お昼寝令嬢、明日の約束をする。
「では、今からお教えしたいところなんですが……」
ユティアは自身の左腕にはめている腕時計に視線を向ける。どうやらルークヴァルトと話し過ぎたようで、昼休みが終わるまであと十分程に迫っていた。
「もうすぐお昼休みが終わってしまうので、次の機会にしましょう。明日のお昼は空いておりますか」
「ああ、空いているが……」
「もし、時間が空いているようでしたら明日のお昼休み、今日と同じ時間帯くらいにこちらへいらして下さい。この防御魔法をお教えしましょう」
「……また、ここに来ても良いのか?」
少し驚いたようにルークヴァルトが訊ねてきたため、ユティアはこくりと頷き返す。
「この場所を誰にも他言しないのであれば」
「……分かった。それではまた明日、こちらに伺わせてもらおう」
すると、同じように芝生の上に座っていたルークヴァルトはすっと立ち上がる。
そして、ユティアへと右手を伸ばしてきた。恐らく、この手を取って立ち上がれ、という意味なのだろう。
別に紳士のようなことをしなくても気にしないのにと思いつつも、ユティアは彼の厚意に甘えることにした。
「……ありがとうございます?」
「どうして、そこで疑問形なんだ……」
ルークヴァルトはどこか困ったように苦笑する。
だが、このような扱いを受けることがほとんどなかったので、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。
ゆっくりとお互いの手を重ねてから、ユティアは立ち上がった。
……そういえば接触したけれど、この人が弾き飛ばされなかったということは……。
ルークヴァルトはどうやら自分に対して敵意や悪意を持って、接しているわけではないようだ。
……ですが、物好きな方ですね。
ユティアはルークヴァルトに重ねていた手をゆっくりと離す。指先に残っていた熱はあっという間に消えてしまっていた。
「……そう言えば。えーっと……ルークヴァルト様はどうしてこのような場所に?」
何気なく問いかけたユティアの質問は、彼にとっては嫌なことを思い出させる引き金だったのか、一瞬にして顔を引き攣らせていた。
「……昼休みが始まった途端に、新入生の令嬢達に一緒に昼食を摂ろうと追いかけ回されていたんだ」
「まぁ」
見目が良いと大変だなとユティアは他人事のように心の中で思ったが、決して口にはしなかった。何故ならルークヴァルトの表情から苦労が窺えたからである。
「それで学園中を逃げ回って落ち着ける場所を探していたら……この場所に辿り着いた。俺は君よりも一年長く在学しているのに、このような場所があるとは知らなかったよ」
「そうだったのですね。……まぁ、貴族のご令嬢方は制服が汚れるのがお嫌でしょうから、木々が深いこの場所に足を踏み入れることはほとんどないと思いますよ」
「……君も貴族の令嬢だろう」
「お昼寝をするためならば、どんなことも厭いません。それに汚れてしまっても魔法を使って、すぐに綺麗な状態に戻せますから」
「だが、今日は君の昼寝の邪魔をしてしまったようですまない。……このような場所で令嬢が倒れていては大変だと思い、つい声をかけてしまった」
「いえ、お気になさらず。……今度は『寝ている』ことが分かるように、枕を持参致しましょう」
「いや、学園に枕を持って来ようとするなよ……」
呆れた声で呟くルークヴァルトだったが、それでも声色は明るい。
令嬢達に追いかけられたと言っていたので、女性が苦手なのだろうかと思ったがユティアとは普通に喋っているので、恐らく気が強くてしつこい女性が苦手なのだろう。
大変そうだなぁと他人事に思いつつ、ユティアは小さくあくびをする。
「……さて、そろそろ戻りましょうか」
このままでは授業に遅れてしまうだろう。
「ああ。……帰り道は別々の方が良いだろうか」
「そうですね。ええっと……ルークヴァルト様の追手の方と鉢合わせしたくはありませんし、一緒に居るところを見られてしまえば、更に面倒になりそうなので」
「君は意外とはっきりとした物言いをするのだな」
「気に障ったのなら、申し訳ありません」
「いや、嘘で飾らない分、素直さが出ていて良いと思う」
「そうですか? ……まぁ、私のような者は貴族社会では上手くはやっていけないでしょう。言葉を偽るのはあまり得意ではないので」
得意ではない、というよりも面倒なだけである。
本当に昼寝が出来るならば、他はどうでもいいユティアだ。
「……確かにそうかもしれないな」
「そうでしょう。なので、私は学園を卒業した後はサフランス領に戻って、ゆっくりまったりお昼寝生活を送るのが夢なのです」
もちろん、サフランス家の一人として仕事はするつもりである。
だが、全ては昼寝優先だ。なので、今は昼寝が優先出来て、更に自分にも出来る仕事について模索中である。
「……何とも穏やかで羨ましい夢だな」
「ふふ、良いでしょう」
ルークヴァルトは決してユティアの密やかな夢を馬鹿にすることなく、優しげな笑みを浮かべて肯定してくれた。
それがユティアにとってはとても嬉しかった。
令嬢の趣味が昼寝なんて下らないと馬鹿にする人も居るだろう。
だが、ルークヴァルトは嫌な顔をすることなく、穏やかな表情を浮かべながら自分の夢を肯定してくれたため、ユティアの中で彼に対する印象が少しだけ変わった。
……意外と良い人。
再確認してから、ユティアは「うん、うん」と自分で納得するように頷く。
昼寝の素晴らしさを肯定してくれる人は「良い人」、というのはユティア個人の認識の仕方である。
そもそも、昼寝の素晴らしさを推奨しているのがユティアしかいないのが現実だが。
「それでは……。ええーっと、ルークヴァルト様、この場でごきげんよう」
「……さっきから思っていたんだが、君はもしかして俺の名前を覚えようとしていないな?」
「はて」
「呼ぶたびに何とか思い出しているのだろう、君は」
「はてさて」
ユティアは曖昧に答えておく。彼の名前を覚えようとしないのは、覚える必要はないと思っているからだ。
なので、名前を呼んだ次の瞬間には頭の端っこに名前を追いやっては忘れかけようとしていたのである。
「全く……」
そうは言うものの、ルークヴァルトの機嫌は良いように見える。
普通、名前を忘れ去れていたと知れば、気分を害するものだと思うが、彼からはそのような気配は感じられない。
……もしかして、変な人?
いや、そう思うことこそルークヴァルトにとっては失礼に値するだろう。
「それじゃあ、また明日」
「はい、失礼致します」
ユティアはルークヴァルトに向けて、頭を下げる。
ルークヴァルトが木々の隙間を縫うように去っていくのを見送ってから、それとは逆方向に向かって歩き始めた。
歩きつつも、ユティアは遠慮することなく大きなあくびをする。
「ふわぁ……。今日は何だかいつもよりも眠いですねぇ」
そんなことを思いつつ、教室に戻ったのだが、その日は珍しく授業中にうたた寝してしまうことになったのだった。




