お昼寝令嬢、国王夫妻と会う。
その日、エルニアス王国の貴族達の間に激震が走った。
第二王子であるルークヴァルトの婚約者が突如として公表されたからだ。
相手はサフランス伯爵家の末娘、ユティア・サフランス。
表向きにはどの派閥にも属していない中立派で、権威や名誉を好まず、どちらかといえば貴族としては目立たない方だ。
特に何の功績も立てずに、王家と縁を作ることに成功したサフランス家に対して、どんな狡賢い手を使ったのかと的外れな嘲笑や妬みを向ける貴族もいた。
だが、サフランス家の本性を正しく理解している少数の貴族は、納得するように──そして、何かを恐れるように深く頷いていた。
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そんな貴族達の思惑や感情などを知らないユティアはのほほんとした様子で、学園に向かう馬車に乗っていた。
サフランス家が所有する馬車なので、乗っているのはユティアと侍女のアニエラだけだ。
「……何というか、お嬢様が第二王子殿下の婚約者になられたことが今も実感できないのですが」
アニエラはユティアの四つ年上で、小さい頃から仕えてくれている侍女だ。ユティアが「趣味」に関することで暴走しそうな時、よくなだめてくれる。
サフランス家の面々は趣味に関して使用人達に気苦労をかけているな、とよく思っているので給料と休暇は他の家々よりも少し多めにしてあり、彼らからの不満は少ない方だと自負している。
「大丈夫、サフランス家の皆もそんな感じだから」
ユティアはおっとりとした口調でアニエラへと返す。
ルークヴァルトがユティアに婚約を申し込んできた話を両親と兄夫婦に話した時、特に胃が痛そうな顔をしていたのは父だ。
ちなみに母のルルティアは「へぇ、そんなことってあるのねぇ」と特に大きく驚くわけでもなく、兄のウティオも「ほうっ、第二王子か! 一度、剣で手合わせしてみたいな!」みたいな脳筋的な反応だった。
そんな中で唯一まともな思考だったのは、兄嫁のエルリスだ。自身も妊娠中で不安なことも多いだろうに、彼女はユティアを気遣ってくれた。
王子の婚約者となれば、いらぬ嫉妬を買いやすくなり、面倒ごともあるだろうから困ったことがあれば、力になるとまで言ってくれた。
そんな頼もしい上に優しい兄嫁がユティアは「家族」として大好きだ。
兄が兄嫁を溺愛している気持ち、とても分かる。
「でも、ちゃんとルークヴァルト殿下の婚約者として相応しい人間になるための覚悟はできているから」
「本当ですか? ……それにしては王城に招かれた日より前と今を比べても、あまりお変わりない気がしますよ?」
「それは仕方ないでしょう? あの日はただ、国王陛下達との顔合わせと……王子妃としての能力があるか、力試しに簡単な試験を受けただけであって、王子妃教育を直接受けたわけではないもの」
「……王子妃としての素質を確かめるための試験を簡単の一言で済ませるお嬢様、本当……何者って感じなんですけれど……」
アニエラはどことなく遠くを見るような表情をしていた。ユティアが趣味に活用するための新しい魔法を生み出した時も同じ顔をしていた気がする。
「うーん……。でも、本当にそんなに難しい試験じゃなかったんだよ?」
「そんな台詞を言えるのは、お嬢様だけですよ」
アニエラは溜息まじりにそう言った。
そうかなぁ、と思いつつもユティアは馬車の窓の外へと視線を向ける。
そして、数日前のことを思い出していた。
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その日、王城へと招かれたのは現伯爵家当主のムルク・サフランスとその妻、ルルティア・サフランス。そして、ユティアだ。
ムルクは王城の大図書館に勤務しているので毎日のように訪れるはずだが、三人の中で一番気鬱そうだった。
一方、ルルティアは毅然とした態度だ。何事にも動じないのはさすが、あのザクセン辺境伯家出身といったところか。
応接間のような場所へと通されたサフランス家を待っていたのは、国王夫妻と凛とした表情のルークヴァルトだった。
まだ、社交界デビューをしていないユティアが国王夫妻と顔を合わせるのは今日が初めてだ。
