お昼寝令嬢、婚約者らしいことを試す。
お気に入りの場所に到着したユティアは芝生の上に広い布を敷いて座った。そして、鞄から昼食を取り出し、食べ始める。
今日の昼食はサンドウィッチだ。料理長はお弁当の日、いつも気合を入れて作ってくれるので、量が少しだけ多い。
見た目だけは儚げに見えるユティアだが、小食ではないのでこのくらいの量ならば食べきれるのだ。
もぐもぐ、もぐもぐ。
爽やかな風を受けながら、夏が近づいてきているなぁとユティアは季節を楽しんだ。周りは自然の音だけで、とても静かで過ごしやすい。
一人で食事をしていると、草を分ける音が聞こえたため、ユティアは顔を上げた。
想像通り、そこにはルークヴァルトがいた。ユティアは口の中に入れていたものをごっくんと飲み込み、それからハンカチで口元を軽く拭いた。
「こんにちは、ルーク様」
「昼食中だったか。邪魔してしまったか?」
「いいえ。今、食べ始めたばかりだったので。……今日は何だかお疲れのご様子ですが」
ユティアがそう訊ねれば、ルークヴァルトは困ったように苦笑した。
「ここに来る途中、少し追いかけられてな。追手を撒くのは得意なんだが、今日は魔法を使ってしまったよ」
ルークヴァルト曰く、常々追いかけられることから、すっかり相手を撒くのが得意になってしまったらしい。
それならば彼の後を付けて、このお気に入りの場所を探ろうとする者はいないだろう。
ルークヴァルトは失礼する、と一言告げてからユティアの隣へと座った。
彼が取り出したのは紙袋だ。王子様も学園に常設されている売店で食事を買うことがあるらしい。ちょっと、驚きだ。
「俺が売店で食事を買うのが意外だって、顔をしているな」
「そうですね。やはり、王子殿下という身分であれば毒見が済まされた食事を摂っていると思っていたので」
学園の食堂は貴族の令息令嬢が利用するため、調理する者は身元がきっちりと保証されており、安心して食事ができるようになっている。
一方で売店はどちらかと言えば、平民の学生による利用が多いだろう。もちろん、こちらに勤める店員も身元がしっかりしている者が採用されている。
ユティアの疑問に対し、ルークヴァルトは軽く笑ってから答えてくれた。
「安心してくれ。すでに毒見が済まされたものだから」
「そうなのですか」
それなら安心だと、ユティアは頷き返す。
「普段は食堂で摂っているよ。……ただ、今日は落ち着いて食事が出来なさそうだったから、信頼できる相手に昼食を事前に買ってきてもらったんだ」
これが俗に言う「お前、金を渡すからちょっと、パン買って来いよ」というものかとふと思ったが、不敬なのですぐに思考の海から追い出した。
もちろん、そのシーンが再現された理由としては、父から貸してもらった本にこの場面が登場していたからだ。つい重なってしまったが、忘れてしまおう。
「確かに今日、食堂に行ったら、婚約について話を聞こうとする方が押し寄せてきそうですね。しばらくすれば、落ち着くとは思いますが……」
「婚約したことは悪いことではないのだから、俺達は堂々としていればいいんだが……。やはり、人から根掘り葉掘り聞かれるのは気分が良くないからな」
ルークヴァルトはここに来るまでのことを思い出したのか、げっそりした表情を浮かべた。
「……ここは、本当に静かで良い。邪魔する者も、騒がしい人間もいないからな」
しみじみとした様子で、ルークヴァルトは昼食を食べる。
誰よりも目立つ彼は、普段から気を張っているのだろう。昼食ぐらい、誰にも邪魔されずに静かに食べたいのかもしれない。
その気持ち、とても分かると言わんばかりにユティアはもう一度頷いた。
二人で並んでもぐもぐと静かに昼食を摂る。
ふと、ユティアは隣からじっと視線が向けられていることに気付いた。
「……ルーク様?」
「いや、不躾に見てしまってすまない。……君があまりにも美味しそうにサンドウィッチを食べていたから」
「私が美味しいって思っていること、よく分かりましたね」
表情には出ていなかったはずだが、と思ったがルークヴァルトに感情を読まれることは特に嫌だとは感じなかった。
「それはまぁ……君を見ていれば、自然と分かるようになるさ」
「ふむ?」
「……んんっ、何でもない。……それよりもそのサンドウィッチ、そんなに美味しいのか」
ルークヴァルトは軽く咳払いをしてから、話を逸らした。
