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第八話

19

コルレオーネがヘンプトンとパリスに話したことは彼らにとって空前絶後ともいうべき内容だった。


ヘンプトンは顔を蒼ざめ、パリスは言葉を失った。


「このままなら、芝居は続けられねェ……」


『永久の愛』が大ヒットしポルカの劇場の専属劇団としてやっと足場を固めたにもかかわらず、それを根底から覆す事態が生じていた。



「またドサ周りに戻っちまう……」


コルレオーネがポツリと言うとパリスが大きな声を出した。


「そんなの、嫌だよ、座長、何とかしておくれよ!!」


言われたコルレオーネは激高した。


「しょうがねぇだろ、脱税してんのバレたんだから」


パリスは『まさか』と言う表情を見せた。


「『おひねり』は飲み食いや経費で使う分にはお咎めなしだが、それで不動産や大きな買い物をするとマズイいんだ。」


 コルレオーネ一座は安定した稽古の場所を確保するため、客からの『おひねり』で海辺の古びた宿屋を買い取っていた。


「あの貴族の執事、金に関して全部調べ上げてんだよ……売り上げや、お前らの給料も……」


コルレオーネは大きく息を吐いた。


「税務当局の奴らにそれをチクられれば……金の出元を手繰られる……そうすれば脱税が……」


さらにコルレオーネは続けた。


「それに俺たちは住民税も払っていない……」


 旅芸人と言うのはもともと納税意識が薄い。特に住民税は払わないのは当たり前だとおもっている。点々と場所を移り変わるため住民意識がないからだ。


「ある一定、利益が出ると住民税は治めないとマズイんだ。」


「払ってないのかい、住民税?」


「払ってるはずねぇだろ、これだけ儲かったのは初めてなんだ!」


コルレオーネはブチ切れた、逆切れである。


 そんな二人の会話をよそに沈黙しているのはヘンプトンである。その表情は沈痛で焦点も定まらない。


「お前が一番の被害者かもな……」


 コルレオーネがそう言うとヘンプトンは立ち上がり部屋を出て行った。フラフラとした足取りは夢遊病者のようで『心ここに非ず』といった顔になっていた。


「あれだけ仕込んだんだよ、それに今だって毎日レッスンして……」


「ああ、バイロンが抜けるとなれば……」


コルレオーネはパリスと二人で大きく息を吐いた。


「明後日、あの男がまた来る、それまでにいい返事をしないと……」


「何とかできないのかい」


「……できねぇよ……」


二人はいかんともしがたい状態に沈黙するほかなかった。


                    *

時を同じくして、


「みんな、今日は座長、具合が悪いから休みだって」


 ラッツが稽古場に入ってそう言うと劇団員たちの顔がパッと明るくなった。講演中はほとんど休みがないため『休み』と聞いて劇団員たちは嬉しそうにした。


「全体練習はなしで個人パートの稽古に移ってほしいそうだ」


 ラッツはそんな指示はうけていなかったが、気を利かせた。あまり羽を伸ばされても困るからである。


「じゃあ、あとは各自、よろしくね!」


ラッツがそういうと劇団員たちは各自のパート練習に散って行った。


そんな時であった、ラッツの眼に見慣れない亜人の男が映った。


『誰だ、あいつ……』


 亜人の男はライラと二言三言、話すとその手に冊子の様なものをわたした。渡されたライラは身じろぎし、顔を紅潮させていた。その後、亜人の男は恭しく頭を下げるとその場を去った。


