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第九話

22

細道を抜けたベアーは思った以上に早くドリトスにつくことができた。


『いや~、ショートカット、すげぇなあ、半日いや、それ以上時間を短縮できたな』


 ベアーはまだ日が高いため、寺院まで行って『辞職』の手続きを終えてしまおうと思った。ロバの手綱を引くと足早に進んだ。


『十分、時間はあるな。これで……僧侶とも……お別れか』


ベアーの脳裏に今までの事が浮かびあがった。


『いろんなことがあったな……チーズ造って、パスタを捏ねて、マントは盗まれ、拉致監禁されて……今思えば……』


 わずか半年近くで激動の時間を過ごしたベアーは『僧侶』と言う職業を離れることに何やらさみしさのようなものを感じた。


『でも、これで俺も貿易商としての道を……』


 貧しい僧侶としての職を辞し、新たな道へと羽ばたく……実家を出てから常々そう思っていたが、とうとうその時がやってきた。


『じいちゃん、悪いね、これでこのマントともお別れだ。』


 そんなことを思って歩いていると寺院が見えてきた。ベアーは厩にロバをつなぐと職員口の方に進み、その前で止まった。


『よし、行こう』


 一瞬、入れ歯の外れた祖父の顔がちらついたが、ベアーは気にしないことにした。深呼吸して気持ちを落ち着けると再び、受付へと向かった。


                    *


 受付で送られた手紙を見せると事務官の僧侶がベアーの顔を見た。


「ああ、あの件か……ついてなかったね。あの司教の関連した業務は凍結されたからね」


初老の事務官はそう言いながら手続きを始めた。


「こんなことになるなんて、我々も驚きだったからね。」


ベアーは事務官の言い方に何か引っかかるものを感じた。


「あの……何があったんですか?」


事務官は微妙な表情を浮かべた。


「君は、まあ、間接的な被害者だし……ほんとは言っちゃいけないんだけど……」


そう言うとベアーに顔を寄せるように言った。


「君が祝詞を受けた司教はね……不貞行為を……」


「えっ?」


ベアーは思わず大きな声を上げた。


「声が大きい!」


事務官にたしなめられたベアーはバツの悪い顔を見せた。


「なんでも人妻に手を出したとかで……人は時として過ちを犯すが、あのトーマスと言う司教は……」


初老の事務官は寂しげな顔で話を続けた。


「トーマスは審問にかけられたんだが……彼はそれを認めなかったんだ。それで罪が重くなって……」


僧侶の世界では不貞行為と言うのは一般の世界よりもはるかに重い。道徳や倫理と言った人道を説く職業であるが故、その道を外す行為は厳しく断罪される。


「本人は最後まで否定したけど……動かぬ証拠があってな……」


「そうだったんですか……」


ベアーは事務官の顔に深い翳りが生じるのを見逃さなかった。


「そろそろ、時間だな、祝詞が始まるから、奥にある部屋に行ってくれるかね」


 時計を見た事務官はベアーを促した。ベアーは指示された通り、祝詞を聞くべくその場を後にした。



23

ベアーが受付から奥に向かおうとした、その時であった。寺院の静かな空間に異様な声が轟いた。


「出て来い、クソ僧侶!!!!!」


 明らかにチンピラともごろつきとも思える男が職員口から乱入してきた。筋骨たくましい短髪に刈り上げた男は目は赤々とさせ怒鳴り込んできた。


『何だ、この人……』


ベアーがそう思った時である、男は手にしていた角材を振り回しながら激高した。


「トーマスさんをハメやがって、お前らそれでも聖職者なのか!!」


 男からにじみ出るDQN臭にベアーは『関わり合いにならないようにしよう』とおもい距離をとろうとした。


だが不幸なことに……眼があった。


『ヤバイ……』


ベアーは即座にその場を離れようとした……だが、時すでに遅く、角材を持った男はベアーの肩を掴んだ。


「トーマスさんが、不倫なんかするとおもうか!!」


激高している男はベアーにむかって大声を出した。


 ベアーはどうしていいかわからず、助けを周りに求めたが先ほどの初老の事務官は一瞬にしてカウンターの中に身をひそめた。


『えっ、何、この展開……』


ベアーが口元をアワアワしていると肩を掴んだ男がさらに凄んだ。


「特別委員を連れて来い!!」


特別委員と言うのは僧侶の起こした不祥事を裁定する存在である。


「トーマス司教を捌いた特別委員を連れてこい!!」


男はさらに大きな声だし、周りの人間を威嚇した。


                    *


 そんな時であった、激高する男の前に1人の僧侶が現れた。女性の司祭で長い髪を後ろでたばね、ベージュの僧衣を身に着けていた。


『何、あの人、めっちゃ美人……』


 大きな瞳、すらりとした鼻梁、細いおとがい、誰が見ても美人と言うだろう。暴漢に肩を掴まれていたベアーはその美しさに目を奪われた。


女司祭はススッと歩いて男の前に出ると、凛とした声で言い放った。


「寺院で狼藉を働くとは貴様、何者だ!」


容姿の美しさとは異なり、その芯の通った声にベアーはたじろいだ。


『なに、ちょうカッコいい……』


ベアーがそんなことを思っていると肩をつかんだ男は女司祭に向かって凄んだ。


「何だ、クソ尼が、おまえもどうせ似非宗教者だろ!!」


「似非とはどういう意味だ、角材を持って乗り込んでくる無礼な輩にそのように言われる筋合いはない!!」


「ちょっと美人だからって調子こいてんジャねえぞ!!」


 男がそう言った時である、警備にあたっていた僧兵達が10人ばかり駆けこんできた。


「おう、やる気じゃねぇかよ……」


男はそう言うとベアーを放し、角材を両手で構えた。


「愚かな……これだけの人数に対し1人で立ち向かうとは……脳筋とは、まったく無能だな」


「やかましい!!!」


男はそう言うと僧兵達に向かっていった。



24

多勢に無勢という言葉があるが、まさにその通りで角材を持った男は1分と持たず屈服させられた。


『フルボッコじゃん……』


 ベアーは縄をうたれる様子を見ていたが、威勢よく喧嘩を売ったものの床に押し付けられた男の姿は哀れに思えた。


『あの人、一体、何なんだ……』


ベアーがそんなことを思っていると先ほどの女司祭が声をかけてきた。


「とんだ災難にあったわね」


「ええ、びっくりしました……」


美しい司祭に声をかけられたベアー頬を赤らめた。


『ああ、スターリングさんと違った感じの美人だな……』


 スターリングの凍りつくような瞳とは異なり、司祭の瞳には焔がともっていた。美人というくくりに違いはないがタイプは全く違う。


『意外と、武闘派だったりして』


ベアーがそんなことを思っていると女司祭が再び口を開いた。


「君は、ここに何をしに?」


「はい、ぼくは……」


尋ねられたベアーは僧侶を辞めに来たことを伝えた。


「そうなの?」


「ええ、貿易商になるんです」


ベアーが胸を張ってそう言うと女司祭は微妙な顔を見せた。


「今日は無理よ……今の一件でいろいろあるだろうから。」


女司祭はすまなさそうに言った。


 怪我人はでていないものの暴漢が乗り込んできたことは寺院にとって大問題である。まして追放された司教の名が出たとなれば……。


「悪いんだけど、出直してくれるかな、たぶん2,3日すれば平静に戻ると思うから。」


女司祭はそう言うと僧兵達と同じ方向に向かって歩き出した。


 ベアーはその後ろ姿を目で追ったが、何やらその肩に重荷がのっているように見えた。



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