第二十二話
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主演が交代してから、劇団員たちは芝居の流れを確認するべくその調整におわれた。特にバイロンは主演としての立ち居振る舞いを3日でおさえなくてはならずその労苦は半端ではなかった。
リーランドとの掛け合いも増え、今までと違う展開にバイロンは四苦八苦した。
『きつい……でも…これをやりきれば……』
バイロンの脳裏には母の入院費がちらついていた。
『うまくいけば滞納している分も……』
金銭が絡む思惑はバイロンのモチベーションを高めていた。
*
稽古が終わるとリーランドがバイロンに声をかけた
「3日間じゃ、きついだろうけど……お客さんは甘くないからね」
リーランドの口調は優しかったがその目は厳しいものだった。
「主演に選ばれたからには、その重荷を受けるしかない。きついだろうけど……」
バイロンは小さく頷いた。
「ある程度はこっちがフォローするけど、板の上での動きと振る舞いは自分でおさえるしかないからね」
リーランドはそう言うと汗を拭くタオルを取りに向かった。
*
リーランドは鏡を見ると、ひとりごちた
『俺は、この劇団で終わりたくない……』
リーランドには大きな目標があった。そしてそれを成就するためにはポルカでの成功は絶対であった。
『ここがチャンスなんだ……都の、都の歌劇団に』
今の所、ポルカでの興行はかなりうまくいっている。ここで高い評価を受ければ都の歌劇団からスカウトされる可能性が高まる。上級学校の演劇科を卒業していれば別だが、初等学校しか出ていないリーランドにとっては都の歌劇団に入るにはスカウトされるほかに道はなかった。
『ここが勝負なんだ』
リーランドは何としてもこのチャンスを逃したくないと考えていた。
一方、ライラは稽古に参加していなかった。プライドをズタズタにされた彼女は退団しようと牛皮のトランクに荷物を詰めていた。ヘンプトンが声をかけても全く反応がなく、その意志の固さは尋常ではなかった。
「お嬢、気持ちはわかるが……いまこの一座にとって正念場なんだ。お嬢が抜けたら芝居ができなくなっちまう。」
拗ねているだけであればヘンプトンの言葉にも意味があるだろうが、決断した女の意志は固くライラは動じなかった。
「お嬢、ここはこらえてくれ、劇団のことを……」
ヘンプトンがドア越しに懇願している時だった、肩をいからせ宿屋の廊下を歩いて来る男がいた。
「……座長……」
コルレオーネは鍵のかかったドアを蹴破って開けると、ライラに静かに声をかけた。
「申し訳ありませんが、ここは主演女優の部屋です。助演の方とは部屋が違いますので出ていっていただけますか。」
コルレオーネは上品な執事とも思える物言いでライラに言った。
ライラはコルレオーネのその様子を見てブチ切れた。
「あんた、それでも父親なの、最低限の礼節ぐらいわきまえなさいよ!!」
ライラはコルレオーネの首をつかむと爪を立てて締め上げた。
親子喧嘩を今まで何度も見ていたヘンプトンであったがさすがに『これはマズイ』と思い止めに入った。
だがライラの力は半端でなかった。
「殺してやる、このクソ親父!!!」
ブチ切れたライラに首を絞められるコルレオーネの顔は明らかに変色していた。ヘンプトンは引き離そうと必死になったがそれでもライラははなさない。
「お嬢、座長が……死んでしまう…」
最近のストレスすべてを殺意に変えたライラは両目を充血させていた。
*
そんな時である、稽古を終えたバイロンが一陣の風のようにして現れた。
「あら、みっともない喧嘩~、そういうの止めていただけます。」
バイロンはかつてライラに言われたように毒のある言い方でライラに語りかけた。そして何食わぬ顔でライラの使っていた主演専用の部屋に入っていった。
『何、あの女!!!』
その時であった、ライラの手を首から外したコルレオーネが息も絶え絶えになって言葉を発した。
「悔しいか、ライラ、悔しいなら、演技で見返してみろ……」
ライラはコルレオーネを睨みつけた。
「お前も女優だろ、俺の首を絞めた時の思いを板に立って見せて見ろ!!」
