お昼寝令嬢、婚約を決める。
様々な視線を受けながらも、ユティア達はパーティー会場のすぐ隣にある庭へと赴いていた。
庭は開けているため、誰かが姿を隠す場所などはない。そのため、パーティー会場からこちらへと視線を向けてくる学生がちらほら見られた。
しかし、ユティア達は怪しいことをするために庭に来たわけではない。ただ、熱気に中てられたから、夜風に当たりに来ただけだ。
そんなにじろじろと見つめられても面白いことは提供出来ないのに、と密かに思っていた。
「……はぁ……。やはり、室内は暑かったんだな……」
ルークヴァルトは噴水のすぐ傍にある石製の長椅子に腰かけたため、ユティアもちょこんと座ることにした。
「そうですね。水辺だと涼しいです」
こうやって、外で身体の熱を冷ませば、浮かれていた思考も落ち着くはずだ。
パーティー会場から流れてくる楽団の音楽を耳で楽しみながら、ユティアはふっと息を吐いた。
パーティーが始まって、まだ一時間くらいしか経っていないので、夜風に当たりに来る学生はユティア達以外にはいないようだ。
「せっかくなので、リマンの飲み物をもう一杯頂いて、持ってくれば良かったですね……」
「ふっ……。余程、あの飲み物が気に入ったんだな」
ルークヴァルトは楽しげに小さく苦笑した。
「ユティア嬢の好みをまた一つ知ることが出来て、良かったよ」
「……? 私、そんなに好きなものをお教えしていましたっけ?」
ユティアはこてんと首を傾げる。
「色々と教えてもらったよ。……君の趣味である『昼寝』だけじゃなく、『白銀の獅子』、それと……『鉄雪宰相』も」
「……そう言えば、お話していましたね」
世間話のついでのように話していたことをふと思い出す。しかし、ルークヴァルトはそんな話さえも、ちゃんと覚えておいてくれたらしい。
「君が好きなものについて話す時は、いつもよりも目が輝いていて、言葉が多くなるからな」
「……お恥ずかしい限りです……」
「恥ずかしいことなんて、一つもないだろう? ……君はただ、好きなものを好きだと揺らぐことなく真っ直ぐ言葉にすることが出来る──それはとても素敵で尊いことだと思うよ」
「……」
ユティアははっと顔を上げ、隣に座っているルークヴァルトを見上げた。
ルークヴァルトは表情を緩め、穏やかに目を細めた。
「けれど、まだ物足りないんだ。……俺はもっと君のことを知りたいと思っている」
「私を……?」
それは何故なのか、と訊ねたくてもすぐに言葉にすることが出来なかったのは、ルークヴァルトがじっとユティアを見つめていたからだ。
「どんなことでも良いんだ。好きな食べ物や飲み物、季節や空気……。それら全てを、君を通して、感じたいと思ってしまった。俺も君に共感したいと思ったんだ」
「……」
「君が好きなものを語る姿は俺にとってはとても眩しいもので……そして同時に、焦がれるような想いも浮かんでしまう。それはきっと……俺が君に──ユティア・サフランスという人間の全てに惹かれているからだと思う」
ルークヴァルトは一度、立ち上がってからユティアの前へと移動すると、その場に膝を立てるようにしながら跪いた。
「ユティア・サフランス嬢。どうか、俺と婚約してくれませんか」
そう言って、ルークヴァルトは右の掌を差し出してくる。
「……」
「……」
暫く、無言が続いたのはユティアの脳内が未知のものと遭遇した状態になっているからだ。
「……ユティア嬢?」
「……はっ! 驚きのあまり、思考が停止していました……!」
ユティアは肩を小さく振るわせながら、現実へと戻ってくる。
「あっ、うっ、えっと、えと、あの……こ、婚約……?」
もう、脳内では動物達が大暴走しているような混乱が起きていた。そのため、いつもならば冷静に物事を捉えるユティアだが、今回ばかりは狼狽えてしまう。
「る、ルーク様、どうなさったのですか? えっと、あの……? ……ご、ご冗談か夢……というわけではないですよ、ね……? ……あ、頬っぺた、抓ると痛い……」
自身の頬を抓りながらも慌てるユティアに対して、ルークヴァルトは困ったように苦笑している。
「現実だよ。……もう一度、言うけれど、俺と婚約して欲しい」
「……ひょえぇ……」
淑女らしからぬ声が思わず漏れてしまう。やはり、ここは現実だったようだ。
「で、ですが、どうして……」
「先程も言ったが、俺が、君を、好きだから、だ」
ユティアに理解してもらおうとルークヴァルトはわざわざ一言ずつ言葉を区切って言い直してくれた。
