向かってエレナが尋ねる。ドイツ陸軍の秋期迷彩は茶系統の色を多く配し、木々や土の色彩に溶け込み易い反面、草原や若葉が茂る森の中では目立つかもしれない。しかし、複雑な点を組み合わせた独特の柄は、エレナの目には新鮮に映るようだ。
「ああ、確かにそうかもね。でも羊毛だから寒暖の差がある場所でも着心地は悪くないんだ」
「そうなんですか。ところで、その襟に着いている記章はどんな意味があるんですか?」
好奇心から再びエレナが問うと、ハンスは少しだけ寂しそうな表情になり、
「……これは、自分が所属していた部隊が何処か示す物だよ。まあ、今となっては只の飾りだがね」
記章を指先で弾いた後、自分がつい数日前まで居た世界に思いを馳せる。
……泥に半ば沈む死体に、動きを止めて煙を燻らせる鋼鉄の車体。その向こうに見える林の中から、ソ連の対戦車砲がハンス達の乗るティーガー戦車を睨み、直ぐに砲撃を開始する。着弾点から位置を変える為にアクセルを吹かし、黒煙を上げながら泥を撒き散らし前進する。
硝煙と排気ガス、そして血と臓腑の臭いが漂う戦場で、彼は約四年間もの間、生と死が隣り合わせの毎日を過ごしてきた。
(……ああ、今とは大違いだな……阻止砲火に怯えながら前進する事もないし、夜襲に震えながら車内で眠れない夜を明かす事もない……幸せなもんだ)
エレナの煌めく黄金色の髪の毛が風に靡く様を眺めながら、過去と現在の違いにハンスは穏やかな心境になった。
しかしその後、休耕地に住み着いたゴブリンの塒を発見した時、自らの境遇から戦いの二文字は未だ外れないのかと落胆しかけたが、
「……ハンスさん、行きましょう!」
「ああ、そうだな……行こうか」
今の自分にはエレナという守るべき対象が居て、その為に自分が居るのだと再認識した。




