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第三十話

39

 ベアーが石畳の部屋で座っているとのぞき窓から小声が聞こえてきた。


『ベアー、いるか?』


小窓から見えたのはなんとハリスであった。


「ハリスさん!」


ハリスは混乱に乗じて石室の鍵を手に入れていた。


「すまなかったな、さっきは。」


カギを開けるとハリスは謝った。


「あの時、亜人の男とやりあっても二人とも殺されると思って芝居をうったんだ。」


「そうだったんですか……俺、本当にハリスさんがおかしくなったんだと……」


ハリスはニヒルな笑みを浮かべた。


「確かに正常ではないな……それより、中の様子がおかしい。」


ベアーはハリスの顔を見た。


「脱出のチャンスだ。」


二人は忍び足で出口を目指した。


                              *


 二人がちょうど礼拝堂の裏あたりを通っているときだった、職人たちの不安な様子が目に入った。


「何があったんだ?」


「リアンが逃げたらしいぞ」


「ほんとか……」


「やばいんじゃないのか」


「まさか、治安維持官のやつらが……」


「逮捕されるのか……」


指紋を偽造していた職人がそう言った時であった、頭巾の男が颯爽と現れた。


「皆、落ち着け!!」


そう言うと浮足立っていた職人たちは頭巾の男に注目した。


「心配するな、まだ時間はある」


そう言うと頭巾の男は雄々しい声で指示を出した。


「午後までは今の作業を続けろ。昼をとったら撤収準備、そして夜の闇にまみれてここを出る。」


頭巾の男がそう言うと職人の1人が質問した。


「治安維持官の連中が来るんじゃないですか?」


「ここは、貴族の敷地内だ。治安維持官でも許可がないと入ってこれない。それに許可を取るには時間がかかる。今日、明日で奴らが踏み込んでくることはない。」


頭巾の男が自信にあふれた口調で言うと職人たちはとりあえず静まった。


「では、それぞれ作業に戻ってくれ!」


                                *


ハリスはその様子を見ていたが腑に落ちない点があった。


「おかしいとおもわないか……」


ベアーは怪訝な表情を浮かべた。


「リアンが逃げたなら、素早い撤退を一番に考えるはずだ。作業を続けるどころか昼飯を食うなんて考えられん」


ハリスに言われたベアーは『確かに』とおもった。


「何かあるな……」


ハリスは続けた、


「まあいい、とにかく我々は出口を探そう」


言われたベアーは頷いた。


                                 *


二人は礼拝堂を抜けると回廊を通って裏口を目指した。


「確かこっちだ……」


ハリスがそう言って裏口に続く部屋に入った時であった、二人の鼻に血臭が漂った


「何だ、この血は……」


ハリスが不審な表情で奥に進むと男が倒れていた。


「どういうことだ……」


倒れていたのは眼帯の亜人であった。


「仲間割れだな……」


 ハリスがそう言った時、ベアーはリアンの恐怖に引きつった顔を思い出した。それを見たハリスは口を開いた。


「あの頭巾の男は人を人と思わぬ人間だ。偽造小切手さえできれば……処理だろうな」


「じゃあ、ラッツや他の職人は……」


ハリスは沈黙した。


ベアーの脳裏に『皆殺し』と言う文句が浮かんだ。


「俺、ラッツを呼んできます、裏口で落ち合いましょう!」


ベアーはそう言うと再び礼拝堂の方に向かった。



40

 一方、その頃、スターリングたちは寺院の目の前まで来ていた。二人は周りの状況を確認しながら茂みに身をひそめた。


「どうしますか、応援を待ちますか?」


カルロスの問いにスターリングはかぶりを振った。


「応援が来る前に逃げられては意味がないわ、相手が気づいていれば証拠隠滅の恐れもある――それに今ならベアーとラッツの救出もうまくいくかもしれない。」


二人は顔を見合わせると装備を確認した。


「今の状況なら、相手も混乱してるはず、そこに乗じるわよ」


カルロスは頷いた。


「裏から入りましょう」


二人は裏口のカギを開錠するとスニークミッションを開始した



41

ベアーはラッツを呼ぶために忍び足で礼拝堂に向かった。だがベアーはそこに漂う空気に異様なものを感じた。


『おかしい……さっきと違う』


 作業をしているなら作業音が聞こえるはずだがその音はベアーの耳に入らなかった。妙なしじまが礼拝堂を覆っている。


