第二王子、待つ。
ユティアがイレンズ達と試行室にいる頃、ルークヴァルトは付き添い人が待機する待合室で紅茶を飲んでいた。
この待合室、備えてあるものが思っていたよりも豊富で、お茶やお菓子を楽しめるだけでなく、魔法に関する本などがずらりと本棚に並んでおり、読み放題となっていた。
だが、待合室の部屋はそれなりに広いが、利用者はまばらだった。
そのおかげでルークヴァルトは人目を気にせずゆっくりとソファに腰かけて、ユティアを待つことが出来た。
「……何と言いますか」
周囲に人気がないことを確認してから、ミルトが言葉を口にする。
彼女は侍女でもあり、護衛でもあるので、ルークヴァルトのようにソファに座ることなく、すぐ近くで真っ直ぐ立ったままだ。
「サフランス嬢は、底が見えない方でございますね」
無表情のまま、さらりと告げた一言にルークヴァルトは顔を上げる。
「それはどういう意味で、だ?」
「あの方は私と顔を合わせた瞬間、私がただの侍女ではなく護衛も兼ねていると察しているようでした。……恐らく、武術か剣術の心得がおありなのでは」
「ユティア嬢が……」
ユティアはかなり華奢だ。
それこそ、力を入れてしまえばすぐに折れてしまいそうなほどにか細く、繊細な雰囲気を纏っている。
……まぁ、人は見た目によらないからな。
儚げな令嬢に見えるが、ユティアはあまり何事にも動じない性格だと知っている。
ただ単に興味が無いものに対して、反応が薄いだけかもしれないが。
「もしかすると、サフランス嬢の兄君であるウティオ・サフランス殿がお教えになったのかもしれませんね。あの方は学生の頃から、剣術がお好きでしたから」
「……ああ、そうか。ミルトは兄上達と同じ時期に学園に通っていたから、その同級生でもあったユティア嬢の兄君とも知り合いだったか」
先日、夕食の席でルークヴァルトの兄、カークライトが言っていたことを思い出す。
「そうですね。模擬戦として何度か手合わせさせて頂きましたが……。普段は陽気な方なのに、試合となると全く隙がなくて、中々攻めることが出来ませんでした。剣を手にしたウティオ殿を目の前にして、彼の圧に耐え切れずに腰が抜ける者もいたほどです」
ミルトにとっては苦い思い出なのか、眉が少しだけ動いた気がした。
「ウティオ殿はそれほどお強いのか」
「とても。私が最も得意とする長剣を得物にしていても、あの方は短剣──いえ、フォーク一本あれば、勝つことが出来るでしょう。それほどの圧倒的強さをお持ちでした」
以前、模擬戦でウティオに負けたことが相当、悔しかったのか、ミルトは珍しくも顔を顰めていた。
「本当に……あの家は──サフランス家は底が見えない。こちらがどれほど努力をしても、彼らにとっては何気ないことで、そしてたった一瞬の時間で培ってきた努力を簡単に凌駕していきます。きっと傍にいればいる程、彼らの特殊性が分かるでしょう。そして──追い付けない自分を嫌になることもあるかもしれません」
ミルトの言葉に、ルークヴァルトは黙った。彼女の言っていることが少しだけ分かる気がした。
サフランス家の人間は一つのことに特出している。
だからこそ、自分達と見比べた時、己への虚しさやサフランス家に対する嫉妬などを感じてしまうかもしれないと、言っているのだろう。
ルークヴァルトは紅茶のカップを近くにあった長台の上に置き、ミルトの方へと振り返った。
「確かにサフランス家の人達は特出した才能を持っているかもしれないが、それは彼らにとってはただ、『最も好きなもの』なだけだと、ちゃんと理解しているよ」
「……」
「好きなものを極めたい、と思うのは誰だって同じだろう。……俺は彼らが──いや、ユティア嬢が持っている才能と比べれば、凡庸な才能しか持っていないかもしれない。けれど、妬ましいと思うことは全くないんだ。むしろ、好きなものを好きだとはっきりと言って、楽しんでいるユティア嬢が……とても好ましいと思う」
ユティアにとって魔法は、大好きな昼寝をさらに快適にするための方法の一つだ。
もしかすると、魔法を極めたい者にとってはそれが妬ましいと思えるかもしれない。
「俺は彼女が眩しくて仕方がないんだ。だから、俺がユティア嬢の才能に嫉妬することはないだろう。これからも彼女の才能に驚きはするだろうが妬むことはないよ、絶対に」
何と言ったって、最初の出会いから驚いてばかりだった。
あの時は本当に驚いたものだ。まさか、学園の敷地内で昼寝をしている者がいるとは思っていなかった。
「では、私の心配は杞憂だったかもしれませんね。殿下がそれほどまでに、サフランス嬢に心を惹かれておいでだったとは。頭の中にしっかりと叩き込んでおきます。そして王妃様にご報告させていただきます」
「……ここで報告をやめてくれと言っても、君は今日、見聞きした出来事を全て母上に伝えるのだろう……」
「もちろんでございます。それが仕事ですので」
即答するミルトにルークヴァルトは肩を竦めて、小さく苦笑する。
ミルトは待合室に備えてあった器具を使って、新しく淹れた紅茶をカップへと注いでくれた。
「……ですが、殿下がサフランス嬢ご本人を深く想っていらっしゃると知り、安心致しました」
ミルトは弟を見守る姉のような笑みを薄っすらと浮かべる。
これだから、彼女には小さい頃から敵わないのだ。
「それとこれは私の祖父が言っていったことなのですが」
「何だ?」
「『サフランス家と縁を結ぶと、その家は栄える』──と」
「ふむ?」
「そして、サフランス家の者が好むものを馬鹿にした人間は、地面を舐めることになるそうですよ。……殿下、お気をつけて」
「いやいや、しないぞ!? 人が楽しんでいるものや好んでいるものを本人の目の前で馬鹿にするなんて、最低な行為だろう!」
「殿下がまともな思考をお持ちの方で本当に良かったです」
「……おい、ミルト。年々、俺に対する態度が母上に似てきているぞ」
「あら、それは失礼致しました」
乳兄弟だが、それでも主従ゆえに一線を引いているが時折、このように遠慮がないもの言いをするのがミルトだ。
だが、彼女も自分を「殿下」としてだけでなく、共に育った「弟」として、心配してくれているのだろう。
「ちなみに王妃様からの伝言ですが。もし、殿下とサフランス嬢が婚約して、将来的にはご結婚なさってお子様が生まれたら、ぜひ私が乳母にとのことです」
「──ごふっ……!? っ、気が早い!」
飲んでいた紅茶でむせかけたルークヴァルトは、顔を赤らめたままミルトに答える。
しかし、ミルトはしてやったりと言わんばかりに、口元をほんの少しだけ緩めていた。




