本狂い伯爵、頭を抱える。
エルニアス王国の王都のとある一角に構えてあるサフランス家の屋敷。
その執務室では、当主であるムルク・サフランスが右手で頭、左手で胃を押さえつつ、執務机に広げてある手紙に視線を落としていた。
……全力で見たくな~い~~~。現実を見たくな~い~~!
心の中で叫んでも、現実は変わらない。
今朝、届いた手紙。
家の管理を任せている執事がこれまた胃が痛そうな顔で自分のもとへと持ってきたのが始まりだった。
……受け取らなきゃよかったなぁ。
もちろん、当主なのでどのような手紙でも、一度は目を通さないといけないと分かっている。
でも、ちょっとくらい、現実から目を逸らさせて欲しい。
封筒の表、そして中に入っている手紙には透かされた紋章が描かれている。
大きな口に剣をくわえ、そして「知」を表す植物によって作られた王冠が頭に載っている金色の獅子──。
それが何を表す紋章なのかは、このエルニアス王国の国民ならば、誰でも知っているだろう。
王家の紋章、である。
もう一度、言おう。王家、の、紋章、である。
「はぁ~~~」
四十を過ぎた男とは思えないほどについ、情けない溜息を吐きつつもムルクはもう一度、手紙に綴られた文章を読み上げる。
先程、読んだ時と内容は全く変わっていない。つまり、これは現実である。
「なぁんで、こうなっちゃうかなぁ~?」
間抜けともいえる口調でムルクは数度目となる溜息を吐く。
本当ならば、今頃は自分の趣味の読書に没頭出来る時間のはずだ。
何故なら、今日は休日。普段は王城の大図書館で副館長として勤めているムルクだが、今日は間違いなく休みだった。
溜まっていた領地関係の仕事も全力で昨晩終わらせたので、今日は丸一日、自由時間のはずだ。
そうなるように頑張った。めちゃくちゃ頑張った。趣味の時間こそ、我が生き甲斐である。
それなのに、どうして自分の目の前には王家から届けられた手紙があるのだろうか。
手紙の内容はこうだ。
まず、一枚目──これは国王からの手紙だが、そこには自分の目を疑うものが綴られていた。
『ムルク・サフランス伯爵のご息女、ユティア・サフランス嬢を我が息子、ルークヴァルト・アルジャン・フォルクレスの婚約者に──』
そんな感じのことが書いてあった。つまり、婚約の打診である。
何度、確認してもそこにはユティアの名前が綴られている。見間違いなどではない。
「あの子は一体、学園で何をしていたんだ……」
確かに末の娘、ユティアが通っている学園には一つ上の学年に第二王子殿下、同じ学年に第三王子殿下が通っている。
だが、ユティアは自ら他人に興味を持つような娘ではない。たとえ、この国の王子達が同じ学園に通っているとしても、一目見に行こうなどと思うような性格ではない。
……何より、娘がどのような男性を好んでいるのか、お父さんは知らないよ……?
周囲の目を気にすることなく趣味に没頭し、我が道をずかずかと進みまくる娘だ。
それなのに、一体どのようなことがあって、第二王子殿下と接点を持ち、婚約を打診されるような事態になるのか全くもって分からないと、ムルクは両手で頭を抱える。
正直な話、サフランス家が中立を保っているのは、「色々と面倒」だからだ。心の中では王太子派に属してはいるが、それを表立って言うことはない。
もちろん、国のことを考えれば、第三王子などではなく、王太子・第二王子殿下派に付くのは妥当だろう。
しかし、自分の趣味に全力を注ぐことで忙しいサフランス家の面々は、面倒なことは苦手である。
それ故に社交は最低限しかこなさない上に、他の誰かと新しい縁を作ることなどほとんどやらない。
その必要性がある時だけしかやらないし、自分の趣味に関わる場合は全力である。
なので、ユティア自身にとっても面倒な「王家との関わり」を自ら作ってくるとは思っていなかったのである。
そして、手紙はもう一枚、入っていた。
それはルークヴァルト第二王子殿下からの手紙だ。若々しい手跡だが、とても丁寧に書かれたことが窺える。
手紙には今週末にサフランス家へと伺いたいとの旨が綴られており、胃薬を飲みたくなった。
まさか、さっそく婚約の話を本人が持ちかけてくるのかと思ったが、どうやらその話を当主である自分へと先に通し、もしユティアにその気があるならば婚約を結びたい──と思っているらしい。
第一にユティアの意思を尊重するとのことなので、そこは安心した。
ユティア本人は結婚に興味はないようだが、彼女には好きな人と一緒になってほしい。サフランス家の人間が皆、そうしてきたように。
だが、当主の了解を取ることが出来次第、その後、機会を見てから婚約をユティアに申し込みたいようだ。
……つまり、ルークヴァルト第二王子殿下がユティア個人を見初めている、ということかな?
