第二王子、共有を願う。
「──サフランス伯爵」
ルークヴァルトはムルクを見据え、静かに答えた。
「私が……最初に彼女を──ユティア嬢を好ましいと思ったのは、彼女自身が好きなものを迷いなく『好き』だと、笑顔で答えてくれたからです。……もちろん、両親から許可を貰っているとは言え、王子という身分でありながら、私情で婚約者を決めていいものかとも思いました。……それでも、あの時──。ユティア嬢の真っ直ぐすぎる笑顔を見た時、自分の心は囚われてしまったのでしょう」
「……」
「彼女が『趣味』に対して、熱い気持ちを抱いていることは知っています。ですが、その想いを自分に向けて欲しいなど、おこがましいことは思っていません。……けれど、彼女が『趣味』を心から楽しむ姿をすぐ隣で見守りたいとも思ってしまったのです」
今でも、思い出せる。
それまで表情が一切、動くことのなかったユティアが、一瞬で花を開かせたように眩しい笑顔を見せてくれた瞬間を。
他者によってもたらされた感情に揺れないようにと、ユティアは確かに常に己を律し続けているが故に無表情かもしれない。
それでも、「感情がない」わけではないのだと知っている。
だからこそ、好きなものを好きだと、それを他の誰かに伝えることがどれほど難しいのか分かっている自分にとって、彼女は特別眩しく思えたのだ。
「彼女は確かに、感情を表に出さないように抑えているのでしょう。ですが、自分の心を偽ることは決して、しない」
初めて会った時から、彼女はとても「素直」過ぎる人だった。
何かを訊ねれば、答えてくれる。丁寧に教えてくれる。
時折、面倒だと思う顔をしても、彼女は真っ直ぐに自分と向き合ってくれる。
彼女の口から紡ぎだされる言葉やこちらへ向けられた態度は全てが真実で、偽りがないもので、そして飾り気がないほどに真っ直ぐだ。
「ただ純粋に、自分が求めるものを求めて、いきいきと語る彼女が眩しくて……。きっと、自分はユティア嬢のそんなところに強く惹かれたんです」
自分が持っていないものをユティアは持っている。だが、己の不足を補って欲しいとは思っていない。
ほんの少し、目元を和らげ、ルークヴァルトは薄っすらと笑みを浮かべた。
「私は──無理に彼女の心を欲しいとは思っていません。……私が惹かれたのは『趣味』に、一心に心を傾け続ける彼女です。あの穏やかさをむしろ守りたいとさえ思うのです」
「殿下は……」
しかし、ムルクはそこで言葉を閉じた。何を言おうとしていたのかは分からない。
「お約束致します。彼女の心を傷付けないと。決して、笑顔を奪うようなことはしないと」
「……」
「なので、どうか……。……いいえ。……もし、ユティア嬢の心が自分に開いた際には、婚約を結ぶことに許しを頂きたいのです」
ユティアの心を欲しいとは思っている。
だが、無理やりでは意味がないのだ。
それに自分が求めているのは、彼女の隣で共に同じ感情を抱くことだ。どちらが一方的に求めるだけでは駄目なのだ。
彼女が自分に心を向けてくれるかは分からない。
それでも──それでも、彼女が抱くものを共有したい。
感情を表に出さなくても、共有は出来るはずだ。
「……もちろん、本人に断れたならば、身を引きます」
「……王家からの婚約打診を簡単にお断りすることが出来るとお思いですか」
どこか探るような問いかけだった。だが、ムルクの言い分は分かる。
王家から直接、打診があれば、それは王命ではなくても、簡単に断ることは難しいだろう。
だが──。
「この婚約に圧力は存在しておりません。それは私が絶対だと言えます」
暗に断ってもお咎めはないと告げるとムルクはどこか思案するような表情を浮かべる。
そして、彼の中で何かの考えがまとまったのか、安堵するように息を吐いた。
一瞬だったはずの溜息は、長いもののように感じた。
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
ムルクはゆっくりと視線をルークヴァルトへと合わせてくる。
「……殿下のお心はよく、分かりました。……それでは、私からお訊ねすることはもうありません。あとは全て、娘に選んでもらいましょう。その返答次第で、婚約を結ぶか結ばないか──ということで宜しいでしょうか」
「ええ」
ルークヴァルトは内心、安堵したことを覚られないようにゆっくりと息を吐いた。
あとは、自分がユティアへと直接──婚約についての話をするだけだ。むしろ、そちらが本番と言えるだろう。
もう一つの大きな山を越えた気がしたが、これで一応、ムルクからの了承は得られたと言ってもいいだろう。
ふと、後ろから視線を感じ取ったが、ルークヴァルトは振り返ることはしなかった。
侍女のミルトが静かに控えているふりをしつつ、ここで話し合われたことを一言も聞き逃さないようにと、こちらに耳を向けているのは知っている。
恐らく、母に全てを報告するためだろう。
そう思うと気が重いが、これも一歩ずつ進むためだ。身体に気恥ずかしさによる熱が生まれそうになったのをルークヴァルトは何とか押しとどめた。
前方から、ふぅっと深い息が吐かれ、どこか苦笑するようにムルクは言葉を続けた。
「……しかし、ルークヴァルト殿下はフォルティーニ公爵家のご令嬢と婚約なされると思っていました」
「ああ、クラシス・フォルティーニ公爵令嬢ですか」
クラシス・フォルティーニ。
公爵家の令嬢で、彼女とルークヴァルトの父親同士が従兄弟の関係であることから、小さい頃は話し相手のような関係だった。
一人娘を溺愛しているフォルティーニ公爵はクラシスをよく、王城へと連れてきていたため、その際に自分と兄、そしてすでに兄の婚約者だった義姉の四人でお茶会などをしたものだ。
それでも、ルークヴァルトとクラシスの関係は幼馴染以上になることは一切なかった。
何故ならば、お互いに「自分の好み」ではないと覚っていたのかもしれない。
それ故に、互いに良い距離感を保ち、彼女の方が一つ年下ではあるが、友人のようでもあった。
「確か、フォルティーニ公爵令嬢は第三王子殿下と婚約しておりましたね」
「ええ、そうです。……公爵家は子どもがご令嬢お一人なので、第三王子が公爵家に入る前提での婚約です」
ルークヴァルトは目を少し細めつつ、最近、言葉を交わしていない友人のことを考えた。
もし、「第三王子」が生まれていなかったならば、自分はもしかするとクラシスと婚約していた可能性もあっただろう。
そこに、友情による感情だけしか存在しなくても。
だが、「第三王子」がいる以上、どこかの家が必ず第三王子の「檻」と「首輪」にならなければならなかった。
隣国の王女を母に持つ、第三王子。
もし、彼が王位を手に入れてしまえば、隣国が政治に介入してくる可能性は強くあった。
それ故に、「檻」と「首輪」の役目に選ばれたのが、フォルティーニ公爵家だった。
公爵家は表向きには中立派だが、実際は王太子派だ。
だからこそ中立派として、第三王子を公爵家に「取り込み」、「見張り」、「動けなくさせる」ために婚約を結んだのである。
もちろん、このことは世間には伝わっていない。一番、家格が高い公爵家が第三王子の婿入り先に選ばれたと思われているだろう。
それでも察しが良い者ならば、第三王子が「国王」になることが出来ないように、公爵家が生贄となったことに気付いているはずだ。