「とても美味しいです。こちら、我が家の料理長が作ってくれたものですが、塗られているソースが絶品でして。甘辛い味なので、食が進むんです」
頭の中の料理長が親指を立て、にかっと白い歯を見せるように笑っている姿が浮かんでくる。筋肉むきむきで、爽やかそうに見えて料理一筋の熱血おじさんだ。
今日も美味しい昼食をありがとう、とユティアは心の中で感謝する。
すると彼はじっとユティアの手元のサンドウィッチを見つめてきた。
「……ルーク様?」
「……いや、その……。もし、良ければそのサンドウィッチを一口、貰えないか」
「はい……? ……え、このサンドウィッチを、ですか……?」
まさかのお願いに、ユティアは瞳をぱちぱちと瞬かせる。
「舌が肥えている君が味を認める程なのだから、それほど美味しいのだろうと興味が湧いてな」
「確かにこのサンドウィッチはとても美味しいですが。でも、毒見が済んでいないものをルーク様に召し上がっていただくのは、ちょっと……」
うーん、とユティアは悩む。そして、ふととあることを思い出した。
「ルーク様。『透き通る鋼の鎧』は常時発動させたままですよね?」
「ああ、もちろんだ」
「それなら毒見役の代わりになるので、大丈夫かもしれません」
この防御魔法は物理的攻撃や魔法攻撃だけでなく、毒などの「攻撃」も防ぐことが出来るのだ。
もし、口から毒を摂取しようとすれば、弾かれるような仕組みになっていた。
「ルーク様、どのサンドウィッチがいいですか? 野菜やハムだけでなく、果物を挟んだものもありますが」
「では、君が先程食べていたものと同じサンドウィッチを」
分かりました、と答えてからユティアはサンドウィッチが入ったお弁当箱をルークヴァルトへと差し出そうとして、ぴたりと動きを止める。
……あ。今こそ、婚約者らしいことをするチャンスなのでは……?
手が汚れないようにと、サンドウィッチは一つずつ、紙製の包みに入れられている。その中の一つを手に取り、ユティアはルークヴァルトへと向けた。
「ルーク様、あーんしてください」
「……。……え」
ぴしり、とルークヴァルトは何故か固まっていたが、「聞こえなかったのかな」と思ったユティアはもう一度告げる。
「あーん、です。お口を開けることです」
「あ、ああ……」
かくかくとした動きでルークヴァルトは頭一つ分、ユティアとの距離を詰め、口を開けた。
ユティアは彼の口へとサンドウィッチを近づける。ぱくり、とルークヴァルトが食べたことを確認すると、一仕事を終えたようにユティアはふぅ、と満足気に一息ついた。
「味はお気に召しましたか?」
ルークヴァルトはサンドウィッチを全て飲み込んだ後、口元を隠すように右手で覆った。
「いや、その……味は大変、美味だった……と思う。……だが、何故、手ずから食べさせるようなことを……?」
「え? 確か、世の婚約者達は食べ物を共有する時、『あーん』して、お互いの口へと運ぶと聞いたのですが?」
父が読んでいる女性向けの本にもこのような場面は多く登場していた。
「今朝、ルーク様にエスコートをしていただいたでしょう? その時、私もルーク様に婚約者らしいことをしたいと思ったのですが……。あの、何か違ったでしょうか……?」
婚約者レベル初心者のユティアにとって、全てが体験したことのない未知の領域だ。
違っているなら、違っていると言って欲しい。相手にとって嫌なことはしたくはないので。
「そ、そうか……。……これはこれで嬉しいが、全ての婚約者達がその通りにしているわけじゃない、とは言わない方がいいだろうか……」
ルークヴァルトはあまりにも小さな声で独り言を呟いていたので、何と言っていたのかは分からなかった。
「ルーク様がお嫌ならば、もうしませんが……」
ユティアがそう言うと、ルークヴァルトは急いで首を横に振った。
「嫌ではない。君が俺のために何かしたいと思ってくれたことは素直に嬉しいよ。……ただ、今後も同じようなことをする機会があるならば、周りに人がいない時にした方がいいと思う」
「分かりました」
ユティアはこくりと頷き返す。
ルークヴァルトが嫌ではないならば良かったと安堵した。
「では、今後も頑張って、婚約者らしいことをしますね」
「……程々にな」
ユティアが気合を入れるように両手で拳をぐっと作ると、ルークヴァルトは小さく苦笑を返した。




