公爵令嬢、苦しむ。
クラシスが第三王子の婚約者に、選ばれたと世間に公表されてから暫く経った頃。
婚約者としての親睦を深めるために、クラシスは第三王子と側妃が生活している王城の一角へと招かれていた。
今日はお茶会にふさわしい天気だというのに、クラシスの心はどんよりと雲がかかっているように晴れない。
その理由は、テーブル越しに座っている第三王子、アークネストのせいだ。
彼は不機嫌さを隠すことなく、淹れられた紅茶をあおるように飲み干す。そして、耳をつんざく音を立てながら、カップをソーサーの上へと置いた。
「──全く! あのお茶会の場にはお前のような品のない髪色をしている者よりも、余程美しい者達が揃っていたというのに……。何故、顔立ちがきついお前が婚約者になってしまったのか、理解できん!」
「……」
確かにクラシスの顔はどちらかと言えば、きつい顔立ちだ。
だが、性格は違う。
初対面の相手によく勘違いされるが、クラシスの性格は見た目と反して、穏やかで気弱なものだ。
いつだって、己を奮い立たせなければ声を出すことも行動することもできない。
公爵家に生まれた以上、何事にも動揺することなく凛としていなければならないというのに、自分はまだまだ努力が足りないのだ。
「……至らない点もあると思いますが、殿下の婚約者として恥じぬように努力します」
「ふんっ。ならば、まずはその髪色を別のものへと染めたらどうだ?」
「……」
「お前が俺のように、透明感のある美しい金色の髪だったならば、隣に並ばせても良いと思えたのだがな」
吐き捨てるように文句を言いながら、アークネストはテーブルの上に出されているケーキにフォークを立てて、品のない動きで思いっきりに頬張っている。
アークネストはクラシスよりもお菓子を優先しているようだ。
親睦を深める、とは一体何だろうかと哲学のようなことを考えてしまいそうになる。
……普通なら、お互いにどんな人間なのか知るために、訊ねたりするものだと思っていたけれど。この方は先程から、わたくしへの文句ばかりね……。
最初から、クラシスに興味がないのだろう。
溜息を吐きそうになるのを我慢し、クラシスは自分へと淹れられている紅茶を一口、口に含んだ。
好きなものや苦手なもの、どんなことに興味を持っているのかを訊ね、お互いのことを知っていくための親睦会という名のお茶会だと思っていたが、アークネストにとってはただのおやつの時間なのだろう。
だが、会話をしなければお互いを知ることなど出来ないと思い、勇気をふりしぼってクラシスが話しかけようとした時だった。
「お前、公爵家の人間なんだろう?」
嫌悪の表情を浮かべ、アークネストは訊ねてくる。
「公爵家は貴族で一番、偉い家らしいな。どうせ、俺と婚約したくて、公爵家の権力を使って、婚約者の座に就いたんじゃないのか?」
鼻で笑いながらアークネストはそう言ったが、そのように思われるのは心外だ。
色々と吐き出してしまいたい感情をぐっと堪え、クラシスは相手を不快にしないように穏やかな笑みを浮かべつつ答えた。
「……殿下。わたくし達の婚約は、政略の意味しかございません。そこにお互いの感情など、含まれていないのです。なので、公爵家の権力を使って、あなた様の婚約者の座に就いたということは決して、ありえません」
しかし、アークネストは不愉快そうに顔を歪めた。
「俺に口答えするなっ!」
「っ……!」
彼はフォークを持っている右手で、テーブルをどんっと叩く。並べられている食器や茶器に振動が響き、つんざく音が響いた。
父や祖父でさえ、クラシスを叱る時は諭すような物言いだった。
子どもとは言え、「男性」に声を荒げられたことは今まで一度もなかったクラシスは驚いて、肩を震わせてしまう。
「何て不愉快な女なんだ、お前は! この前のお茶会の時もそうだったではないか! せっかく母上に直接、声をかけてもらったというのに、鼻につくような物言いで言い返してばかりいた!」
「……」
「こんなにも性格が悪く、陰湿な女を妻にしなければならないなんて……」
アークネストは、自分は不幸だと言わんばかりに溜息を吐いているが、それはお互い様だろう。
「その目は何だ! 俺に文句があるのか!」
「……いいえ」
ぎぃっと睨んでくるアークネストは、人を見下すことに慣れているような瞳をしていた。だが、たとえ顔は良くても、性格は直せない程に歪んでいる。
「気分が悪い! 俺はもう、帰る!」
