第二十四話
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バイロンが主演を務める初日がやって来た。その日はあいにくの曇り空で晴天とは程遠かった。バイロンは鏡の前で今までライラの着ていた衣装に袖を通した。
『だいじょうぶ、きっと』
いつもならラッツが声をかけてくれるのだが、そのラッツはおらず、バイロンは不安を感じていた。だがいないものはどうにもならないバイロンは大きく深呼吸して高まる気持ちを落ち着かせた。
最近、入団した裏方の劇団員がバイロンの衣装のほつれを確認すると声をかけた。
「大丈夫です。そろそろ、行きましょうか」
声をかけられたバイロンは表情を引き締めた。
舞台の袖に移動して客の入りを確認すると、平日にもかかわらず客席は満員だった。天井桟敷にも客が押し寄せ、『大入り』ののぼりが垣間見えた。
バイロンは目をつぶると大きく深呼吸した。
*
コルレオーネは客の前でいつものように口上を述べた。
「本日は新たな主演がコルレオーネ一座で誕生いたしました。刷新された役者たちの演武とともに、その目に焼き付けていただきたいとおもいます。」
座長はいつもと同じ口調で観客に語りかけた、そしていつものようにヘンプトンにアイコンタクトするとタクトを右手に持った。劇場のざわめきがおさまるのを確認するとタクトを振るった。
そしていつものごとく開演となった。
だが座長には払しょくできない不安があった。
『大丈夫かライラ……』
バイロンとは違いライラの状態は悪かった。立ち位置や、セリフ回しこそおさえていたが、役者としての『魂』が抜けた状態になっていた。それは『憑依型』の役者が見せるいわばスランプと言っていいだろう。急激な変化に女優としての感覚がついていかないのだ。
『ここでお前が、トチれば、全てが泡になる。頼むぞ……』
座長は祈るような思いでタクトを振るった。
*
ベアーとラッツが作業場に連れてこられてからすでに二日がたっていた。それぞれ仕事を割り振られ、犯罪組織の一員として着実な一歩を歩んでいた。
『マズイよな……これ……』
ベアーは内心そう思ったが逆らったところで痛い目を見るのは明らかである。今は耐えしのぐしかないと思った。
一方、ラッツは環境にも慣れ、二日目には組織の一員のようにたち廻っていた。ベアーはその姿を見てラッツの適応能力の高さに驚いた。朝から率先して作業を手伝う姿は劇団員とは思えない……犯罪者の小間使いとして確実な仕事をこなしている……
『スゲェな……ラッツ……」
ベアーはラッツがいかなる環境でも生きていけると思った。
*
ベアーは作業台の周りを小間使いとして走りながら職人の動きを観察した。
『こうやって作ってるんだ……』
ベアーは分業体制で作られる偽造小切手の製造工程をつぶさに見た。
最初の工程は『紙』の裁断になる。瓦版を二回りほど大きくした『紙』(縦40、横60cm)の『紙』を裁断機で切断し、小切手一枚分の大きさにしていた。
2番目の工程は偽造指紋の作成である。4人の職人が特殊なメガネをかけて一つ一つ指紋を偽造していた。指紋はいくつかの型があるようでそれを慎重に先ほどの裁断した『紙』に張り付けていた。
3番目の工程は張り付けられた指紋の精査であった。3人の職人がルーペを手にし、細工された指紋が問題ないか確認している。偽造小切手を造るうえでここが一番重要なポイントになっているようで、作業は慎重に時間をかけて行われていた。
4番目の工程はできあがった小切手に数字を書き込む作業だ。スターリングの読み通り2000ギルダー、3000ギルダーと言った少額の小切手が作成されていた。リアンの母親が小切手に数字を入力していた。
最後の工程は小切手の最終チェックでヒゲジイと2人の男が小切手の出来栄えを確認していた。ヒゲジイが『うん』といわないかぎり小切手は出回らなくなっていた
『すごいな、絶対ばれないな……これだけ手が込んでたら……』
ベアーは偽造小切手が精巧に作られている理由がこの分業体制にあると確信した。
そんな時である、上のほうから声が聞こえてきた。
*
「あの餓鬼の言ったことは本当なんですかね」
頭巾の男が眼帯の亜人に話しかけられていた。
眼帯の亜人はラッツの言ったことに危機感を抱いているようでその顔は真剣であった。
「広域捜査官が動いているなら、ヤバイんじゃ……」
だが頭巾の男は動じなかった。
「両替商の『草』から広域捜査官の話はすでに入っている」
