お昼寝令嬢、撒く。
親友のリーシャ・カルディンからルークヴァルトとの婚約を祝われたものの、他の者は様子を見ているのか、ユティアに直接話しかける者はいなかった。
一人でいるところを質問攻めにしてくるのではと思っていたため、拍子抜けした程だ。
もちろん、こそこそと小声でユティアと婚約に関することを話題にしているようだが、あえて反応しないようにしている。
……まぁ、元々、目立たないように過ごしていたもの。どうして、伯爵家の令嬢が、って思っているでしょうね。
貴族の令息令嬢達からしてみれば、ユティアがルークヴァルトの婚約者になった件は、頭に疑問符が浮いて仕方がないだろう。
そんなわけでリーシャ以外からは特に話しかけられることなく、お昼休みになった。
「リーシャ。今日はスヴェン様と一緒に昼食を食べるんだよね?」
「ええ。……でも、ユティア。一人で大丈夫? ……ほら、あなたとお話ししたい人がたくさんいるみたいだけれど」
リーシャはユティアだけに聞こえるように小声で教えてくれる。周囲から向けられている視線に、彼女も気付いているようだ。
「大丈夫だよ。……いつもの場所にお昼寝をしに行くだけだから」
もちろん、その秘密の場所にルークヴァルトが来ることは教えられないが。
ユティアの答えに対し、リーシャは呆れたような、もしくは感心するような表情で肩を竦めた。
「婚約しても、あなたの趣味は変わらないってことね」
「お昼寝は私の人生の一部だもの」
心の底からそう思っていると言わんばかりにユティアは胸を張って答えた。
するとリーシャはふっ、と柔らかな表情を浮かべ、ユティアの肩を軽く叩いてくる。
「何だか安心したわ」
「安心?」
「婚約しても、やっぱりあなたは私の大好きなユティアのままだって改めて知ることが出来たから」
リーシャが笑うとその場に鮮やかな花が咲いたような空気が流れる。
「……私が変わったら、嫌?」
こてん、と首を傾げれば、リーシャが強く抱きしめてきた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめつつも、リーシャは器用にユティアの頭を撫でた。いつものことである。
「どんなユティアも一番可愛いに決まっているわ!」
「そういうことを聞きたいわけじゃないんだけれど。……それじゃあ、そろそろ行くね」
ユティアはリーシャの腕から抜け出そうとごそごそと動く。彼女は少しだけ惜しむように、ゆっくりと腕を解いてくれた。
「ええ。また、お昼休みの後に」
リーシャに見送られ、昼食が入った鞄を掴んだユティアは一人、教室から出ていく。
この後、リーシャは婚約者のスヴェンと共に昼食を摂るのだから、その時間を遅らせるようなことはしたくはない。
廊下を歩けば、誰もがユティアへと視線を向けてきた。まじまじと見てくるのではなく、ちらちらっという具合で。
少しでも隙を見せれば、話しかけてくるだろう。それは構わない。
でも、出来るならばお昼休み以外の時間にして欲しい。授業が始まる前や夕方とかなら、時間が取れるので。
お昼休みには大事な用事がある。そう、お昼寝という名の趣味を満喫する大事な時間がユティアを待っているのだ。
……今日は天気がいいから、芝生もふかふかだろうし、お昼寝をしたら最高に気持ち良いだろうな……。
夏が近づいてきているが、まだ日差しはそれほど強くはないので、木陰で寝ればちょうどいいかもしれない。
お昼寝のことを考えつつも、早足に見えないように気を付けながら歩いているユティアはふと、気付く。
……後ろから付いて来ている足音が……二つ。足音から推測できるのは男性。……ふむ。どうしようかな。
このようなことは学園に入ってから、初めてだ。まさか、女子生徒が一人でいるところを狙って、不躾に後ろを付けてくる人間がいるとは思っていなかった。
ユティアに用事があるならば、すぐに声をかけてくるだろうと思ったが、一向にそのような気配はない。
ユティアはどんどん廊下を進む。昼食を持参していない者は食堂や売店に向かう学生がほとんどだろう。
だが、ユティアが進む方向は人気がない方向だ。
この時点ですでに、ユティアは後ろから付けてくる相手に対する印象は悪かった。
……とりあえず、撒こうかな。
関わらない方がいいと判断したユティアは、階段へと続く廊下の曲がり角を利用することにした。
出来るだけ自然に、を心掛けてユティアは曲がり角を曲がる。
……一歩、二歩、三歩……。
今だ、と思った瞬間を狙い、ユティアは姿を隠す魔法を無言のまま使った。
そして、壁に沿うように背中を張り付けていると、十歩程の距離を空けて、二つの人影が角を曲がってきた。
「──あれっ……。いないぞ……?」
「はぁ? ……上の階に上がっていったのか? 足音は聞こえなかったが……」
目の前にいるというのに、二人の男子学生がユティアに気付くことはない。
ただ、魔法を使って姿を消しているだけではなく、気配も断っているのでそう簡単には気付かれないだろう。
何せ、辺境伯の祖母直伝なので。魔法でどっかんどっかんと豪快に魔獣を倒す祖母だが、気配を断って背後から奇襲をかけるのも上手いのだ。
「そんなに足が速そうな令嬢じゃなかったのに……」
ユティアは男子学生の顔をじっと見つめる。確か、この顔は伯爵家の三男と侯爵家の次男だったはずだ。
同学年ではあるものの、同じクラスでもないため、関わったことは一度もない。
……どんな理由であれ、私と接触しようとしているのは間違いなさそう。
ユティアはすっと、目を細める。ただ、関心を向けられているならば、時間が経てば落ち着くだろう。
しかし、今日に限らず今後も不躾な付き纏いが続くようならば、要注意人物として頭に入れておき、彼らの実家へと遠回しに忠告することになるかもしれない。
それにこのようなことでルークヴァルトに迷惑をかけるのは絶対に避けたい。ユティアのせいで心を煩わせることはしたくはないのだ。
「とにかく、追いかけてみるか」
「そうだな」
二人の男子学生は疑問に思いつつも、上の階を目指して階段を上っていった。その足音は次第に遠くなる。
……うーん……。あの人達、私を介してルーク様と接触したかったのかな?
だが、第二王子の婚約者になったばかりの令嬢が、婚約者もしくは他の令嬢を交えずに、人気のない場所で男性と接触するのはあまりにも外聞が悪い。
……今後はこういうことにも気を付けていかなきゃ。
はぁ、と深い息を吐きつつ、ユティアは周囲に他の追手がいないことを確認する。
……これからしばらくは魔法で姿を隠したまま、秘密の場所に行くことになりそう。
学園の中で一番お気に入りのあの場所だけは、ルークヴァルト以外には知られたくはない。
そのあたりのことについてルークヴァルトと話した方がいいかもしれない。彼も静かで穏やかな空気が流れるあの場所を気に入っているようなので。
そんなことを思いつつ、ユティアは足音を立てないように気を付けながら方向転換した。




