第六話
時間経過を示すのに『*』の印を使ってみることにしました。試験的な扱いなのでこの先どうするかまだ悩んでいますが……
見苦しければ指摘していただけるありがたいです、よろしくおねがいします。
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コルレオーネは劇場の座長室で売り上げの計算をしていた。
『いい感じだ……』
その顔はニンマリとしている。
チケットの売り上げが想像以上で、今まででは考えられないような金額が一座に転がり込んできていた。
左団扇になったコルレオーネはいつもの安酒ではなく20年物のウィスキーを棚に並べていた。
だが同時に問題もあった。
『そろそろ演目を変えていかないと……』
コルレオーネ一座の演目は現在『永久の愛』だけしかない。これでは早晩、客から飽きられてしまう。
『……どの演目で行くかな……リーランド、ライラ、バイロン、3人を軸として……』
演出をする立場として一番悩むところであるが、同時に一番面白いところでもある。コルレオーネは芝居の台本をいくつか選ぶとどれにするか悩んだ。
『これで行くかな……』
そんなことを思った時であった、座長室の扉がノックされた。
「どうぞ、空いてますよ」
コルレオーネがそう言うと品のいい小柄な亜人の男がドアを開けて入ってきた。黒いジャケットに身を包んだ男は恭しく挨拶した。
コルレオーネは男の帽子を見て『まさか』とおもった。
「あんたは……」
「わたくし、こういう者でございます。」
亜人の男は名刺を出した。
コルレオーネはそれを見て舌打ちした。
『とうとう、きたか……』
その顔には疫病神が来たともとれる不快さが滲んでいた。
*
一通りの会話を終えるとコルレオーネは息を吐いた。
「あんたの言い分はわかった。」
コルレオーネはそう言うと腕を組んだ。
「ぜひ、考えていただきたい。」
ザックと名乗った亜人はそう言うとジャケットの懐から封筒を取り出した。
「ここに条件が書いてます。もしこれで折り合いがつかないなら当方も諦めますが、そちらが飲めるようならお願いしたい。」
「ザックさん、あんたも仕事がら、役者のリクルートが必要なんだろうけど、こっちとしては時間とカネをつかって仕込んできてるんだ。あんたの方がうちより格上なのはわかるが、これっぽっちじゃ、話しにならねぇよ」
コルレオーネは封筒の中身を確認せずに立ち上がった。
「さあ、帰ってくれ!」
コルレオーネが邪険に突き放すように言うとザックは慇懃に挨拶して部屋を出て行った。
「そんなに簡単に『金の鳥』を手放せるか!」
コルレオーネは悪態づくと応接用のソファーから離れ、棚にあるウィスキーに手を伸ばした。しゃれた陶器のショットグラスに琥珀色の液体を注ぐ。コルレオーネは気付けに一杯やろうとした。
その時である、再び部屋のドアがノックされた。
『また、あいつか……』
コルレオーネはザックの慇懃な態度に不快さを感じていたので怒鳴りつけてやろうと立ち上がった。
わざと大きな音を立ててドアノブをひくと大声を出そうとした。
だが……
なんとそこには見たこともない男が立っていた。
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「コルレオーネさんですね」
甘栗色の髪を七三に分けた男は静かな声でコルレオーネに話しかけた。だがその声には威圧感と獲れる凄味があった。
「………」
コルレオーネは今まで感じたことのないプレッシャーにたじろいだ。
「ど、どちらさまですか?」
コルレオーネがドモリながらそう言うと男は感情のない声で名乗った。
「わたくし、こういう者です。」
男の差しだした名刺は安っぽい紙に印字したものとは違い、明らかに上級貴族の『匂い』を醸していた。
『何だ、この男は……』
コルレオーネはその名刺を見て驚くほかなかった。
*
一方、時を同じくして、