『ライラの客か?』


ラッツのなかでは不審者として映ったが、冊子を渡されたライラは嬉しそうにしていた。


『まあ、いいか。』


 ラッツはそう思うと裏方の作業場に向かおうとした、だがラッツの目には別の光景が映った。


『おい、何だ、あの亜人のおっさん!』


 何と亜人の男はバイロンとリーランドに近づいていく。そして親しげに二人に声をかけた。気になったラッツは作業場に行くのをやめてそっちに向かった。


20

「やあやあ、お2人さん、こんにちは」


声をかけたのは例の男、ザックである。


リーランドとバイロンは振り返った。


「午後の稽古が休みだと聞きまして」


「あんた、誰だい、ここは立ち入り禁止だよ」


リーランドがそう言うとザックは慇懃に頭を下げた。


「少しだけお時間を頂きたいのです」


申し訳なさそうに答えるザックを気の毒に思ったバイロンは小さく頷いた。


「2,3分なら……」


ザックの目がキラリと光った。


                    *


 ザックはバイロンに向き直るとライラに渡したものと同じ冊子をバイロンに見せた。


『国立歌劇団 研修生 の しおり』


冊子の表紙にはそう記されていた。



その文字を見た瞬間、リーランドが震える声でザックに話しかけた。


「あなたはもしかして、歌劇団の……」


「そうです、私は国立歌劇団のスカウトです。」


ザックはニンマリとした表情を浮かべた。


リーランドはザックに近づくと真剣な目でうったえた。


「僕、都の歌劇団に入りたいんです!」


リーランドはバイロンを押しのけた。


「むかしから、都の歌劇団に……」


だが、ザックはにべもない反応を見せた。


「申し訳ないが、あなたに興味はないんです」


「えっ……」


「私が興味があるのはそちらのお嬢さんだけなんです」


言われたリーランドはたじろいだ。だが、それで諦めるほどリーランドも聞き分けがいいわけではない。


「何がダメなんですか、僕はこの劇団でずっと主演を張ってきました。確かに小劇団かもしれません。でも今はポルカで一番の存在になっています。お客もついてるし、それなりに……」


リーランドが続けようとするとそれを遮るようにしてザックが口を開いた。


「確かに君は大衆演劇の花形としては受けがいいだろう。容姿もいいし、演技も歌唱もそつなくこなす。非常にバランスがいい……」


ザックはリーランドを褒めた。


「だがね、君には決定的に足りないものがある。」


リーランドは大きく目を見開いた。


「君にはテイストがない。」


そう言ったザックの眼は厳しいものだった。


「テイスト……」


「持ち味、特性のことだよ」


ザックは続けた。


「役者の持つテイストははね、その人間の『ひととなり』が反映するんだ。残念だが君のその部分が非常に薄い。」


「そんな……」


「それに君は主演タイプだ。助演や演技派としてやっていく役者としてのセンスはない。」


リーランドはザックの鋭い指摘に言い返せず口ごもった。


「国立歌劇団の研究生はね、ダリス全土から優秀な人間の中から選ばれる。君のレベルで主演は無理なんだよ」


ザックの物言いは落ち着いていて優しげだったが、その内容は本質を穿つもので、リーランドにはきつかった。


「役者として都の歌劇団を目指すならテイストをみがくんだね」


言われたリーランドは肩を落とすと放心状態になった。



ザックはリーランドから離れるとバイロンの前に立った。


「君には可能性がある、まだ伸びしろもあるし、ぜひ、うちに来てほしい。」


バイロンは困った表情を浮かべた。


「研修生は税金から学費が出るんだ。それに手当も別にでる。金額はおおくないけど」


ザックがそう言うとバイロンは困った表情を見せた。


「今はいいかもしれんが、きちんとした訓練を受ければ将来が違う。稼げる金額だって今よりもはるかに大きいはずだ」


そう言うとザックは『研修生のしおり』をバイロンの手に握らせた。


「考えてみてくれ、悪い申し出じゃないはずだ」


ザックはそう言うと一礼して稽古場を出ていった。



21

ザックと入れ違いにラッツがやってくると、そこには放心したリーランドと呆然とするバイロンがいた。


「どうしたんだい、バイロン」


尋ねられたバイロンはラッツを見ると、手にしたしおりを見せた。


「えっ、これは……都の歌劇団の……」


ラッツは声を詰まらせた。


「私……お金に困ってるから、べつに関係ないんだけど……」


バイロンはあまり興味のない声を出した。しおりに書いてある月々の『手当』が僧侶の給料にも劣る金額だったからである。


「す、すす、すごいよバイロン!!」


ラッツは声を出した。


「歌劇団からのスカウトなんて、普通ありえないんだよ!!!」


ラッツは鼻の穴を大きくしてそう言った。


「スカウトされるって言うのはね、試験を受けて入るんじゃなくて、もう合格しているのと同じなんだ、だから、君は……」


ラッツはそう言ったところで別のことに気付いた。


『あれ、もしかして、合格してるってことは……この劇団を辞める……』


ラッツの中ですさまじい不安感が生まれた。


『ひょっとして、バイロン……都の歌劇団に……』


『バイロンが歌劇団に入ったら……俺……どうなんの……』


 ラッツの頭の中でそんな思いがよぎった時であった、バイロンはラッツに声をかけた。


「どうしたの、変な顔しちゃって?」


「いや、その……バイロン……もしかして、行っちゃうの?」


「行かないわよ、お金が割に合わないのよ。それに2年も稽古なんかできないわ」


そう言われたラッツは憑き物が落ちたかのように安心した表情を浮かべた。


「よかった、俺、てっきり、バイロンが行っちゃうと思って……」


 ラッツはそう言ってバイロンの顔を見たがその表情の中にはあきらかに『曇り』があった。





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