お昼寝令嬢、膝枕をしてもらう。
「──ということが何回かありました」
お昼休み、いつもの秘密の場所でユティアはルークヴァルトと昼食を摂っていた。
ここ数日、ルークヴァルトは第二王子としての仕事の方が忙しかったようで、一緒に昼食を摂るのは久しぶりだった。
「……ああ、だから君に喧嘩を売らない方が良いという噂が流れていたのか……」
「噂、ですか?」
何故か遠い目をしているルークヴァルトに向けて、ユティアは首を傾げる。
ユティア自身、噂にあまり耳を傾ける人間ではない。どちらかと言えば、自らの目と耳と足で真実を探す方だ。
「君が三対一で魔法の勝負に勝ったとか、俺の婚約者としての立場を得たければ自分を倒していけ、と言ったとか」
令嬢らしい言葉ではないが、おおむね合っているので否定はしない。
「だって、あの方々といえば、私が魔法を使ってルーク様の心を得たんじゃないかって言ってきたんですよ。……そんなの、ルーク様に失礼です。それなのにルーク様の隣に立ちたいって言うんですから、譲れるわけがないじゃないですか」
ユティアは少しだけむすっとした表情になる。それが珍しかったのか、こちらを見ているルークヴァルトは目を瞬かせていた。
「……そうか。譲れない、か。そう思ってくれるのは嬉しいな」
独り言のように彼はぼそり、と呟く。
「それにこのくらいのことで一々、大事になんて出来ません。ルーク様の婚約者である以上はこの程度のこと、一人で対処してみせますのでご安心下さい」
胸を張りながらユティアが答えれば、ルークヴァルトはどこか困ったように笑った。
「……確かに君は守られることを自身に許すような人間じゃないと分かっているが、俺としては複雑だな」
「複雑、ですか?」
「君に嫌な思いをさせたくないんだ」
「嫌な思いなんて、していませんよ?」
ルークヴァルトはほんのわずかに目を細め、それから彼の手をユティアの手へと重ねてくる。
重ねられた手からは柔らかな熱が伝わってくる。
「君自身が自覚していなくても、傷というものは目に見えずに刻まれるものだ」
「そう、でしょうか……」
ルークヴァルトはユティアに傷付いて欲しくないと思っているのだろう。
だが、ユティアには傷付く「心」というものがよく分からない。もちろん、相手を傷付ける言葉や態度があるということは理解しているので、そのような行為は他者にはしないようにしている。
ただ、拒絶したい程に嫌だと思える感情が分からないのだ。それはもしかすると、他者にあまり興味がないからかもしれない。
「……ルーク様」
「何だ?」
ユティアは自分の手に重ねられている手に指をそっと絡める。このような握り方をするのは初めてで、ルークヴァルトは驚いたのか彼の手は一瞬だけ震えた。
「もし、仮に私が傷付くことがあったら、どうしますか」
その質問は意外だったのだろう。彼は何度か目を瞬かせ、それから不敵に笑った。
「そうだな。まずは君を傷付ける原因となったものを徹底的に排除しようか。それから相手が一番、嫌だと思えるやり方でやり込めてみせよう」
「へ」
思っていたよりも答えが過激だったので、ユティアはぽかりと口を開ける。
ユティアの表情を見て、ルークヴァルトがくすり、と笑った。
「冗談だよ。……まぁ、傷付けられる前に排除はするが」
最後の一言はよく聞こえなかったが、ルークヴァルトがユティアのために守ろうとしてくれることは、素直に──嬉しい、と思ってしまった。
「あとはそうだな……。傷付いた君をたくさん甘やかそうか」
「甘やかす……」
ユティアは不思議なものを見るように、こてんと首を傾げる。
「つまり、ルーク様が私に膝枕をしてくれるということでしょうか」
「ちょっと待ってくれ。……どこから膝枕なんて言葉が出てきたんだ」
「人は甘えたい時、好きな人の膝枕で横になりながら、頭をよしよしと撫でられるものだと聞きました」
「君が語る知識は少し偏っていないか……?」
「情報源は父の愛読書です」
特に令嬢達が好んでいる本を読む時の父は登場人物に感情移入しているのか、「あわ……」と言いながら顔を赤らめたり、「うっ……」と心臓辺りを手で押さえたりしている。
「……でも、まぁ、そうだな。どんな方法であれ、俺は君を甘やかしたいと思うよ」
「……」
それだけは偽りのない本音だと告げるように彼は穏やかに笑った。
「……では、今、甘やかして下さい」
「え……」
「ルーク様に甘えてみたいです」
至極真面目な表情でユティアは答える。
まさか今、お願いされると思っていなかったのか、ルークヴァルトは固まっていた。やがて、口元を手で押さえつつ、ユティアから視線を逸らす。
「お嫌ですか、膝枕」
「……そういうわけじゃない。ただ、驚いただけだ」
ふぅ、と深く息を吐いてからルークヴァルトは、足を伸ばすような座り方へと変えていく。
「俺も膝枕をしたことがないから、これが正解なのかは分からないが……」
どうぞ、と言わんばかりにルークヴァルトは右手で自身の膝を示す。
「お借りします」
いそいそとユティアはルークヴァルトへと近付き、それからごろん、と自身の頭を彼の太ももの上へと置いた。
「っ……」
「すみません。勢いづいてしまいましたか?」
「……いや、大丈夫だ」
ユティアが空を見上げるように上を向けば、そこには苦笑するルークヴァルトがいた。
いつも違う視点なので、少し不思議な心地がする。
「ふむ。これが……膝枕……」
ごろごろと頭を少し動かすと、ルークヴァルトの表情が「うっ」と呻くものへ変わった。
「……すまないが、あまり頭を動かさないでくれると助かる。少しくすぐったいんだ」
「あ、そうなんですね、すみません。……ですが、なるほど……。初めて膝枕をしてもらいましたが、男性の場合だと硬めなんですね。ふむ、ふむ……。小説などでは女性が男性に膝枕をしている場面が多くありましたが、その際には柔らかいと表現されていました。逆だとこのような感じに……ふむ……」
「……実況するのもやめて欲しいんだが」
「あ、はい。……もしかして、ルーク様にとって膝枕って、結構恥ずかしい状態ですか?」
「それを本人に聞くのか。……そういう君の方はどうなんだ」
「そうですね……。思っていたよりも安心感があるので、いつでも寝られる状態ですね」
日差しはぽかぽかしていて気持ちいいし、ルークヴァルトの膝枕は少し硬めだが何故か安堵を感じるため、目を閉じればすぐにでも寝てしまいそうだ。
「……君に安心感を与えられているならば、何よりだ」
五十センチ程、先にあるルークヴァルトの表情が柔らかいものへと変わる。それは微笑ましいものを見つめるように、優しさが含まれていた。
彼はほんの少しだけ躊躇いがちに、だが乱すことなく穏やかな手付きでユティアの頭を撫でる。それは親兄弟や友人に撫でられる際とは違った温かみがあった。
降り注がれる眼差しはユティアにとっては心地良いもので、ここ最近、身の回りで起きた面倒なことなど一瞬にして忘れられる程だった。
「……ルーク様」
「ん?」
「膝枕って、想像以上に効果があるみたいです」
「効果?」
「はい。……もし、甘やかして欲しい時があったら、言って下さい。膝枕、します。そして頭も撫でます。とっても気持ち良かったのでルーク様にもぜひ試していただきたいです」
力説するようにユティアがそう言えば、何故かルークヴァルトは盛大に咳き込んだ。