先ほどの亜人、ザックは稽古場へと足を運んでいた。ザックは稽古場にいるファンに紛れると立ち入り禁止となっている札をすり抜けた。
『ここか、見せてもらおうかな』
ザックは10年近く興業の世界で役者たちを見てきた経験がある、彼の眼には『間違いない』という自信が揺らめいていた。
『俺の目に狂いがないか確かめさせてもうらおうじゃないか!』
ザックはそんな思いを胸に秘めアコーディオンの鍵盤の音の聞こえる部屋へと近づいた。
*
「じゃあ、バイロン、さっきの所もう一回行くよ」
ヘンプトンに言われたバイロンは譜面の前に立った。
「この音が出るようになったら、歌劇の歌手にも匹敵するレベルだ。」
ヘンプトンはそう言うとバイロンが出せるギリギリ高音を鍵盤で示した。
「さあ、やってみよう。額の所から45度ほど上に向けて、声を寄った糸のようにして出すんだ。」
バイロンは言われた通りに今までの限界に挑戦した。
「ちがう、それじゃ、声が発散してる。細い糸をピンと張りつめる感じだ。」
バイロンは一呼吸置くと再び挑戦した。
「うん、少し近づいたかな……」
ヘンプトンは微妙な表情を浮かべた。
「この音が出るか否かで、楽曲の幅が広がるんだ。そうすれば他の芝居もできるようになる。」
ヘンプトンは一音、高い音を出すことへの重要性を説いた。
「高音の限界値を伸ばすことで音階がひろがる。そうすると今まで以上に余裕のある歌い方ができるようになるんだ。そうすれば『歌唱』の質がぐっとあがる。」
ヘンプトンは力説した。
「歌劇はねテクニックを磨いても、音階が狭いとどうにもならないんだ。だからレッスンして二音、いや、一音でいいから高い音が欲しいんだ。」
バイロンは頷いた。
「一朝一夕にはできないけど、可能性は十分ある。さあもう一度だ。」
ヘンプトンはそう言うと再びレッスンに入った。
*
『いいな、あの娘、まだ伸びしろがある。それにあのアコーディオンの男、なかなかの指導力だ。』
ザックはほくそ笑んだ後、静かにその場を離れるとリーランドとライラの稽古場に向かった。
バイロンの個人レッスンとは違いファンが稽古の見学を許されていて、50人ほどの人だかりがそこではできていた。ザックはその集団から距離をとり全体を見通せる場所に陣取った。
『さて、どうかな……』
ザックは黄色い歓声をよそにライラとリーランドの演技を確認した。
『うん、やはりな……』
10分ほど様子を見るとザックは再びほくそ笑んだ。
『いい感じだ、』
ザックは小柄な体を小気味よく動かすとその足で稽古場を後にした。
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貴族の名刺を持ってきた男との会話が終わった後、コルレオーネは呆然としていた。
『どうすればいいんだ……』
全く想定外の展開にコルレオーネはなす術なかった。
『せっかく……ここまで……うまくいっていたのに……』
コルレオーネがそんなことをおもった時である、ノックの音と同時にラッツがドアを開けた。
「あの、座長、そろそろ稽古の時間なんですけど……」
時間を過ぎてもコルレオーネが稽古場に来ないためラッツが呼びに来たわけだが……視界に入ったのは青ざめた顔のコルレオーネであった。
「……今日の稽古はなしだ……それからヘンプトンとパリスを呼んできてくれ」
座長は力なくそう言うとソファーに身を沈めた。
『具合が悪いんだろうか……座長……』
ラッツは何やら異変を感じたが、言われた通りにヘンプトンとパリスを呼びに行った。
*
程なくするとヘンプトンとパリスの2人がやって来た。座長はあたりの様子を窺って二人を部屋に入れると鍵をかけた。
「どうしたんですか、座長?」
「そうですよ、顔色も悪くて……」
2人がそう言った時である、コルレオーネが口を開いた。
「終わりだ……」
ヘンプトンとパリスはギョッとして顔を見合わせた。
「俺たちの劇団は終わりだ……」
コルレオーネは『どうにもならない』という表情を二人に見せた。




