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白銀の獅子はお昼寝令嬢を溺愛中  作者: 伊月ともや
幕間 公爵令嬢、秘めた恋をする。
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公爵令嬢、覚悟を決める。

 

 エルニアス王国にはいくつか公爵家がある。そのうちの一つ、フォルティーニ家に一人娘として生まれたのがクラシスだ。

 クラシスは大好きな絵本を両手で抱え、ベッドの上へとよじ登る。


「おかあさま! 絵本を読んでくださいませっ」


「あらあら、昨日も読んだでしょうに……。クラシスはこの絵本が随分と気に入ったようね」


「だって、騎士様がとてもすてきなのよ。お姫様をわるい人から守るの! わたくしも、こんな騎士様に会いたいなぁ……」


「ふふっ、クラシスは王子様よりも騎士様の方が好きなのね」


 ベッドの上に座っているのはクラシスの母、オリヴィアだ。

 侯爵家の出である母は、若い頃から身体が弱く、クラシスを産んで以降はベッドの上で生活している。


 クラシスの世話をほとんど使用人任せにしか出来ないことを気にしているのか、母の体調が良い時はこうやって絵本を読んでくれたり、素敵な話をしてくれる。

 優しく、穏やかな愛情を注いでくれる母のことが、クラシスは大好きだった。


「おや、クラシス。ここにいたのか」


 母の部屋に入ってきたのはクラシスの父で、公爵家の当主、グラディオス・フォルティーニだ。


「おとうさまっ、おかえりなさいませ!」


「おかえりなさい、ディオ」


「ただいま、私の愛おしい宝達」


 そう言って、グラディオスはクラシスとオリヴィアの頬に軽く口付けた。


 父と母はお互いに深く愛しており、周囲からも羨ましがられるほどに仲睦まじい夫婦だった。

 そんな二人を見て育ったクラシスはいつか、自分を心から想ってくれる相手と添い遂げたいと思うようになった。



 だが、クラシスが五歳を迎える前にオリヴィアが亡くなってしまう。


 グラディオスは妻の死を嘆き、しばらくの間、日常生活をまともに送れない程に気落ちしていた。

 クラシスも愛情深く接してくれていた母の死を悼み、中々立ち直れなかった。


 ……でも、このままじゃ……おかあさまもきっと心配するわ。


 いつまでも嘆いてばかりでは、空の上から見守っている母を困らせてしまうだろう。

 クラシスは涙を拭き取った。


 そして、妻の死に気落ちして嘆いている父に向かって、力強く告げる。


「おとうさま。わたくし、ぜったいに立派な、『しゅくじょ』になりますわっ。そうしたら、きっとおかあさまもお空の上から喜んでくれると思うのです」


 公爵令嬢として恥じない自分になれば、母に心配をかけずに済むはずだ。


 小さな決意を胸に、クラシスは真っ直ぐ父へと視線を向ける。彼は表情をくしゃりと歪め、それからクラシスをゆっくりと抱きしめた。


「クラシス……。……ああ、すまない。そうだな、私も立派な公爵──そして、父でいることを誓おう。二人で、進んでいこう。オリヴィアも分も」


 クラシスを抱きしめる父の身体はまだ震えていたが、それまでのように項垂れたままでいることは減った。


 クラシスも父も、母の死から完全に立ち直ったわけではない。

 けれど、このままではいられないとお互いに奮起し合いながら、何とか立ち上がった。


 苦しいことも悲しいことも、時間が経てば別のもので埋まることもある、と教えてくれたのは母だ。


 今はまだ、自分も父も悲しくて仕方がないけれど、それでも母と過ごした思い出を優しく寂しい気持ちのまま、思い出せる日も来るだろうと幼いながらに悟っていた。


 

