第二王子、詰まらせる。
少し重くなった空気が漂い始めた時だ。応接間へと近付いてくる足音が聞こえたため、ルークヴァルトとムルクは互いに目配せし、黙り込んだ。
それから数秒後、扉を叩く音がその場に響く。
ムルクが扉を叩く人物を部屋に入れてもいいかと、視線で訊ねてきたため、ルークヴァルトは静かに頷き返した。
「誰かな?」
「──私です」
扉の向こうから聞こえてきた声に思わず、心臓が口から飛び出そうになった。声の主がユティアだったからだ。
……まだ、訪問予定の時間ではないし、俺が来ていることは知らないはずだが……。
ムルクも同じように思っているのか、少し困ったような表情を浮かべている。
ルークヴァルトはユティアを部屋に入れても構わないと伝えるために、右手で扉の方を指し示した。
こちらが了承すれば、ムルクは小さく頷いてからユティアへと返事を返す。
「入りなさい」
「失礼します」
入って来たユティアは、学園で見る姿とは違っていた。
髪型はいつも通り、耳の前に下がったひと房を三つ編みにし、それを青いリボンで飾っているものだ。
しかし、服装が違う。学園で見る姿は当たり前だが学生服の姿だ。
応接間へと入ってきたユティアは、気軽に街へと出かけるようなワンピースを着ていた。
柔らかい水色の生地で、裾や袖の部分には白い糸で花の刺繍が施されている。彼女が動くたびに、ひらりと服の裾も揺れ動く。
きっと、背景には花畑が似合うだろう。
「……」
可憐、という言葉で表すだけでは足りないほどに、そこには可愛らしい少女がいたことで、ルークヴァルトは思わず声を詰まらせてしまう。
一方で、ユティアの方はというと、普段と変わらず無表情だ。
だが、父親であるムルクの目の前に変装しているルークヴァルトが座っていることを確認すると、ほんの少しだけ目を見開いていた。
「ルークさ……いえ、失礼いたしました。ルークヴァルト殿下もご一緒だったのですね。お話し中にお邪魔してしまい、申し訳ありません」
ユティアは学園にいる時のように、自分のことを「ルーク」と呼びかけたが、その場に父も同席している上に二人きりではないことを察して、呼び方をすぐさま変えた。
「まさか、こちらに殿下もいらっしゃるとは思わず、大変失礼致しました。……あの、もしかして、私……。殿下がお迎えにあがる時間を間違えて聞いていたのでしょうか……?」
そして、彼女は珍しくもどこか焦ったように応接間の壁にかけられている時計へと視線を移した。
どうやらユティアは、自分が時間を間違えたのではと気にしているらしい。
「いや、間違ってなどいない。私がほんの少し、早く到着してしまって……それで指定した時間になるまで、伯爵に相手をしてもらっていたんだ。だから、気にしなくていい」
ルークヴァルトはとっさに嘘を吐いてしまう。だが、ムルクもその嘘に合わせてくれるようで、すぐにユティアに向かって頷いていた。
ユティアもその返事に安堵したのか、強張っていた表情を少しだけ緩めたようだ。
ルークヴァルトは立ち上がり、ユティアへと向き直る。
「ユティア嬢、支度は整ったのだろうか」
「はい」
「では、予定の時間よりも少し早いが、魔法管理局へと向かおうか」
「分かりました。よろしくお願い致します。──そういえば、お父様」
ぺこりと頭を下げてからユティアは次にムルクの方へと視線を向けた。
もしかすると、ルークヴァルトの到着を知って、応接間へと来たのではなく、彼女の父に急用があって来たのかもしれない。
「先程、例の店から例の件についての連絡を頂いたそうで、受け取った手紙を執務室の机に置いております。あとで確認してくださいね」
「なっ……ん、だ……と!?」
傍から見れば怪しいやり取りにしか聞こえない。
それでもムルクは思わず、と言った様子で勢いよく立ち上がった。その表情、まるで戦に出る戦士のように精悍である。
「返事……返事が、来た……嘘……本当に、あった……絶版だから……諦めていたのに……」
「ついに見つかって、良かったですね、お父様」
「うん!」
しかし、次の瞬間、ムルクは夢が叶った少年のような笑みを浮かべていた。一体、どうしたのだろうか。
先程と比べるとムルクが妙にそわそわとし始めたため、ルークヴァルトは気を遣うように声をかける。
「あの、急用とのことですが……。私の話はもう終わりましたし、宜しければそちらを優先して頂いて構いませんので」
「あっ………。も、申し訳ございませんっ……! 殿下の前でありながら、つい……!」
「いえ……。……では、今日は責任を持って、ユティア嬢を魔法管理局へとお連れし、夕方までにはこちらにお送りしますので」
「はっ……はい、こちらこそ娘をどうぞよろしくお願い致します。……ユティア、くれぐれも殿下にご迷惑をおかけしないように気をつけるんだぞ」
「お父様、お顔と言っていることが矛盾していますよ」
ユティアの言った通り、口調は真面目なものだがムルクの口元は完全に緩み切っている。よほど、嬉しい急用があったのかもしれない。
「それでは大変申し訳ないのですが、お先に失礼致します……」
ムルクは綺麗な礼をとってから、ルークヴァルトの前から辞した。緩やかなように見えて、何とも素早い動きで応接間から出ていく。
そして、恐らく廊下を走っているのだろうが、その足音はほとんど聞こえなかった。
「……父が失礼致しました」
ぺこりとユティアは頭を下げる。
「いや、急用だったのだろう?」
「急用というか、何というか……。父にとっては命にも等しいことでして」
「え」
思わず、素で反応を返してしまう。ムルクの命に等しいとは一体、彼の身に何が起きたのだろうか。余計に気になってしまう。
そんなルークヴァルトの気持ちを察したように、ユティアは事情を説明してくれた。
「実は……父が長年探している本がありまして」
「……はい?」
『本』と彼女は言った。もちろん、その意味は分かっている。
本は本だ。しかし、何故、『本』なのかは分からなかった。
「幼少期にその本の存在を知った父ですが、何とこれが絶版本でして。現在は入手もほぼ困難と言われておりました」
どこか遠い目をしつつ、ユティアはムルクが去って行った扉に視線を向けている。
「それでも父は決して諦めませんでした。人脈という人脈を作り上げ、あらゆる本屋、古本屋、骨董屋、収集家の方に『この本』が入手できた時にはぜひ、読ませて欲しい──もし良ければ購入させて欲しいとお願いして回ったのです」
右手で拳を作り上げたものをユティアはぐっと自身の胸元へと引き寄せる。
「そして、今日──とある古本屋から連絡がありました。父が探し求めていた本をついに入手することが出来た、と。……なので、父はとても喜んでいるのです。自身の人生を費やした一冊とついに巡り合うことが出来る──その喜びをきっと今、味わっているのでしょう」
「そう……なのか」
「はい」
力強く、ユティアは頷く。
恐らく、ユティアにとっての好きな物が『昼寝』であるように、ムルクにとっての好きな物は『本』なのだろう。
自身の人生全てをかけるほどに、好きなのだ。
……さすがは親子といったところだろうか。
好きな物へのひたむきさは受け継がれているらしい。それこそ他の全てを差し置いて、自身の好きな物を優先してしまうほどに。




