第二王子、忘れられない。
胸の奥に複雑な違和感を抱いたルークヴァルトは、ラフェルへと視線を向けてから真剣な表情で問いかける。
「……ラフェル」
「何だ?」
「俺がもし、令嬢の誰かをただ一人選び、そしてエスコートした場合……それは婚約者のいない第二王子ルークヴァルトにとって、やはり特別な相手という意味になってしまうだろうか」
「……」
ルークヴァルトの言葉にラフェルは驚いたように目を見開き、そして彼にしては珍しく真面目な表情を浮かべてから言葉を返してきた。
「去年でさえ、お前はエスコートする役を逃げていただろう。それが今年になって、誰か一人をエスコートすることになれば……お前にとっての『特別』を周囲に知らしめているようなものだ」
「……そうだよな」
ラフェルの答えにルークヴァルトは静かに息を吐く。
分かっていたことだ。
自分が「特別」を作ることは簡単ではないと。
特別な相手を作ってしまえば、その相手に被害を与えてしまう可能性がある。
第三王子である腹違いの弟を取り囲んでいる連中が、そう易々とルークヴァルトの兄である王太子が国王の座に就くことを許しはしないだろう。
奴らならば、こちらにとって弱みとなるものを脅しの材料として使うに決まっている。それ故に、自分にとっての弱点となるものを簡単に作るわけにはいかなかった。
だからこそ、第二王子であるルークヴァルトは婚約者を自身に据えることを遠回しに断ってきたのである。
──それでも、己の心だというのに、こうまでままならないものがあるのだと自覚したルークヴァルトは小さく溜息を吐くしかなかった。
……ユティア・サフランス。
まだ、彼女と出会ってから数日程しか経っていないというのに、いつまで経っても熱に浮かされたような気分から抜け出すことは出来ずにいた。
「特別」な相手を作るためには、相当な覚悟が必要となる。
それは相手を守り切るための覚悟だ。
そして、こちらの望みのためだけに相手の気持ちを考えずに巻き込むわけにはいかなかった。
王子、という立場はそれ程までに重いのだ。だからこそ、軽々しい真似をすることは出来ないのだ。
もう一度、深い息を吐いてから気を持ち直そうとルークヴァルトは顔を上げる。
ユティアが他の誰かにエスコートされても仕方がないと思うことにしよう。彼女のことを想うならば、それが一番だ。
そうやって、ルークヴァルトが諦めようとしていた時だった。
「ルーク、お前の悪い癖はすぐに諦めることだ」
「……え」
どこか咎める声色で、ラフェルは呆れたような表情を浮かべながら呟く。
「本当の望みを口にしないまま、時が過ぎるのを待つだけだと、いつか絶対に後悔するぞ」
「だが……。俺の願いは時には相手に迷惑をかけることだってあるだろう」
自分の言葉は決して軽いものではない。発した言葉は必ず責任が付いてくる。
だから、密かに抱いてしまった小さな望みである「自分がユティアをエスコートしたい」という願いのためだけに、彼女を荒波の中へと巻き込みたくはなかった。
「我慢し過ぎなんだよ、ルークは。……第三王子のあほ野郎は側妃の威を借りたようにわがまま放題で好き勝手にしているというのに、お前ばかりが我慢していて割に合わねぇんだよ」
どこか悔しがるようにそう告げるラフェルの表情は親友のものになっていた。粗雑なようだが、彼は友達思いの優しい人間でもあることをルークヴァルトは知っている。
「少しくらい、自分の希望を言ってみろよ。……俺もお前の思うようにしてやりたいんだよ」
「ラフェル……」
「……あまり野暮なことは聞きたくはないが、そのお前が……エスコートをしたいと思っている相手には、第二王子だって知られているのか?」
恐る恐る訊ねてくるラフェルに対して、ルークヴァルトは苦笑しながら首を横に振った。
「俺の銀髪を見ても、名前をルークヴァルトだと伝えても第二王子だと気付かなかったようだ。……他人に目を向けるよりも、自分の好きなものを心から楽しむような令嬢だからな」
「それは……ある意味凄いな。お前の銀髪、学園内だと余計に目立つのに……」
どこか可哀そうなものを見るような瞳でラフェルはルークヴァルトを見てくる。
「好きなもの以外には興味がないんだろう。だが、彼女にとっての好きなものをひたすらに追求するところが好ましいと思う」
「……それ、遠回しにお前のことに興味が無いって言われていることを自覚しているようなものじゃねぇか」
「……」
何となく悲しい気分になってしまい、ルークヴァルトは苦いものを食べたような表情を浮かべる。
「……言っておくが、『第二王子のルークヴァルト』に興味がないからその令嬢に興味を持ったわけではないからな」
「それこそ自意識過剰にも程があるだろう。俺だって、肩書や地位しか見ないような相手は嫌だぞ」
ラフェルはわざとらしく肩を竦める。いつもは気やすい態度だが、今回ばかりはからかうような態度を取らないでいてくれるので、内心は安堵していた。
「……ただ、眩しいと思ったんだ」
「眩しい?」
瞼の裏側には、芝生の上で安らかな表情を浮かべて眠っているユティアの姿がはっきりと刻まれている。
まるで妖精の森で眠り続けていると言い伝えられている麗しの姫君のようだと思えた。
そして、好きなものを好きだと告げた時の表情に、自分の心は今も囚われたままでいる。
「……他人の感情を気にすることなく、自分が好きなものを好きだと言い切った彼女の真っすぐな心を羨ましいとさえ思えた」
「……」
「特別」なものを作りづらいルークヴァルトとって、ユティアの純粋さはあまりにも眩しく、そして安易に近づいてしまえば焼け焦げてしまいそうだと思った。
強烈過ぎたのかもしれない。
淀みや悪意を全く知らない、あの純粋な笑顔の眩しさは二度と忘れることは出来ないだろう。そう思える程に、忘れることが出来ずにいた。




