お昼寝令嬢、落ち込む。
秘密の場所に辿り着いたユティアは、木陰の下でいつものように座り込んだ。
……日差しが柔らかくて、風も気持ち良い。うん、今日もお昼寝に最適な気候……。
誰も聞いてはいないが、ユティアは心の中で最高の天気を提供してくれてありがとうと空に向かって伝えた。
返事をするようにふわりと返って来たのは優しい風だ。
まるで、どういたしましてと言っているようだった。
そよそよと、春風がユティアの前髪を揺らしていく。目を閉じれば、周囲を囲う木々の枝で羽休めをしている鳥達のさえずりが聞こえた。
何度も深く呼吸をする。草木の匂いとともに「春」らしい柔らかな匂いが鼻を掠めた。
……うーん、最高……。どの季節も好きだけれど、やっぱり春が一番心地良い……。
木の幹にもたれたまま、ユティアはうとうととまどろみ始める。
ゆらゆらと意識が遠のき、あと少しで「落ちる」と思った時だった。
草を揺らす音と芝生を踏む微かな音が聞こえた気がして、ユティアは薄っすらと瞳を開ける。
まだ、完全に眠ってはいなかったので、すぐに目覚めることが出来た。
視界の端に映ったのは美しい銀色を持つ少年の姿だ。
一つ上の先輩で、そしてこの秘密の場所で共に昼寝を楽しむ唯一の「昼寝仲間」でもある貴重な方だ。
「……あ、ルーク様。こんにちは」
ユティアはあくびを噛み殺しつつ、目元を軽く指先で拭っていく。
先日、会った際に令嬢らしく「ごきげんよう」と挨拶をしたが、この秘密の場所に二人だけでいる場合に限り、普段通りにして欲しいと言われたので、特別取り繕うことはしなかった。
その方がルークも気楽でいいらしい。
やはり、高位貴族は色々と大変なのだろう、色々と。
「やぁ、こんにちは。……すまない、起こしてしまっただろうか?」
どこか申し訳なさそうにルークが窺ってくるのでユティアはゆっくりと首を横に振り返した。
「いいえ。まどろみを楽しんでいた最中なので、完全に寝てはいませんでした」
「そうか……。なら、良かった」
ユティアの答えに安堵しているのか、ルークは微かに笑った。
しかし、彼が纏う雰囲気がいつもよりも強張っているような気がした。
彼がここを訪れるのは数回目だが、それまでとは違うと感じたユティアは木の幹にもたれていた身体を起こしてから、座り直した。
「どうかなさったのですか?」
こてん、とユティアは首を傾げる。ルークは緊張しているのか、返された苦笑の中にはどこか困ったような笑みも混じっていた。
「どうして、そう思うんだ?」
「……何となく、ルーク様の表情が強張っているように感じたので。……何か悩みごとですか?」
ユティアが訊ねるとルークは少しだけ目を見開き、それから眉を下げつつ肩を竦めた。
まるで、秘密にしていたことを暴かれてしまったような表情をしている。
「……ユティア嬢は凄いな。顔を見ただけで相手が緊張していると分かるのか?」
「ルーク様の表情の変化はそれほど分かりやすいというわけではありませんが……。以前、私の兄に教わったことがあるのです。人には表情にも筋肉があるので、その筋肉がどのように動いているのか見極めることが出来れば、相手の感情を読み取り、その場を御することが出来ると」
ユティアは両手の人差し指で自身の頬を指差しつつ答える。
「筋肉……」
ルークは何とも言えない表情を浮かべているが、その気持ち、とても分かる。
「兄は筋肉に詳しい人なのです。身体のあらゆる部分の筋肉を熟知しています」
ユティアの兄は趣味として剣術を大変好み、極めようとしている人だがその過程で己の筋肉を鍛えまくっていた。
その際に、筋肉とは何か、筋肉とは至高の努力の賜物だと言っていた。よく分からない。
「まぁ、兄の話はいいのです。……それで、一体どうしたのですか?」
ユティアは令嬢らしく、足が見えないようにと座り直す。
