お昼寝令嬢、公爵令嬢と対面する。
「……あの方は……」
ユティアがぼそりと呟くと、ルークヴァルトも視線の先に立っている人物に気付いたようだ。
「ん? ──クラシス嬢か?」
ルークヴァルトの声が聞こえたのか、それまでユティア達に気付いていなかったクラシスは、はっと顔を上げるも、どこか追い詰められた小動物のような表情をしていた。
「こ、これは……っ。ルークヴァルト殿下におかれましては……」
「ああ、ここは学園だ。王城とは違うから、堅苦しいことは無しにしてくれ」
「は、はい……」
クラシスは肩を少しだけ強張らせたまま、戸惑いがちに頷き返す。
彼女の瞳はそのまま、ルークヴァルトの傍にいたユティアへと注がれた。
その視線に気付いたのか、ユティアとクラシス、共通の知人であるルークヴァルトが間を取るように紹介してくれた。
「クラシス嬢、彼女はユティア・サフランス伯爵令嬢だ。確か、遠縁だと聞いているが。……そして、ユティア嬢。恐らく知っていると思うが、彼女はクラシス・フォルティーニ公爵令嬢だ」
その紹介に、どこか緊張気味だったクラシスの頬が緩んだ気がした。
「まぁ……サフランス様だったのですね。確か、わたくし達のおじい様方が兄弟だと伺っていますわ。……申し訳ありません。同じ学園に入学したというのに、あまりお話をする機会がなくて……。改めまして、クラシス・フォルティーニですわ」
「いいえ。私自身が、あまりお茶会などに参加していないので、お話する機会が少なくて当然です。こちらこそ、ご挨拶が遅くなり、申し訳ありません。ユティア・サフランスと申します。……ところで、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい、何でしょうか?」
「フォルティーニ様のドレス、もしかして海を跨いだ大国のスパライト帝国で今、流行している手触りが良いと評判の絹をご使用しているのでは?」
ユティアが何気なく、そう訊ねれば、クラシスは驚いたように目を見開き、そして何故か一度、ルークヴァルトの方へと視線を向けていた。
「え、ええ。そうですわ」
「やはり、そうなのですね。染色の技術が発達している国だと伺っていましたが、ここまで美しい真紅の色に染めることが出来るなんて、国宝級に値するとても素晴らしい技術だと思います。それにフォルティーニ様の白いお肌に映えていて、お似合いです」
ユティアの表情には相変わらず感情は出ていないが、心の底からの賛辞だとクラシスは受け取ってくれたようで、少しだけ嬉しそうに表情を和らげていた。
「ふふ、ありがとうございます。職人達の並々ならぬ技術を見抜いて、称えてくれたのはこの学園ではあなたが初めてです。でも、まだこの絹自体は輸入している数が少ないから知っている人はほとんどいないと思っていましたわ。サフランス様はとてもお詳しいのですね」
「もしよろしければ、ユティアとお呼び下さい。……絹と言いますか、生地と言いますか……私的なことで調べていて、多少詳しいだけです」
とてもではないがほぼ初対面の相手に、生地に詳しいのは自分の趣味のためだとは言えない。
一方で、ユティアが生地関係に詳しい理由を知っているルークヴァルトの口元は少しだけ緩んでいた。
「まぁ……。では、わたくしのこともクラシスと呼んで下さいな」
微笑みを浮かべるクラシスは物語のお姫様のような美しさを持っていた。
今の時間帯、空は暗くなってきているが、クラシス自身が輝いているように見えるのは、彼女の美しい赤髪と白い肌、そして滑らかなドレスが微かな光に反射しているからだろう。
「お互いに打ち解けたようで、何よりだが……。……クラシス嬢。何故、このような場所に一人でいたんだ? もうすぐパーティーが始まるぞ?」
「それは……えっと……」
ルークヴァルトからの問いかけには答えにくい内容が入っていたようで、クラシスはほんの少し、視線を彷徨わせているようだった。
すると、ルークヴァルトは何かに気付いたようで、眉をひそめる。
「……もしや、アークネストに関することか?」
「っ……」
どうやらルークヴァルトの指摘は正解だったようで、一瞬だけだがクラシスの顔に緊張が走ったように見えた。
「……何があったんだ?」
まるで兄が妹を心配するような口調だった。
小さい頃からの知り合いならば、二人は幼馴染のような関係なのだろう。
「……実は、アークネスト殿下は……その、わたくしのエスコートを拒否しているようでして」
「何だと?」
クラシスは困惑しているような表情を浮かべていた。
「本当ならば、フォルティーニ公爵家に迎えの馬車が来るはずでしたが、出発時間がぎりぎりになってもいらっしゃられなかったので、自ら参ったのです」
そうしたら、とクラシスは言葉を続けた。
「アークネスト殿下が……。他の女子学生をエスコートしながら会場入りしている姿を見かけてしまって」
「あいつ……」
ルークヴァルトは右手で額を軽く叩くように頭を抱えた。
「婚約者を、しかも公爵令嬢を蔑ろにするとは一体どういうことだ……。学園のパーティーとは言え、貴族の令息令嬢達がいる中で自分の婚約者を軽視しているような行動を取るなど、礼儀がないにも程があるぞ……!」