まだ、そこまでは分からないので本人と話すしかないだろう。
それでも単純に考えて、政略として王家がサフランス家との縁を結びたいと思っているわけではなさそうだ。
貴族間の中で、サフランス家はあくまでも中立だ。
それに同じ中立派は他にも多くいるし、伯爵家である我が家よりも家格が高い家はある。その中で、政略として我が家を選ぶとは考えにくい。
……サフランス領の特産は薬草と茶葉だからなぁ。
そして、たまに領地に出没する魔物を狩ることで収入を得ている、のどかな領地である。
牧歌的と言えば聞こえはいいが、ぶっちゃけ田舎である。王都からは馬車で丸二日くらいの距離だが、観光するものは何もない田舎なのだ。
それ故に、サフランス家と縁を結んでも得られるものは少ないため、王家からの婚約打診が政略によるものではないように思えた。
それともう一つ、ルークヴァルト第二王子殿下がサフランス家に訪れる理由は、ユティアを魔法管理局へと連れて行くためらしい。
ユティアが自分で創った魔法が多くあると知った殿下が、魔法を登録しに行こうと誘ったらしい。王家とは分からない馬車で迎えに来るようで、一日、ご令嬢をお借りしたいと書いてあった。
「あ、そういえば、登録できる年齢になっていたの、忘れていたな……」
我が娘、ユティアの趣味は昼寝だが、才能として特化しているのは魔法だ。
まだ十歳にも満たない頃から、魔法を自在に操り、ぽんぽんと新しい魔法を生み出していっている。
しかし、魔法管理局に新しい魔法を登録することが出来るのは原則としては十五歳からだ。
それまでは待たないといけないねぇ、とユティアに言ったのは覚えているがもう五年以上前のことですっかり忘れていた。
やろう、やろうと思って、すっかり忘れてしまうこと、よくあると思う。
それにユティアの性格を理解しているならば、彼女が自ら魔法管理局に登録しにいくことはないと分かっていたのに。
あの子は我が家で一番と言える程に面倒くさがりで、そして効率重視だ。全ての時間を昼寝へと回すためならば、やるべきことをあっと言う間に終わらせてしまう。
だが、わざわざ自分でやらなくてもいいことや、やるべきか判断が付かないもの、考えるのがもの凄く面倒なことは後回しである。
もちろん、やる時はしっかりやるし、完璧に済ませているようだが。
どうやらユティアが創った魔法の存在を知った殿下が魔法管理局まで付き添ってくれるとのことだ。
とてもありがたいし、何だか申し訳ない気分だが、この申し出には殿下の下心が含まれているのでは、なんて思ってしまう。
いやぁ、不敬、不敬。
甘酸っぱい物語の読み過ぎだろう。
このムルク、乙女向けの小説も好んで読んでいる紳士である。本なら何でも読める。
それがたとえ百合でも薔薇でも、大人向けでも何でも来い。それが本狂い、ムルク・サフランスである。
なんてことを思いつつ、ムルクはふぅっと深い、深い溜息を吐いた。