令嬢が芝生の上に直に座ること自体があまりないと思うが、そのあたりは触れないでもらえると助かる。
「いや、その、な……」
どこか歯切れが悪いまま、ルークは小さく唸っている。
まだ、彼と知り合ってそれほど日は経っていないが、ルークがいつも以上に視線を迷わせ、言葉を選ぼうとしている姿を見るのは初めてだ。
ルークはそのまま、ユティアの目の前へと視線を合わせるように腰を下ろした。
しかし、彼の姿は腰を下ろすというよりも、片足を芝生の上に着けつつ、まるで騎士のように跪いていた。
その流れがあまりにも優雅に見えて、ユティアはぽかんと口を開けた状態で見つめてしまう。
ルークは何度か深呼吸をしていた。
そして、気持ちが落ち着いたのか、ユティアに真っすぐと青い瞳を向けて、口を開いた。
「……秘密にしていたわけではないが、君に伝えたいことがあるんだ」
「……?」
再び、ユティアはこてんと首を傾げる。随分と真剣な表情をしているが、ルークは何を明かそうとしているのだろうか。
何となく、真面目な話のようにも思えたのでユティアは姿勢を正してから、同じようにルークを真っすぐに見つめ返した。
ルークの銀色の前髪が、その場に吹いた風によってゆっくりと揺らされた。
青い双眸はユティアだけを捉えている。
「……──ルークヴァルト・アルジャン・フォルクレス。それが、俺の本当の名前だ」
「……」
静かな空気の中、一つの名前がルークの口から零される。
ルークの表情は今も強張ったままだが、それでもこの場から絶対に動かないという強い意思が窺えた。
恐らく、その言葉を告げることに対して全身全霊をかけていたのだろうが、ユティアは瞳をぱちくりと瞬かせるだけだった。
「そうなんですね」
口からつい零れ出た言葉はそれだけだ。
特に感情を表に出すことなく、いつも通り表情が動くことはない。
つまり、ルークから告げられた名前はユティアにとって、それほど動じる案件ではないということだった。
そういえば、この国の第二王子がそのような名前だったなぁ、王太子と第二王子は特徴的な銀髪だったなぁ、ということが頭の中で浮かんできただけだ。
そもそも、人生の中で王子に会う機会など一度もなかったので、どのような反応を返すことが正しいのか分からない。
分からない故に、ユティアの反応はいつもと同じになってしまう。失礼にはならない程度に礼儀正しくしないといけないなぁと思うくらいだ。
「ええっと……ルーク様は我が国の第二王子であられるルークヴァルト殿下、ということで宜しいですか?」
「あ、ああ……」
ユティアが動じることなく再確認のために訊ねると、ルークは拍子抜けしたように少しだけ途惑った様子を見せた。
「……はっ! もしや、殿下である故に、外でのお昼寝は禁止されていると……? まさか、それが私に伝えたいこと……?」
何かに気付いたようにユティアは早口で告げ、右手で口元を押さえつつ、真剣な表情をする。
第二王子という身分ならば、易々と外で昼寝をしてはいけない規則となっているのかもしれない。
今まではどこかの高位貴族の子息だと思っていたので、それほど家名や家格というものを深くは気にしていなかった。
だが、王子という身分ならば、ユティアが知らない制約が色々とあるのかもしれない。
「そんな……せっかく……お昼寝仲間が得られたと……思ったのに……」
たとえ相手が高位貴族の子息であっても、本人が昼寝を望んでいるならば、ユティアとしては同じ趣味の仲間が増えることに大歓迎だ。
しかし、ルークが第二王子ならば、実は身分的に昼寝が出来ない──と秘密を明かしに来たのかもしれない。
ユティアの中で抱いていた「初の昼寝仲間」という希望が崩れてしまう。悲壮な表情を浮かべて、勝手にしょんぼりと落ち込んでいる時だった。
「ふはっ……」
目の前で小さな笑いが零れ落ちた。