「仕方がありませんわ。……わたくしはあくまであの方の楔にしか過ぎませんもの」
クラシスは右手を頬に添えつつ、困り事に遭遇したように微笑む。
それはどこか悲しげで、そして諦めているようにも見えた。
「学園に入学してからは、特に嫌われてしまったようで。学生の間は自由にさせろと怒られてしまいましたわ。……きっと、わたくしのことをお目付け役のように思っているのでしょうね」
「クラシス嬢……。すまない、君ばかりに苦労をかけてしまって……」
「いいえ。これが公爵家に生まれたわたくしの使命なのです。それを任命されたことは誇りに思っておりますのよ。……ただ、わたくしの気が弱いばかりに、あの方には好き勝手されていますが」
クラシスはほんの少し、眉を下げる。
「しかし、エスコートを拒否か……。あいつ、嫌がらせにしては本当、最悪なことを仕掛けてきたな……」
「わたくしに恥をかかせることが目的なのでしょう。……せめて、事前に分かっていれば、エスコートの代理を誰かに頼む時間もあったでしょうに……」
「さすがに公爵家の令嬢が、学園のパーティーとは言え、エスコート無しで入場するのは外聞が悪すぎるな……」
「ええ……。父の耳にはあまり入って欲しくはないので、穏便に済ませたいのですけれど……」
どうしたものかとルークヴァルトとクラシスが悩んでいる傍で、ユティアは「はい」と手を挙げた。
「何かな、ユティア嬢」
「提案があります」
ユティアはルークヴァルトに向けていた視線をそのままクラシスへと移す。
「ルークヴァルト殿下がクラシス様をエスコートなさるのはいかがでしょうか」
「なっ……」
「えっ……?」
二人は同時に固まったが、ユティアはそのまま提案を続けた。
「先程、ルークヴァルト殿下が仰っていたように、公爵家のご令嬢であるクラシス様がお一人で会場入りするのは、外聞が悪いものとなりますし、結局は婚約者のアークネスト殿下の思うつぼになってしまうと思うのです。その点、私には元々婚約者がいませんし、伯爵家の出身です。一時的に外聞が悪くなっても挽回の余地があると思いませんか」
ユティアはパーティー会場となっている広間がある方向に耳を傾ける。
「そろそろ、会場入りする学生達の出入りも落ち着いてきていると思うので、この機会を逃すわけにはいきません。それに今から新しいパートナーを見つけるにしても、時間がかかって余計に悪目立ちしてしまう可能性もあります」
「……」
クラシスはまさかルークヴァルトをパートナーとして薦められるとは思っていなかったのか、驚きで目を見開いているようだった。
「君は……それで、いいのか」
どこか苦しげにルークヴァルトは呟く。
彼も分かっているのだろう。クラシスの背後にあるフォルティーニ公爵家の影響力はこの国ではかなり大きいものだ。
そして、噂によるとクラシスの亡き母を深く愛していた公爵は一人娘のクラシスを溺愛していると聞く。
だからこそ、王家の者としてはクラシスを蔑ろにした後のことを考えると怖いのかもしれない。
「はい、構いません。それにここで、クラシス様を蔑ろにして、王家とフォルティーニ公爵家の間に溝を作ってしまえば、余計に面倒なこと……ごほんっ、いえ、大変なことになると思います。……まぁ、そのきっかけを作ったのはアークネスト殿下の配慮が無さすぎる身勝手な行動のせいなのですけれど」
最後の一言は不敬になると分かっているので、出来るだけ二人には聞かれないように小さく呟いた。
ユティアはクラシスにもう一度、視線を向ける。
彼女がこの場所で、たった一人で佇んでいたのは、この件によって公爵家と王家との間に溝が出来てしまうかもしれないと、誰にも相談出来ずに悩んでいたからだろう。
「ユティア様……」
「どうかお気になさらないで下さい。それに、クラシス様にお似合いになっている素晴らしいドレス、他の皆様にもお見せしないともったいないと思いますよ」
ユティアが軽い口調でそう告げれば、クラシスの表情はくしゃりと崩れそうになっていた。
本当に、気が強そうな見た目と気弱な中身が合っていないのだなと思いつつも、彼女は彼女で色々と苦労しているのだろう。
……私も一応、この国の民だもの。国の安寧のためには仕方がない。……けれど、アークネスト殿下とやらが、クラシス様を蔑ろにしたことはしっかりと覚えておこう。
普段はおっとりしているユティアだが、忘れないと思ったことは絶対に忘れないのがユティアだ。
……でも、本当は……ルーク様にエスコートしてもらいたかったなぁ。
自分の中では割と楽しみになっていたのかもしれない。
ほんの少し、いや結構、残念だが仕方がないだろうと自分に言い聞かせた。
そんな時だった。
「──あっ、こんなところにいたのか! 全く、もう……。護衛している俺の身にもなれよな、ルーク」
声は低いが、それでも夏風を思い出させるような爽やかな声音がその場に響く。
一体、誰だろうかとユティアは視線を声がした方へと向けた。
「……ラフェル」
ルークヴァルトは肩を竦めながら、こちらに向かって来る焦げ茶色の短髪の少年の名を呼んだ。
どうやら、騎士のような装いをしている彼はルークヴァルトの知り合いだったらしい。




