お昼寝令嬢、第二王子の護衛と会う。
ラフェル、と呼ばれた少年は肩を竦めながらこちらへと近付いてくるも、ユティア──ではなく、クラシスをその瞳に映すとほんの一瞬だけ、表情を固めていた。
「……フォルティーニ様、こんばんは」
先程とは違う声色で、ラフェルはクラシスへと声をかける。
クラシスも彼の知り合いだったようで、ラフェルを映した瞳は何故か揺らいでいるように見えた。
「こ……んばんは、トルボット様」
不躾に思われない程度に彼女の顔を見れば、その頬はわずかだが赤らんでいた。
二人とも、お互いの呼び方は家名で呼んでいるというのに、間に流れている空気は何故か柔らかい。
……ふむ?
ユティアは内心、首を傾げつつも空気に徹して二人のやり取りを眺めることにした。
「同じ学園に入学したのに中々、挨拶出来ず、申し訳ない」
「い、いえっ、トルボット様とは学年が違いますから……。……でも、お元気そうでなによりです」
「フォルティーニ様こそ。……そのドレス、とてもお似合いです。やはり、あなたには暖色系の色が似合いますね」
「っ、それは、あの……お褒め頂き、ありがとうございます……」
クラシスは小さくはにかみつつも嬉しそうに笑い返していた。その笑顔は淑女の仮面による笑みなどではなく、とても自然なものに見える。
すると、ラフェルはやっとルークヴァルトの後ろに隠れるように立っていたユティアの存在に気付いたのか、目を見開き、失礼を詫びるように謝ってきた。
「っ、申し訳ない。そちらのご令嬢に挨拶がまだだったようで」
「いいえ」
特に気にしていないユティアは無表情のまま首を横に振った。
「ラフェル。こちらはユティア・サフランス伯爵令嬢だ。今夜、俺は彼女のパートナーなんだ」
「え」
ルークヴァルトが右手の掌でこちらを示しつつ、ラフェルに向けて紹介してくれたのでユティアは頭を軽く下げた。
ラフェルは驚いているのか、一瞬だけ目を丸くしていた。
「ユティア嬢。この男は俺の友人であり、護衛でもあるラフェル・トルボットだ。まぁ、口調と態度は軽い印象を受けるが、これでも一応、情に厚い男だ」
「一応とはなんだ、一応とは」
護衛ということは、主従の関係でもあるのだろうが、ルークヴァルトとラフェルの間には気安い雰囲気が流れていることから、公の場ではない限り、この距離感なのだろう。
「……改めて、初めまして。トルボット侯爵家のラフェルです」
気安い口調はルークヴァルトだけに対してで、自分やクラシスを相手にする時には騎士のように丁寧だ。
「初めまして。ユティア・サフランスと申します」
日頃から微笑を浮かべる練習をしている他の令嬢達ならば、このような場合、笑みを返すだろうが、ユティアは万年無表情だ。
だが、ラフェルはユティアの表情を特に不快に思うことなく、どこか納得するように頷いていた。
「……しかし、なるほど」
ラフェルは右手を顎に添えつつ、何故か嬉しそうな笑みを浮かべている。
そして、ルークヴァルトの方に視線を向けつつ、年頃の少年のように、にかっと笑っていた。
「ルーク、良かったな」
「……まぁ、お前の助言は役に立ったと言っておこう」
「本当、素直じゃないなぁ~。お礼は食堂で一番人気のメニューで構わないぜ」
「お前は人の二倍は食べるだろうが! 却下!」
友人同士の気安い空気が流れ始めたが、ユティアはそこですっと手を挙げて制止する。
「お話し中、申し訳ございません。そろそろ、入場しなければ……」
控えめながらもはっきりと声をかければ、二人ははっとしたように会話を止め、少し気まずそうに咳払いをした。とても似ている主従である。
「あー……。それで、お三方はどうしてこのような場所にいるんです?」
ラフェルは何気なく訊ねたのだろうが、その言葉に、クラシスはきゅっと瞳を瞑った。
「わたくしのせいなのです……」
「えっ」
「正確に言えば、愚弟のアークネストのせいだけれどな」
「そうですね、クラシス様のせいではないです」
ルークヴァルトの言葉にユティアは頷きつつ、同意する。
すると、クラシスは少し泣きそうな顔で、お気遣い頂きありがとうございます、と呟いた。
どういう意味か分からないと言わんばかりの表情を浮かべるラフェルに、クラシスの婚約者であるアークネストが彼女のエスコートを当日に無断で拒否し、別の女子学生を伴って入場したことを伝えれば、彼は無表情ながらも額に青筋を浮かばせていた。
「……ほう」
ラフェルから吐き出された呟きには怒気が含まれていた。
「なので、ルークヴァルト殿下がクラシス様をエスコートなされば、一時的にですが問題は解決するのではと思いまして」
「ふむ……」
ラフェルもこの件の重要性が分かっているのか、唸るように悩んでいる。
だが、何かを思いついたのか、彼はにこりと笑い、名案だと言わんばかりにこちらに提案してきた。