「あんたなんかに、言われたくても……」
再びライラの中で火がついた。
「そうだ、その殺意を芝居の中で見せてみろ!!」
ライラはコルレオーネの頬を思い切り引っ叩くと絶叫した。
「やってやるわよ!!!!」
廻りで見ていた一座の人間はその様子を見て凍りついた。
*
ライラが助演の役者に与えられた部屋に入ると座長が身を起こした。
「うまくいきましたね……」
ヘンプトンは近づくと座長に小声で話しかけた。
「ああ、こんなにうまくいくとはな」
コルレオーネは頷いた。
「バイロンの演技もなかなかでしたね」
「母親のたまった入院費が払えるとおもったんだろ」
コルレオーネはライラを引き留めるために金で釣ったバイロンに一芝居うたせていた。
「これがうまくいけば、俺たちだって自分達の場所が持てるんだ、そのためには多少の芝居もバチはあたんねぇよ……」
しみじみといったコルレオーネの言葉にはヘンプトンも同意するものがあった。
「とにかく、やり切りましょう。」
「そうだな」
コルレオーネは腫れ上がった頬をおさえて立ち上がった。
*
ベアーとラッツが幌馬車を追いかけて1時間ほどたった時のことである。
「あいつら、休憩する気だな」
ラッツの言った通り幌馬車は人気のない川のほとりに停まった。
ラッツとベアーは草むらに紛れて幌馬車に近づいた。
「ここだと中が見えないな……」
近づくがどうか二人は思案した。
「どうする?」
「中にリアンがいるか確認したいね」
「でも、ここから動くと丸見えだからな……」
そんな会話をしていると幌馬車から御者が下りてきた。
二人はその様子をつぶさに観察した。
「やっぱり間違いないな……」
ベアーもリアンの父親だと確信した。
「ベアー、どうする?」
ラッツの問いかけにベアーは思案した。
「後を追ってアジトを見つけよう、それで近くにいる治安維持官に報告すればスターリングさんに伝わるはずだ。」
ベアーは『我ながら冴えている』と自分でおもった。
「よし、その案で行こう!」
ラッツが小声でそう言った時である、二人を影が覆った。
*
二人が同時に振り向くと、目の前に二人の人間が立っていた。1人は眼帯をした亜人、もう1人はリアンの母親、二人は俊敏に動くとベアーとラッツの首にナイフをあてがった。
全く予定外の状況に二人は言葉を失った。
「どうしますか、殺しますか?」
ラッツの首にナイフをあてがった眼帯の亜人が声をかけると、いつの間にやら現れた頭巾の男が首を横に振った。
「その二人には役立ってもらう、それにどの程度我々のことを知っているかも確認したい。」
頭巾がそう言うと眼帯の男は頷いた。
*
ベアーとラッツは両手、両足を縛られると幌馬車に乗せられた。持ち物を確認されると金品、メモ帳、筆記道具などすべてを奪われた。
「お前らが後をつけていたのは、とっくにわかってたんだよ」
リアンの母親がニヤニヤしながら二人を見つめた。
「ほんとにバカだね」
そう言うや否やラッツの顔を叩いた。
「どうだい、チケットを取られた女に引っ叩かれるのは?」
リアンの母親は高笑いした。虐待に至福を感じるタイプの人間らしい、その目は愉悦で彩られていた。
ベアーはその様子を横から見ていたが、その異常性に人を殺めることを厭わぬ不遜さを感じた。
『こいつヤバイやつだ……』
ベアーがそんなことを思った時である、幌馬車の小さな覗き窓にあるモノの姿が映った。
『あいつ!!!!!』
主人が盗賊団に拉致されていくにもかかわらず、ロバは街道沿いの小路でドルミナの女学生と戯れていた。
「このロバ、何か、面白い~!」
「ほんとだ、耳が、超、ウケる」
ロバはDQN風の女学生が近づいてくるとニヤけた表情を浮かべた。
「笑うと……マジ、ブサイクね」
「ほんとだ!」
そんな時である、ロバは女学生のスカートに鼻を伸ばした。
「もう、やだ、エッチっ!」
「やめなさいって、このスケベ!」
ロバは若々しい女学生の体臭を嗅いで『最高です!!!』という顔をしていた。
その一部始終を見たベアーはブチ切れそうになった。
『あのロバ、マジで許さん!!』
ベアーはそう思ったが幌馬車は無情にも速度を上げて走り出した。




