第二王子、お昼寝令嬢の事情を知る。
ユティアが同年代の者達と比べて、魔法を扱うことに長けている理由を知ったルークヴァルトは納得するように深く頷く。
「魔法管理局の者にも、ユティア嬢がザクセン辺境伯から手解きを受けていたと伝えておきましょう。その方が登録も円滑に進みそうですし」
「分かりました。どうぞ宜しくお願い致します」
ルークヴァルトの言葉にムルクは深く頭を下げた。
しばらく、沈黙が流れ、ルークヴァルトは逸るように脈を打っていることを相手に覚られないために、目の前に出されていた紅茶を飲むことにした。
鼻を掠める香りは落ち着きを与えるもので、味はすっきりとした口当たりだった。
時折、王家へと献上される特産の中にサフランス領の紅茶が入っているが、それを飲んだ時よりも美味しく感じたのは何故だろうか。
心を落ち着かせてから、ルークヴァルトはもう一度、ムルクを真っ直ぐ見据えた。
「……サフランス伯爵。それでは本題に入ってもよろしいでしょうか」
「は、はい……っ」
上ずった声でムルクは返事をしたが、その表情は戸惑いを表していた。そこまで構えられると、こちらも緊張してしまいそうだ。
「……先日、伯爵に手紙を出させて頂いた件についてです」
「それは……ユティアを殿下の婚約者に、というお話ですね」
その場の空気は少しずつ張り詰めたものへと変わっていく。婚約、それは言わば契約の話でもある。
婚約したいからといって、当人達の間で簡単に決められるものではないと分かっている。
「……その件について、お先に一つ、不敬を承知で訊ねてもよろしいでしょうか」
「何でしょうか」
「……殿下は……殿下のお心は個人的なものとして、ユティアに向けられているのでしょうか」
「っ……」
真っ直ぐ、偽りなく訊ねられた言葉に、ルークヴァルトは目を見開きそうになってしまう。
しかし、分かりやすい反応をしないようにとぐっと我慢した。
「正直に申しまして、我が家に利はあれど、殿下と……王家と婚約を結ぶことに、王家側には何も利がないように思うのです」
「……」
「婚約は契約のようなものですが、それでも昔と比べれば今は恋愛結婚が多くなったように思います。私と妻もそうですし。ですが……王家との婚約には何かしらの利がお互いに生じるものではと思いまして。何せ、我が領は茶葉と薬草が特産なだけで、他に特出した点などはございません。なので、政略の意味は薄いのではと……個人的に思いまして」
つまり、ムルクはこう言いたいのだろう。
「娘のこと、好きなの?」と。
今更ながら、「好き」という感情を改めて認識したルークヴァルトは身体の底から、ぶわりと熱のようなものがこみ上げてくるのを感じていた。
密かに想いを傾けている相手の父親から直接、そのようなことを訊ねられてしまえば、返答に迷ってしまうのが現実だ。
……それでも、認めてもらうために、わざわざ訊ねたのだろう。
心の中で己を叱責する。
一つ、短い息を吐いてからルークヴァルトはムルクへと返答した。
「……確かに伯爵が仰る通り、この婚約の中に政略の意味は薄いでしょう」
ルークヴァルトはムルクに挑むような視線を向けた。
「この度の婚約は、私個人がユティア嬢へと望むものです」
「……あの子の『趣味』を知っていても、ですか?」
「ええ。むしろ、その『趣味』のおかげで、自分はユティア嬢を知ることが出来たのです。何より、彼女が『趣味』に心全てを向けている姿に惹かれたのですから」
ここで語るのは全て、事実だ。
自分が「好き」だと思ったのは、趣味を──昼寝をこよなく愛するユティアだ。好きなものを好きだと全力で言える彼女のことを好ましいと深く思ったのだから。
「あの子の『趣味』のことも理解して下さっているのですね……」
どこか驚いた口調で伯爵は告げる。
そして、少しだけ悲しげに瞳を細めた。
「ならば、もう一つ……殿下にお伝えしなければならないことがあります」
「はい……?」
真剣な瞳がこちらへと向けられている。ムルクは厳しい面持ちへと変えてから、言葉を告げた。
「ユティアは……自分に『好き』なものがあることは、理解しているでしょう。……ですが、自分が他者を好くこと、そして他者から好かれることをあまり理解してはいないのです」