ベアーは恐る恐る作業場を覗いた。


『えっ……』


なんと働いていたはずの職人やラッツは床に倒れていた。


ベアーは駆け寄るとラッツをおこした。


「どうしたんだ、ラッツ!」


ラッツは薄目を開けると唇を震わせた


「痺れる……」


そう言うとラッツは作業台にあるカップを指差した。


ベアーは一瞬で悟った、


『毒を盛ったんだ……』


ベアーは急いで解毒の魔法を唱えようとした……だがその時であった、ふてぶてしい声が耳に届いた。


「小僧、気づいたか!」


ベアーの後ろからショートソードを抜いた頭巾の男が現れた。



42

「まさかお前のせいで計画が台無しになるとわな……お前にはけじめをつけてもらわねばな!!」


そう言った頭巾の男の眼は明らかに異常であった。


ベアーは自分を鼓舞する意味もこめてわざと大声をだした。


「お前は一体、何者だ!!」


頭巾の男はそれを聞いてせせら笑った。


「声が震えているじゃないか」


殺人者のオーラにベアーは気圧され身震いしていた。


「まずはお前から血祭りにあげてくれる」


 頭巾の男はベアーに襲いかかった。勝ち目がないと踏んだベアーは作業台を盾にして逃げ回った。だが眼帯の亜人に蹴られた部分が疼き、うまく立ち回ることができなかった。頭巾の男はそれに乗じるとベアーを部屋の隅へと追い込んだ。


「終わりだ、小僧!」


 退路を断たれたベアーは如何ともしがたい状況に追い込まれた。頭巾の男は素早い動きでベアーの体に刃を放った。


『クソッ……これで終わりか…』


ベアーがそう思った時である……一生忘れえぬ光景が目の前に展開した。



「ハリスさん!!」



なんとベアーと刃の間にハリスが身を割って入っていた。


ハリスは叫んだ。


「逃げろ、ベアー!」


ハリスの背中からは貫通した刃が見えた。血が滴り礼拝堂の床を赤く染めている。


「この死にぞこないが!!」


そう言うと頭巾の男は突き刺したショートソードを引き抜き、もう一度刺した。


だが、ハリスはひるまなかった、頭巾の男の手をおさえるとベアーを見た。


「俺たちの同盟を忘れたか!!!」


ハリスが鬼の形相で一喝するとベアーはその言葉に促され立ち上がった。


ちょうどそのときであった――


「そこまでよ!」


 スターリングとカルロスが回廊から躍り出た。スターリングはその手に弓を持ち矢をつがえていた。


「武器を捨てなさい!!!」


スターリングの声が礼拝堂に響くと頭巾の男が一瞬、怯んだ。


『今だ!!』


ベアーは頭巾の男に体当たりをかました。頭巾の男はショートソードを落として体勢を崩した。


カルロスはその隙をのがさなかった。


「縄につけ!!」


カルロスは頭巾の男に飛びかるとその腕を絞り上げた。


「面を拝ませてもらうぞ」


カルロスはそう言って頭巾を剥ぎ取った。


「あっ……」


ベアーは見覚えのある顔に驚きを隠さなかった。


「お前は……」


なんと頭巾の男はベアーのマントを売っていた店の店主であった。何食わぬ顔で市民生活を営んでいた男が首謀者とは……ベアーのなかでとてつもない恐怖感が生まれた。



43

 ベアーはハリスに駆け寄ると全身全霊を込めて回復魔法を詠唱した。だがハリスの状況は想像以上に悪くベアーの力で何とかなるとは思えなかった。


「無駄だよ……傷が深すぎる。」


ハリスはそう言ったがベアーは魔法を唱えた。


「こんな所で死ぬなんて……そんな人生、良くないです」


ベアーはそう言ったがハリスは自虐的に笑った。


「僕はね、アヘン中毒になってから、人としてあるまじき行為を繰り返したんだ。」


ベアーはそれを聞かずに回復魔法を唱え続けた。


「禁断症状が出た時に、アヘンの売人を殺めてしまったんだよ……許されることじゃない……」


「ハリスさん、まだ間に合う、償えば……」


 ベアーは魔法を唱え続けた。すでに効果がないこともわかっていた、だがそれでも唱えた。


「……これでいいんだよ……僕が生きていればブルーノ家にも迷惑がかかる……」


「駄目だ。ハリスさん、まだ逝っちゃ……」


「ありがとう、ベアー」


ハリスはそう言うとベアーに微笑みかけた。


「おっぱい同盟万歳……」


ハリスの最後の言葉であった。


ハリスの死に顔に浮かぶユーモアのかけらを読み取ったベアーはその場に崩れ落ちると号泣した。

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