『草』とはスパイの事であるが、頭巾の男は各地の両替商に『草』を放っているようだった。
「鑑定人の数は多くない、決算期の忙しさに紛れ込めば、奴らも対応できないはずだ。」
頭巾男は正確な情報を手に入れているようでその口ぶりからは自信があふれていた。眼帯の亜人は安堵した表情を浮かべた。
「それにこの礼拝堂は、広域捜査官でもその調査権は及ばない、案ずるな。」
頭巾の男はそう言うと颯爽とその場を去った。
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『なるほど、両替商にスパイが……そりゃ、向こうの方が一歩先を行くわけだ。』
ベアーは広域捜査官でさえ出し抜く小切手偽造集団の戦略に舌を巻くほかなかった。
*
その日の作業を終えて、ベアーとラッツが食事場に行くとリアンがスープをよそっていた。
「あら、私に騙されたおふたりさん、こんばんは~」
リアンは給仕しながら二人に嫌みったらしく話しかけた。
「親子で嵌めに来たら、騙されるに決まってんだろ!」
ラッツが悪態づくとリアンはせせら笑った
「誰が親子よ、あの人たちは仕事上のチームよ」
「えっ?」
ベアーもラッツも口を開けた。
「その程度の事もわかんないから騙されるのよ」
リアンはあきれたように言った。
「人をだますには信用させるのが一番いいの、家族って言う形態をとると相手が勝手に信用してくれるしね」
ベアーは客船でのやり取りを思い出した。
『家族を装ったチーム型犯罪……そりゃ騙されるよな……』
ベアーがそう思った時である、二人の前に角切りにした野菜とベーコンの入ったコンソメスープが置かれた。
「あんたたちも、私と同じね。ちょっとボタンを掛け違えたら地獄の一丁目ってやつよ」
リアンはそう言うと椅子に座った。
「リアン、君の御両親は?」
ベアーが尋ねるとリアンは不愉快な顔で即答した。
「いるわけないでしょ、まともな親がいたら……こんな所にいないわよ」
ベアーはリアンの眼を見て思った。
『ボタンの掛け違いって言ったな……ひょっとしてこの子は……活用されてるだけなのか……』
自分たちを陥れた張本人であったがその様子にベアーは『何か』を感じた、それは僧侶の勘であった。
*
初日の公演はコルレオーネにとって生涯忘れえぬものになった。ライラの見せた演技が度肝を抜いていたためである。
『罵倒の歌』のくだりでライラが見せた演技はそら恐ろしいものがあった。ヘンプトンのアコーディオンとの調和など全くなく、音程ははずれ『歌』というには遠く及ばないものだった。
だが、『女貴族』が持つ『町娘』に対する怨念は見事なまでに表現され、音程が外れていようとその迫力は観客の心を揺り動かしていた。
後にコルレオーネはこの時のことを自叙伝に記している。
『覚醒とはこういうことなんだ……』
まさにその通りでライラはこの時、役者としての新境地を切り開いていた。
バイロン主演の初日はライラの『覚醒』から始まった。
一方、バイロンとリーランドもライラの怪演に負けじと主演の意地を見せた。当初はライラの演技に芝居を持っていかれていたが、場面が進むにつれ二人は徐々に盛り返した。特にリーランドの動きはキレがあり、舞台全体を使った表現は今までになく大胆だった。
『この芝居は、絶対に成功させるんだ!!』
リーランドの頭の中にあるのは都の歌劇団への強い思いであった。
『ここで……ここで、俺は夢をつかむんだ!』
鬼気迫るライラの演技、夢をつかもうとするリーランドの芝居、どちらも甲乙つけがたかった。
芝居は佳境を迎えた。ライラ扮する貴族女が幸せになった主演の二人を羨み、絶望するくだりである。罵詈雑言をあびせ精神的に主演のバイロンを追い詰めたライラに対し、観客は誰一人として同情しなかったが、己の郷の深さを悟り、惨めさを享受して絶望する姿は観客の心を揺り動かした。
クライマックスから大団円を迎えるラストでは主演の二人が今まで以上の芝居を見せた。バイロンとリーランドの掛け合いがミュージカル調に展開され、楽団の演奏とシンクロしていく。今持てる精一杯の力を出し切ったと言ってよいだろう。幕が下りる瞬間に与えられた拍手と喝采は尋常ならざるものがあった。
コルレオーネが自叙伝でこの時のことを以下のように記している
『わが人生でこれほどの芝居は今まで見たことがない、都の歌劇団とは違う大衆演劇の真髄をここに見た。私は幸せ者だ』
こうしてバイロン初日の公演は大成功をおさめコルレオーネ一座はその名をポルカにとどろかせた。