もちろん、名前は知っている。国王陛下がジークアルド・ヴェル・フォルクレス。
そして、王妃殿下がイルン・タクティス・フォルクレスだ。
……この方々が国王陛下と王妃殿下……。
ユティアは向き合うように座っている相手を失礼にならない程度に見た。
どちらかと言えば、ルークヴァルトは王妃殿下に似ているのだろう。
国王陛下はほぼ無表情だが、王妃はゆったりとした微笑を浮かべ、ユティアを見てくる。
「今日は王城まで赴いてくれたこと、礼を言おう。やはり一度、正式に婚約をする前に顔を合わせる方が良いと思ってな」
「いっ……いいえぇっ。こちらこそっ、お忙しい身であられる国王陛下と王妃殿下のお時間をいただき、誠にありがとうございますっ……!」
ムルクの声はほんの少しだけ裏返っていた。
それもそうだろう。
父は権力にも財産にも名誉にも興味はなく、伯爵家と領民の幸せを願い、奮闘しつつも自分の趣味を楽しむ人生を送っているあくまで平凡な伯爵家の当主だ。
社交は最低限しかこなさないし、新しい縁を作る時はほとんどが趣味に関連する者だ。
それゆえに国王夫妻とこうやって面と向かって会話をすることなんて、一年のうちに絶対に参加しなければならないパーティーで御前挨拶をする時だけだった。
「公式の場ではないのだから、どうか気を楽にね」
にこりとイルンが笑みを向けてくる。
ユティアの母より二、三歳ほど年齢が上とは思えない若さと美貌だ。日頃から、手入れを怠らないようにしているのだろう。
「さて、ユティア・サフランス伯爵令嬢にいま一度、問う。……王家の者と縁を結べば、そなたには伯爵令嬢という身分以上の重圧と責任がかかるだろう。それを承知した上で、第二王子であるルークヴァルトとの婚約を受け入れるか」
ジークアルドの声色は静かだが、その場を制す厳かさを感じた。それは相手が子どもならば、震えるかもしれない程の威圧だった。
……ふむ。国王陛下は恐らく、手加減をして下さっているのでしょうね。
このくらいの圧に耐えられず、泣き出すようであれば、ルークヴァルトの婚約者に相応しくないと試しているのかもしれない。
だが、辺境伯である祖母からかけられる圧の方がこれの十倍、重いと知っている。
ユティアは一度、ルークヴァルトの方へと視線を向ける。
視線が重なると思っていなかったのか、ルークヴァルトの深く青い瞳はわずかに見開いた。
……ルーク様。
ユティアはまだ、恋い慕う意味での「好き」がどのようなものなのか、理解はできていない。
けれど、ルークヴァルトがユティアと婚約したいと言葉にした時、そこにどれ程の勇気と気持ちを込めたのか、それだけはちゃんと理解している。
……ならば、私は──ルーク様の気持ちに応えるために、あらゆる覚悟を決めよう。そして、その覚悟を示し続けよう。
人生において、自分を真に理解してくれる者と会えたことはとてつもない幸運で、そしてかけがえのないものだと知っている。
だから、結ばれた縁を大事にしたい。
そのために自分は何をするべきか、分かっている。
……まずはルーク様に相応しい「婚約者」になる。
ルークヴァルトに顔を向けていたユティアは口元をほんの少しだけ緩め、そして毅然とした表情へと変えて、ジークアルドへと返事をした。
「──はい。私は、自分の意思でルークヴァルト第二王子殿下との婚約を望みます。今はまだ、この身に至らない点がございましょう。ですが、王子殿下の婚約者として相応しい者になるとお約束いたします」
ひるむことなく、躊躇うことなく、ユティアは真っ直ぐ告げる。
ルークヴァルトが唇をきゅっと結んだのが見えた。
隣に座っている両親はユティアがここまで強い意思を持って、ルークヴァルトとの婚約を望んでいるとは思っていなかったのか、かなり驚いた表情をしていた。
ユティアが不敬にならない程度に挑むような表情で返事をした後、ジークアルドの瞳がわずかに見開いた。
その顔が少しだけルークヴァルトと似ていて、やっぱり親子だなぁとユティアは心の中で密かに思った。
お久しぶりでございます。第二章、始まりました。
マイペースで更新を頑張りますので、どうぞ宜しくお願い致します。




