第二十三話
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タチアナの公演時から台本を読み込んでいたバイロンにとってセリフや歌詞の変化は問題なかった。稽古、初日の最後にはそのほとんどをおさえ、曲に入る時のタイミングの微調整だけで済んだ。
板の上での立ち回りも、袖からライラの動きを見ていたため順応が速く、2日目の通し稽古では主演としての動きをほとんどをおさえていた。
『ずげぇなぁ、バイロン……』
『ああ、びっくりだよ』
ライラを推していた劇団員たちは二日で主演としての動きをマスターしたバイロンを見て、自分たちが抱いていた思いが間違いだと感じていた。
『あれだけやるなら、俺たちも応援しないとな』
『そうだな』
主演としてのオーラが出始めたバイロンの稽古姿はコルレオーネ一座の劇団員たちにも影響を与えていた。
*
稽古の様子を見ていたコルレオーネは厳しい表情を崩さなかったが、バイロンの適応能力にはおどろかされた。
『3日でここまでになるとは……やるな……バイロン』
一方、ライラは助演の役になかなかなじめていなかった。助演におろされた不愉快さからくる精神的なものではなく、純粋に役者としての『質』の問題にぶつかったからである。
一般的に役者は2タイプに分かれる。1つは演者が『役の人物』そのものになってしまうタイプだ。与えられた『役の人物』に演者自身が憑依されると言えば近いだろう。この場合、演者の自我はおさえられ『役の人物』としてすべての行動をとることになる。
もう一つは客観視して『役の人物』を演じるタイプだ。この場合、演者は『役の人物』を演じながらもしっかりと自分の自我が残る状態になる。『憑依型』とは違い。演じている『役』を自分自身で認知している状態になる。
『憑依型』は女性に多いと言われるがライラはその典型で『役の人物』そのものになって板の上に立っていた。だが、『助演の役』にまだなりきれていないライラの演技は中途半端で覇気がなかった。
一方、バイロンは自分の立ち回りを客観視してそれを演技に投影するタイプであった。自分の役を理解し、周りを見ながら演じるバイロンは確実に主演としての一歩を踏みしめていた。
演出する側からするとどちらがいいということはないが、タイプの違う役者を同時に演出するのはコルレオーネにとっては厄介だった。
『もう時間がないな……何とかせんとな……』
難題がコルレオーネを降りかかっていた。
*
ベアーたちは途中で目隠しをされたため、自分たちがどこに行くか全くわからなかった。聴覚から入ってくる情報を頼りに状況を探ろうとしたが馬車の走る音しか感知できなかった。
どれくらい走ったであろうか、馬車の速度が落ちると程なくして止まった。
「ほら、降りるんだよ!!」
リアンの母親はベアーとラッツを蹴り上げた。二人はよろめきながら進むと、かび臭い建物の中に入れられた。
二人は目隠しをしたまま跪かされた。
「さっそくだが、お前達のことを聞かせてもらおうか」
頭巾の男が二人に話しかけた、くぐもった声で地声が認識しづらい。
「お前たちは我々のことをどの程度知っている?」
頭巾の男はそう言うと二人の目隠しをはずした。すぐさま眼帯の亜人がナイフを二人の首にあてがった。
「目で見えるほうがいいだろ?」
頭巾の男は恐怖を与えるためにわざと目隠しを外して二人に刃を見せた。
「さあ、話してもらおうか」
顔は全くわからないが頭巾の内側に悪魔がいることだけははっきりしていた。
*
「お前たちは、何者だ?」
頭巾の質問に二人は素直に答えた。下手に抵抗しても殺されるとおもったからである。
「あんたの仲間に小切手を盗まれたんだ……客船の中で……」
ベアーは頸動脈の所にあてがわれたナイフにビクビクしながら答えた。
「お前はどうだ?」
頭巾の男はラッツを指した。
「うちの劇団のチケットを、あんたの手下が小切手で買ったんだ」
「それで?」
「それが偽物だったんだよ」
頭巾の男が引きつった笑いを浮かべた。
「あの小切手が偽物とわかっただと?」
「そうだ、治安維持官が特別な鑑定士を呼んで鑑定させたんだ。」
悠然と構えていた頭巾の男の目つきが変わった。
「特別な鑑定士と言ったな」
ラッツの答えに頭巾の男は目を細めた。
「その辺りは詳しく聞きたいな」
「詳しくは、わかんねぇよ……」
頭巾は眼帯の亜人に合図した。眼帯の亜人はラッツの襟をつかんで立たせるとそのみぞおちに一撃くわえた。
ラッツが悶絶して床に倒れた。
「……本当だよ、それ以上は……」
ラッツはもがきながらそう言ったが眼帯の亜人はそれには目もくれず、ラッツの髪をつかんで上体をおこした。
もう一撃くわえようと眼帯の亜人が拳を振りかぶった時である、部屋のドアが開いて一人の少女が入ってきた。
『リアン……』
ベアーの眼にはかつて客船で自分の小切手とマントを奪った少女の姿が映った。
リアンはベアーをチラリと見ると頭巾の男の耳元でささやいた。
「わかった」
頭巾の男はそう言うと立ち上がった。
「とりあえず、その二人は作業の手伝いをさせろ。」
眼帯の亜人は頷くと、壁に掛けてあったボーガンを手に取った。
「小僧ども、歩け」
二人は背中に矢を突き付けられた状態で部屋を出た。
*
部屋を出たさきは回廊になっていて、その壁面には燭台が埋め込まれていた。ベアーたちはその回廊を歩かされた。乾いた足音が空間に響く、ベアーは周りの様子をつぶさに観察した。
『ここは地下なのかな……』
窓が一つもないことからベアーはそうおもったが、それが正しいかはわからなかった。しばらく歩くと明るく広い空間が二人の前に現れた。そこは丁寧に削られた石畳が敷き詰められた礼拝堂であった。
『これは……』
なんと礼拝堂は作業場になっていた。
『まさか、ここで……』
ベアーの表情を見た眼帯の亜人が答えた。
「そうだ、ここで偽造小切手を造っているんだ」
眼帯の男は邪悪な笑みを見せた。その笑みは二人が二度と娑婆に戻れないこと示唆していた。
二人は蹴り飛ばされた。
「今日からここで作業に従事してもらう。」
眼帯の亜人がそう言うと作業台から一人の老人が歩いてきた、いかにも職人という出で立ちで白いひげを蓄え、紺のつなぎを着ていた。
「じいさん、小間使いが足りないって言ってただろう」
眼帯の亜人がそう言うと白髭の年寄りは胡散臭そうに二人を見た。
「こっちに来い」
ヒゲジイはそう言うと二人を礼拝堂の奥の小部屋に二人を連れていった。
「ああなりたくなかったら、言うことを聞くんだ。」
ヒゲジイの言った先には目がうつろになった男がいた。その男は時折、絶叫し部屋の中を走り回った。両手の爪がぼろぼろで、髪の毛も所々抜けていた。
「アヘンでああなるんだよ」
ヒゲジイは何とも言えない表情で二人を見た。
「どうした、あの男と同じになりたいか?」
二人は顔色を変えて沈黙した。
ヒゲジイは飄々とした表情で二人を見た。
「よろしくな」
こうして二人は偽造小切手製造の小間使いとして使われることになった。