突然の言葉に、ルークヴァルトは少しだけ目を見開いた。それは一体、どういう意味だろうか。
「もちろん、私達家族はあの子に無限の愛情を注いでいます。それを理解はしていますが、彼女は家族や友人以外の者から愛情を向けられることを認識していません。愛情だけでなく、嫉妬や怒り、哀れみ、何でもです。……様々な感情が自分に向けられることを認識しないようにしている、といった方がいいのかもしれません」
「それは……どういう、ことですか」
「認識してしまえば、相手の感情を受け取ることになるからです。……そして、他者からの感情が自分の心に影響することを知っているからこそ、『理解』しないようにしている」
「……」
「お分かりかと思いますが、ユティアが趣味以外で感情が全く揺れない理由はまさしく、それです。……魔力が多い者の中には感情が高ぶることで、己の魔力を制御出来なくなった際に、周囲に影響をもたらしたり、暴発させる場合があるのをご存知でしょうか」
ムルクの問いに対して、ルークヴァルトは頷いた。
思春期の子どもが、感情の大きな揺れによって己の魔力を制御出来なくなる場合があると聞いたことがあるが、それと同じものなのだろうか。
「あの子は誰よりも魔力が高い。高い故に、感情を表に出さないようにと己の心を制御しています。他者へと影響を与えないために、律し続けているのです」
「……だから、感情の起伏がほとんどないのですね」
ルークヴァルトが何かを覚ったように訊ねれば、ムルクは静かに頷いた。
「そうです。……ザクセン辺境伯からは魔力制御については問題ないと許しを得ていますが、それでもユティアは常に感情を表に出しません。鉄のような精神力で、完璧に己に宿る膨大な魔力を制御し切っています。ユティアが魔力暴走を起こすことは絶対にないと言えるでしょう」
自分の娘が絶対に魔力暴走を起こすことはないと確信しているのか、ムルクは力強くそう告げる。
しかし、次の瞬間には憂いているような表情を浮かべていた。
「魔力制御は完璧なのです。完璧すぎると言ってもよいでしょう。あの子の精神力と制御力ならば、魔力暴走を起こすことはあり得ません。……なのに、あの子はまるで万が一に備えるように感情を一切、表に出さないまま、過ごしている。それが自分にとって、当たり前だと思っているように」
それでも、とムルクは言葉を続ける。
「殿下は娘を好いてくれますか。もしかすると、殿下が望む感情をあの子は返さないかもしれない。興味や親しみを向けられることはあっても、強い『恋慕』を抱かれることはないかもしれない。殿下と婚約することで、新たな悪意を向けられてしまうかもしれない。それでも、殿下は……」
ムルクはぐっと口を閉じた。まるで、その先を告げることを我慢しているように。
「申し訳ありません。過ぎたことを……」
「いえ……」
ムルクが最初から、自分とユティアの婚約について消極的だったのは、ユティアの事情があったからだろう。
確かにユティアの感情が動く時は、「昼寝」が関わる時だ。それ以外だと、面倒くさそうな表情を浮かべる場合が多い。
……そういえば、俺の名前も中々覚えようとしなかったな。
「感情」を向けられないために。そして、「感情」を理解しないために。
ユティアは自分と距離を取ろうとしていたのだろうか。
……いや、感情を理解していないなんて、違う。
何故なら、ユティアは「楽しい」と言っていた。
自分と一緒に昼寝をするのは、「楽しい」と。
それだけじゃない。ダンスの練習をする時も「楽しい」と言っていた。
あの時、心から楽しいと言わんばかりの笑みを浮かべていたのを自分ははっきりと覚えている。
たとえ、普段が無表情ばかりで、感情を強く抱かないとしても、それでも彼女は自分に伝えてくれたではないか。
そこには確かに「感情」が宿っていたと言える。
そして、それを受けて自分は嬉しいと思った。ただ、ただ、彼女が味わっている楽しさや喜びを共有し、理解することが嬉しいと。
これからも、彼女と共に抱いた感情を共有していきたいと、思ったのだ。