「す、す、好き? 好き? って、あの、好きとはまさか、人間に対する恋慕といった感情の意味での好き、ということですか?」
珍しくも慌てふためいているユティアが微笑ましいのか、ルークヴァルトの瞳は少しずつ生暖かいものへと変わっていく。
「そうだ。その意味での、好き、だ」
どうやら間違いないらしい。
「言っておくが、君に想いを伝える前に両親と君のお父君に話は通してある。あとは君の心次第だ」
「何という手回しの早さ……。そして、両陛下が許可して下さったということに驚きが隠せません」
ちゃんと、サフランス家について事前に調べてあるはずだが、本当に許可して良かったのだろうかと我ながら思ってしまう。
「正直、サフランス家と王家が縁を結んでも、そちらに利はないと思いますが……?」
「君のお父君と同じことを言うんだな。……まぁ、貴族間の結婚は両家の利によって成り立つ場合が多いからな。そのように思われても仕方がないだろう。だが、ここに政略の意味はほとんど存在していない」
「ふむ……?」
「あえて言うならば……君の家は表向きには中立派だからな。表立って王太子派や第三王子派だと主張しているわけでもないし、サフランス家は権力に一切興味のない者ばかりだ。貴族間の勢力図の均衡を保つためにはこれ以上ない程の良縁だと思っている。……でも、それを抜きにして、俺は君と婚約したいと自分の意思で望んだ」
つまり、ルークヴァルトがユティア自身を望んでいる、ということだろうか。
「それで? 君の返事を聞かせてもらっても良いだろうか」
心の底から本当に驚いているユティアはやっと現実を受け入れることが出来たが、こんな時はどのような表情をすればいいのか分からなかった。
「……まだ、信じられません。ルーク様が私に……婚約を申し出るなんて」
今まで、お昼寝仲間だと思って接していたが、いつの間に自分に──「恋慕」を向けるようになっていたのか、全く分からなかった。
それに、お互いに出会ってからあまり時間は経っていないというのに。
……時間の長さだけが想いの深さではないって、恋愛小説をよく嗜んでいるお父様が言っていたけれど……。
ユティアが頭の中で唸っていることは彼にも伝わっているようで、ルークヴァルトは肩を竦めている。
「俺の想いを信じてくれると、こちらとしても勇気を出した甲斐があるのだが」
「……っ。……だって、私、ですよ。本当に宜しいのですか……?」
ユティアは膝の上に置いていた両手をぎゅっと握り締めた。
「私は……多分、世間で言う『普通』とは少し、ずれています。自分の好きなことしか、興味が惹かれませんし、それ以外は割とどうでもいいと思っている、何でも程々にこなす性格です」
「ああ、もちろん、知っている」
「なので……ルーク様に恋慕の感情を向けられていても、同じものを返せません……。何故なら、私は……それが、よく分からないのです」
家族や友人関係での親愛は分かる。
その愛情がどのようなものなのか理解することは出来るが、それ以外の者から向けられる感情をどのようにして受け止めればいいのか、分からないのだ。
「ユティア嬢。俺は、君が『昼寝』に向けている熱意を俺自身に向けて欲しいと言っているわけじゃないんだ」
「え……」
「俺は君が自分の心を偽ることなく、好きなものに熱い想いを向けている姿をずっと見ていたいと思った。そして、同時に共有したいとも思ったんだ」
「共有……」
今思えば、ルークヴァルトはユティアの趣味を一緒に楽しんでくれていた。彼は──ユティアの最も大事なものを最初から「受け入れて」くれていた。
それに気付いてしまえば、胸の奥が何故かぐっと掴まれたような心地になってしまう。
「君が持つ『感情』は誰よりも純粋で、揺らぐことのない強い想いだ。俺は君のその想いの強さに惹かれているんだ」
「……」
どうして、彼は自分を想ってくれるのだろう。
それが、分からない。分からないけれど──ありのままの自分自身を認められるのは、これ程、心の奥が跳ねるような気持ちになるものだとは知らなかった。
「……ユティア嬢は俺のことが嫌いか?」
「いいえっ」
ユティアはすぐに首を横に振る。
「ルーク様は私の趣味を聞いた時、笑わないで下さいました。……自分にとって、最も大事だと思っていることに対して理解を示して下さっているルーク様を嫌いだなんて、思うわけがありません。……でも、私は……ルーク様のことをあまり、知らないので……それがとても申し訳ないのです」