「ならば、俺がフォルティーニ様をエスコートするのはいかがでしょうか」
ラフェルは右手をクラシスへと差し出した。
まるで先日、父が読了後に号泣していた恋愛小説の一場面のようだ。
「ふぇっ!?」
淑女らしくはない声がクラシスから漏れていたが、その表情には驚きと──何か、もう一つ別の感情を含めたものが浮かんでいた。
「なるほど。ラフェルならば、エスコートの相手としては申し分ないな。王太子派ではあるが、侯爵家出身だから、一時的なパートナーとして安心して任せられるだろう」
ルークヴァルトもその手があったかと頷き返している。
「もちろん、フォルティーニ様がお嫌でなければ、ですが」
「──い、嫌ではありませんっ」
がしっ、とクラシスは両手でラフェルの手を掴んだが、自分がやってしまったことに後から気付いたようで、顔を真っ赤にして、ゆっくりと手を離していた。
「も、申し訳ございませんっ。……ですが、あのっ……もし──もし、お願い出来るのであれば、トルボット様にエスコートを頼んでも宜しいでしょうか」
美少女の上目遣いを受けたラフェルは左手で顔を覆っていた。
やがて、短い気迫が込められた息がラフェルの口から漏れていたが、クラシスは気付いていないだろう。
「お任せ下さい、フォルティーニ様」
にこり、とラフェルは満面の笑みを浮かべていた。
「……ラフェルの笑みは嘘くさいな……」
ぼそりと呟いたルークヴァルトは、ラフェルの笑顔を引き気味に見ている。
「おーい、そこ。聞こえているからな。……それじゃあ、さっそく向かうとするか。これ以上、入場が遅くなると余計に目立つだろうし」
「そうだな」
ルークヴァルトとラフェルは目配せしてから、ユティアとクラシスへと掌を差し出してくる。
「……ユティア嬢。あまり格好付かないかもしれないが、もう一度、俺の手を取ってくれるか」
一度はその手を取ることを譲ろうとしたが、それでも心の中では残念に思っている自分がいた。
だからだろうか──。
もう一度、ルークヴァルトから差し出された手を見て、ユティアは自分でも気付かないほど、自然と小さな笑みを浮かべていた。
「──はい。宜しければ、改めてお願い致します」
自身の手をそっとルークヴァルトの手へと重ねれば、彼は何故か嬉しそうに目を細めていた。
ちらりとクラシス達の方へ視線を向ければ、彼女は緊張した面持ちでラフェルの手を取っていた。
「あの、トルボット様。あなた様にまでご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございません……」
「いえ、気にしないで下さい。むしろ、とても幸運だと思っているので」
「幸運、ですか?」
首を傾げるクラシスをラフェルは眩しいものを見るような瞳で見ていた。
「ええ。フォルティーニ様をエスコート出来るなんて、きっと二度とないことでしょうから」
だから、とラフェルは言葉を続ける。
「今宵限りとはなりますが、あなたの隣を歩くことを嬉しく思いますよ」
「トルボット様……」
クラシスを見つめるラフェルの視線に、どのような感情が含まれているのか、ユティアは見極めきれない。
ただ、少しだけ──ほんの少しだけ苦しげで、それでもクラシスを映すその瞳からは、優しさが感じられた。
こちらの視線に気付いたのか、ラフェルは空いている手で人差し指を作り、口元にそっと添えて、クラシスには秘密だと言わんばかりに苦笑したため、ユティアは頷き返した。
「……それでは行こうか、ユティア嬢」
「あ、はい」
ルークヴァルトに促され、ユティアは彼の隣をゆっくりと歩きつつ、パーティー会場となる広間へと向かった。
後ろからはクラシスとラフェルが同じ速度で歩いてきている。クラシスは少々ぎこちないが、ラフェルは余裕の笑みを浮かべたままだ。
「……令嬢の相手が得意じゃないラフェルも、クラシス嬢が相手ならば、纏う空気が柔らかくなるんだな……」
ルークヴァルトがぼそりと呟いた。長年の付き合いがある彼もラフェルの意外な一面を初めて知ったのだろう。
「そう言えば、トルボット様に婚約者は……?」
「いや、いないようだ。……ま、まさか……ラフェルが、気になるのか……?」
まるで油を差し忘れた歯車のような動きでルークヴァルトがこちらを振り返った。
「はい? 別に気になりませんが」
ただ、ラフェルに婚約者がいたならば、今回のエスコートの件、さらに面倒なことにならないか不安に思っただけだが何故、そのような話になるのだろうか。
ユティアがこてんと首を傾げれば、明らかに安堵した表情で彼は溜息を吐いていた。
「いや、すまない。こちらの早とちりだ」
「?」
よく分からないが、ルークヴァルトが納得したのならば、それでいいが。
ユティアは顔を前へと向き直す。
パーティー会場となっている広間まで、距離はあと少しだった。