 父は母の忘れ形見であるクラシスを今まで以上に深く愛してくれた。溺愛に等しいものだったが、公爵家の跡取りとして厳しく接する時もあった。

 クラシスも父の愛情を正しく受け取り、立派な女公爵になろうと励んだ。


 時折、父に後妻を娶ってはどうかと言ってくる者もいたが、父はそれらを一蹴していた。自分が妻として愛したのは、後にも先にもオリヴィアだけだと言い切って。


 そんな父の姿を見てきたクラシスは、死してもなお愛し合う夫婦というものに強い憧れを抱くようになった。


 ……わたくしも女公爵となり、いつか婿を迎えることになるのでしょうけれど……。


 この国では嫡男がいなければ、長子である女性が爵位を継ぐことが二世代ほど前から、当たり前のことになっている。

 それは性別や生まれた順に関係なく、優秀な者に家を継がせるべきだという考えが浸透するようになったからだ。


 そんな考えが浸透するようになったのは恐らく、前公爵家当主だったクラシスの祖父の弟が、とある辺境伯の一人娘に婿に入ってからだ。

 それ以降、女性が当主となる家が増えた。


 クラシスもフォルティーニ公爵家を継ぐために日々、父のもとで当主教育を施されている。

 だからこそ、自身の結婚に私情を挟むことが出来ないと分かっている。それでも、淡い願いを抱かずにはいられなかった。


 ……難しいことだと分かっているけれど……。もし、叶うなら──お父様やお母様のように、お互いに想い合える方と結ばれますように……。


 たとえ、叶わないとしても、心の中で願うことくらいは自由なはずだ。クラシスは密かな願いを誰にも話すことなく、胸の奥へと沈めた。


 結婚相手となる婿候補はまだ、父が吟味しているところだ。


 母の友人だった王妃が公爵家への入り婿に、自分の二番目の息子はどうかと冗談まじりに紹介してきたが、第二王子と顔を合わせた瞬間、お互いに「この相手はないだろうな」と覚った顔をしていた。


 友人としては良い関係を築けるだろうが、結婚相手としては可もなく不可もなくといった感じだ。

 実際に結婚してみれば、家族の情を抱くことはあるだろうが、熱っぽい感情を抱くことはないだろうとクラシスと第二王子──ルークヴァルトはお互いに思った。


 そんなわけで婚約話は流れたが、クラシスは時折、王妃や王子達のお茶会に呼ばれるようになった。

 お茶会と言っても、参加するのはクラシスと王妃、第二王子と王太子と王太子の婚約者だけの気楽なものだ。


 王城で仕事をする父に付いてきたクラシスを呼んでは、仕事が終わるまで話に付き合ってくれたり、時には勉強を共にすることもあった。


 母を亡くしたばかりのクラシスに寂しい思いをさせないようにと、気を遣ってくれているのだろう。

 王妃と王太子の婚約者からは娘や妹のように可愛がられ、王子達とは兄弟のように共に育った。


 そんな日々を過ごしているうちに、クラシスの心には穏やかさが戻ってきた。



 しかし、その穏やかな日常が崩れたのは突然だった。


 ある日、仕事場である王城から帰ってきた父は暗い顔をしていた。母を亡くした時の嘆きの表情とは違う。

 まるで、絶望しているようなそんな表情だった。


「……すまない……。すまない、クラシス……」


 父は項垂れた様子でクラシスの両肩を掴み、掠れた声で謝ってくる。


「お父様、どうしたの?」


 この時、クラシスはすでに八歳を迎えていた。だからこそ、相手の顔から不穏さを読み取ることくらい、出来るようになっていた。


「……本当にすまない……。……我が家が……お前が、第三王子の『(くさび)』に選ばれてしまった」


「えっ……」


 その言葉を聞き、クラシスは目を大きく見開く。


 『楔』とは言わば、隠語のようなものだ。

 扱いに困る者が余計な権力を持たないために、力を徐々に奪って抑えつけるための役目。


 つまり、自分が第三王子の婚約者に選ばれたのだと理解出来た。


 ……第三王子殿下のお母君は確か、側妃様だったはず……。


 第三王子はエルニアス王国の国王、ジークアルドが無理やりに娶らされた側妃、ヴァルノア王女の子だ。

 この側妃、隣国の末の王女だった故に国王夫妻から甘やかされていた。

 兄弟である王子達はまともだったため、彼女をよく注意していたが王女は耳を貸すことはなかった。


 昔から我儘放題な上に、気に入らないことがあれば周囲に当たり散らす性格で、年頃を迎える頃には手が付けられない姫君として隣国内では有名だったらしい。


 そんな彼女は王太子時代の国王が隣国へと外交に来ていた際に一目惚れしたという。何とか王妃になりたいと思っていたようだが、その時すでにジークアルドは現王妃のイルンと結婚していた。