そう答えれば、ルークヴァルトは柔らかな笑みを浮かべていた。
「それなら、少しずつでいいから、俺のことを知ってくれると嬉しい。……君の心は君のものだ。焦らなくてもいい。『好き』という気持ちを無理に向けて欲しいわけじゃないんだ。もちろん、俺も君のことをこれからも理解していきたい。……これまで築いてきたものに重ねるように、もっと知っていきたいんだ」
ユティアは大きく目を見開いた。
彼は、心からユティアのことを理解したいと思っているのだ。
果たして、この先の人生の中で、ルークヴァルト以上に、自分を「理解」し、更に「理解」しようとしてくれる人は現れるだろうか。
……本当は心の底で、願っていたのかもしれない……。
両親も、兄妹も、サフランス家の人間は「趣味」と同等か、それ以上に自分を理解してくれる「伴侶」を愛しているし、愛されている。
自分もいつか、そのような相手が現れるだろうかと、気付かないうちに望んでいたのか。
本当は「理解」されたいと、思っていたのかもしれない。
でなければ、ルークヴァルトに想いを告げられて、喜ばしいと感じることなんてないのだから。
……自分自身を理解し、求められるのはこれ程までに嬉しくて、幸せなことだったのね……。
心の中で空っぽだった部分に何かが注ぎ込まれていく心地がした。
まだ、自分の中には人を愛することがどのようなことかは分からない。だが、たった一つだけ分かることがある。
……その感情をいつか、ルーク様に向けられるように、なりたい。
その相手は他の誰でもなく彼が良いと、それだけははっきりと分かった。
ユティアは唇を結び直し、それから目の前にいるルークヴァルトへと視線を向ける。
そして、差し出されている手に、自分の右手をそっと添えた。
「……こ、婚約をお受けします」
思っていたよりも、小声での返事になってしまったというのに、ルークヴァルトにはしっかりと聞こえていたようで、彼の表情は次第に明るいものへと変わっていく。
「ありがとう、ユティア嬢。……この先、君と君が大事にしているものを大切にすると、心から誓おう」
ルークヴァルトはそう言って、ユティアの手の甲に軽く口付けを落としてきた。
「……!」
何と言うことだろうか。
まるで、物語の王子様がお姫様に求婚する一場面のようではないか。
……あ、そういえば、王子様でしたね、この方。
ふとした時の動作が、本当に王子様らしいなと改めて思った。
「……ルーク様。……至らない点が多くあると思いますが、どうぞ宜しくお願いします」
自分は本当ならば「王子」の婚約者に相応しいとは言えない性格をしている。
だが、それでも──それでも、歩いて行くならば、彼の隣がいいと思ったのだ。
王子である彼の隣に立てば、想像出来ない苦労が待っているかもしれない。
それさえも些細なことだと思ってしまうのは、ルークヴァルト自身と歩む人生が心地よいものになると予感しているからだ。
……私に「好き」は分からないけれど、ルーク様の隣は……とても、居心地が良い。装うことなく、自然と息が出来る。
今の自分に分かるのはこれだけだ。
だから、ルークヴァルトがユティアのことをもっと理解していきたいと思ってくれるならば、自分も彼のことを少しずつ知るための努力をしよう。
この時、ユティアは生まれて初めて、自分以外の誰かのために努力しようと心に決めた。
「ああ、宜しく頼む」
返された短い言葉の中には、これ以上にないと言わんばかりの喜びが含まれていた。
この日、好きなもの以外に興味のなかったユティア・サフランスは、唯一自分の心を動かしたルークヴァルト・アルジャン・フォルクレスの手を取り、婚約することを決めたのだった。
第一章 完
「白銀の獅子はお昼寝令嬢を溺愛中」の第一章、これにて完結です。
しばらくは二章を書き溜めてから、投稿したいと思います。そして、二章の前には「幕間」が入ります。
他の登場人物視点となっているので、そちらを読まなくても本編は分かると思いますが、読むと本編の楽しみ方がほんの少しだけ変わるかもしれません。
二章から本格的にいちゃいちゃが始まるので、どうぞ宜しくお願い致します。「溺愛」を期待して読んで下さっている方々をお待たせしてしまい、申し訳ありません。
長かった一章にこれまで、お付き合い下さり、本当にありがとうございました。
続きを投稿するまで時間がかかると思いますが、お待ちいただけると嬉しいです。