子どもが駄々をこねるよりも酷い態度で、アークネストは立ち上がると地面を踏み固めるような足取りでクラシスの前から去っていった。
その際に、アークネストに付き添っていた侍従が、どこか申し訳なさそうな表情でクラシスに向けて頭を下げて、主人の後を追っていく。
その場に残されたのは、クラシスとお供として付き添ってくれている侍女だけだ。お茶会が始まった当初から、彼女はクラシスの後方に立っていた。
アークネストが言葉を発するたびに、冷気に近いものが漏れ出ていたが、それに気付いている者は自分以外にいないだろう。
「……お嬢様……」
クラシスよりも十歳年上の侍女、リッタが心を痛めているような声色で言葉をかけてくる。
「……リッタ。お父様には言わないでね」
「ですが……! 王子殿下とは言え、先程の物言いはあまりにも……!」
こちらを侮辱している、と言いたかったのだろうがリッタは言葉を噤んだ。クラシスが窘めるような視線を彼女に向けたからだ。
「ここはいつも親切にしてくれていた王妃殿下が住まう場所とは違うわ。発言には気を付けなさい」
「……はい」
リッタは何か言いたげな表情を浮かべたが、すぐに唇を結び直し、頷き返す。
この場所は側妃が住まう、王城の一角だ。庭先とは言え、誰が聞き耳を立てているのか分からない。
……お茶会って、こんなにも虚しいものだったかしら……。
ふと思い出したのは、王妃のイルンと共にしたお茶会だ。
こちらを気遣ってくれていた、ということももちろんあるのだろう。それでも、もう一人の母のように感じていたイルンと共に過ごす時間は、クラシスにとって「楽しい」ものだった。
だが、以前まで、イルンから頻繁にお茶会の誘いがあったというのに、第三王子の婚約者となってからは一度もない。
さすがに側妃の息子である第三王子の婚約者となった手前、誘いづらくなったのだろう。その代わり、個人的な手紙がクラシスのもとへ届くようになった。
手紙に綴られている内容は、困ったことはないか、何かあれば相談してほしいと言ったもので、クラシスの身を案じるものだ。
イルンはクラシスが穏やかで気弱な気質だと知っている。だからこそ、クラシスが側妃や第三王子と渡り合っていけるか、心配しているのだろう。
その気遣いを嬉しく思いつつも、本音を綴ることはできず、返事には大丈夫だという言葉しか、書くことができない。
静寂が満ちる庭には、自分達以外に誰もいない。
機嫌を損ねた以上、アークネストがこの場に戻ってくることはないだろう。つまり、今日のお茶会の終わりを意味していた。
クラシスはカップに入った紅茶をもう一度、口に含めてから喉を潤す。
……最初から、ここまで邪険にされるなんて……。わたくしが、もっと第三王子殿下を敬い、誉めそやす言葉をかければ良かったのかしら……。
気の利いた言葉や挨拶が咄嗟に出なかった自分も悪いと分かっている。
ただ、あの手の人間と接したことがないクラシスは、アークネストの機嫌を損ねないためにはどのように話しかければいいのか分からなかった。
……少しずつ、第三王子殿下のことを知っていかないと……。
今回のお茶会で分かったのは、アークネストは反論されるのが嫌いだということだ。
故に注意をすればするほど、余計に話を聞かなくなってしまうのではないだろうか。
それにアークネストに付き従っている侍従の様子から、先程のように彼が機嫌を損ねるのはよくあることなのだろうと察せられた。
……相手がわたくしだったから良かったものの、いつか他国の要人を相手にあのような態度を取ってしまわないか、心配だわ……。
そうなれば、国同士の問題に発展してしまうだろう。そんなことをさせないためにも、今後は婚約者となったクラシスが彼の傍で気を付けなければならないのだ。
「……帰りましょうか、リッタ」
クラシスは苦笑しながら、リッタへと声をかける。アークネストが戻ってこない以上、ここにいても時間を無駄にするだけで無意味だ。
それならば、今後の付き合い方について考える方が有意義だろう。
「……! それでは、すぐに帰りの馬車をご用意します」
リッタは強く頷き返した。
侍女が馬車の用意をしてくれている間、クラシスは誰も座っていない目の前の椅子へと視線を向ける。
……第三王子殿下がいくらこちらを嫌悪し、興味がないのだとしても……。そうはいかないのが現状だわ。
自分達は、将来を共にする「婚約者」。
それはつまり、「契約者」同士でもある。
ならばお互いを知り、分かり合うための努力をしなければならない。たとえ──本音では苦しいことだとしても。