 ヴァルノアは何とかしてジークアルドと結婚しようと、父王に相談した。


 父王は末娘の願いを叶えるためにエルニアス王国にとって有益な取引を持ち掛け、何とか無理に側妃として嫁がせた。

 それはもはや、押しかけ結婚のようなものだったと、当時を知っているグラディオスは言っていた。

 その後の処理はかなり大変なものだったらしい。


 ……側妃様は一度決めたことを通さないと気が済まない性格をしていて、第三王子殿下もその性格を受け継いでいると聞いたわ……。


 さらに勉強嫌いで横暴な上、自分が次の国王だと言いふらしては周囲に頭を抱えさせているとのことだ。


 だが、次の国王は第一王子である王太子に決まっている。それは公表されているものなので、王太子の身に何かが起きない限りは継承権が変わることはない。

 たとえ継承権が移ったとしても、王妃の息子である第二王子が王太子になるだけだ。


 ……もし、この国の玉座に隣国の血を受け継いだ第三王子殿下が座ることになれば、隣国がエルニアス王国に介入してくるのは目に見えている……。


 そうさせないためにも、我が公爵家が『楔』として選ばれたのだろう。


「フォルティーニ公爵家しか、第三王子を受け入れられる家がなかったのだ……。他の公爵家には男児しか生まれていない。跡取りの娘を持った家で侯爵家以上となると限られてくる」


「……確かに我が家はお父様も、前当主だったおじい様もいらっしゃいますものね……。楔のお役目を頂くにはこれ以上ない、ぴったりな家ですわ」


「ああ、何ということだ……。こんな役目を背負わせるくらいならば、お前の婚約者を早く決めておけば良かった……」


 父の悔いが室内に響く。

 クラシスは知っている。父が当主補佐として支えられる程に優秀なだけでなく、クラシスの性格と合う婿候補を探していたことを。


「ですが、他に適した家がないならば、わたくしが先に婚約を結んでいても、解消させられていた可能性もあったでしょう」


 クラシスは極めて冷静に言葉を返す。


 第三王子が公爵家に婿入りしてきても、父と祖父が存命である以上、自由に「公爵家」の権力を使うことは出来ない。

 そして、公爵家の当主の権限はクラシスのみに与えられる。第三王子が婿入りしたとしても、彼は当主の配偶者としての権力しか持たされない。


 だからこそ、「楔」の役目に我が家以上に適した家がなかったのだろう。


 ……第三王子のアークネスト殿下が、私の……結婚相手……。


 夢は、希望は、淡い願いは──いつだって、脆く崩れ去るものだ。

 それが遅いか早いかの違いだと分かっている。


 けれど、実際に会ったこともないのに噂だけを鵜吞みにし、こういう人間だと決めつけるのは相手に失礼だろう。

 それにアークネスト本人とちゃんと向き合ってみれば、良い関係になれるかもしれない。


 クラシスは暗い表情をしている父に声をかける。


「お父様、わたくしなら大丈夫ですわ」


 浮かべたのは、少女らしい無邪気な笑みではない。

 無理に張り付けたのは、淑女の笑み。何があっても、己の本当の感情を表に出すことがないように、洗練された表情だ。


 この時、クラシスは「少女」だった自分に蓋をしたのだろう。


 そんな自分に、父は泣きそうな表情を浮かべ、抱きしめてくる。まるで、母が亡くなった後、お互いに誓いを立てた時のように。


「立派に『楔』としてのお役目を果たしてみせますから、どうかご助力をお願い出来ますか」


「……ああ、もちろんだ」


 父はもう、クラシスに謝ってくることはなかった。

 クラシスの覚悟をくみ取ったからかもしれない。


 抱きしめていた自分を離した父の表情は、毅然としたものへと変わっていた。

 きっと、たくさん父には苦労をかけることになるのだろう。


 クラシスは父には見えないように、袖の中で拳をぎゅっと握りしめ、泣き言を吐かないように息を深く飲み込んだ。


  

 

 

活動報告にて、「大きなお知らせ」について書いています。

ご興味がある方がいれば、ぜひご覧くださいませ。

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